表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

第三章:『昼行灯は定時退勤を夢見るか』

 一、 令和の中村家、マウンティングと断捨離の嵐

「ちょっと、あなた! 帰りがけに買ってきたそのコンビニの『から揚げ弁当』、何ですの!?」

 夕食の食卓、スマートフォンの画面を凝視していた嫁のりつが、キリキリと金属質なヒステリック声を上げた。

「私のインスタのアカウント、いま『#丁寧な暮らし』でフォロワーが五千人もいるんですのよ。古民家風の我が家にそんな油ぎった茶色いプラスチック容器を持ち込まれたら、美観が汚れて世界観が崩壊しますわ!」

「おやおや、りつさん。そんな安物の弁当を食べるから、この男はいつまでも出世できずに平巡査のままなのよ」

 すかさず姑のせんが、老眼鏡の奥の目を冷たく細めて参戦する。

「それよりあなた、私がメルカリで出品した『開運の壺』の発送手続き、明日の出勤途中にコンビニのPUDOステーションでやっておいて頂戴ね。あ、それから。あなたの部屋の押し入れで見つけた、あのホコリを被ったプラスチックの人形――何だかロボットみたいなやつ。あれ、勝手に『ジャンク品・まとめ売り』で出品したら三千円で即売れしたから、それも一緒にローソン持って行ってちょうだい」

「ええぇっ!? あ、あれ、俺が毎月のお小遣いからへそくりして、コツコツ集めた昭和の限定レトロ特撮フィギュア……!」

 主水が顔を青ざめさせて声を震わせるが、せんはフンと鼻で笑う。

「何言ってるんですか。今は終活、ミニマリストの時代ですよ。中村家の家名を残せないなら、せめて身の回りの断捨離くらい協力なさい。それと、今月は物価高だし、フォロワー映えする星付きホテルへの家族旅行の軍資金が必要ですからね。あなたの今月のお小遣いは実質ワンコイン――五百円に減額です」

「五百円……。あ〜あ、やってられねえよ、まったく……」

 主水は力なくガックリと肩を落とし、りつが差し出した味の薄いオーガニックな菜っ葉の煮物を、ただ黙々と、砂を噛むように口に運ぶのだった。

 翌朝、両手いっぱいにメルカリの段ボール箱を抱えて署に出勤した主水に、さらなる現代の理不尽が襲いかかる。

「中村巡査部長。高齢者向けの防犯イベントで使う『パワポの資料』、まだ共有データの同期が終わっていませんよ」

 若いキャリアの署長が、最新のiPadを片手にネチネチと主水を問い詰める。 「何ですか、この人差し指一本でのタイピングは。これだから昭和のやり方は困るんです。令和の警察組織はDXデジタルトランスフォーメーションですよ。定時までに、ちゃんとデータをクラウドに共有しておいてください」

「へいへい、すんませんねぇ……」

 主水はペコペコと頭を下げながら、忌々しげにタブレットの画面を脂ぎった指でつっつくのだった。

 二、 孤独に忍び寄る「優しさ」の悪魔

 昼下がり。主水が管轄の薄暗い交番で、居眠り半分にパイプ椅子に揺られていると、一人の老人が小刻みに震えながら入ってきた。 薄古びた上着を羽織り、身寄りも近所に親戚もいない、独り暮らしの木村老人だった。

「お巡りさん……助けて、ください……。なけなしの老後の蓄え、三百万円を全部、取られてしまったんです……」

 絞り出すような老人の話は、あまりにも巧妙で、胸糞の悪いリフォーム詐欺の全貌だった。 犯人の若者グループは、事前に役所の福祉課のデータを偽装してハッキングするか、悪質な名簿業者から情報を買い叩いていた。木村老人が「天涯孤独で、相談相手も、頼れる身内も全くいないこと」を完全にリサーチした上で、ピンポーン、とインターホンを鳴らしたのだ。

「おじいちゃん、屋根の瓦がズレていて、今すぐ直さないと台風で崩れ落ちちゃうよ。あ、危ないから僕が代わりに見てあげる!」

 最初は親切なボランティアを装って近づいた。それだけではない。彼らは、木村老人の「誰とも話さない、刺すような寂しさ」に徹底的に付け入ったのだ。

「おじいちゃん、一人で寂しかったでしょ」

「僕、またお茶飲みに来てもいい?」

毎日毎日、本物の孫のように優しい言葉をかけ、拙い話を聴いてくれる若い男たちを、老人は涙を流して信用してしまった。

 そして、心が完全に通じた、救われたと思った瞬間に、「屋根の特殊補強工事代」として、巧妙に法律の抜け穴を仕組まれた「合法的な契約書」にサインをさせられ、全財産を毟り取られたのだ。金を振り込ませた瞬間、若者たちはスマートフォンを解約し、連絡を絶った。もちろん、タワマンの屋根など一枚も直していない。

