82.森の中の稲妻
「さっきから、一匹も魔物が現れないのはなぜ……?」
森を進む馬車の中、マリが眉をひそめながら呟いた。
重く沈んだ緑の中を、車輪の軋む音だけが響いていた。
エステンを出発して、もうすぐ半日。
確かに、異様なほど静かだった。
――しかし、その油断が招いたのかもしれない。
「来るよ!」
ミーアが叫んだ瞬間、森の茂みから漆黒の牙が飛び出してきた。
「ブラッディウルフか!」
鋭い爪、血のように赤い目――B〜Aランク相当の強力な魔物。
かつてカイたちが幾度も討伐したが、また数を増やしていたようだ。
「ルカとマリは馬車で待機してて!」
カイが叫ぶと同時に、馬車から飛び降り、剣を抜いた。
ミーアも瞬時に弓を構え、狼の動きを正確に読み取りながら、次々と矢を放った。
その矢は風の精霊と呼応し、魔物たちを吹き飛ばしていく。
しかし、次から次へと湧くように現れる狼たち。
「おいおい、どれだけ増えてるんだよ……!」
カイが焦りながらも剣を閃かせる。
――それでも、森の奥に進むにつれて、ブラッディウルフの姿は徐々に見えなくなった。
「不思議ね、さっきまであんなにいたのに……」
ルカが呟く。
緊張の余韻が残る中、ふと、ルカが素朴な疑問を口にした。
「ねえ、オリビア先生って……戦えるの?」
それはあまりに普通の、そして純粋すぎる質問だった。
だが――。
「…………」
馬車の手綱を握っていたオリビアの目が、まるで別人のように細く光った。
マリの隣にいた彼女は、無言のまま手綱をマリに手渡す。
「えっ……? せんせ……?」
「任せるのね」
その声は穏やかだが、なぜか背筋に冷たいものが走る。
オリビアは静かに地上に降り立ち、長いローブの中から腕を出し、静かに杖を召喚する。
長く滑らかな黒檀の杖。その先端には、黄色く光る宝珠が浮かび、パチパチと静電気を帯びていた。
周りの空気が揺らいでいた。
「ちょ、ちょっと待ってオリビア先生……?」
ルカが小声で呟くが、その声は風にかき消された。
長い髪に覆われた顔――その奥で、何かが笑った気がした。
オリビアが無言で杖を天へ掲げた瞬間、空気が震えた。
「――無詠唱で…これだけの…!?」
マリが目を見開く。
次の瞬間、空から地へと、黄色い稲妻のような光の波が一直線に走り抜けた。
それはまるで稲妻がジグザグに走るような、鋭く、カクカクとした光の奔流。
そして、終わる。一瞬だった。
「なっ……!」
音もなく、ただ一瞬のうちに――
彼女たちの前方にあった、巨大で邪魔な黒い樹木が、まるで紙細工のように吹き飛ばされた。
ドォォォン――!
大きな爆音のあとに残ったのは、一直線に延びる一本道。
馬車が三台並んでも余裕で通れるような、幅広く、美しく整地された道だった。
空が開け、差し込む光が一層まぶしい。
その先がどこまで続いているのかすら見えないほど、果てしない直線ができていた。
杖をスッと下ろし、オリビアは静かに振り返った。
その顔には、久しぶりに見せる明るい微笑みがあった。
「さて! 先を行くのね!!」
「……っ!」
あまりの光景に、カイもミーアも、マリもルカも一瞬動けなかった。
――が、すぐに慌てて頷いた。
「ハ、ハイ! 行きましょう!」
「うんうんうん、すごい道だね!? めっちゃ道だね!?」
ルカがテンパったまま意味不明なことを言いながら、走り出す。
「……地雷、踏んだな」
カイがぽつりと呟き、ミーアが肩をすくめた。
マリは複雑な表情でひと言だけ漏らした。
「……オリビア先生、ほんとに怒らせちゃいけない人だったんだね……」
そしてカイが言う
「ミーア、いつ弓を覚えたんだ!?」
ミーアはごまかす様に無言で笑みを作った。




