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90.光の速さ

「あれ、私、何してたっけ……? カイと森に行って、そしてヒルダさんに会って……そしたらカイがいなくなってて……

それから、街に戻ることにして………ここから記憶がない!」


マリがうわごとのように口にした。


はっと気づいたときには、ルカがとなりで肩を揺さぶっていた。

その手は軽く震えていて、焦りの色が見てとれる。


「マリ!マリ! 目を開けて! 気絶してたのよ!」


「えっ……えっ? ここどこ……?」

焦点の合わない目で辺りを見回すマリ。


現実が、ようやく輪郭を取り戻し始める。


風の音。圧倒的な浮遊感。足の下に感じる羽ばたきの感触。

そう、ここは空の上。雲とほぼ同じ高さを飛んでいた。


ヒルダの従魔、巨大なファルコンの背の上だった。


その翼はまるで空を切り裂く刃のようにしなやかで、

恐ろしいまでのスピードで、大地を置き去りにしていた。


「うぅ……た、高い……」

マリは腰を引きながら、背を丸めるように身をかがめた。


「ごめん、ルカ……起こさないでくれる……気を失ってた方が、幸せだった……」


「もう、何を言ってるのよ……」

ルカは肩をすくめながらも、ほっとした様子で笑った。


そこへ前方から鋭い声が飛んできた。


「もう着くのね!」

オリビアだった。


涼しい顔で風を受けながら、髪がはためくのも気にせず立っている。

まるでそこが地面かのように、ファルコンの背の上に悠然と立っていた。


「……ウソでしょ。もう?!」

マリとルカが同時に声を上げ、背中を必死に掻きながら背筋を伸ばし、下をのぞき込む。


そこには見覚えのある都市の輪郭。

整った街路、白く輝く城の屋根、噴水広場、数々の塔。間違いない――王都ベンゲルだった。


「空から見ると、こんな感じなのね……」

ルカが感動混じりにぽつりと言った。


「ううっ……あたし、ほとんど気絶してたから何も覚えてないけど……

ねぇ、どれくらい経ってるの……?」

マリは完全にぐったりしながら、青い顔で尋ねる。


「たぶん……2時間くらいじゃないかしら」

オリビアが言った。


「え……あの森から、ベンゲルまで……馬車だと、丸3日かかった道のりだよね……?」

マリが震える声で言うと、ルカも顔を引きつらせてうなずいた。


「早すぎる……なんかもう……人間の領域を超えてるよ……」

「ていうか、鳥の領域を超えてる……ファルコンって一体……」


マリはぐらつく体を支えながら、顔面蒼白のまま天を仰いだ。


その様子を見たオリビアが、にっこりと笑って言った。


「……でも私はへっちゃらだったのね。風が気持ちよかったのね♪」


「おおおおおオリビア先生がいちばん化け物だよぉぉ……!」

マリが叫び、ルカがこくこくと頷いた。


「尊敬っていうか、恐怖だよね……」

「うん、私ちょっと、先生に逆らわないようにするわ……」


二人がそんな会話をしている間も、ファルコンは着地の準備を整えていた。

風が止み、足元が徐々に重くなる。


そして数秒後――ファルコンの巨体が、ベンゲル城近くの王都の森の外れに着地した。


ふわり、と大地を踏みしめた感触が、三人の身体に伝わる。


「……着いたのね」

オリビアが一言、そう告げた。


それを聞いたマリとルカは、地面に崩れ落ちるように座り込む。


「……生きててよかった……」

「ほんと……重力を感じるって、素晴らしいことなんだね……」


空から舞い戻った三人は、それぞれの「帰るべき場所」へと向かって歩き出した。


それぞれの心に、「カイがいない」寂しさと、

「またきっと会える」という希望を胸におどっていた。

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