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半分の吸血姫、半分の…?  作者: u-nyu
6.日常という名の戦場
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6.6.義体観察日記/NM02換装(幕間)

義体観察日記


 端末の新規作成画面を開いた。


 チャンネル名の入力欄が、空白のまま点滅している。


 サキは少し考えた。タイトルは何でもいい——いや、何でもよくはない。タイトルは検索キーワードに影響する。誰かが何かを探してここに来るとしたら、どんな言葉で探すか。


 「義体化された人間」「機械の体を持つ人間」「人間とオートマタの違いを考えている人間」——どれも長すぎる。


 シンプルにした。


 「義体観察日記 / Mechanical Log」


 打ち込んだ。そのまま次に進んだ。


ーーー


 キャッチコピーを考えた。


 今のボクに何ができるか。義体になった人間が、自分の体を記録・解説する——それが今できることだ。医学的に正確なデータを持っている人間は他にもいるが、「義体として動きながら観察する」という立場は、今のところボクにしかできない。


 コピーを打ち直した。何度か変えて——


 「ボクは機械になりました。でも、ちゃんと考えてます」


 これにした。


 正確かどうか、という基準で言えば「機械になった」は不正確だ。しかしタイトルは精度より意図を伝えるものだ。意図:ボクは義体化した人間であり、思考している。それを伝えたい。


 なぜ伝えたいのか——分析しない。今夜は始めるだけだ。


ーーー


 接続ボタンを押した。


 画面が切り替わる。視聴者数が表示される。「0」から始まる。当然だ。誰にも告知していない。


 「……こんにちは」


 声を出した。「サキ・ニノマエです。義体化した人間です」


 沈黙が少し続いた。コメント欄が空のまま動いていた。


 十秒後、最初の視聴者が入ってきた。二十秒後にもう一人。一分後に五人になった。SNSに流れたのかもしれない。ボクのことがニュースになったのは数ヶ月前だ。名前で検索する人間がいてもおかしくない。


 「本日は、義手の握力について数値をご報告します。現在のNM-01義体の設計上の最大把持力は——」


 コメント欄に文字が流れ始めた。


 「情報が正確すぎる」


 「専門家?」


 「なんかかわいい喋り方」


 「全コメ読んでくれる?」


 最後のコメントが来た瞬間、サキは少し止まった。「全コメ」——全てのコメントを読む、という意味だろう。義眼の文字認識速度であれば、全てを捕捉できる。問題は速度ではなく、読む意味があるかどうかだった。


 意味があるか。


 〔ある〕


 読む。


 「……はい。読んでいます。全部」


ーーー


 三十分が経った。視聴者が増えていた。三十人、五十人、八十人。


 質問が来た。「義体化した後、痛みはありますか」


 「……設定によります」とサキが答えた。「痛覚センサーのレベルは調整できます。現在のボクは、危険検知のための最低限の閾値だけ設定しています。骨折と同等の負荷がかかった場合にアラートが出る、という程度です。いわゆる『痛み』とは違うかもしれません」


 少し間を置いた。


 「ただ、アラートが出るときに——不快感、というものは、あります。痛みとは呼べないかもしれないが、回避したい感覚はある。それが痛みかどうかは、まだボク自身にも分かりません」


 コメントが流れた。「正直な答えをありがとう」「なんかリアルだ」「研究者?」


 「リアルというより、正確に言おうとすると、不確かさも含めて言わないと正確にならないので、そうなります」とサキが言った。


 「なるほどすぎる」というコメントが来た。


 〔なるほどすぎる、とはどういう意味か〕


 理解の超過、という意味かもしれない。あるいは予想より良い答えが来た、という意味かもしれない。どちらにせよ、否定的な反応ではないと判断した。


ーーー


 一時間後、配信を終了した。


 最終視聴者数:247人。


 「247人が、聞いていた」という事実を、サキはしばらく見た。247という数字が何を意味するのか、適切な比較対象を今は持っていない。多いのか少ないのか。ただ、ゼロではなかった。


 「有用だった」と自己評価した。情報を提供した。情報を受け取った人間がいた。役割として成立している。それだけだ。


 端末を閉じようとした。


 やめた。


 コメントのログをもう一度スクロールした。全部読んだ。数値は変わらない。内容も変わらない。変わらないのに、もう一度読んでいた。


 〔確認に意味はない〕


 〔それでも、見ている〕


 「正直な答えをありがとう」というコメントを、二度読んだ。


 ありがとう、という言葉が向けられたのが誰に対してかを考えた。義体観察日記に対してか、あるいはボクに対してか。同じかもしれない。同じじゃないかもしれない。


 今夜はそれ以上考えない。でも、記録しておく。


 「なんかかわいい喋り方」と書いた人間が誰だったか、今夜のうちに覚えてしまいそうだった。



ーーーーーー

NM-02、換装


 アキヅキ先生の処置室は、いつも整然としていた。


 器具は所定の位置にある。棚の中身は種類ごとに並んでいる。机の上には何も出ていない——次の作業を始めるまでは。整理されていると思っていたのだが、今日は様子が違った。


