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半分の吸血姫、半分の…?  作者: u-nyu
8.深淵へ
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8.5.急診 / 交わった

急診


 呼び出しが来たのは深夜だった。


 端末のアラートが鳴って、マリアは起き上がった。「ルシアン様の容体が——魔力値が急激に」という文字だけ確認して、すでに走っていた。


 病棟の廊下は静かだった。自分の足音だけが聞こえた。


 303号室のドアを開けたとき、部屋の空気が——違った。


 前回とは比べ物にならなかった。魔力の揺れが、肌だけでなく胸の奥まで届いてくる。呼吸が一瞬、詰まった。ルシアンが横になっているが、意識は深く沈んでいる。闇のエーテルが逆流しかけている——虚聖徒化の後遺症が、今夜は波の規模が違った。


 アキヅキが既にいた。マリアを見た。


 「今夜はマリア、頼む」


 「——はい」


 アキヅキが補助に回った。マリアが前に出た。


ーーー


 詠唱を始めた。


 月の泉の清浄な光。いつもの光。でも今夜は、その光の根まで使うつもりで引き出した。手のひらが熱を持った——熱ではない。圧だ。術式の密度が上がっている。


 闇の波がそれを押し返す。


 拮抗した。


 (やめない)


 マリアは唇を動かし続けた。ルシアンの胸部、心核の付近——虚聖徒化の後遺症が最も深く残っている場所——に光を集中させた。波が返ってくる。また押す。また返ってくる。


 「120……110……」アキヅキが魔力値を読み上げる声が遠かった。


 (この人は、まだ戻りたいと思っている)


 確信だった。根拠を問われても答えられなかったかもしれない。でも——毎朝この部屋に来て、この人の呼吸を聞いて、目が開く前の表情を見てきた。まだここにいる意志が、わずかでもある。マリアには分かっていた。


 だから、続けた。


ーーー


 夜の中盤、ルシアンが——動かないまま——何かを問おうとしていた。


 眠ったままで。意識の奥の、もっと深いところから。言葉ではなかった。でも——マリアには、届いた。月の泉の光が彼の意識に触れているとき、稀に起きることだった。


 〔なぜ、そこまでする〕


 マリアは詠唱を止めなかった。止めないまま、答えた。声に出した。聞こえているかどうかは分からなかった。


 「……あなたが、戻りたいと思っているから」


 波が一度、強くなった。そのまま押し続けた。


 「あなたのいたい場所は、あなたが決めるものです。わたくしには——戻る場所が、まだあると分かった。だから、続けます」


 部屋が静かだった。アキヅキの「90……85……」という声だけがあった。


ーーー


 夜明け近く、ルシアンの状態が安定した。


 アキヅキが「もういい」と言った。マリアは詠唱を止めた。


 椅子に座った——立っていられなかった。両手を膝の上に置いた。少し、震えていた。倒れるほどではない。でも、今夜は限界まで使った。


 俯いていた。


 「……大丈夫か」


 声が来た。


 顔を上げた。ルシアンが目を開けていた。天井を見てから——マリアの方を向いた。


 「はい」とマリアは言った。


 「……無茶をした」ルシアンが言った。言いかけて、止まった。続く言葉を探していた。「お前が倒れたら——」


 そこで止まった。


 マリアは何も言わなかった。


ーーー


 しばらく、二人の間に沈黙があった。


 外が白みかけていた。


 ルシアンが何かを整理しているのが、顔の動かし方で分かった。今夜の光のことを、考えている。この力の出所を——知識として知っている。今夜また感じた。だが今夜の密度は、これまでとは違った。


 (この力は——)


 言葉が、ルシアンの中に浮かびかけた。昼の神の加護そのものだ、という認識。聖堂を通じてではなく、この者を通じて——そういう問いが生まれかけた。まだ、口には出せなかった。出す言葉を持っていなかった。ただ——何かが変わっていた。


ーーー


 「礼を言う」とルシアンが言った。


 「要りません」


 「要る」


 マリアは少し、間を置いた。「……わかりました」


 また沈黙があった。窓の外が少し明るくなった。


 「マリア」


 ルシアンが言った。


 姓名でなく、名前だけで。


 マリアが「……はい」と顔を上げた。


 ルシアンが「また——来るか」と言った。


 「……はい」


 「それが担当ですから」とは、今夜は言わなかった。


 ルシアンが再び天井を向いた。「……そうか。では」


 それだけだった。


ーーー


 マリアがトレーを持ち上げて、部屋を出た。


 廊下に出て、扉が閉まる音を聞いた。


 歩きながら、両手がまだ少し震えていることに気づいた。今夜は限界まで使った。使い切ったわけではないが、底が見えた。


 (次はもっと深くまで届けられる)


