6.4.言葉という武器の限界
議会の会議室は、前回より人が多かった。
シェリーは入り口で一度だけ数えた。保守派の議員が少なくとも三人増えている。法案の動向が広まって、慎重意見を持つ人たちが「念のために」出席するようになっているのだろう。
(今日は硬い)
エディが隣に座った。「人おるな」と小声で言った。「うん」とシェリーも小声で返した。
ーーー
本格的な審議が始まった。
シェリーが答弁席に立つ。前回とは違う種類の質問が来ることはわかっていた。「法案の感情的な訴え」への反論ではなく、「制度設計の問題」への指摘だ。
「義体化した人間と、オートマタの法的区別は何か?」
年配の議員が言った。声に棘はない。あるいはそれが、いちばん難しかった。
「脳が生物かどうかです」シェリーが答えた。「現段階では、完全義体化者の脳は生体組織を保持しています。それが人としての連続性を示す最も明確な根拠です」
「証明できるか? 第三者機関で、客観的に」
「それを証明する手続きとして整備するのが、この法律の目的です」
「整備できる保証は?」
「保証は——」
一瞬、詰まった。
答えが、ない。いや、ある。あるが、「保証できます」という言葉は言えない。誰にも保証なんてできないから。
「——整備できるかどうかを、政治の問題として先に決める必要があります。技術がどこまで行けるかを確認してから法律を考えるのでは、今この瞬間に義体化した人間が法的な空白の中に置かれてしまいます。ゼロとイチの問題ではなく、まず前提を確認することが必要です」
反論があった。別の議員が立った。「法的空白と言うが、現状で何か具体的な被害が起きているのか?」
「はい」
シェリーは手元の資料を開いた。「三件、報告されています。いずれも義体化者への暴行事件において、被害の認定が通常の手続きでは困難になった事例です。義体部分への損傷が物損として扱われるか傷害として扱われるか、判断の根拠となる法条文が存在しないため、それぞれの担当者の裁量に委ねられた。これが現状です」
沈黙が少しあった。
「——それはわかった」と年配の議員が言った。「証明の問題は正当だ。ただし、証明基準を誰が決めるかという問題が残る。医療機関か? 法曹か? それとも独立機関か? その設計が不透明なまま法律だけ先に作ることへの懸念も、理解してほしい」
シェリーは答えた。「ご指摘は正しいと思います。設計は別途協議が必要です。ただ——設計が難しいから法律を作らない、という判断は、法的空白を中立として扱うことになります。空白は中立ではありません。現状維持は、義体化者に権利がないという方向への現状維持です」
会議室の空気が、少しだけ変わった気がした。
ーーー
廊下に出た。
エディが「一回目よりよかったとよ」と言った。「……難しかったな、と思ったんだけど」「難しかったけど、よかったんよ。詰まった瞬間があったろ」「あった」「あそこで崩れなかった。それがよかった」
「崩れなかったというか、急いで立て直しただけだよ」
「一緒やろうもん」
エディが笑った。シェリーも少し笑った。
「言葉で倒せる相手と、倒せない相手がおるたい」エディが言った。「今日の人たちは、どっちに見えた?」
シェリーが少し考えた。「……倒せない。でも、揺れた」
「やろ。じゃあ揺らし続けとけばよかろうもん。倒れるかどうかは関係ない。揺れとるうちは、まだ動いてる証拠やし」
エディらしかった。シェリーが「それはそうか」と思った。
ーーー
廊下の端で、端末が鳴った。
ラゼルからだった。テキストだけ。短い。
> 純潔同盟、資金の流れに不審点。背後に企業がいる可能性。調査継続。
シェリーが止まった。
「生命純潔同盟」——昨年から活動が活発化している団体だ。「義体化は人間の純粋性を損なう」という主張で、法案への反対運動の旗手の一つでもある。ラゼルがその資金を追っていることは知っていた。
企業、か。
心当たりがあった——というより、感触がある。去年、カイロスと接触したとき。あの人が自分の心核に何かをした、あの瞬間に、心核が発した警告のような感覚を、シェリーはまだ覚えていた。あれが何だったか、今も答えは出ていない。
(でも、確証がない)
感触だけで動いては、間違える。間違えたとき、傷つくのは自分だけじゃない——義体化者の権利運動全体が、信頼を失う。
「調べて」と返信した。名前は出さなかった。まだ証明できない。証明できるまでは、言葉にしない。
エディが「なんか来た?」と聞いた。「ちょっとした情報」「顔が硬くなっとるよ」「……そう?」「うん」
シェリーが端末を閉じた。「心配しないで。まだ確かめ中の話だから」
ーーー
帰り道、一人で歩いた。
(言葉では届かない人たちに、どうやって届けるか)
今日の会議室の顔を思い出した。「証明問題は正当だ」と言った議員の顔。正当だと認めているのに、それでも慎重でい続ける人。それは「倒せない」とか「揺れている」とかの問題ではなく、言葉そのものの射程の外にいる人、なのかもしれない。
言葉は、聞く気のある人にしか届かない。
では、聞く気のない人には——
(音楽、かもしれない)
去年、配信をやっていた。サキと一緒にやっていた。あのとき、ゲームの話をしながら、笑いながら、でも同時にいろんな人に何かを届けていた気がした。何を届けていたかは言葉にならないが、でもそれが実在していたことは確かだった。
(また始めようかな)
まだ「やろう」ではない。「できるかもしれない」という、かすかな感触。
サキが動き始めたら——そのとき、また考えよう。今は、それでいい。