 テーブルの脇に、小さなケースがあった。


 見慣れない形状のケースだった。精密機器用の固定具が内側に並んでいる。その中に、義眼に似た形状の何かが収まっていた。


 「来ましたね」とアキヅキ先生が言った。「定期検査の前に、話があります」


ーーー


 「これがNM-02です」


 アキヅキ先生がケースを開いた。義眼の換装ユニットが二つ。それから、胸部センサーの増設モジュールが一つ。


 「光学系の解像度が今の三倍になります。センサーの受信帯域も広がります——今まで検知できなかった周波数帯が拾えるようになります」


 〔……キーシグナルの追跡に使える〕


 思った。言わなかった。アキヅキ先生はすでに先を続けていた。


 「ただ、神経インターフェースへの負荷が増えます。今のNM-01より、処理の並列数が増えた分、脳への情報量が多くなります。慣れるまで頭痛が出る可能性は十分に想定されます」


 「頭痛の閾値は」


 「個人差があるから断言できません。ただ——」アキヅキ先生が一度止まった。「センサー系の感度は、換装後に自分で調整できるようにしてあります。情報量が多すぎると感じたら、絞ってください。最初から全開にしないように」


 「調整できる、というのは」


 「パラメータを自分で設定できる。NM-01にはそれがありませんでした。今度から、サキさん自身がチューニングをする」


 サキはその言葉を、少し処理した。


 〔自分で、設定できる〕


ーーー


 処置台に横になった。アキヅキ先生の手が、右の義眼の周縁に触れた。解除キーを押す。軽い振動があった。


 右の視野が——止まった。


 映像が消えたのではなかった。最後に見た場面が、そのまま静止した。動かない天井の画像が、ただそこにあった。更新されない映像というのが、これほど不自然だとは思っていなかった。


 「右、外れた。左を外す」


 左も止まった。


 真っ暗ではなかった。両目が最後に捉えた映像が、重なって、ぼんやりとしていた。生物的な視覚がゼロで、義体の視覚もゼロになった状態——情報が来ない、という感覚だけがあった。


 〔……静かだ〕


 悪くはなかった。ただ、静かだった。


 「接続します」


ーーー


 右から、新しいデータが来た。


 最初の一秒は調整中だった——明るさが揺れた。焦点が定まるまで少し時間がかかった。それから、安定した。


 天井が見えた。


 同じ天井だった。でも——違った。タイルの目地の一本一本が、今まで見えていなかったほど鮮明に見えた。蛍光灯のフィラメントの形状が識別できた。アキヅキ先生の白衣の繊維の編み方が見えた。


 〔……解像度が高い〕


 左が接続された。


 両目のデータが統合されて、奥行き情報の精度が上がった。アキヅキ先生の手がどの距離にあるかが、以前より正確に分かった。センサーモジュールが接続された。周囲の気流のわずかな変化が、新しいデータとして入ってきた。


 情報量が増えた。


 頭の——正確には神経インターフェースの接続部に、軽い圧があった。痛みではない。重さだ。


 〔これが負荷か〕


 把握した。今はまだ全開だ。後で絞る。


ーーー


 「パラメータを開いてみてください」とアキヅキ先生が言った。


 サキが内部メニューを展開した。


 今まで見えていなかった階層が開いていた。センサー感度。視覚解像度の上限設定。聴覚の指向性の強さ。HUDに表示する情報の密度。全部に数値が入っていて、全部を変えられた。


 〔……全部〕


 変えていいのかどうか、一瞬だけ迷った。次の瞬間、迷っている理由がないと気づいた。これはボクの体の設定だ。ボク以外に決める人間はいない。


 視覚解像度の上限を、最大値から少し落とした。神経の圧が薄れた。聴覚の感度を、環境音との分離が最適になる値に調整した。HUDの情報密度を、処理速度と見やすさのバランスが取れる位置に合わせた。


 五分かかった。


 〔……これが「チューニング」だ〕


 NM-01のとき、ボクは与えられた状態のまま使っていた。合わない部分があっても、そういうものだと思っていた。今は違う。合わない部分を、合わせられる。


ーーー


 起き上がると、アキヅキ先生が古い義眼のユニットをケースに収めていた。


 丁寧な手つきだった。壊れたものを捨てる手つきではなかった。固定具の中に静かに置いて、蓋を閉めた。


 「捨てないんですか」とサキが言った。


 「ええ」


 「……なぜ」


 アキヅキ先生が少し間を置いた。「NM-01はサキさんがが最初に使った義体です。医療記録として保管する必要もあります。」


 サキはそれ以上聞かなかった。


 聞かなくていいということも、分かった。


ーーー


 処置室を出た。


 廊下の蛍光灯が、前と違って見えた。同じ廊下だった。でも情報の密度が違う。床の汚れのパターン。壁のペンキが剥げかけている部分。向こうから歩いてくる看護師の足音の、左右の着地のわずかなずれ。


 全部が、少し多く届いてくる。


 ボクは世界を、今まで低い解像度で見ていた——という事実が、少し遅れて来た。悪かったわけではない。ただ、今の方が多い。


 パラメータをまた少し調整した。


 このくらいがいい、という値を探すのに、もう少し時間がかかりそうだった。でもそれは——時間をかけていい作業だ、とサキは思った。


 〔NM-02、起動確認。以降この状態を標準とする〕

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