7.5.情報提供者:ルシアン・ソレイユ
窓から夜の街が見えた。
ルシアンが窓際に立っていた——いつもは椅子か、ベッドの端だ。立ったまま外を見ているのは、今日が初めてだった。
マリアが治療の道具を静かに並べた。「魔力の安定確認を始めますわ」と言った。
ルシアンが振り返った。目の動きが、少し遠い。
マリアが手をかざして魔力の流れを確認していく。天族特有の光の流れ——昨日より少し乱れている。悪夢が増えたか、あるいは何かを考え続けていたか。
「……テロの件を、ご存知ですか」とマリアが問うた。
「ニュースで見た」
「ご意見は」
「意見を求めるな」
「失礼しました」
沈黙。マリアが処置を続けた。
ーーー
しばらくして、ルシアンが口を開いた。
「……ソレイユ大聖堂と、クロノス・ダイナミクス社の間に、資金の流れがある」
マリアの手が、一瞬だけ止まった。
「それは——確かなことですか」
「大聖堂の帳簿を、幼い頃から見る機会があった。後継として」ルシアンが窓の外を向いた。「クロノス社からの名目は『文化事業支援』だ。対価として何かが動いているが——何かは、まだ掴めていない」
「なぜ今、それを」
「……あのテロを見て、黙っていられなくなった」
ルシアンの声が、ほんの少しだけ変わった。いつもの距離を置いた響きが、この一文だけ薄くなっていた。
ーーー
マリアが処置を続けながら言った。「……それを私に言うのは、危険ではありませんか」
「お前に何の利害もない。それが理由だ」
ルシアンが振り返った。
「なぜあなたはそこまで動ける。亜人として、この国で不当な扱いを受け続けてきたはずだ。それでも——怒りはないのか」
マリアが手を止めた。
答えるまでに、少し時間がかかった。
「怒りは、あります」と静かに言った。「ないとは言いません」
「では——」
「ただ」マリアが続けた。「怒りを使う向きが、少し違うのかもしれません」
ルシアンが黙った。
「誰かを傷つけるためではなく——誰かが傷つかないように動くための怒りです。わたくしには、その形が使いやすかった」
ルシアンが何かを言いかけて、やめた。マリアを見ていた。否定するような目ではなかった。
ーーー
マリアが道具を片付けながら問うた。「……ルシアン様は、なぜ今まで黙っていたのですか」
「大聖堂を巻き込みたくなかった」少し間があった。「だが——人が死んだ」
「はい」
また沈黙。それから、ルシアンが「情報はどこへ持っていく」と言った。
「シェリー様へ。ご判断はその後です」
ルシアンが少し考えた。
「……ならば、もう少し詳しく話す。聞くか」
マリアが椅子を引いた。向かいに座った。「はい」
ルシアンが、初めて——自分から、話し始めた。
ーーー
「資金が動き始めたのは、二年前だ」
ルシアンが窓から離れ、椅子に座った。マリアに向き合うのではなく、斜めに——部屋の一点を見る形で。
「最初は小さな額だった。文化支援の名目通り、大聖堂の修復費用や聖典の印刷費に充てられた。しかし半年後から、帳簿に記載のない出入りが出始めた。内訳なし、受取人の記録なし」
「金額は」
「月に換算して、大聖堂の年間予算の三割に相当する」
マリアは数字を飲み込んだ。「それを誰も指摘しなかったのですか」
「指摘できる立場にいる人間が、気づいているかどうかも分からない。大聖堂の財務管理は長老評議会の管轄だ。後継候補でしかなかったボクが帳簿を見られたのは——」ルシアンが少し黙った。「父が、見せてくれたからだ。なぜかは聞いていない。聞けなかった」
「……今、お父様は」
「大聖堂にいる。ボクとは話していない」
それだけ言って、ルシアンは口を閉じた。
マリアは何も聞かなかった。ただ、そこにいた。
しばらくして、ルシアンが続けた。「クロノス社の名前を調べようとしたことがある。表向きはマナコンダクター技術の研究開発企業だ。創業者の名前は公開されていない。株主の情報も開示が限定的だ。——調べれば調べるほど、見えなくなった」
「意図的に見えにくくしている、ということですか」
「そう考えるのが自然だろう」
マリアがゆっくりと頷いた。「……貴重な情報をありがとうございます」
「礼はいらない」ルシアンが立ち上がった。窓の方へ向かう。「ただ——正しく使ってほしい」
その声に、先ほどと同じ——距離を置いた響きが少し、戻っていた。でも全部ではなかった。




