第36話 30年前の出来事
カルナは何を言っているんだ?
魔王がいつ現れたのか。それが知りたかったのか。
正直なところ重要な質問なようには思えなかった。
「あれは30年前のこと。」
長老が語るように話し始める。
「遥か東方の空に裂け目ができたという。
私はこの目で見たことはない。しかしこの地にも空の裂け目の断片が見えたのを覚えている。
稲妻とも違う。空にひびが入るという恐怖。
今でもその光景を覚えている。」
「それは何か記録が残る形で残しているか。」
「もちろん。長老の役目の一つに日々の記録を残すというものがある。」
「あとでその箇所だけ見せてくれないか。」
「・・・本来は代々の長老にだけ引き継がれるもの。部外者に見せるものではない。」
「さっきノキマを救った報酬は要らんと言ったが、その報酬で日記を見るというのはどうだろうか。
街を救ったんだ。
この村だってそれほど多くはないとはいえ突然ノキマの村人が増えて苦労したんじゃないか。
彼らは森の生活に慣れていなかっただろうし、住居、衣服、当面の食料、この一カ月大変だっただろう。」
「・・・いいだろう。魔物を倒したという強者よ。特別に日記を見せよう。」
カルナの提案にそれを聞いていたヨークとヨハンナの二人も顔をしかめていた。
大きな村ではない20人ばかりと言っても急な受け入れは大変だったのだろう。
交流がある街なので知らないわけではないはず魔物に襲われたのだから人情としては助けたい。
しかし人を助けてその生活を保障するのは大変なことだ。
カルナの言ったことはこの村にいたノキマの人たちが必ずしも歓迎されているわけではないと言外に表していた。
「話を元に戻そう。30年前なんだな。魔王が現れたのは。」
長老は頷く。
「魔王がいつ現れたのかってそんなに重要なことなの?」
この話題が村の触れられたくない部分を言ってまで聞き出すことなのだろうか。
カルナはカザンの方を見る。
「以前、私が魔王を逮捕したというのは言ったな。そして仲間がヘマをして逃げてしまったと。
そして魔王がこの世界に逃げてきた。
それが2年前のことだ。」
「2年前!?魔王がこの世界に来たのは30年前だって。」
「そうだ。カザンは自分が生まれる前から魔物はこの世界にいたと言っていたからな。
それを聞いて詳細を話すのをやめた。
だが私はきちんと”私が捕まえた”と言ったではないか、私を何歳だと思っていたんだ?
年上だがそこまで歳はとっていない。」
あ、そうだった、たしかにそういう会話をした覚えがあった。
なんで気が付かなかったんだろう。
その話を覚えていたら彼女の歳は40、50歳近いはずなのだ。
「この話は私にとっても衝撃になるだろうと思っていた。
だからきちんとその時を生きていた人に出会うまで黙っていた。」
そして再び長老に向きなおる。
「それでは長老サマの日記を見せてくれるかな。」
ヨハンナが長老に手を添えて自宅まで案内する。
長老の家は他の家よりも大きく立派であった、それでも木造造りであるところは変わらない。
玄関をくぐると3人は靴を脱いでから上がった。
ヨークは腰に下げていた短剣も玄関に置いてある。
ヨークに倣って腰に下げている剣を短剣の横におき靴を脱いでから上がった。
カルナも自然な動作で靴を脱いでいた。
長老は自室に入り小さな椅子に腰かける。
ヨハンナが4人分の敷物を敷いている。
「飲み物を用意します。」
そう言うと彼女は部屋を出て台所に向かった。
「まるでこの家に住んでいるようですね。」
カザンがヨハンナの慣れた動きにそう言うと
「次代の村長候補は長老の家で過ごすのが習わしだ。
一緒に生活し村長の役割を少しずつ引き継いでいく。」
ヨークが答える。
「伝統の在り方はそれぞれだ、否定も肯定もしない。」
カルナが素っ気なく答える。
長老は椅子に座ったまま動く気配がないのでカルナも敷物の上に座りヨハンナが戻ってくるのを待つことにした。
しばし無言が場を支配していた。
ヨハンナが人数分のコップを持って現れる。
