4.3.1 変わらぬ想い
季節は巡り、アストラリスは冬の気配に包まれていた。
その日、アストラルパレスのバルコニーには、一人の少女が立っていた。シェリー・グレイソン。彼女の身を包むのは、ミスティス王国の王女としての地位を示す、豪奢な純白のドレス。背中の水晶の翼は、今は魔力を抑え、冬の陽光を浴びて淡く輝いている。
今日は、彼女が「王位継承権を持つ者」として、ミスティス王国の民に正式にお披露目される日。
バルコニーの下に広がる広場には、彼女の姿を一目見ようと、無数の民衆が集まっていた。天族、魔族、人族、ドワーフ、エルフ…。かつて憎しみ合い、殺し合った者たちが、今は一人の王女の元に、一つになろうとしている。
「シェリー・オブ・ミスティスに、神々の祝福と、万民の愛を!」
父、エドモンド皇帝の声が響き渡ると、広場は割れんばかりの歓声に包まれた。シェリーは、民衆の熱狂的な視線を一身に浴びながら、ぎこちなく手を振る。その歓声は、彼女への期待の大きさであり、同時に、彼女が背負う責任の重さでもあった。
式典が終わり、夜。シェリーは、自室のバルコニーで、一人、冬の澄んだ夜空を見上げていた。
華やかなドレスを脱ぎ捨て、いつもの簡素な服に着替えても、心の重さは変わらない。
(私は、王女として、ちゃんとやっていけるんやろか…)
民衆の歓声が、仲間たちの笑顔が、遠い世界の出来事のように感じられる。彼らと自分の間には、いつの間にか「王女」という、見えない壁ができてしまったようだ。その孤独感に、シェリーは胸が締め付けられるのを感じた。
「…シェリー」
不意に、背後から懐かしい声がした。振り返ると、そこには、王室警護騎士団の真新しい制服に身を包んだエディが、少し照れくさそうに立っていた。
「エディ…!どうしてここに…?」
「お前の顔が見たくなっただけたい。…なんてな。陛下から、お前の護衛を命じられたっちゃん」
(陛下からの命令なんて、建前でしかねぇ。俺はただ、お前が一人で苦しむ姿を見たくねぇだけだ。)
エディは、シェリーの隣に立つと、同じように夜空を見上げた。
「…疲れた顔、しとるな」
「……うん。私、なんだか、怖くなったんよ。みんなの期待に応えられるか、分からなくて…」
シェリーは、思わず弱音をこぼしていた。この幼馴染の前では、どうしても「王女」の仮面を被り続けることができない。
「馬鹿たれ」
エディは、シェリーの頭を、昔のように、少し乱暴に、でも優しく撫でた。
「お前は、そのまんまでよか。無理に王女様になろうとすんな。お前がお前らしくいられるように、俺が傍におる。……フェニクスのあの川原で約束した通りにな」
「……川原での、約束?」
シェリーは、ふと首を傾げた。
(……そうだっけ。何か、大事なことをエディと話した気がする。でも……思い出せん)
一瞬、脳裏にデジタルの砂嵐が走る。エディの困惑したような視線に気づき、シェリーは慌てて笑顔を作った。
「あ、うん! そうだね、懐かしいわぁ……」
(ごめん、エディ。私、大切なことを……失くしとるのかもしれん)
その時、バルコニーの隅、冷たい夜の影の中に、一対の金色の瞳が浮かび上がった。
漆黒の毛並みを持つあの犬――パラドクスが、音もなくそこに座り、二人を見つめていた。その瞳は、失われていく記憶と引き換えに手に入れたこの「平和」を、どこまでも冷酷に、そして悲しげに記録しているようだった。
その、変わらない、まっすぐな言葉。
シェリーの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
そうだ。自分は、決して一人ではない。どんな立場になっても、この温かい手は、ずっと隣にある。
「…ありがと、エディ」
シェリーは、涙を拭い、満天の星空に向かって、精一杯の笑顔を見せた。
その笑顔は、もはや孤独に震える少女のものではなく、仲間との絆を胸に、未来へと歩み出す、一人の強い女性の笑顔だった。
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王宮の医療棟の一室。そこは、深い昏睡状態にあるルシアン・ソレイユが安置されている場所だった。生命維持のための魔導装置が静かに稼働し、その部屋全体を淡い光で包み込んでいる。
シェリーは、扉を開ける前から、マリアの気配を感じ取っていた。部屋の中では、マリアがルシアンの傍らの椅子に座り、その手をそっと握りながら、静かに祈りを捧げている。彼女の唇が紡ぐ言葉は聞こえないが、その全身から溢れる浄化の光が、ルシアンの魂を包み込み、ゆっくりと癒しているようだった。
「マリアちゃん…」
シェリーが声をかけると、マリアは静かに目を開けた。彼女の瞳は、疲労の色を帯びていたが、深い慈愛に満ちていた。
「シェリーちゃん。いらっしゃい」
「毎日…こうして看病しとるん?」
シェリーの問いに、マリアは穏やかに微笑んだ。
「ええ。フジシロの精神支配は解けましたが、魂への負荷が大きすぎて、彼の意識はまだ深い眠りから覚めることができません。今はまだ、私の声は届きませんけれど…」
マリアは、ルシアンの額にそっと触れた。
「でも、彼の魂が安らぎを得られるように。そして、いつか彼が自らの意志で目覚める日まで、祈り続けるのが、今のわたくしの役目ですわ」
その祈りは、一方的なものではなかった。マリアは、自身の魂の一部を分け与えるように、ルシアンの魂の深奥に語りかけ、光と闇の狭間で揺れる彼の魂が、再び道を見失わないよう、温かい光の道標を灯し続けていた。
シェリーは、そんなマリアの姿に、彼女の「癒し手」としての強さと優しさ、そして深い覚悟を見た。それは、かつて彼女が知っていた、ただのお嬢様ではない。多くの苦難を乗り越え、自身の進むべき道を見つけた、一人の女性の姿だった。
「ルシアンさん、今はゆっくり休んで。私は、貴方がいつでも帰ってこられるように、ちゃんと世界を守っとるから」
シェリーは、眠るルシアンの顔を見つめ、そっと語りかけた。
マリアは、シェリーの言葉に静かに頷いた。彼女は、ルシアンの魂を癒すこと、そして、傷ついた多くの人々の心を癒すことこそが、自分の進むべき道だと確信している。それは、教会の改革という大きな目標へと、マリアを駆り立てていた。




