6.3.お茶会
「リリスのお茶会」。
その招待状は、黒い封筒で届く。封蝋に押された印章は、古代魔術の記号を組み合わせた複雑なもので、解読しようとすると少し目が滑る。
シェリーは去年も招待されていた。あの会がどういうものかは、だいたいわかっている。
今年と違うのは、封筒が二通来たことだった。
もう一通の宛名には「サキ・ニノマエ様」と書いてあった。
ーーー
「お茶会とは何ですか」
サキが廊下で言った。封筒を両手で持って、裏面を確認している。
「要は面接」とシェリーが言った。「リリス先生の」
「何のための面接ですか」
「リリス先生の知的好奇心のため。先生が会いたいと思った人を集めて、お茶を飲みながらいろいろ話す。あと、先生がただ人を観察したいだけ、という説もある」
サキが封筒を返した。「意図が不透明ですね」
「不透明なのがリリス先生なんよ」
サキがしばらく考えた。「……行きます。ただし情報の取り扱いについて、事前に確認したいことがあります」
「今日確認しながら行こうか」
ーーー
アストラリス大学の研究棟は、本棟から少し離れたところにある。
普通の授業が行われる建物とは、空気が違う。廊下の端から何か緩やかな気配が漂っていて、魔力に敏感な体質のシェリーには「こちら側ですよ」と言われているような感覚があった。
ルナが少し後ろで並んで歩いていた。彼女も'お呼ばれ'されたらしい。廊下で出会ってそのまま自然な流れで一緒になった。
ルナが扉の前で、一瞬だけ立ち止まった。
「大丈夫?」とシェリーが聞いた。
「……はい、行きます」
サキが扉を見ていた。「センサーが複数の異常を検知しています。温度・光量・音圧が室内で不規則に変動している。観測を意図的に攪乱している構造と思われます」
「そう。先生の部屋はそういうとこなんよ」
「慣れているんですか」
「慣れた気になったことはない」
サキが短く「なるほど」と言った。シェリーはノックした。
ーーー
部屋に入ると、すでに人が集まっていた。
シェリーは思ったより多いな、と思った。十二、三人——いや、奥の窓際にもう二人いる。円卓の周囲だけでなく、壁際の小テーブルにも小さな群れがある。それぞれが三、四人の塊を作って、低い声で話していた。紅茶の香りと、複数の異なるエーテルの気配が混ざり合っている。
吸血鬼の学生が数人——服装の格から、古い家系だとわかる。法学部の腕章をつけた人族。魔術師の鑑定章を持つ年上の学生。奥には白い翼の影が見えた。
リリスが、中央の円卓の席から三人を見ていた。
ーーー
「おいでなさい」
リリスが言った。壁際の会話が一瞬止まって、視線がこちらに集まった。それからまた、それぞれの話に戻った。
漆黒の髪。深紅の瞳。黒い服に銀の装飾。「おいでなさい」の意味は今日も複数ある。
「席はご自由に。誰かと話すも良し、紅茶だけ飲むも良し」
珍しいことを言う、とシェリーは思った。去年は来たらすぐ座らされた。今年は違う。まず——動かせるんだ。
ーーー
シェリーが窓際の小卓で紅茶を取ったとき、声がかかった。
「グレイソン殿下」
振り返ると、長身の男が立っていた。アストラリスでもあまり見ない、黒地に金の縁取りの上着。吸血鬼特有の冷めた気配——ただし、訓練された種類の冷めさだ。目が澄んでいて、動かない。
「エストール・ヴァリエと申します。ヴァリエ家の次男です」
シェリーは知っていた。ヴァリエ家——ナイトフォール王国の名門。純潔を標榜する古い血統。付き合い方は丁寧に、が正解だ。
「覚えておきます」とシェリーが言った。
エストールの視線が、自然な動きでサキに移った。
「——こちらは」
「サキ・ニノマエです」とサキが答えた。
一瞬だけ、エストールの目が止まった。目線がサキの手首のあたりで一度固定されて、それから戻ってきた。そこには義体の接合部がある。
「ニノマエ博士のご令嬢でしたか」エストールが言った。「有名な研究者の——」
一拍。
「——お嬢さんですね」
丁寧な声だった。不快なことは何も言っていない。でも「有名な研究者の」の後に来るはずだった言葉と、実際に来た言葉が、一拍分ずれていた。シェリーはそれに気づいた。
ーーー
サキはそれに気づいていた。
〔一拍。接合部確認後、発話が修正された。語の選択が変わった。〕
〔感情的反応:保留〕
「ありがとうございます」とサキは言った。「父の仕事はよく知られているので」
エストールがわずかに頭を下げた。礼節の正確な人だ、とサキは判断した。こちらも礼節で返せばいい。それ以上もそれ以下も、今は必要ない。
ーーー
エストールが静かに離れた後、今度は別の方向から来た。
白い翼だった。
天族だ、とシェリーはすぐにわかった——ただし若い。アストラリスに天族の留学生がいるとは聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。羽根の縁がまだ完全に定まっていない、若い翼。
「あの、すみません」
その学生が、サキを見ながら言った。目が好奇心で光っていた——礼儀を挟む余裕のない種類の好奇心。
「はい」とサキが答えた。
「義体ですよね、その手。接続部の設計、どのタイプか聞いてもいいですか。エーテル回路を並走させているか、それとも純電気式で——」
「カシエル」
近くに立っていた別の天族の学生が、静かに名前だけ言った。翼が成熟している。
