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半分の吸血姫、半分の…?  作者: u-nyu
9.2つの戦場
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9.8.養父へ / 完全義体化

【シェリー】

ーーーーーー


 事件から三日後の朝、シェリーは城の南翼に向かった。


 地下通路の奥に降りた。石の扉に手を当てた。掌が開いた——血が滲む感触はなかった。傷が塞がる前に扉が動いた。前と同じだった。


 禁書庫の中は静かだった。魔法陣の光が薄く灯っている。前回かけ直した封印は、まだそのままだった。


 今日は、その封印ではなかった。


 別の棚を探した。エドモンドが「もう一つある」と言った——前回辿り着かなかった場所。棚の配置を一から読み直した。年代。種族。地域。その分類に沿って、さらに奥へ。


 あった。


 別の封印がかかっていた。前回より古かった。かけた魔力の質が、前回と違った。エドモンドの封印ではなかった。


 (——誰の、これ)


 手を当てた。構造を読んだ。一時間かけて、ゆっくりとほどいた。


 中に、一冊だけあった。


ーーーーーー

【サキ】

ーーーーーー


 アキヅキ先生の研究室は、朝から準備が整っていた。


 サキが扉を開けた。先生が振り返った。眼鏡の奥の目が、いつもより少しだけ深いところを見ていた。


 「来られましたか」


 「はい」


 「……今日は、長くなります。準備はいいですか」


 「はい」


 サキは処置台の前に立った。義体のチェックを終えていた。昨夜、記録を残しておいた。シェリーには言わなかった。言う必要はなかった——終わってから、サキがここにいれば、それで十分だった。


 「では——始めましょう」


 〔処理モード:手術対応。外部通信:遮断。記録:開始〕


ーーーーーー

【シェリー】

ーーーーーー


 表紙に、タイトルはなかった。


 開いた。古い字体で書かれていた。封印をかけた魔力の質とは違う——別の誰かが書いた記録を、誰かが封じた。


 読み始めた。


 天族の離反記録だった。保全院の内部文書——事象院との分裂の経緯、保全院の構成員が世界各地に散った記録。名前が並んでいた。大部分は知らない名前だった。


 ページを繰った。


 一人の名前のところで、手が止まった。


 「ナサニエル」


 記述があった。長かった。保全院の主要構成員。シェキナ直属の観測者。大逆乱への関与——闇の半身の分離に自ら合意した唯一の天族。その後、天族としての姿を捨て、人族の形を取って世界に潜伏。


 「人族の形を取って」


 シェリーは、そこで一度止まった。


 (——人族の形を、取っている)


 吸血鬼の形ではない、という意味ではなかった。天族の形を「捨てた」という意味だった。天の光を手放した存在——それを指す言葉が、一行だけあった。


 「堕天」


 息が、少し止まった。


ーーーーーー

【サキ】

ーーーーーー


 〔基準原本——一片、確保。保存槽へ〕


 これだけは、体に戻さない。かつてのサキだった証を、体の外に、一つだけ残す。前例のない身体だった——ずれていないことを、いつか照らし合わせるための原器になる。


 〔処理ログ01:生体組織との接合確認。既存義体ユニットの整合チェック——完了〕


 アキヅキ先生の手が動いていた。サキの処理はそれを追っていた。感覚フィードバックは設定通りだった。痛みはなかった——痛覚を切るという選択肢もあったが、しなかった。感じたまま通過する方が、自分らしいと思った。


 〔処理ログ02:最終生体部位の接合準備——開始〕


 「サキさん」とアキヅキ先生が言った。「聞こえていますか」


 「はい」


 「……今日で、終わります」


 「はい」


 〔義体移行率:88%〕


 シェリーには言わなかった。言えなかった——ではなく、言わなかった。言葉にすれば、シェリーが止めに来る。止めに来たとき、サキは困る。困るという感覚がある——それが何を意味するかは、まだ言語化できていなかった。


 〔義体移行率:93%〕


ーーーーーー

【シェリー】

ーーーーーー


 記録を閉じた。封印をかけ直した。


 禁書庫を出た。地下通路を歩いた。朝の光が差し込んでいた。


 (——フェニクスに、行く)


