06/提案の表裏
自身の迂闊な行動でルナとの機会を失ってしまった事にうだうだと後悔していると、クーレがやってきて、スロウから今後についての話がしたいという連絡があった旨を伝えられた。
「一時間後に此処に来るように言っておいたから」
今までなら、こちらから赴く必要があっただろう。力関係がそれを強いていた。だが、もう違う。
それがこうしてはっきりとカタチになった事に成果を実感しつつ、シャルロットは頭を左右に振って、無理やり気持ちを切り替えた。
来客用の着替えを済ませて、多少の化粧をし、準備を終える。
そのタイミングで、
「見つけた」
と、背後から声が届いた。
振り返ると、眠たげな表情のルナがそこにはいた。
「……あれ? なんでここに来たんだっけ?」
きょろきょろと周囲を見渡し、彼女は「まあいいか」と結論をつける。
戻ってきてくれた。その事実には安堵を覚えたが、タイミングがタイミングだ。正直、ルナを優先したいところだが、さすがにこれ以上スロウを蔑ろに扱うのは不味い気もする。
(だったら同席させればいいだろう?)
胸の内側から、マヌラカルタの聲が響いた。
影から顔を出さないのは、ウィンの忠告に従っての事か。
(眠り姫とも繋がりがある事を認識させれば、こちらの価値はさらに上がる事だしな。より一層に動かしやすくなる。上手くいけば、それこそ靴を舐めさせることも出来るかもしれんぞ?)
くつくつと悪魔らしい笑みが零れる。
そんな悪趣味をするつもりは毛頭ないが、ぼんやりと天井を見上げだしたルナは、またいつどこに行ってしまうか判らない。
記憶障害だから気を悪くしたって問題ないという考えはシャルロットの中にはなかったし、そもそも完全にリセットされていないからこそシャルロットのところに来てくれているのだ。これ以上彼女の心証を悪くするのは、それこそ最優先で避けるべきだろう。
(……なんか、嫌な考え方だな)
打算的な自分に気付いて、ちょっとした自己嫌悪に陥る。
それを感じ取ったのか、ルナはおもむろにシャルロットを抱きしめて、
「大丈夫だよ。お姉ちゃんがいるから、大丈夫」
と、背中をさすりながら言ってきた。
多分、自分をあの子と勘違いしての言動だと思うけれど、そこには切実なくらいの優しさがあった。微かに震えた声で、それでも必死になにかを守ろうとするような決意があった。
(……ずっと、そうだったのかな)
吐き気がするような世界の中で、この暖かさは、一体どれだけヴラドを救ってきたのだろうか……。
胸の奥が、じくじくと痛みだす。その痛みに唆されるように、彼女を突き飛ばしたい衝動に駆られてしまう。
それを堪えながら、
「私は、大丈夫ですよ」
と言葉を返して、ゆっくりと身体を離した。
それから、自己嫌悪を呑みこむカタチで言う。
「このあと、ちょっと他人と会う予定があって、多分あんまりおもしろい時間にもならないと思うんですけど、よければルナさんも付き合ってくれませんか? その、心強いので」
「うん、任せて」
ほんのりと嬉しそうに、ルナは笑った。
本当に無邪気だ。だからこそ、また別の種類の痛みが胸を襲ったが、それを誤魔化すようにルナの手を掴んで、シャルロットはスロウとの会談場所へと向かった。
§
スロウは時間通りにやってきた。
お供は一人。ダノラウトだ。シャルロットに対する圧力という意味ではこれ以上ない人選だろう。事実、父を前にして心拍は否応にも乱れ始めていた。
対するこちらは、クーレ、ルナ、そして少し調べものが出来たとウィンを伴って出かけたノスティワの代役として宛がわれた天使ファリンが同席している。
「……眠り姫」
驚きを滲ませた表情で、スロウが呟いた。
ルナの方はスロウに何も感じなかったのか、庭園から見える空をぼんやり見上げている。
「ノイン・ゼタとも協力関係を?」
「いいや、彼女個人との関係だよ」
涼しげにクーレが答えた。
「そうですか……」
思案の間が生まれる。
その隙間を埋めるように、
「あぁ、そうだ、その男は喋らせないでね。僕たちの機嫌が悪くなってしまうから。出来れば息もしないで欲しいくらいなんだし」
