4.2.2 王女シェリー
戦後、アストラルパレスは、戦勝の祝賀ムードとは程遠い、張り詰めた外交の舞台となっていた。これまで中立を保っていた近隣諸国から、戦後のお見舞いと称して、次々と使節団が送り込まれてきたのだ。
王宮の謁見室。シェリーは、父エドモンドの隣で、ドワーフの国の老練な大使と向き合っていた。
「この度のミスティス王国の勝利、心よりお祝い申し上げる。つきましては、我が国の最新の魔導兵器を、貴国の復興支援として献上したい。特に、かの『天秤の王女』殿下には、良き盾となるであろう」
大使は、にこやかな笑みを浮かべているが、その瞳の奥では、シェリーの力を探るような、鋭い光が明滅していた。彼らの狙いは、シェリーの力を測り、自国の兵器を売り込むことで、新たな軍事バランスにおける優位性を確保することにあった。
次に現れたのは、エルフの国の使者だった。
「大いなる戦いの終結、森の民も喜びに沸いております。我らは、古の森の知恵を、シェリー様の力の安定と制御のために、お貸しできるやもしれませぬ。その力の源、我らにもお示し願えれば…」
彼らは、シェリーの持つ「光と闇の調和」の力が、世界の理にどのような影響を及ぼすのかを警戒し、その力を管理下に置こうと画策していた。
そして最後に現れたのは、どの国家の代表でもない、一人の男だった。
最新のマナコンダクター回路が精密に刺繍された、豪奢な漆黒のコート。彼は、新進気鋭の魔導技術企業『クロノス・ダイナミクス』の最高経営責任者――カイロスと名乗った。
「戦後復興における技術供与の件、陛下には前向きにご検討いただきたく」
カイロスの声は、どこまでも穏やかで、しかし機械のような冷たさを孕んでいた。彼はシェリーを一瞥もせず、ただ淡々とエドモンドに語りかける。
「我が社の技術があれば、ミスティスの平和はより強固なものとなるでしょう。……『天秤』の傾きを止めることさえも、あるいは」
その瞬間、エドモンドの瞳が鋭く細められ、室内の空気が一変した。
「……貴公の申し出、心に留めておこう。だが今は退がれ、カイロス」
皇帝の拒絶に近い言葉に、カイロスは不敵な笑みを浮かべて一礼し、音もなく去っていった。その背中を見送りながら、シェリーは胸の奥の『心核』が、警告するように冷たく脈打つのを感じていた。
次から次へと現れる使者たち。彼らの言葉は、どれも丁重で、友好を装っている。しかし、その根底にあるのは、シェリーの力を利用しようとする欲望か、あるいは、その力を恐れる恐怖心だけだった。
その間、エドモンドは玉座で微動だにせず、ただ静かに使者たちの言葉に耳を傾けていた。彼の表情は読み取れないが、時折、シェリーに向けられる各国の使者の視線に対し、わずかにその瞳を細める。そして、彼らの言葉の裏にある真意を全て見抜いているかのように、静かに、しかし威厳をもって彼らを牽制していた。
彼らの視線は、もはやシェリーを「一人の少女」としては見ていない。「天秤の王女」という名の、国家間のパワーバランスを揺るがす、新たな「戦略兵器」としてしか見ていなかった。
謁見が終わる頃には、シェリーは、息苦しさで眩暈がするほどだった。
(私は、みんなを守りたくて戦っただけなのに…)
(私は、兵器なんかじゃない…!)
その夜、シェリーは自室のバルコニーで、一人、王都の夜景を見下ろしていた。
背後から、そっと毛布をかけられる。振り返ると、そこには母、セラフィナが、心配そうな顔で立っていた。
「お母様…」
「辛いでしょう。シェリー。それが、力を持つ者の宿命なのです」
セラフィナは、優しくシェリーを抱きしめた。
「ですが、忘れないで。貴方は、決して一人ではありません。貴方には、私たちがいます。そして、貴方を信じ、支えてくれる、かけがえのない仲間たちがいることを」
母の温もりに、シェリーの心に張り詰めていた糸が、少しだけ緩んだ。
彼女は、再び夜景に目を向けた。その瞳には、新たな決意の光が宿っていた。
(そうだて…私は、一人じゃない)
(誰にも、利用されたりしない。私は、私の意志で、この力を使う!)
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久しぶりに、アストラリス大学のカフェテリアに、仲間たちが集まっていた。
戦いが終わり、それぞれが新たな道を歩み始めてから、こうして全員で顔を合わせるのは初めてのことだった。
「いやー、騎士団の訓練、マジでキツいって!でも、シェリーや陛下を守るためだと思えば、なんでもねぇ!」
エディは、以前よりも少し引き締まった体で、豪快に笑った。彼は、王室警護騎士団の訓練生として、正式な騎士への道を歩み始めていた。その瞳には、父と母の真実を知ったことで、以前にも増して強い意志と覚悟が宿っている。
「私は、父さんと一緒に、科学技術院で復興計画のデータ分析を手伝っているよ。フジシロの残した負の遺産は多いけど、彼の技術の中には、応用すれば多くの人を救えるものもある。それを見つけ出すのが、私の役目だ」
サキは、相変わらずの早口だが、その言葉には、父と共に働く喜びと、科学者としての使命感が溢れていた。
「わたくしは、アキヅキ先生の元で、まだ目覚めぬルシアン様のお世話をさせていただいております」
マリアは、祈るように胸の前で手を組み、静かに語った。
「彼の魂は、まだ光と闇の狭間で揺らいでおります。ですが、彼の心の中にある、本当の正義の光は決して消えてはいません。彼が目覚めた時に、戻ってこられる場所を作ってあげたいのです。フジシロの思想に汚された教会を改革し、本当に人々の心に寄り添える、新しい祈りの場を…」
その言葉には、ルシアンを案じる深い悲しみと、それでも未来を見据える強い意志が込められていた。
「俺は、相変わらずだ。フジシロの残党や、王国内の不穏な動きを探っている。光の当たる場所があれば、必ず影もできるからな」
ラゼルが、コーヒーを一口すすりながら、淡々と告げた。
仲間たちは、それぞれの場所で、それぞれの戦いを続けていた。シェリーを支えるために。そして、より良い未来を作るために。
その姿を、シェリーは、眩しいものを見るような気持ちで見つめていた。頼もしい。嬉しい。心から、そう思う。
だが、同時に、胸の奥に、ちくりとした寂しさが広がっていくのを感じていた。
(みんな、自分の道を見つけとる…)
(私だけが、まだ…)
王女として、多くの人々の期待を背負い、大きな責任を担う。しかし、彼女自身の「道」は、まだ霞んで見えない。仲間たちが、自分とは違う世界へ行ってしまったような、そんな孤独感。
「シェリー?」
エディが、シェリーの表情の変化に気づき、心配そうに声をかける。
「ううん、なんでもないて!」
シェリーは、慌てて笑顔を作った。この気持ちを、仲間たちに悟られたくなかった。
「みんなが頑張っとるなら、私も頑張らねばなって、思っただけ!」
その強がりに、仲間たちは何も言わず、ただ優しく微笑んだ。
シェリーの心の葛藤に気づきながらも、それを乗り越えるのは、シェリー自身でしかないことを、彼らは知っていたからだ。
戦いは終わった。しかし、シェリー自身の、本当の戦いは、まだ始まったばかりだったのかもしれない。
カフェテリアの窓から差し込む西日が、仲間たちのシルエットを、黄金色に照らし出していた。




