壁の花は柱の陰でこそ美しく咲くのです。
「な、なんで、あなたが先について……って、あなた誰よ!?アレットは!?」
エアデール帝国の王宮――
夜会会場には一人の甲高い声が響き渡っていた。
「アリスお嬢様、お待ちしておりました。」
アレットが涼しい顔で出迎えると、アリスは周囲を見渡してコソッと耳打ちをする。
「ちょ、ここではコレットとわたくしのことは“そう”呼んでちょうだい。」
「はぁ……コレットお嬢様でしょうか?」
「違うわ!コレット奥様よ!!」
(なんだか嫌ね……)
自分のことを様付けで呼ぶなど、恥ずかしいことこの上ない。
コレットは、一瞬目を細めて考えると、妥協案を出した。
「では……奥様でいいでしょうか?」
すると、アリスも満足したのか、グイッと口角を上げて微笑んだ。
赤い紅のせいか、悪役感が強いのは気のせいではないだろう。
「そうね、その方がいいわ。これからはわたくしのことは“奥様”と呼んでちょうだい。それで……?」
アリスは首を傾げると、言葉を続けた。
「あなたは誰なの?」
どうやらここまで話していて、目の前の侍女がアレットであることに気づいていないらしい。
「奥様の専属侍女。アレットでございます。」
「……は?」
アリスはアレットの顔を何度も見つめる。
それでも目の前の侍女がアレット本人だとは信じられなかった。
「……うそ、でしょ?」
「いえ、本当です。私が奥様に嘘などつくはずはございません。」
アレットが表情一つ変えずに淡々と告げる姿は、それが嘘ではないことを物語っていた。
「で、でも馬車……なかったじゃない。」
(わざと準備していなかったのね……)
恐らく遅れてきたことを後で罵るつもりだったのだろう。
『馬車に間に合うように準備しないのが悪い。』
『侍女なんだからそれくらい自分で準備しろ。』
『夜会に遅れるなどありえない。』
(想像できるわね……)
いくら侍女だと言っても、平民の出の侍女に“貴族のマナー”を理解しておけというのは無理な話だ。
(教育していれば別だけど……)
アリスも平民に近い出なのか、“貴族のマナー”を理解していないことの方が多い。
そんな女に侍女の教育ができるとは思えない。
「馬車はございませんでしたが、馬が繋がれていましたので。」
「う、馬!?」
もう一度アリスの声が場内に響き渡る。
その瞬間――
周囲の視線が一斉にアリスを見た。
「はい、馬でございます。そのおかげか……クスッ」
アレットはわざとらしく鼻で笑うと……周囲に聞こえるような声を出した。
「いつの間にか追い抜いてしまったようですね……。旦那様と奥様も夜会に間に合ったようで何よりでございます。」
周囲の視線がアリスに刺さる。
その視線には好奇の眼差しと、嫌悪に満ちた眼差しが入り交じっていた。
「シルベリアン公爵夫妻が来たわよ。」
「そう言えば……また結婚したんですっけ……?」
「何人目でしたっけ?」
「分からないわね……この数年で……五人以上は変わっていると思うけれど……でも名前は変わっているのに連れている人は変わらないのよね。」
アレットは周囲の声に耳を傾ける。
正直、アレットにとって目の前にいるアリスよりも、周囲の話の方が大切だった。
(私の前に五人以上ね……連れている人が変わらないのは……毎回アリスを連れてきているからよね。)
周囲の言葉を逃さないように頭の中に叩き込んでいく。
アリスは自分が注目の的であるということ以外興味が無いのか、周りから向けられる視線に満足しているようだった。
「奥様……私はあちらにおりますので、旦那様と楽しんでくださいませ。」
アレットは会場の影になりそうな所を、ちらりと見る。
「そうね。ふふっ……こんなに注目されるなんて、あなたを専属侍女にして良かったわ。」
「そう言っていただけて何よりです。それでは、何かございましたらお呼びくださいませ。」
小さく頭を下げると、近くの従者が持っていたグラスを受け取り、柱にもたれかかった。
(やっぱり……ここが一番落ち着くわね……)
刹那――
「久しぶりですね。姉上……」
聞いたことのある声が柱の反対側から響き渡った。
「……マリウス……久しぶりね。元気そうでよかったわ。」
「姉上こそ……それより、シルベリアン公爵の隣にいる人は、見るからに姉上とは違うようですが……?」
「気づかないわけないわよね……」
アレットの仮面を外し、コレットとして会話を続ける。
「まぁ、縁の深い人であればすぐ気づくでしょうね。」
コレットはマリウスの言葉を聞いてとあることが浮かんだ。
今までもアリスがアデラールの妻として夜会やお茶会に参加していたとしたら、その血縁者が本人ではないことに気づいたのだろう。
(いくら地味な女性を狙ったって……家族は騙せないものね。)
「マリウス、あなたにお願いがあるのよ。お父様にも……あぁ、あと念の為にセドリックにも伝えておいて。セドリックに伝えれば、シェアパード公爵達の耳にも入るでしょ?」
マリウスも馬鹿ではない。
コレットが何をしようとしているのか、なんとなくわかったようだ。
「姉上……まさか……?」
「えぇ、そのまさかよ。」
コレットは持っていたグラスの赤紫の液体を一気に飲み干した。
「あ、姉上……そんな一気に飲んでは……」
「大丈夫、大丈夫!……それより、連絡手段は朝刊を読んでちょうだい。」
「朝刊……?」
マリウスはボソッと呟くと、なにか思い浮かんだのか、急に目を見開いた。
「やっぱり……あれは、姉上だったんですか!?」
「ふふっ……」
コレットは口元を抑えて微笑むと、近くにいた従者にグラスを返した。
「じゃあ、私は行くわね。」
「……どこへ……って……いない。」
マリウスはコレットがいた所へ視線を移す。
だが、そこには誰も立っていなかった。
「これは……セドリックが荒れないように気をつけないとな……」
マリウスは持っていたグラスに口をつけた。
「甘い……これは葡萄ジュースか……」
マリウスの声はコレットに届くことはなかった。




