第四章:『泥濘の檻、死者からの告発状』
一、 悪魔のアヒージョと、死角のコード
夜景の角度、窓ガラスに映り込んだネオンの配置。加代が公開SNSの裏アカウントから割り出したアジトは、渋谷の超高級タワーマンションのパーティールームだった。 室内では、木村老人から三百万円を毟り取ったリフォーム詐欺グループのリーダー・翔太が、仲間と共にシャンパンを開けて気炎を上げていた。
「マジチョロすぎ。あのジジイ、『またお茶飲みに来てね』とか言って泣いてやんの。寂しい老人の相手してやって、小遣い貰って何が悪いんだよな!」 「次なる孤独なターゲットの名簿、ここに揃ってますよ」
悪党たちが次の獲物のデータを前に高笑いしている中、出張料理人として潜入した半兵衛が、静かに一皿の料理をテーブルへ運んだ。グツグツと音を立てる、特製のアヒージョだ。 エビやマッシュルームの旨味が溶け込んだそれは、オリーブオイルの代わりに、バラムツの脂を100%使用した地獄の油壺。ニンニクとローズマリーの強烈な香りでバラムツ特有の妖しい甘みを完璧に隠蔽した、半兵衛渾身の逸品だった。
「うわ、これ美味そう! いただきまーす!」
翔太たちは何の疑いもなく、バゲットにその悪魔の油をたっぷりと浸し、次々に口へ放り込んでいく。
「おっと、空いたグラスを失礼しますよ」
皿が空になった瞬間を見計らい、給仕スタッフに変装した念仏の鉄が動いた。空いたボトルを下げるドサクサに紛れ、鉄の太い親指が翔太の腰椎へ、音もなくめり込む。排泄神経の秘孔――下半身の感覚を完全に消失させる一撃。 「……あれ、なんか急に腰が冷えたな」
「冷房が強いのでしょう。どうぞお気になさらず」
鉄はニタァと不気味に笑い、テーブルから下がった。バラムツの油が牙を剥き、腸内で未曾有の決壊が始まっているというのに、感覚を遮断された翔太は、その予兆にすら気づかない。
数分後。加代がハッキング中のアジトのWi-Fi経由で、主水へ「事前手配」の完了を告げる暗号通信が入る。 『主水、ターゲットのスマホのパスコード特定。キーログ解析完了、[0、6、0、2]だよ』
直後、鉄が仕掛けた秘孔の効力が時間差で消失した。同時に、腹の中で荒れ狂う暗黒の濁流が、翔太の脳へとダイレクトに伝わる。
「――ッ!? は、腹がッ! 嘘だろ、待てっ!!」
翔太は悲鳴を上げ、テーブルの上に自分のスマートフォンを置き忘れたまま、這うようにしてトイレへと駆け込んだ。
二、 檻のなかのクローン
「うおああああっ!? なんだこれ、止まんねえっ! 出る、出続けっ……ぎゃあああ!」
ラグジュアリーな大理石のトイレの個室から、翔太の世にも見窄らしい絶叫が響き渡る。バラムツの油は、一度排出し始めれば人間の意志で止めることは絶対にできない。文字通り、便座から一歩も動けない「泥濘の檻」に囚われたのだ。
仲間たちがその異臭と絶叫に騒然としている隙に、鉄はテーブルへ戻り、置き去りにされた翔太のスマホを無造作に拾い上げた。 ポッケから取り出したのは、加代から渡されていた充電器型の特殊デバイスだ。
加代から共有されたパスコード「0602」を入力してロックを解除し、デバイスのコードをスマホに突き刺す。 画面の奥で、超高速データ暗号化転送プログラムが起動した。数秒、十数秒。翔太のスマホ内に保存されていた、詐欺グループの顧客名簿、ハッキングした役所のデータ、裏金の隠し口座、そして「ジジイ騙すのイージーすぎw」と被害者を嘲笑っていたLINEのトーク履歴のすべてが、クラウドを経由して加代のパソコンへと完全コピーされていく。
転送完了の電子音が静かに鳴る。鉄は何食わぬ顔でコードを引き抜き、スマホを元の位置へと戻した。 トイレの中では、未だに翔太がクソ塗れになって泣き叫んでいる。自分たちの生命線である犯罪の全証拠が、今この瞬間に完全に盗み出されたことなど、知る由もなかった。
三、 死者からの告発状
所轄の警察署。定時間際、誰もが帰る準備を進めているオフィスに、中村主水はいつも以上の昼行灯な足取りで入ってきた。
