表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
半分の吸血姫、半分の…?  作者: u-nyu
6.日常という名の戦場
68/74

6.3.お茶会

 「リリスのお茶会」。


 その招待状は、黒い封筒で届く。封蝋に押された印章は、古代魔術の記号を組み合わせた複雑なもので、解読しようとすると少し目が滑る。


 シェリーは去年も招待されていた。あの会がどういうものかは、だいたいわかっている。


 今年と違うのは、封筒が二通来たことだった。


 もう一通の宛名には「サキ・ニノマエ様」と書いてあった。


ーーー


 「お茶会とは何ですか」


 サキが廊下で言った。封筒を両手で持って、裏面を確認している。


 「要は面接」とシェリーが言った。「リリス先生の」


 「何のための面接ですか」


 「リリス先生の知的好奇心のため。先生が会いたいと思った人を集めて、お茶を飲みながらいろいろ話す。あと、先生がただ人を観察したいだけ、という説もある」


 サキが封筒を返した。「意図が不透明ですね」


 「不透明なのがリリス先生なんよ」


 サキがしばらく考えた。「……行きます。ただし情報の取り扱いについて、事前に確認したいことがあります」


 「今日確認しながら行こうか」


ーーー


 アストラリス大学の研究棟は、本棟から少し離れたところにある。


 普通の授業が行われる建物とは、空気が違う。廊下の端から何か緩やかな気配が漂っていて、魔力に敏感な体質のシェリーには「こちら側ですよ」と言われているような感覚があった。


 ルナが少し後ろで並んで歩いていた。彼女も'お呼ばれ'されたらしい。廊下で出会ってそのまま自然な流れで一緒になった。


 ルナが扉の前で、一瞬だけ立ち止まった。


 「大丈夫?」とシェリーが聞いた。


 「……はい、行きます」


 サキが扉を見ていた。「センサーが複数の異常を検知しています。温度・光量・音圧が室内で不規則に変動している。観測を意図的に攪乱している構造と思われます」


 「そう。先生の部屋はそういうとこなんよ」


 「慣れているんですか」


 「慣れた気になったことはない」


 サキが短く「なるほど」と言った。シェリーはノックした。


ーーー


 部屋に入ると、すでに人が集まっていた。


 シェリーは思ったより多いな、と思った。十二、三人——いや、奥の窓際にもう二人いる。円卓の周囲だけでなく、壁際の小テーブルにも小さな群れがある。それぞれが三、四人の塊を作って、低い声で話していた。紅茶の香りと、複数の異なるエーテルの気配が混ざり合っている。


 吸血鬼の学生が数人——服装の格から、古い家系だとわかる。法学部の腕章をつけた人族。魔術師の鑑定章を持つ年上の学生。奥には白い翼の影が見えた。


 リリスが、中央の円卓の席から三人を見ていた。


ーーー


 「おいでなさい」


 リリスが言った。壁際の会話が一瞬止まって、視線がこちらに集まった。それからまた、それぞれの話に戻った。


 漆黒の髪。深紅の瞳。黒い服に銀の装飾。「おいでなさい」の意味は今日も複数ある。


 「席はご自由に。誰かと話すも良し、紅茶だけ飲むも良し」


 珍しいことを言う、とシェリーは思った。去年は来たらすぐ座らされた。今年は違う。まず——動かせるんだ。


ーーー


 シェリーが窓際の小卓で紅茶を取ったとき、声がかかった。


 「グレイソン殿下」


 振り返ると、長身の男が立っていた。アストラリスでもあまり見ない、黒地に金の縁取りの上着。吸血鬼特有の冷めた気配——ただし、訓練された種類の冷めさだ。目が澄んでいて、動かない。


 「エストール・ヴァリエと申します。ヴァリエ家の次男です」


 シェリーは知っていた。ヴァリエ家——ナイトフォール王国の名門。純潔を標榜する古い血統。付き合い方は丁寧に、が正解だ。


 「覚えておきます」とシェリーが言った。


 エストールの視線が、自然な動きでサキに移った。


 「——こちらは」


 「サキ・ニノマエです」とサキが答えた。


 一瞬だけ、エストールの目が止まった。目線がサキの手首のあたりで一度固定されて、それから戻ってきた。そこには義体の接合部がある。


 「ニノマエ博士のご令嬢でしたか」エストールが言った。「有名な研究者の——」


 一拍。


 「——お嬢さんですね」


 丁寧な声だった。不快なことは何も言っていない。でも「有名な研究者の」の後に来るはずだった言葉と、実際に来た言葉が、一拍分ずれていた。シェリーはそれに気づいた。


ーーー


 サキはそれに気づいていた。


 〔一拍。接合部確認後、発話が修正された。語の選択が変わった。〕


 〔感情的反応:保留〕


 「ありがとうございます」とサキは言った。「父の仕事はよく知られているので」


 エストールがわずかに頭を下げた。礼節の正確な人だ、とサキは判断した。こちらも礼節で返せばいい。それ以上もそれ以下も、今は必要ない。


ーーー


 エストールが静かに離れた後、今度は別の方向から来た。


 白い翼だった。


 天族だ、とシェリーはすぐにわかった——ただし若い。アストラリスに天族の留学生がいるとは聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。羽根の縁がまだ完全に定まっていない、若い翼。


