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君>世界   作者: 雪ノ雪
第七章『遠い半身』
93/114

08/綺麗な砂漠の奥底で

 空気が変わった事を感じてシャルロットが目を開くと、そこは広大な砂漠だった。

 冷たい夜風が髪をなびかせる。

(……感知は駄目。というか、魔力行使全般が機能してない)

 それでも身体は普段より幾分軽い気がする。

 自分の状態を把握したところで視線を彷徨わせるが、ルナの姿はない。

 この砂漠がどの程度の規模なのかは不明だが、宛てもなく探すというのは無謀だろう。

 ひとまず見晴らしのいい場所を確保しようと、山のように盛り上がっている地点に足を進める。

 十分くらいかけて辿りついたところで、異変が起きた。

 最初に居た低い地点に穴が空いたのだ。その穴から大量の砂が落ちていく。

 程無くしていくつもの場所で同じ現象が発生して、シャルロットが今居る場所もその影響に晒され急速に高さを失い始めた。

 あの孔は、一体どこに繋がっているのか。はたして落ちても大丈夫なのか。 

 もちろん不味いという認識が先行していたが、それを覆したのは微かに聞こえた悲鳴だった。

 離れているので、それが誰のものなのかは断定出来なかったが、女性のものなのは間違いない。そしてここはルナの精神世界だ。彼女である可能性が高いだろう。

「……」

 意を決して、孔に向かって駆け下りていく。

 そしてジャンプを一つ、孔の先になにがあるのかを認識出来る時間を少しだけ稼ぎつつ、その中に飛び込んだ。

 水の中のような感触に十数秒ほど囚われたのち、小屋の屋根に落ちる。

 結構な高さだったが、痛みや衝撃はなかった。

 再度周囲を見渡して、込み上げてきた吐き気と寒気に自身の身体を抱く。

 先程まで居た、冷たく澄んだ蒼い夜と白い砂の世界とうって変わって、そこは禍々しい紅の空と泥のようにぬめった赤黒い土の世界だった。

 土からは瘴気が溢れている。瘴気とは世界の膿だ。非常に有害で、人間の場合はあっという間に呼吸器官を破壊し、魔物の場合は狂暴化、生態系を破壊する結末へと誘う。

 クリスエレスでも過去に何度か発生しており、その際は発生源となった町をまるまる閉鎖し、数百年に渡って浄化したという記録も残されていた。

 そんな場所にある集落。ここが現実ではないにしても異様極まりない。

(……酷い匂いだけど、瘴気そのものの効果はない、のかな)

 まだ血反吐を吐いていないということは、きっとそういう事なのだろう。

 それでも鼻と口を手で塞ぎ匂いを抑えつつ、屋根から飛び降りる。

 と、そこで、小屋の中から声が聞こえてきた。

 子供の声だ。

 慎重に引き戸を開いて、中の様子を窺う。

 灰を被ったような銀髪に血にまみれた褐色肌の少年と、異様なほどに美しい黒髪と雪の肌をもった少女。それが幼いヴラドとルナだと気付くのに、時間はかからなかった。

 改めて、今自分はルナの中に居るのだという事を実感する。

 夜の砂漠が今の彼女の心象世界だとするなら、ここは彼女の過去が多分に影響された世界といったところだろうか。砂漠の下に隠されていた、おそらくはスロウによって暴かれた世界。