「あ~あ、やってられねえよ、まったく。署長、居残りさせられたパワポの資料、データの同期が終わりましたよ」
「遅いですよ中村さん。もう定時――」
署長が言葉を切り替えるより早く、主水は懐から一個の古びたUSBメモリを取り出し、デスクへ「ドンッ!」と叩きつけた。
「それより署長、大変なもんが交番のポストに入ってましてね。今日、絶望して首を吊っちまった木村のおじいさん……あの人の遺品整理をしていた親戚だかって人が、おじいさんの部屋で見つけたって、これを持ってきたんですよ」 「何ですか、これは」
「何でも、木村のおじいさんが生前、自分を騙した詐欺グループの電波を傍受したんだか、偶然スマホを拾ったんだかして、必死に集めた『詐欺の全バックアップデータ』らしいですわ」
主水はわざと、周囲の刑事たちにも聞こえるような大声でまくし立てた。
「中身を見たら、まぁ驚いた。ウチの管轄の役所から流出した高齢者の名簿から、裏金の隠し口座、被害者をバカにしてるLINEのやり取りまで、何から何までコンプリートされてる。……これ、もしウチが『民事不介入』なんて言って捜査を突っぱねたことが世間にバレたら、ウチの署の面目は丸潰れ、明日のワイドショーはウチの警察批判で持ち切りですなぁ!」
「な、なんだと……!?」
署長が慌ててUSBをパソコンに挿し、データを読み込む。画面に広がったのは、加代がクローン化した、言い逃れが100%不可能なレベルの組織的恐喝詐欺の「明白な客観的証拠」だった。
民事不介入というルールの盾は、この瞬間、完全に粉砕された。警察のメンツと保身に火がついたのだ。
「捜査二課、ただちに全員出動だ! データのGPS履歴からアジトを特定している、現行犯で全員挙げるぞ!」
「へいへい、お気をつけて~」
主水はペコペコと頭を下げながら、出動する刑事たちの波を見送るのだった。
四、 清々しい結末
タワーマンションのトイレから、青い顔をし、ズボンをガタガタと震わせながらようやく這い出てきた翔太。
「おい……お前ら、何だあの料理……俺の身体、どうなっちまったんだ……」
仲間たちが鼻を突き、翔太の凄まじい悪臭に顔を歪めた、まさにその時だった。
ドガァンッ!!
パーティールームの重厚な扉が、警察のバスターによって爆音と共に踏み破られた。
「警察だ! 動くな! 組織詐欺および恐喝の容疑で全員現行犯逮捕する!」
なだれ込んでくる武装した刑事たちの群れ。若者たちはパニックになり、悲鳴を上げる。
「な、なんでだよ! なんでここがバレて……証拠だって、全部俺のスマホの中に隠して――」
手錠をかけられながら叫ぶ翔太に、一人の刑事が冷酷に言い放った。
「往生際が悪いぞ。お前たちのスマホの中身はな、お前らが自殺に追い込んだ、あの木村って爺さんの遺品から全部出てきたんだよ!」
「……は? 爺さんの、遺品……?」
翔太は目を見開いた。自分が孤独だと見下し、何もできないと嘲笑っていたあの老人が、死後に「呪いの証拠」となって自分たちを地獄へ引きずり降ろした――悪党の脳裏に、そんな恐怖の錯覚が刻み込まれる。だが、その真相を知る者は、この警察の中には誰もいない。
タワーマンションの遥か階下。街路樹の影から、パトカーの赤いサイレンが夜の街を照らすのを見つめている3人の影があった。
「ふん、警察を動かす道具にされるなんて、あのジジイも浮かばれるね」
加代がスマホをポケットに収める。
「バラムツの油の切れ味も、現代の捜査の手順に嵌めれば、立派な包丁になるってわけだ」
半兵衛がニヒルに笑い、鉄は満足そうに首をポキリと鳴らした。
そこへ、パトロールの自転車をのんびりと漕ぎながら、主水が通りかかる。 主水はポケットの中で、老人の形見である、あの擦り切れた一万円札をそっと指先で撫でた。
「……おじいさん。あんたの最後の遺言(頼み料)、きっちり警察が届けてくれたよ」
主水が警察帽をクイッと目深に被り直すと、パトカーのサイレンの音が、夜空へどこまでも清々しく、高く響き渡っていった。
(第四章・完)