 「あの、すみません」


 その学生が、サキを見ながら言った。目が好奇心で光っていた——礼儀を挟む余裕のない種類の好奇心。


 「はい」とサキが答えた。


 「義体ですよね、その手。接続部の設計、どのタイプか聞いてもいいですか。エーテル回路を並走させているか、それとも純電気式で——」


 「カシエル」


 近くに立っていた別の天族の学生が、静かに名前だけ言った。翼が成熟している。


 「でも気になって」


 「相手が困っているかもしれない」


 カシエルと呼ばれた学生が、初めてまずいかもしれないと気づいたような顔をした。「……すみません。技術的に興味があって」


 「聞きたいことは分かります」とサキが言った。関西訛りが少し出た。「エーテル回路と電気信号の並走型です。接続部は三層構造になってて、熱は主に第一層で——」


 カシエルの目が大きくなった。「三層——第一層が変換層ということは、中間に電気回路を挟んで、最上層が——」


 「エーテル回路です」


 「っ、エーテル層の構造、共鳴方式は——」


 「そこは非公開です」


 一拍。「……そりゃそうか」カシエルが少し残念そうに言った。


 シェリーは横で、どこまで続くか見守っていた。サキが答えているあいだずっと、技術的な範囲の情報を確実に選んで返していた。最後の「そこは非公開」だけが、少し別の響きがした。ブレーキなしに喋っているように聞こえるが、全部制御されている。


ーーー


 しばらくして、リリスの視線が三人に向いた。


 自然に、中央の円卓に引き寄せられた。他の客も少し離れて、別の話を始める。


ーーー


 「シェリー・グレイソン」


 リリスが最初に言った。「相変わらず興味深い存在ですわ」


 「ありがとうございます、たぶん」


 「感謝する必要はありません。ただの事実です」リリスは次に視線を動かした。「サキ・ニノマエ」


 サキがまっすぐリリスを見た。「はい」


 「ニノマエ博士のお嬢さん。お父様の研究は拝読しております」


 サキが一拍だけ間を置いた。「——どの研究ですか」


 「義体化の基礎理論。特に、義体と神経系の連絡機構に関する基礎論文。あれを書かれたのは、お父様がまだ三十代のはずです。非常に精緻な仕事でした」


 「……読んでいただいて光栄です」


 リリスが最後にルナを見た。「月の泉の一族。マリア以来ですわね」


 ルナが少し緊張した様子で「はい」と言った。「……よく分かりましたね」


 「紋章を見ずとも、エーテルの質でわかります」リリスが静かに言った。「あなたたちの一族は、独特の気配がある」


ーーー


 紅茶を一口飲んだ後、リリスはサキの方を向いた。


 「義体化の基礎理論は、お父様が原型を書かれましたね。現在、研究はどこまで進んでいますか?」


 サキが答えるまで、ほんのわずかの間があった。


 「父は現在、連絡が取れない状況です」


 リリスの目が、一瞬だけ細くなった。


 シェリーはそれを見た。それが「知っていた」のか「意外だった」のか、読めなかった。この人の目はいつもそうだ——何かが動いているのはわかるが、何が動いているのかはわからない。


 「そうですか」


 リリスが言った。それだけだった。追及しなかった。


 「——では、あなた自身はどこまで理解していますか? 自身の義体について」


 「基本的な駆動システムについては理解しています。神経連絡のプロトコルも。ただし、父が開発した部分の詳細は——今は手元に資料がありません」


 慎重な答えだった。シェリーにはわかった。技術的な範囲のことだけ言っている。核心には触れていない。


 リリスが「なるほど」と言った。その「なるほど」が、満足なのか不満足なのかも、わからなかった。


ーーー


 少し後で、サキが紅茶を手に取るのを見た。


 〔熱源:62.7℃。摂取可能範囲内。成分:紅茶、ミルク、微量の——〕


 〔——分析は不要だ〕


 〔温かい〕


 サキは分析を一時停止した。飲んだ。シェリーは、その動作がかすかにぎこちなかったことに気づいた。「飲む」という行為を、どこかで確認しながら行っているような、そういうぎこちなさ。


 (……慣れてないのか、義体になってから)


 (そりゃそうか)


ーーー


 リリスがルナに向いた。


 「月の泉の巫女候補の血筋が、なぜ医学部に?」


 ルナが固まった。一拍ではなく、少し長い間だった。シェリーは横目でルナを見た。ルナの手がカップの持ち手を少し強く握っている。


 「……人を癒したかったからです」


 ルナが言った。「血筋に関係なく」


 「血筋と無関係に、とは言えませんが」


 リリスがそう言った。ルナが少し体を強張らせた。


 「——それでも」


 リリスが続けた。珍しく、短く。


 「よい動機ですわ」


 ルナが目を丸くした。驚いた顔をした。シェリーも少し驚いた。リリス先生がそういう言い方をするのを、あまり聞いたことがなかった。


 「……ありがとうございます」


 「感謝は不要です。ただの観察です」


 でも、その観察は悪い意味ではなかった——とシェリーは思った。


ーーー


 お茶会が終わって、廊下に出た。


 「どう?」とシェリーが聞いた。


 サキが少し考えてから言った。「……把握が難しい人ですね」


 「でしょう」


 「何を知っていて何を知らないのか、判断できない。こちらの情報をどの程度持っているのか、探っているのか、すでに持っているのか——」


 「全部正解だと思う」とシェリーが言った。「リリス先生はたぶん、全部わかってて、そのうえで改めて確認したいんよ」


 「…………」


 「ルナは?」


 「……緊張、しました」ルナが言った。「あんまり話せなかったです」


 「怖かった?」


 「……怖かったです。でも——」ルナが少し間を置いた。「怖いのと、嫌いなのは、違うかもしれないと思いました」


 シェリーが「それ、わかる」と言った。


 三人が少し笑った。廊下の空気は、研究棟特有の気配がまだ残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