⒉フィリス・メトリオ
オギャーッ!オギャーッ!オギャーッ!
近くで泣く声がする。いや、これは………俺の声か?
「……………」
「………………………」
「……」
「………」
己のものであろう泣き声の隙間に、喋り声のようなものが聞こえる。しかし、それは理解不可能な言語だった。まだ目も開けられず、自分が今どのような状態なのかも分からない。くそ、どうにかならないのか?そんなことを考えていると、突如として俺の脳内に聴き慣れた日本語が響く。
『一時接続……完了』
『システム:シェル、起動』
『使用者の状態を確認……最適化のためシステム権限を使用』
『システム内データを使用』
『言語のダウンロードを開始……完了を確認』
『視界確保……完了』
『機能停止……良い赤子生活を、マスター』
ちょっと待った。何が何だか分からん。なんだ急に。何との接続が完了したんだ?何をダウンロードしたんだ?しかしながら、先ほどの音声によって及ぼされたであろう効果は一目瞭然であった。
視界が開く。眩しさに目を細めながらも、ゆっくりと瞼を持ち上げる。そこにいたのは……2人の男女。男性の方は喜びに満ちた顔で涙を流し、女性の方は髪も乱れ、顔が真っ赤になり、息も絶え絶えな様子だがそれでも嬉しそうな顔をしている。そして口を開いたのは男性の方。
「お前の名前は……フィリス、フィリス・メトリオだ」
◇◇◇
俺の名前はフィリス。フィリス・メトリオ(2日)である。昨日は濃厚な1日だった、突然の死、そして転生、誕生。まあ、昨日は名前だけ聞いて、少し恥ずかしかったが欲求には逆らえず母親と思わしき女性に授乳してもらいそのまま睡魔に負けて寝てしまったため、ほとんど情報収集はできていない。まあ焦ることはないだろう。生まれて二日で寿命は来ないのだから。
……
今日一日、なんとか眠気に抗って得た情報は、「俺には兄がいる」ことだけであった。まあそれだけでも結構な情報かもしれないが、できれば親の名前くらいは知りたかった。己が生まれる家が、「メトリオ家」であるという女神の言葉は本当だったようだ。ちなみにであるが。女神から与えられた【ハッカー】と言うギフトのスキルについては、まだ何もわかっていない。メインスキルである【ハック】や、補助スキルである【展開】、その両方ともを心の中で念じてみたり、「あっう」「あーうう」と口に出してみたりもしたが、なんの反応もなかったのである。まあ、誕生した時に頭の中に響いた声がおそらくシステムの中の一部なのだろうが、それが何なのかはまだまだ分からない。言語のダウンロードをしてくれたのは大いに助かっているが。
◇◇◇
俺はフィリス。フィリス・メトリオ(10日)である。この家で10日間生活してきて、大体の家族構成が分かった。まず、両親の名前であるが、父親がフェーデル・メトリオ、母親がアンネ・メトリオという名前だ。次に兄の名前であるが、ヴォルマンド・メトリオだということが分かった。強そうな名前しやがって………
まあそれはどうでもよく、一番驚いているのはこの家の規模である。大きさとかそういうのではなく、雇っている人の数であったり、飾られている物だったり。とにかくすごいのだ。まあ辺境伯という大層な称号をもつ家なのだから、当然と言えば当然なのかもしれなが。ああそう、俺の世話を一番してくれるのは、若いフルムア・カンティックという女性。美人だ、すっごい美人だ。もう俺は明日死ぬんじゃないかというほどに美人だ。別に、俺は性欲が強いというわけではないが、美人を見てしまったらそりゃ興奮するし、その人が俺のお世話をするというんだから尚更である。閑話休題。
とにかく、この家がとんでもなく大きな家だということを理解してくれると助かる。
◇◇◇
事件が起こったのはこの日、俺が誕生してからちょうど1ヶ月経った日のことである。
パチリ、と目が開き、意識が覚醒していく。この世界にも時計があったので、その時計を確認すると朝の8時であった。なんとも健康的な生活リズムである。
どこからともなくいい香りが漂ってきたため隣を確認すると、そこには我が母上のお姿が。
「あら、起きたの?おはよう。今日もかわいいわねぇ」
おそらく外ではもっとしっかりとした雰囲気を漂わせている女性なのであろうが、今は俺のことを眺めながらそれはもうとろけたお顔をしていらっしゃる。正直、前世の記憶がある身としては居心地悪いことこの上ないのだが、あちらとしては、というか俺からしても現在の体はこの女性が母親であるわけだし、もしかしたらあまり休めていないかもしれない(俺の体が夜泣きするため)から、とびっきりの笑顔を見せておもてなしをするのである。
「はうっ……!!」
俺の顔が今現在どうなっているのかは確認できないものの、この反応を見る限り母にとっては良き物だったのだろうと結論づける。
「あう、あうあう。ああ、う」
「ん゛っ……かわいい……尊い……」
少し声を出しただけでこれなのだから、母親なんてちょろいものである。
「あら、なんだか悪い目をしているような……」
すごい、すごいぞ母上。まさか我の瞳を見ただけで心の濁りを見透かしてしまうとは……!!