 そう思った。根拠はなかった。でも——そう思った。


 廊下の窓の外が、朝になっていた。


ーーーーーー

交わった


 三点目のデータが揃ったのは、夕方だった。


 サキは端末の画面を見ていた。父の施設で確認した旧型マナコンダクターの信号パターン——あれを基点に加えた。一点目:テロ現場付近で検出されたキーシグナルの残滓。二点目:クロノス社の正規施設から漏れていた微弱な散逸エーテル。三点目:父の施設の装置。


 三角測量が完了した。


 誤差範囲の計算が展開される。サキは義眼で数値を追った。


 「発生源:アストラリス・タワー。信頼度:87.3%」


 〔87.3%〕


 閉じた。また開いた。数値は変わらなかった。


 〔残り12.7%が不安だ〕


 だが——十分に高い。これだけの異なる経路から同じ場所が出るなら、誤差ではない。


 〔……あそこか〕


 端末を持ったまま、立ち上がった。


ーーー


 同じ頃、シェリーは小会議室にいた。


 テーブルを挟んで、ラゼルとルシアンが向かいに座っている。ルシアンは退院前の外出許可をとってここにいた。顔色はまだ良くないが、目の焦点は戻っていた。


 「資金ルートの終点は——」ラゼルが言った。「アストラリス・タワー内のクロノス社の研究拠点だ」


 「大聖堂への支援金の振込元も」とルシアンが続けた。「タワー内の口座だ。三年前から、経路を変えながら入っている」


 シェリーは資料を見ていた。


 (全部、タワーに繋がってた)


 繋がってた、というよりも——最初からタワーが中心だったのだ。こちらが周縁から掘り進んでいただけで、芯はずっとそこにあった。


 「わかった」とシェリーは言った。「ありがとう」


 資料を閉じた。立ち上がった。サキに報告しなければならない。


ーーー


 廊下で、正面からぶつかりそうになった。


 「サキ、今どこ——」


 「報告しようと思っていたところです」


 「わたしも」


 二人で見合わせた。


 「……タワー、ですか」とサキが言った。


 「タワーだ」


 沈黙が一秒あった。それから——


 「「——知ってた?」」「「——どうして知ってる?」」


 同時だった。


 シェリーが一拍遅れて笑った。「なんで同時に聞くかな」


 「……ボクもそう思いました」とサキが言った。わずかに、笑う気配があった。


ーーー


 近くの空き部屋に入って、データを突き合わせた。


 サキが三角測量の数値を展開した。シェリーが資金追跡の資料を広げた。


 終点が、一致した。


 「……二つの道が、同じ場所に繋がっていた」とサキが言った。


 「最初からそこだったんだろうな」とシェリーが言った。「わたしたちが気づくのが遅かっただけで」


 「いいえ」とサキが言った。「順番通りです。データは積み上げないと、ここには来られなかった」


 シェリーが少し間を置いた。「……そうか」


 「次は——タワーだ」


 「……行きますか」


 「行く。でも計画が必要だ。無策で突っ込んでも意味がない」


 「同意です」とサキが言った。「それと——父も、あそこにいるかもしれない」


 シェリーが顔を上げた。


 「……そうか。なら」


 一秒も迷わなかった。


 「絶対に入る」


 「……ありがとうございます」


 サキが言った。珍しかった——そういう言い方は、珍しかった。シェリーには分かった。義務でも礼儀でもなく、言いたくて言った言葉だ、と。


ーーー


 その夜、連絡を入れた。


 エディから返信が来た。「ついにか。準備はできとるよ。ラゼルも?」すぐにラゼルの一言が続いた。「とっくに」


 マリアから来た。「ルシアン様が——何らかの形で協力したいとおっしゃっています。状態を見ながら、ということになりますが」


 全員の目が、シェリーに向かっていた——画面越しでも、それが分かった。


 シェリーは端末に打った。


 「最後の計画会議をする。明日——全員集まれるか」


 返信が来た。全員、同じ言葉だった。


 「集まれる」


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