飲み物はお湯だと思っていたら何やら草木の香りがする。
「薬草を煮たものになります。」
薬草と言われて苦いかもしれないと思い一口啜る。
口の中に清涼感が広がった。
まるで草原の中を馬で疾走しているような気分。
さっきまでのやや重たい雰囲気を忘れてしまう。
「おいしいですね。初めて飲みました。」
正直な感想を言う。
「ありがとうございます。爽やかな香りがする薬草を混ぜたのですがお口に合ってよかったです。」
また飲みたいと思いながらそうするとヨハンナがこの部屋から出る。
そうなればまた沈黙が流れるだろうと思うと気軽に飲めないのが悲しい。
長老が彼女に言って壁の書棚にある本から例の日記を取り出すように言う。
棚には本が数冊ずつ積まれており立てられていない。
昔エルンストの屋敷で見た本棚は豪華な装丁がしてあって本が立って並べられていたのを思い出す。
この地域では本は積んで置いておくのか。
ヨハンナが言われた場所から一冊の本を取り出す。
その本を長老に手渡す。
長老はページをペラペラと捲る。
そしてとあるページで動きを止めた。
「この部分じゃ。」
そう言ってカルナにそのページを見せた。
何が書いてあるのかはわからない。
単に字が汚いだけかと思ったがそうではない。
文字が違うのだ。
「この村では2つの言葉があるのだな。
1つはこの辺り一帯で使われているカザンと私が使っている言葉、公用語だな。
ノキマの街とも親しいらしいから彼らと話すためか。
もう1つはこの村だけの言語。
村人だけならば普段はそっちを使っているのか。
村での会話を聞いてもどこか訛っているように聞こえたのは普段は使っていない公用語を話していたからか。」
と言い長老やヨハンナ、ヨークを見る。
「若いのに言葉の切り替えがうまいじゃないか。まったく気が付かなかった。」
「私たちは普段から村の外の人と交流があります。
彼は私の護衛でないときは村人をノキマの街に安全に送り届ける仕事もしていました。」
ヨハンナが話す。
ヨークがヨハンナに話しかけている。普通の声量なのにまったく言葉として認識できない。
この感覚、カルナと初めて会った時のことを思い出す。
「このページに書いてあることを読んでもらえるか。」
「はい、私が読みます。」
カルナの提案にヨハンナが答える。
草月の七日。
その日は朝から天気が不安定だった。
晴れていたと思ったら雨が降る。
雨雲が出たと思ったら降らずに消えてしまう。
風の流れも向きが安定せず右へ左へと流されてしまうほどに強い。
こんな不安定な日は初めて体験する。
村長が森の大鷲様の祭壇に出かけられるということで同行した。
いつもの通りの果物の供物を備えた。
祈っている間、普段ならばリスやネズミが供物を取りに来るがこの日は一匹も現れなかった。
彼らが現れないからそれを捕まえるキツネもいない。
森の彼らも今日はおかしい日だというのを本能で理解しているらしい。
夜になった。
村人が叫ぶ声が聞こえる。
村長と一緒に外に出て村人が指さす方向に見る。
そこは空が割れていた。
稲妻が走ったのかと思うような線。しかし紫色である。
夜空の黒と混じるようで混じっていない。
その線を辿っていく、東の方に伸びているのがわかるがそれ以上は見えない。
どこから来ているのか、この線の中心はどうなっているのか。
どれくらいその線を見ていただろうか。
線は段々と薄くなり消えていった。
村長にあれはなんでしょうかと尋ねたが村長もわからないようだ。
集まった村人たちからも同じ質問があったが村長は何も話されなかった。
草月の8日
村長は村の男たちを集めて四方に遣いを走らせた。
村で一番馬の扱いに慣れたものを東の遠方に行き何があったのかを確認するように指示を出した。
そこまで話したところでカルナがもういいと言って止めた。
「日記にここまで詳細に書かれているんなら30年前に魔王がこの世界に現れたというのは本当なのだろう。」
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