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君>世界   作者: 雪ノ雪
第七章『遠い半身』
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11/波乱の幕開け

 ルナが気を失ってから二時間ほどが経過した。

(いつまでここにいるつもりだ?)

 呆れるような悪魔の聲が、シャルロットの胸の内側から響く。

(大きな問題は解決したんだし、今日は別に急いでしなきゃいけない事はないでしょう?)

 それに、目を覚ました時に一人だと不安を覚えるのではないかと思ったのだ。

(早計だな。まだ解決したと決まったわけではないだろう。一時的なものである可能性はまだ捨てきれない)

(だったら尚更、起きた時に誰もいなかったら、どこかに行っちゃうかもしれないでしょ)

(その時点で治っていなかったと判断する事が出来ると思うが?)

(それは、そうかもしれないけど……でも、ヴラドさんに会う事を優先するかもしれないし)

(今、奴に知られてはこの娘を利用出来なくなる可能性もある、か)

 相変わらず嫌な言い方だ。

 でも、否定はしない。彼女の記憶障害を治した一番の理由は、まさに彼女の力にあるからだ。実際に、彼女の手を借りられたとして何が出来るのかはまだわからないが、それでも彼女にはヴラドの為に尽力してもらいたい。

(その方が諦めもつくものな、くく)

(……黙ってて)

 本当に、この悪魔の言葉はいちいち苦々しさを連れてくる。

 それを押し殺しそうとしたところで、ルナが目を覚ました。

 大丈夫だと思うけれど、先程のマヌラカルタの言葉もある。多少の不安を覚えつつ、シャルロットは言った。

「あの、ルナさん、私が誰かわかりますか? あの子が誰か、判りますか?」

「……少し、混乱しているけれど、大丈夫だよ。シャルロット」

 ゆっくりと体を起こし、ルナはこちらを真っ直ぐに見た。

「ヴラドは、今どこにいるの?」

「別れてから時間が経っているので確かな事は言えませんが、多分まだルウォに居ると思います」

「ルウォ、ルウォ……ごめんなさい、それ、わからない。私、行った事ある?」

「ええ、ありますよ」

「そっか……まだ、ところどころぼやけている感じがする。まだ何か大事な事を、忘れているような気がする」

 額を手で抑えながら、ルナはその何かを思い出そうと眉間に皺をよせて、

「……そうだ。私、今日で終わるはずだったんだ」

 と、呟いた。

 それから寂しげに微笑んで、

「お父様が言ったの。もう、あとは器だけあればいいって。戻ってきたら、彼女を入れるだけでいいようにするって」

「彼女っていうのは?」

「ノイン・ゼタ。お父様は、彼女を元の世界に返すために儀式を行おうとしているの。彼女には身体がないから、私の身体が必要なんだって」

「待て、ノイン・ゼタは奴の契約者の名前ではないのか?」

「だ、誰?」

 突然影から姿を現したマヌラカルタに、ルナは吃驚したような表情をみせた。

「どうでもいいだろう? それよりも早く答えろ。それはどういう――」

「恫喝的な悪魔でごめんなさい」両手で彼の頭を押さえつけ、影の中にマヌラカルタを戻しつつ、シャルロットは言った。「でも、私も気になります。どういう事なのか、教えて頂けませんか?」

「お父様は契約者じゃないよ。私にとっての『夜』みたいなヒト。『夜』は私の中に完全に溶けてしまったけれど、お父様は逆にルシェド・オルトロージュという人間を溶かしてしまった。多分、そういう事なんだと思う」

(……おい、貴様は天泪の意志を感じた事があるか?)

 影の中に戻る事を受け入れたマヌラカルタが、代わりに神妙なトーンで訊いてきた。

(そういう記憶は、ないかな)

(だろうな。あげくに天泪の方がヒトを乗っ取ったなど冗談にもほどがある。外神の魂を宿した神子も知っているが、そいつも他の神子と大差はなかったんだ。この異常さはどこから来ている?)

 マヌラカルタはいつになく不安げだ。

 だが、今は彼に構っている暇はない。そんなことよりも「今日終わるはずだった」という言葉の方がシャルロットにとっては重要だった。

「具体的に、何が行われる予定だったんですか?」

「儀式だよ。私の心だけ殺す儀式。そして空っぽの魂をノイン・ゼタの魂の中に溶かすの。そうすれば、この身体は完全に彼女のものになる。……今日である必要はないはずだけど、アンナがきっと迎えに来る。他の看板たちを連れて」

(奴等は此処を知らない筈だが、この娘に保険を掛けていない筈もない、か)

(……うん)