「……グゥウウ」

 獣じみた呻り声を、ヴラドがあげた。

「わかった。またね」

 そんな彼をぎゅっと抱きしめて額にキスをして、ルナは自身の影に呑みこまれるようにして立ち去る。

 それに合わせて、小屋も消えた。

 消えると同時に水面に小石を投げ込んだみたいに激しく世界が揺れて、揺れが収まった時にはそこは別の場所へと変わっていた。

 荒廃した大地が広がっている。左手には集落が見えた。そして右手には瘴気の波。地面の亀裂から湧水のように溢れ出たそれが、集落に少しずつ迫っている様子が窺えた。

 根源と思わしき巨大な膿が、少しだけ顔をだしている。

「あれだ? 判るな」

 声が響いた直後に、知らない男とルナの姿が浮かび上がった。

 両手を二十ヘクテル程度の長さの鎖で繋がれた全裸のルナは、無表情のまま小さく頷き、瘴気に向かって歩きだす。

 液状化した瘴気なんて、普通の人間なら触れた時点で終わりだ。あっという間に肉体が壊死することだろう。

 だが、瘴気はルナに触れた途端に消え失せた。まるでその白い肌によって吸い込まれたかのようだった。

「……」

 痛みを伴う行為なのか、ルナの表情に少しだけ感情が滲む。

 それを前に、

「なにぼけっとしてる! さっさと行け!」

 と、男はルナの背中を蹴飛ばした。

 踏ん張れなかった彼女が頭から瘴気の波に倒れ込む。

「な、なにをしてるんですかっ!?」

 あまりに異様な光景に呆然としてしまっていたが、さすがにこれ以上ただ見ているなどという事は出来ず声を荒げる。

 だが、反応は返ってこなかった。

 怒りのままに男の肩を掴もうとするが、それもすり抜けてしまう。ただの映像でしかなかったからだ。干渉のしようがない。

 苦々しさに歯が軋む。

 そうやってシャルロットが感情に振り回されている間にも、立ち上がったルナは痛みを堪えながら瘴気の呑み込みつつ中心に向かっていく。

 到着したところで「このあたりでいいか」と、男が手にもっていた杭を鎖の隙間と地面に深々と突き刺した。

 それから、固定の魔法を用いて外れないようにして、ルナを瘴気溢れる巨大な亀裂に向けて放り投げる。

 液状化した瘴気が浄化されるたびに、鎖は重力に引っ張られて伸びて行った。

 その様を確認することもなく男は去って行き――また、映像がぶれた。

 違う光景が顔を出す。変異した魔物三体を五、六歳くらいのヴラドが傷だらけになりながら殺している。集落に侵入されたのか、数人ほどの死体が転がっていた。

 近くには最初に降りた小屋がある。その中に、ルナの姿もあった。

 驚いたような、魅入っているような、不思議な表情。

(もしかして……)

 再び場面が変わる。

 彼女のいた小屋から少し離れた別の小屋の中。

 そこにヴラドは居た。変異した魔物の瘴気にやられたのか、黒い血が止めどなく流れている。

「……大、丈夫?」

 躊躇いがちな声とともに、ルナがやってきた。

 ヴラドは警戒するような目で彼女を見る。

(……やっぱり)

 さっきのは二人の出会いのシーンだったのだ。

 おっかなびっくりにルナはヴラドに近付き、傷口に触れた。

 瞬間、ルナの顔が跳ね上がる。ヴラドが拒絶を示したのだ。魔物を殺した時の力だったら多分首が飛んでいただろう。けれど、今のヴラドの力一杯の暴力は、彼女の唇を切るだけで精いっぱいだった。

 それでも、普通に子供を追い返すには十分だったはずだ。けれど、ルナは「ごめん、ね」と小さく謝りながら、また傷口に手を伸ばした。

 瘴気が溶けるように消え、血が流れる血が本来の朱に戻っていく。

 きっと痛みも和らいだのだろう。ヴラドの警戒が少しだけ緩んだのがわかった。

「これ、たべて」

 そのタイミングで、襤褸の懐に入れていた干し肉を取りだし、ルナが言う。

 言った傍で、彼女のお腹は、くぅう、と鳴った。

「じゃあ……またね」

 躊躇いがちに紡がれた別れの言葉。

 そこで、また世界が切り替わる。

 次に訪れたのは、心底悍ましい光景。

「馬鹿が! 顔殴ったら他のと変わらなくなるだろうが!」

「けど、こいつが暴れるから」

「攫ってきた女は餓鬼さえ出来れば殺してもいいが、そいつが死んだら困るのはてめぇも知ってるよな? 少なくともこのあたりの瘴気が無くなるまでは躾以上の怪我はさせるな。わかったな?」

「わ、わかったよ」

「ならさっさと出して次に代われ、後がつかえてんだからよ」

 ……生臭い匂いと反吐の出るやりとりに、思わず殺意を覚えた。

 想像は出来ていた背景だ。それでも、実際にそれが行われている場面を目の当たりにすると、いかに安い身構えだったのかを痛感する。

(早く、終わって……)

 その願いが通じたのか、また世界が切り替わった。

 今度は、胸が軋むような痛みを与えてくれる世界だった。

 さっきよりはきっと全然マシな光景な筈なのに、身体が震えそうなくらいに背筋が冷えて、眩暈と吐き気が襲ってきた。

 ヴラドとルナの性行為。

 十歳に満たない子供同士がしているという異常性を除けば、先程とはなにもかもが違う営みだった。

 甘い空気、じゃれ合うような二人の表情。

 見ていられなかった。陰惨な光景は耐えられたのに、これは無理だった。

 耐えられないくらいに胸が痛い。その正体がなんなのか、シャルロットには判っていた。自分を騙す事は出来なかった。

 これは、嫉妬だ。

 入り込む余地がない事を、今これ以上ないくらいに見せつけられていると言ってもいいのに、それでも抱いてしまう。もっと素直になれという悪魔の言葉が、ルナに成り代われという提案が、頭の中を駆け巡っている。

