第2話 出立
カザンが部屋に入るとリビングのテーブルにエルンスト父とカザン父が座っている。
母がエルンスト父にお茶を出し自分の父にはお湯をコップに入れて出している。
部屋の隅にはリュックが置かれている。
朝家を出るときにはなかったものだ。
カザンも父の目配せを察して椅子に座った。
「カザン君。君には息子を家に連れ戻してもらいたい。
そのための路銀、装備品などは私がすでに準備している。
馬も街一番のものを用意した。
頼む!息子を連れ戻してくれ!」
両手と頭をテーブルに着けての依頼である。
隣の父もテーブル脇に立っている母も唖然としてその姿を見ている。
街一番どころかこの地域では頭一つ飛び出しているほどの豪商の似合わぬ懇願に時間が停止した気分であった。
沈黙を破ったのはカザンだ。
「どうして家に連れ戻すのでしょうか。
今日の街の賑わいは祭りそのものでした。この街で開催されるどの催しよりも豪勢で人があふれていました。
あれほどみんなから祝福されているのになんで連れ戻すのでしょうか。」
その純粋な言葉にカザンの父はため息を吐いた。
「お前にはうちの手伝いばかりをさせていたから世間については知らないのだろう。
勇者は毎年輩出されているが人の領土は年々小さくなるばかりだ。
勇者が成果を出していないのは明らかなのだ。」
たしかにそういう話は聞いたことがある。
どこの街が陥落したとか、どこの村が焼き払われたとか。
人の領土であっても魔物が出現したとニュースになって人々が怯えていることも珍しくない。
タカラヒの街は学園都市と比較的近いため魔物の脅威はないが地方を行き来している行商人の話を聞くとそういう嫌なニュースが止め止めなく聞かされる。
カザンはこの街を主体として貧乏ながらも生活している。
街の近くの山で木を切って運び出して薪にしているのでこの街で生活が完結している。
たまに学園都市に行く用事があるだけであった。
この国と言われてもカザンの頭にはこの街タカラヒと学園都市アイゼンしか目にしたことがなかった。
この2つの街だけが彼の世界だった。
地図も見たことがないし見方もわからない。
エルンストの父が顔を上げた。
咳ばらいをしてから話し始めた。
「勇者学校はその名の通り勇者を育成するための学校であるがそれだけではない。この国のエリートや豪商などの子息、令嬢が通う国唯一の学校でもある。
儂が息子のエルンストを通わせたのは勇者にするためではない。
勇者になったとしても魔王など倒すことはできん。
それどころか王国軍の隊長ですら魔物には歯が立たん。
それほど厳しいのだ。
近年は勇者として街を出て身を隠しつつ実家に帰ってほとぼりが冷めるまで過ごす。
その後は”元勇者”の箔を使って商売を有利に進めるというのが常套手段だったんじゃ。
それなのに息子ときたら魔王を倒すと言って聞かず。
こっちは勇者一行の長期宿泊を想定して準備をしていたというのに寄らないときた。
勇者一行の他の親からも連れ戻すように依頼を受けておる。
誰もかれも大事な跡取りなのだ。
自分の子供に死んでほしい親などおらぬ。」
今にも泣き出しそうな表情で目には涙がたまっている。
エルンストの家は一人息子であった。
子供がなかなかできず困っていて諦めかけたときにやっと授かった。
子だくさんが当たり前の世界で子供が1人と言うのは金持ちの家であっても珍しかった。
愛情を無限のごとく注がれたエルンストは誰が見ても立派で誠実な男に育っていた。
それゆえこの世界が抱える問題を見過ごせなかった。
幼少期の間だけとはいえ一緒に遊んでいたカザンにもエルンストを失いたくないという気持ちがあった。
「わかりました。私がエルンスト様を連れ戻します。」
カザンの父もエルンストの父も頷く。
それからカザンは地図の読み方をならい、勇者一行がどこに行くかを聞いた。
彼らは先月魔王軍に落とされた街ノキマに行くという。
「この街はそれほど大きくない。
街を守る壁も低く守っていたガーディアンも多くはなかった。
それが仇となり攻め込まれてしまった。
勇者一行の1人が親に手紙を出してこの街に向かうことが書かれていたようだ。」
自分の父とエルンストの父から聞いた話は衝撃だった。
世界はほとんど魔王に支配されているのか。
行商人の話もどこか自分とは無関係な話だと思い真面目に聞いたことはなかった。
自分が毎日あくせく働いている中で世界の命運をかけて戦っているものがいることすら知らなかった。
カザンは用意された荷物を背負い、剣を佩きドアを開けた。
勇者一行が目指しているというノキマの街は山を越えた先にある。
ここからだと馬でも3日はかかるだろう。
この用意してくれた街一番の馬ならばもっと早く着くかもしれない。
家の前で待っていると馬の手綱を曳いてエルンストの屋敷に仕える下男が現れた。
栗毛色で大人しそうな見た目だが顔つきがどこか聡明に見える。
正直自分よりも頭がいいのでは?と思ってしまう。
馬にもこれほど格の違いがあるのだと家の裏に繋がれている駄馬と比較してしまう。
傍から見たらエルンストと自分もこれほど差があるのだろうと思う。
下男から手綱を渡される。
エルンストと自分の父、母が見送りのために戸口に立っている。
「行ってきます。」
と言うと両親は無言で頷いて返事をくれた。
馬に跨り手綱を握る。
隠れて駄馬で練習していた甲斐があった。
駄馬では走らせることはせず乗って歩くだけだったがやっておいて損はなかった。
馬の腹を靴のかかとで蹴ると馬は走り始めた。
あまりの衝撃に腰が浮いて落ちそうになる。
すると馬が少し速度を落としてくれる。
乗り手のレベルがわかるのだろう、馬の方が合わせてくれている。
そのまま街を出て平原に整備されている道を疾駆した。
扱いに慣れているものからすれば遅いのだろうが彼にとっては夢にまで見た冒険の始まりだった。
太陽の陽を浴びて一人馬を走らせる。英雄譚に聞く勇者の冒険の始まりを思い起こさせる。
エルンストを呼び戻すだけの短い旅だが彼にとって人生で一番幸運に恵まれた時だった。
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