「でも気になって」
「相手が困っているかもしれない」
カシエルと呼ばれた学生が、初めてまずいかもしれないと気づいたような顔をした。「……すみません。技術的に興味があって」
「聞きたいことは分かります」とサキが言った。関西訛りが少し出た。「エーテル回路と電気信号の並走型です。接続部は三層構造になってて、熱は主に第一層で——」
カシエルの目が大きくなった。「三層——第一層が変換層ということは、中間に電気回路を挟んで、最上層が——」
「エーテル回路です」
「っ、エーテル層の構造、共鳴方式は——」
「そこは非公開です」
一拍。「……そりゃそうか」カシエルが少し残念そうに言った。
シェリーは横で、どこまで続くか見守っていた。サキが答えているあいだずっと、技術的な範囲の情報を確実に選んで返していた。最後の「そこは非公開」だけが、少し別の響きがした。ブレーキなしに喋っているように聞こえるが、全部制御されている。
ーーー
しばらくして、リリスの視線が三人に向いた。
自然に、中央の円卓に引き寄せられた。他の客も少し離れて、別の話を始める。
ーーー
「シェリー・グレイソン」
リリスが最初に言った。「相変わらず興味深い存在ですわ」
「ありがとうございます、たぶん」
「感謝する必要はありません。ただの事実です」リリスは次に視線を動かした。「サキ・ニノマエ」
サキがまっすぐリリスを見た。「はい」
「ニノマエ博士のお嬢さん。お父様の研究は拝読しております」
サキが一拍だけ間を置いた。「——どの研究ですか」
「義体化の基礎理論。特に、義体と神経系の連絡機構に関する基礎論文。あれを書かれたのは、お父様がまだ三十代のはずです。非常に精緻な仕事でした」
「……読んでいただいて光栄です」
リリスが最後にルナを見た。「月の泉の一族。マリア以来ですわね」
ルナが少し緊張した様子で「はい」と言った。「……よく分かりましたね」
「紋章を見ずとも、エーテルの質でわかります」リリスが静かに言った。「あなたたちの一族は、独特の気配がある」
ーーー
紅茶を一口飲んだ後、リリスはサキの方を向いた。
「義体化の基礎理論は、お父様が原型を書かれましたね。現在、研究はどこまで進んでいますか?」
サキが答えるまで、ほんのわずかの間があった。
「父は現在、連絡が取れない状況です」
リリスの目が、一瞬だけ細くなった。
シェリーはそれを見た。それが「知っていた」のか「意外だった」のか、読めなかった。この人の目はいつもそうだ——何かが動いているのはわかるが、何が動いているのかはわからない。
「そうですか」
リリスが言った。それだけだった。追及しなかった。
「——では、あなた自身はどこまで理解していますか? 自身の義体について」
「基本的な駆動システムについては理解しています。神経連絡のプロトコルも。ただし、父が開発した部分の詳細は——今は手元に資料がありません」
慎重な答えだった。シェリーにはわかった。技術的な範囲のことだけ言っている。核心には触れていない。
リリスが「なるほど」と言った。その「なるほど」が、満足なのか不満足なのかも、わからなかった。
ーーー
少し後で、サキが紅茶を手に取るのを見た。
〔熱源:62.7℃。摂取可能範囲内。成分:紅茶、ミルク、微量の——〕
〔——分析は不要だ〕
〔温かい〕
サキは分析を一時停止した。飲んだ。シェリーは、その動作がかすかにぎこちなかったことに気づいた。「飲む」という行為を、どこかで確認しながら行っているような、そういうぎこちなさ。
(……慣れてないのか、義体になってから)
(そりゃそうか)
ーーー
リリスがルナに向いた。
「月の泉の巫女候補の血筋が、なぜ医学部に?」
ルナが固まった。一拍ではなく、少し長い間だった。シェリーは横目でルナを見た。ルナの手がカップの持ち手を少し強く握っている。
「……人を癒したかったからです」
ルナが言った。「血筋に関係なく」
「血筋と無関係に、とは言えませんが」
リリスがそう言った。ルナが少し体を強張らせた。
「——それでも」
リリスが続けた。珍しく、短く。
「よい動機ですわ」
ルナが目を丸くした。驚いた顔をした。シェリーも少し驚いた。リリス先生がそういう言い方をするのを、あまり聞いたことがなかった。
「……ありがとうございます」
「感謝は不要です。ただの観察です」
でも、その観察は悪い意味ではなかった——とシェリーは思った。
ーーー
お茶会が終わって、廊下に出た。
「どう?」とシェリーが聞いた。
サキが少し考えてから言った。「……把握が難しい人ですね」
「でしょう」
「何を知っていて何を知らないのか、判断できない。こちらの情報をどの程度持っているのか、探っているのか、すでに持っているのか——」
「全部正解だと思う」とシェリーが言った。「リリス先生はたぶん、全部わかってて、そのうえで改めて確認したいんよ」
「…………」
「ルナは?」
「……緊張、しました」ルナが言った。「あんまり話せなかったです」
「怖かった?」
「……怖かったです。でも——」ルナが少し間を置いた。「怖いのと、嫌いなのは、違うかもしれないと思いました」
シェリーが「それ、わかる」と言った。
三人が少し笑った。廊下の空気は、研究棟特有の気配がまだ残っていた。