 迷わなかった。今日行く、と決まっていた——そういう感じがした。記録を読み終えたとき、次の足が自然に決まっていた。


 魔導列車に乗った。窓の外をフェニクスの景色が流れ始めた。


 (怒り、来るかな)


 来なかった。前回の禁書庫のときと同じだった。なぜ、という問いが先だった。なぜ天族の姿を捨てたのか。なぜ吸血鬼の牧師として——シェリーの前にいたのか。


 答えは、記録にはなかった。


ーーーーーー

【サキ】

ーーーーーー


 〔処理ログ03:義体移行率:97%〕


 世界の見え方が——少し、変わり始めていた。いや、変わっていた。いつから変わっていたのかは分からなかった。気づいたとき、すでに変わっていた。


 〔義体移行率:99%〕


 アキヅキ先生の手が、止まった。数秒、止まった。


 「……サキさん」


 「はい」


 「まだ、ここにいますか」


 〔……〕


 「います」


 先生が、また動き始めた。


 〔義体移行率:99.7%〕


ーーーーーー

【シェリー】

ーーーーーー


 フェニクスの夜の教会は、昼の光の中にあった。


 扉を開けた。礼拝堂は静かだった。ナサニエルが奥の祭壇の前にいた。シェリーの足音を聞いて、振り返った。


 驚かなかった。


 「……来たのかい」


 「はい」


 ナサニエルが椅子に腰かけた。シェリーも、向かいの椅子に座った。礼拝堂の光が、埃のように漂っていた。


 少しの間、二人とも黙っていた。


 「養父さん」とシェリーは言った。「あなたは——堕天使なのではないですか」


ーーーーーー

【サキ】

ーーーーーー


 〔義体移行率:100%〕


 〔完全義体化——完了。体内の生体組織:ゼロ。基準原本:保存槽に一片〕


ーーーーーー

【シェリー】

ーーーーーー


 ナサニエルが、黙った。


 否定しなかった。肯定もしなかった。ただ——黙った。礼拝堂の光の中で、老いた牧師の顔が少しだけ、緩んだような気がした。


 「……そうか」とシェリーは言った。「答えてくれなくていいです。分かりました」


 「シェリー」とナサニエルが言った。


 「はい」


 「……わしは」


 そこで止まった。長い間があった。窓から光が差していた。


 「お前に嘘はつけなくなった」


 シェリーは少し間を置いた。


 「……知っています。禁書庫で読みました」


 「何を、読んだ」


 「あなたが闇の半身を外界に解放することに合意したこと。それ以後、天族の姿を捨てたこと」


 ナサニエルが目を閉じた。


 「なぜ——吸血鬼の形で、わたしの前にいたのですか」


 「……それは」


 「答えなくていいです」とシェリーは言った。「今は」


 ナサニエルが目を開けた。シェリーを見た。


 「今は——ここに、います。それだけで」


 「……そうか」


 「でも」とシェリーは言った。「いつか、話してください。全部じゃなくていいので」


 ナサニエルが「……ああ」と言った。それだけだった。


ーーーーーー

【サキ】

ーーーーーー


 目を開けた。


 天井があった。アキヅキ先生の研究室の天井だった。白かった。


 世界の解像度が——変わっていた。


 変わった、ではなかった。変わっていた。気づいたとき、すでにそうだった。光の屈折の角度が。音の到達のわずかな差が。空気の温度の分布が。全部、前より少しずつ精緻だった。


 〔システム確認——正常〕


 アキヅキ先生が覗き込んでいた。眼鏡の奥の目が、こちらを見ていた。


 「……サキさん」


 「はい」


 「聞こえていますか」


 「はい」


 先生が、ゆっくりと息を吐いた。


 サキは少しだけ考えた。何を言うべきか——ではなく、何を言いたいか、を探した。


 「……ただいま」


 アキヅキ先生が、眼鏡を外した。目を覆った。しばらく、何も言わなかった。

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