4.4.アストラル・ライブ! ―境界線上の残像―
仮想の絆、日常のノイズ
「……ビットレートよし、音声レイテンシ、コンマ02秒以内。シェリー、準備は?」
サキの低く、事務的な声が、薄暗いラボに響く。彼女の目の前には何枚ものホログラムディスプレイが浮かび、複雑なマナコンダクターの波形や、流れるようなチャット欄のログを映し出していた。
「いつでもいけるて! ほら、この衣装のトラッキングもバッチリだわ」
シェリーがくるりと回ると、ディスプレイ上のアバター――実物よりも少しだけ大人びた、白銀の翼を持つ聖王女のモデル――が、一分一秒の遅れもなく同じ動きを再現する。
「よし、開始30秒前。……今日の企画は『王宮復興・隠し味パフェ試食会』。いい、シェリー。リスナーは復興の『裏話』を求めてる。適度にエディたちの名前を出してリアリティを稼いで」
「わかっとるって。サキちゃんこそ、咳が出そうになったらすぐミュートにするんだよ?」
「……了解。配信開始まで、5、4、3……」
サキがコンソールを叩いた瞬間、ラボの空気が一変した。
「おっはシェル〜! 皆の心の架け橋、シェリー・グレイソンだて! 今日もアストラ・ネットワークから、みんなに元気を届けるわぁ!」
チャット欄が凄まじい勢いで流れ始める。
『待機!』『今日の衣装も最高』『シェルちゃん今日もかわいい』。
画面の隅には、同時視聴者数が数万と跳ね上がっていく。配信は順調に進み、シェリーの天真爛漫なトークに、画面には極彩色のエフェクトが飛び交う。
しかし、中盤に差し掛かった頃、チャット欄の一つの書き込みがシェリーの目に留まった。
『シェルちゃん、前回の配信で約束した「フェニクスのあの場所」の動画、いつ出すの?』
「フェニクスの……あの場所?」
シェリーの思考が、一瞬だけ真っ白になった。約束。動画。……フェニクス。
昨日まで確かにあったはずの記憶が、霧がかかったような空白に変わっている。
「え、えーっと……」
一秒の沈黙が、配信では致命的な「放送事故」になる。ざわつき始めるチャット欄。
「……現在、データの最適化中です。シェリー、座標のロードを待って」
サキの声が即座に割り込んだ。彼女は裏で過去の配信ログを高速検索し、シェリーの視界だけにカンペを投影する。(フェニクスの星見の丘。次の新月に撮影予定)
「あ、あはは! そうだったわ! 星見の丘の動画、次の新月まで待っとってね! サキちゃんの最新カメラで、すっごいうみゃあ映像撮ってくるから!」
なんとか場を繋ぎ、配信は熱狂のまま終了した。ライトが消え、静寂が戻る。
「シェリー。さっきの忘却……これで三度目よ」
「……ごめん。自分でもびっくりしちゃった。……でも、サキちゃんのおかげで助かったわ」
サキは手元の端末を隠すように消した。そこには、自分のマナの異常値を解析したデータが表示されていた。
ーーー
極光のステージ、命の残響
数ヶ月後。アストラリス中央アリーナは、数千人の観客の地鳴りのような歓声に包まれていた。
「……マナ・シンクロ率98.2%。シェリー、いけるわね?」
舞台裏のサキは、まるで戦場の司令官のように指先を走らせていた。最新の魔導投影技術を用いた「アストラル・ライブ」。演者の動きを読み取り、巨大な仮想アバターをステージ上に顕現させる、現代魔法の粋を集めた演出だ。
「オンエア……開始!」
アリーナの照明が一斉に落ち、次の瞬間、ステージ中央に白銀の翼を広げた巨大なシェリーのアバターが爆誕した。
『――みんなぁ! S&Sライブ、スタートだわぁ!』
シェリーは歌い、踊った。サキは裏方で、リアルタイムにエフェクトを重ね、リスナーからの数十万件のコメントを弾幕として空中に投影していく。
ライブが最高潮に達したバラード曲のイントロが流れた時、再び「それ」は起きた。
(……あれ?)
視界から歌詞のプロンプターが消えた。いや、文字はそこにあるのに、意味が理解できない。隣のブースで必死に調整してくれている親友の名前すら、思い出せない。
「…………」
シェリーの歌い出しが遅れる。最前列のファンが異変に気づき、ざわつく。
『シェリー! ロードエラー!? 落ち着いて、私が……!』
サキの焦った声がイヤモニに響く。サキは機材トラブルを装い、ステージに意図的な「映像の乱れ(グリッチ)」を走らせた。時間を稼ぐための、苦肉の策。
その時、シェリーの影の中に潜んでいた金色の瞳が、一際鋭く輝いた。
『……仕方ありませんね』
パラドクスの囁きと共に、シェリーの胸の『心核』が激しく脈打つ。失われたはずの情報が、強制的な「記録の再生」として彼女の意識に流れ込んだ。
「――♪ 遠い日の空、分かたれた翼を……」
シェリーは魂を削り出すような声で歌い始めた。サキはその歌声に合わせて、グリッチを美しい光の渦へと変え、あたかも「最初からの演出」であったかのようにライブを繋ぎ止めた。
ーーー
一時間後。全ての明かりが消えた楽屋。
「……死ぬかと思ったわ」
サキが、震える手で眼鏡を拭きながら隣に座った。
「サキちゃん、ごめんね。ウチ、また……」
「いいわ。ビジネスとしては大成功よ」
サキはそう言って無理に微笑んだが、その直後、激しい咳に襲われ膝をついた。
「サキちゃん!?」
「……ただの、マナの過剰摂取よ。……それよりシェリー、さっきの『空白』。アキヅキ先生に診てもらったほうがいい」
「……うん。……でも、サキちゃん。今日、みんなが笑ってくれたあの光景だけは……ウチ、絶対に忘れたくないんよ」
シェリーは、震える手でサキの手を握った。サキもまた、その冷たい、けれど確かな温もりを握り返した。
「……ねぇ、サキちゃん。来週、ピクニックに行こう。アストラリスの丘に。配信も、記録もなしで……ただの友達として」
「……ええ。約束よ、シェリー」
春の夜風が、二人の少女の髪を揺らした。
それが、彼女たちにとって最後の「約束」になるとも知らずに。