 悪魔の言葉に頷きつつ、その事態の不味さに眉を顰める。

 アンナはヴラドを瀕死にまで追い込んだ怪物だ。彼の方に殺す気がなかったとはいえ、それでも彼を追い詰められる人間なんて数えるほどしかいない。そんな相手が一人だけでも脅威だというのに、おそらくは同格以上の仲間を引き連れてくるとなれば間違いなく大きな被害が出る。

 ウィンははたして戦ってくれるのか。今の自分はどの程度そのクラスの相手に通じるのか、チュルたちは協力してくれるのか――

「――あれ? これ」

 思考を中断するように、ルナが呟いた。

 胸を抑えて困惑したような表情を浮かべている。

「どうしたんですか?」

「ない。私の中に在ったなにかが、なくなってる。……寒い」

 そう言って、彼女は震える身体を抱きしめた。

 顔色がみるみる青ざめていく。尋常ではない様子だ。再度検査の必要もありそうだった。そして、スロウに確認をする必要も出てきた。他に、ルナに対して何かが出来そうな人物はいなかったからだ。

(それにしても、ずいぶんと早い露見だな。外の世界の異物を前に読み違えたか)

 と、マヌラカルタが呟いたところで、激しい揺れがサラヴェディカを襲った。

 揺れが収まったのを確認してから「ルナさんは此処に居てください」と言って部屋を出る。

「発生源はどこですか?」 

 サラヴェディカ全体の管理を任せられている天使に訪ねると、七番庭園の傍だという答えが返ってきた。

「転移させてください。お願いします」

『――了解しました』

 声が響くと共に、身体が転移する。

 同じように事態を察知してか、そこでクーレと出くわした。

 視線を合わせるなり、二人して駆けだす。

 そうして揺れの発生源であるスロウに宛がわれた部屋があった一帯に到着すると、そこには深手を負ったチュルの姿があった。

 背中から止めどない血を流している。どうやら不意打ちを喰らったようだ。

「……よぉ、ずいぶんと早い到着だな、おい」

「相手はスロウかい?」

「他にオレを傷つけられる奴が、此処にいるとでも思ってんのか?」

 苛立ちを滲ませたチュルが凄む。

 骨に刺さるような威圧感。それを平然と受け流しつつ、クーレは言った。

「この場は君の魔力で全部塗りつぶされているからね。彼女がやったという明確な証拠がない。もちろん、君の言葉を信じやってもいいけど。……それで、どうしてこうなったのかな?」

「知るかよ。様子見に顔出して、まだ寝てるのかって呆れて背中見せた途端に仕掛けてきやがったんだ」

「悪魔の契約は? 契約もなしに同盟関係を維持してきたっていうのは、いくらなんでもあり得ないと思うんだけど」

「どうせ最後に裏切る関係だ。直接手は出せないって条件は、なかなか入れずらいんだよ」

「でも時期は選べる」

「それを厳密化するのも面倒だ。それよりも別の条件を付けた方がお互い動きやすい」

「その盲点を突かれたと?」

「まあ、そういう事になるな。胸糞悪い話だが。……あぁ、けど、報復は既に果たした。奴の方がダメージはデカい筈だ。今なら、ただの人間でも殺せるだろうさ」

 床に残る夥しい赤――ここから離れて行き、途中で消えた血痕に視線を向けながら、チュルは言った。

 早く追いかけろという催促だ。

 だが、それを鵜呑みにしてもいいものなのか……

「こちらもサラヴェディカの機能に大きな打撃を受けている。これは明白な裏切り。彼女への警戒は必要でしょうけれど、今優先するべきはスロウの処理」

 背中を押してきたのはノスティワだった。

 クーレからやや遅れて、別のところから彼女はやってきた。まあ、この二人は基本的に別行動をしているので不審な点はない。

 それに、ルナが何かを奪われた可能性が高いのだ。殺すかどうかはともかく、それを解決する必要はあった。彼女を逃がすわけにはいかない。

「追えますか?」

『痕跡は完全に途絶えています。追跡は不可能かと』

 天使が答えた。

 その答えに落胆するより早く、

「つまりはクリスエレスに逃げたという事だね。彼女にとって、その状況を最も簡単に用意できる場所はそこしかないだろうし」

 と、クーレが呟き、視線をこちらに向けてくる。

「どうする?」

「私が行きます。一緒に来てもらえますか?」

「僕だけでいいのかい?」

「はい、ウィンさんにはルナさんの護衛をお願いしたいので。まだ何かあるかもしれませんし。すみませんが、そう伝えて頂けますか?」

「了解しました」

 と、天使の頷きが届くと共に、目の前の空間が裂けた。

 クリスエレスへの道だ。

「ありがとうございます」

 スマートにこちらの要求を叶えてくれた天使に感謝を告げつつ、シャルロットは裂け目の中に飛び込んだ。


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