 その罪深い雑音を押し殺すように、長く静かな深呼吸をしたところで、悲鳴が届いた。

 世界が変わる。が、悲鳴はこの場所から響いたものではなかった。今ここで流れているのは、古びた冒険物語を二人が読んでいるという平和な時間だ。

 ……多分、ルナの魂は悲鳴の発生源に居る。その予感に従って、シャルロットは二人から視線を外し小屋を出た。

 外は、いたるところが歪んでいた。そしてその歪は悲鳴によって生み出されているようでもあった。

 空気が異様に重い。朱い空が酷く近くにあるような、そんな錯覚に襲われた。

 鼓膜を叩き続けている少女の悲鳴が、突然無数の男たちの絶叫に変わる。そして唐突に、目の前に真っ白な絶望が姿をみせた。

 ルシェド・オルトロージュだ。彼はこちらを――いや、自分の後ろにいるなにかを真っ直ぐに見据えている。

 振り返ると、そこには一人の老人がいた。

 集落の中ではかなり上等な造りをした家の玄関口に立っているので、おそらく村長かなにかだ。ルシェドの異様な美しさに恐怖を滲ませながらも、笑顔を貼り付けている。

「話は窺っております。なんでも、忌子を所望しているとか」

 こんな狂った村でも、一応外の町と繋がっているようだ。そこの誰かの口利きで、ルシェドは此処に訪れたらしい。

「あぁ、この上なくね」

 そう答えて、彼は手のひらサイズの布袋を放り投げた。

 地面に転がった衝撃で中身が零れる。宝石としても扱われていそうな魔石だ。とんでもない価値をもっているのは明白だった。

 村長の眼の色が変わる。続いてその視線がルシェドのやや左に流れた。

 空気に擬態していた男が、鉈を振り上げながらゆっくりと近づいてくる。

 殺して奪うつもりなのか。だが、それはあまりにも愚かだ。

 案の定、鉈を振り下ろそうとした瞬間に腕が消失し、その男の全身から骨が飛びだした。

「おや? なにか居たみたいだな。これは君の知り合いかい?」

 無残な死体を一瞥してから、ルシェドが村長を見る。

「ま、まさか! 初めて見る顔です。外の事にはあまり詳しくありませんが、最近大きな戦争があったようですし、敗残兵が略奪者になるという話もよく聞きます。おそらくそういう輩でしょう」

「そうか、それは目障りだね」

 と言った直後、死体がぶくぶくと泡を立てて溶けて消えた。まるで目障りという言葉に世界が反応したようでもあった。

「まあ、それはそうと、早く答えを聞かせてくれないかな?」

「喜んで、と言いたいところですが。あの二匹は我々にとっても非常に重要な存在でして、特に村の自衛に関わる方はおいそれとは手放せないというか」

 下手をすれば即座に殺されかねない状況で、しかし村長は足元を見る事を選んだようだ。

「なにが重要なのかな?」

「それはもちろん、またいつ湧き出るかわからない瘴気と、魔物に対する自衛でございます」

「なるほど、それは厄介そうだ。出来ればここでは魔法を使いたくないんだが……よし、では、それを解決できるだけの資金を提供しよう。これの十倍くらいでいいかな?」

 その言葉に応えるように、袋がみるみるうちに膨らんで、はち切れんばかりに張ったところで大量の宝石を吐きだした。

(もしかして、言霊の魔法? ……いや、違う)

 これは空間操作の魔法だ。袋の中に別の空間とのドアを作って、そこから宝石を取りだしているのである。

 だとしたら、男を殺した魔法や死体を始末したのも言霊ではなさそうだ。こちらが感知できないだけで部下が潜んでいる可能性が高い。

 というか、そうでなければ「魔法を使いたくない」という彼の言葉が嘘になってしまうし、嘘を吐く理由もない。

「十日待つ。それまでに代用品を用意するように。わかったかい?」

「え、ええ」

「あぁ、それと、欲しいのは瘴気を消す娘だけ。もう片方は別にいらない。以上」

 淡い笑みを湛えたままに話を済ませてルシェドは村長に背を向けた、そして背後にあった家屋の方を数秒ほど見てから、歩き出す。

 そこに目を向けると、こちらを覗き見ていたルナの姿を捉える事が出来た。

 距離はそこそこ離れてるけれど、耳を澄ませれば今のやり取りを聞くことは可能だったはずだ。

「さて、これで目覚めの準備は済んだか。『夜』が完全に堕ちてくる。彼女の揺り籠としては、この上ないな。しかし、私が手を下さない事で完璧な器になるというのは一体どういう事なのか。……ねぇ、君には判るかな? 不死の御嬢さん」

「――え?」

 これはルナの記憶に基づいた過去の映像。

 にも拘らず、彼は今なんと言った? 

「早く追いかけるといい。彼女はそこにいる。ほら、早く」

 視線がこちらから外れる。

 映像が乱れ、ルシェドの姿がぼやけていく。

 そうして完全に消える間際、

「それにしても不死、か。此処にそんな存在は居ない筈だが、一体君には何が見えているのかな、いと高き夜の女神よ」

 小さく、そう零した。

 しかし、その声がシャルロットに届くことはなく、一際大きく響きだした無数の悲鳴が、全てを呑み込んだ。


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