「話を……聴いてくれるだけで、嬉しかったんです。信じていたのに……。もう、明日からご飯を食べるお金もありません……」

 老人は交番の硬いパイプ机に突っ伏して、声を上げて泣いた。ポツポツと、汚れた机に涙のシミが広がっていく。

 主水は老人の骨張った背中を静かにさすりながら、悔しさに奥歯をギリ……と噛み締めた。 しかし、相手は法律の抜け穴を熟知したプロだ。形式上は「合意の上のリフォーム契約」の体裁を取っているため、現代の警察のルールでは『民事不介入』の分厚い壁が立ち塞がる。

「おじいさん、一応ね、生活保護の申請と、消費者センターの窓口を紹介するから……」

 それしか言えない自分の無力さに、主水のハラの内側で、激しい怒りの炎がパチパチと音を立てて燃え広がっていた。

「すみませんねぇ……」と小さくなって交番を出ていく老人の、頼りない後ろ姿を、主水はただ見送るしかなかった。


 三、 漆黒への反転

 夜。定時退勤のチャイムのメロディと同時に署を飛び出した主水は、逃げ込むように半兵衛の蕎麦屋へと暖簾をくぐった。 店内の狭いカウンターでは、すでに他のメンバーが令和のダメな日常を爆発させていた。

「クソが! なんだよこの確率操作は! 限定キャラの排出率0.5%って詐欺だろッ!」

 念仏の鉄が、スマホの画面を見つめながら自らの太い指で液晶を親の仇のようにぶっ叩いている。昼間から缶ビールを煽り、パチンコで勝った金をすべて可愛い美少女キャラクターのパズルゲームのガチャに注ぎ込んで爆死したのだ。

「あんた、まだマシだよ! アタシなんてさぁ、ライブコマースで『絶対に2週間で10キロ痩せる謎の海外直輸入サプリ』ってのを仕入れたらさ、事務所の半分が怪しい緑のチューブと怪しい粉の在庫で埋まっちゃったんだからね! 誰か原価で買ってよ!」

 加代がサプリの段ボールの山に頭を抱えて叫ぶ。

「うるせえや、お前ら。うちは現金払いのみだって言ってるだろ。PayPayだか何だか知らねえが、江戸前の蕎麦を電波なんかで買えるかってんだ」

 半兵衛が頑固にスマホの画面を睨みつけている

(ただし、裏ではバラムツなどの食材をダークウェブ経由で暗号資産決済している)。

 そんな3人のくだらない小競り合いを横目に、主水は注文した焼酎のお湯割りを一気に喉に流し込み、砂を吐くような苦い声を漏らした。

「……やってられねえよ、まったく。警察ってなぁ、目の前でワンワン泣いてる年寄り一人救えねえんだからな」

 主水は、昼間に交番に来た木村老人の話を静かに語った。老人が孤独であることを調べ上げ、優しさという泥を塗って近づき、全財産を奪っていった若者たちの胸糞悪い手口。

「民事不介入、ねぇ。法律ってなぁ、本当に悪党を守るためにあるようなもんだよ」

 加代が不快そうに床へペッと吐き捨てる。

 その時だった。 加代のデスクにあるハッキング用の端末が、裏サイト経由の緊急通知を告げてピピッ、ピピッ、と赤く明滅した。 同時に、主水がカウンターに置いていた警察無線のレシーバーが、ザー……というノイズの奥から、冷酷な音声を拾い上げる。

『――各局、〇〇町2丁目の木造アパートにて、高齢者の自死事案発生。身元は木村……』

 静寂。 喧騒としていた蕎麦屋の空気が、一瞬で、完全に凍りついた。 あの老人が、交番を出た後、絶望の果てに自らの命を絶ったのだ。

 加代の画面に映し出されたのは、老人が死ぬ間際、最後の執念で「嶋屋」の裏窓口(晴らせぬ恨みを晴らす闇のサイト)へ振り込んでいた【頼み料】の確定通知だった。 それは、老人が自分の部屋の、誰もいないコタツ机の上に遺していた、数枚の、シワだらけで擦り切れた一万円札。

 次の瞬間、スマホの100円の課金や、メルカリの数十円の送料に一喜一憂していた4人の「日常の顔」が、完全に消えた。 部屋を満たしたのは、肌がヒリつくほどに冷たい、漆黒のプロの殺意。

 主水は、ゆっくりと空のグラスを置き、警察帽をクイッと目深に被り直した。 その昼行灯の目は完全に消え去り、暗殺者としての鋭い眼光が、帽子の庇の奥からギラリと闇を射抜く。

「……さぁて。署長に居残りさせられたパワポの作成は残ってますが。――夜の仕事(仕置き)に出かけるとしますかねぇ」

 4人の仕掛け人が、老人の最後の血の涙をその胸に抱き、令和の冷たい夜の闇へと、静かに、音もなく滑り出していった。

(第三章・完)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