まあ、俺はすこぶる暇なため、そんなアホらしいことばかりを考えて暇を潰しながら毎日を送っている。おっと、そんなことを考えていたらメイドさんが来た。
「奥様、フィリス様のご様子は如何でしょうか」
「とっても元気そうよ。さっきも私に笑いかけてくれたくらいよ」
「それはいいことですね。そのうちすぐに成長するんですから、この時間を大切になさってくださいね」
「ありがとう、やっぱりあなたはいい子ね。あとでお小遣いをあげるわ」
「そんなっ、滅相もございません。遠慮しておきます」
「いいのよ、奥様とメイドじゃなくて女友達としてあげるんだから」
「いや、しかし……いえ、ありがたく受け取らせていただきます」
「よかった。あとで私の部屋に来てちょうだい」
「了解いたしました。それでは失礼いたします」
とまあ、母と使用人の会話ではよくこんなことになりがちだ。この世界の基準というものはよく分からないが、前世のラノベやらなんやらと比較して見るとかなり温厚そうに見える。使用人たちも少し砕けた敬語で話すし、よほどでなければ少しミスをしたくらいでは刑に処されることもない。ありがたや、現代日本人の感性からしてまともな人物の家に送ってくれた女神様に感謝を捧げる。
その後、いまだに慣れない授乳を終わらせ、母が部屋を出ていく。そして、もう一度戻ってきたその傍には、我が父上の姿が。2人は、圧倒的な美男美女である。父は銀髪、碧眼だ。母は金髪、翠色の瞳である。前世の俺なら、「くっそ、美男美女めぇ……」くらいにはなっていただろうが、生憎我が母君と父君であるためなんの悪感情も抱かない。あとは、この2人から誕生した俺が美男であることを祈るばかりだな。ちなみにちゃんとブツがついていたため一安心したことをここに記しておく。
父がこちらへ近づいてきて、ゆっくりと俺の体を持ち上げる。かなり慎重な扱いを受けているが、これは初めて父が俺のことを持ち上げた時、脇の下だけに手を通し、そのまま持ち上げてしまったからである。基本的に、赤子というのは首が座るまでは、抱き上げる時には頭をしっかりと支えたいといけないのだ。首の骨が折れたり、折れはせずとも頭が後ろへのけぞった勢いで神経や頚椎が損傷する恐れがあるなど、かなりリスキーなのである。
それを知らなかった我が父君は、こちらへ来るや否や、すぐに俺の脇へと手を通し、力任せにヒョイッと持ち上げてしまったのである。それを見た母親は大激怒、以降俺のことをあやしたり、抱き上げることはほとんどできなくなってしまい、抱き上げる時にも母の超絶厳しい監視付きでの触れ合いになってしまったのである。
いや、でもあれは本当に死ぬかと思った。やばかったよ?首が座ってないから、グリンッて後ろにのけぞっちゃうんだよ。折れるかと思った、本当に。父には申し訳ないけど、母の監視があってとっても安心です。
「こ、こうか…!?」
「違うっ!もっとしっかり首を支える!」
「こうかっ!?」
「お尻もちゃんと同時にすくう!」
「こうか!」
「持ち上げたらすぐに胸元に密着させる!」
「こうだな!?」
「はい、いいでしょう。ちゃんと丁寧に持ってあげてくださいね?」
「ハイッ」
すごい、母が父を圧倒しているぞ。おそらくこの世界は俺の知識からするに男尊女卑なのだろうが、この時ばっかりは父も母に逆らえないらしい。というか普段から逆らえてないな。まあどんな家庭でも、男は妻の尻に敷かれるくらいがちょうどいいのである(独身)。
まあそんなん感じで、いつも通り、親が来たらてんやわんや、1人になったら微睡む……みたいな生活を送っている、ごくごく普通の1日であったはずなのだが。
『おはようございます、マスター』
昼寝をして、起きたらそこには美しい女性が。その女性が出す声は、あの時の……誕生した時に聞いた、あの声と全く同じものであった。