と、クーレがダノラウトという存在に釘を刺した。もちろんこれはシャルロットへの負担を減らすためだろう。
更に、そこに異議を唱える暇すら与えないように、
「そちらは、今残っている勢力の中で儀式までに損耗させておきたいのはどこだと考えている?」
と、ファリンが高圧的な態度で切り出した。
天使としては相手の方が明確に格上の筈なのだが、そこはノスティワの信徒という自負があるからだろうか。
「もちろん、ルウォでしょうね」
特に気を悪くした様子もなく、スロウは答えた。
おおよそ予想通りの回答に、ファリンも憮然とした表情で頷く。
「神子が四人もいるわけだしな。最低でも手駒にされた奴等は処理したいところだ。なにかいい案はあるか?」
「……いいえ、残念ながら」
「それは朗報だね。じゃあこちらのプランを優先しよう。君には駒の始末をして貰う」
にこにこした笑顔で、クーレが言った。
「申し上げにくいのですが、今の私には荷が重いかと思いますよ」
「そこまで弱くはなってないでしょ? もし本当にそうなら、君と組む理由がなくなってしまうよ。それでもいいのかな?」
「怖いヒトですね。ですが、無い袖は振れません。クリスエレスの臣民を自由に使えるという事だけで満足していただけると助かります。少数の貴方がたにとっては、数とは十分価値のあるものだと思いますし。……ところで、彼女は何故『眠り姫』と呼ばれているのでしょう?」
退屈の所為か舟をこぎ出したルナを見てか、不意にスロウがそんな事を口にした。
「そんなもの、言葉の通りでしかないだろう?」
あからさまな話題逸らしを侮蔑する冷めた表情で、ファリンが吐き捨てる。
それをいっそ憐れむように受け止めて、
「私が言いたいのは、何故そう呼ばれる状態になっているのかを、貴女たちは本当に理解出来ているのか、という事です」
と、スロウは言った。
無視できない内容だ。彼女の立ち位置を把握しての牽制なのか、それとも提案のための前フリなのか……。
「貴女になら、治せるとでも言いたいんですか?」
後者だと判断し訪ねると、スロウは静かに微笑んだ。
「ええ、もちろんです。ただ、そう簡単な事ではないでしょう。色々な準備と適切な環境が必要となります。そして、それは私一人では難しい」
「なにが必要だというんですか?」
主導権を取り返しにきている。それを強く感じながらも、シャルロットは思惑に乗るかたちで耳を傾けた。
「今の私には力が足りません。信仰を取り戻す必要があります。貴女たちに奪われた信仰を」
「それは申し訳なかったね。ここまで上手く行くほど、君たちが間抜けだとは思わなかったんだ」
本当に申し訳なさそうにクーレは言う。悪意が一切なさそうなのが、いっそ怖いくらいだった。
しかし、スロウも顔色一つ変えずに話を続ける。
「まずは場を用意してください。次に無垢の天使を四体。儀式の補佐に使いたいので。あとはそうですね、信仰が回復できないのであれば、神子の血も必要となります。高密度の魔力で陣を敷くのに不可欠となるでしょうから。あぁ、もちろん、貴女の血ではありませんよ? 穢れた悪魔の魔力などでは、奇蹟は起こせませんもの」
「だったら自分の血でも捧げればいいだろう?」
よほど不快に感じたのか、ルナが居る手前ずっと控えていたマヌラカルタが影から姿を現した。
「私の血が注がれるのは大前提ですよ。その上でもう一人の神子の血が必要だと言っているのです。悪魔には読み取れない文脈でしたか?」
嘲笑を強調するように、自身の頬に右手を置きながらスロウが首を傾げる。
「それで、具体的に誰が必要なんだい?」
言い争いになるのが面倒だったのか、クーレが言葉を差し込んだ。
「出来れば天使が良いですね。現存している神子の中だと、誰がいたかしら?」
「ぱっと思いつくのはチュルだね」
「アブロイは非常に好ましいですね。もしかしたら、穏便に事が進むかもしれませんし」
「待ってください。エンシェとの同盟を、再び求めるんですか?」
「我々も貴方たちもまだまだ力不足ですからね。当然の事かと思いますが?」
シャルロットの疑問に、スロウは怪訝そうな表情で答えた。
間違っても当然ではない。どちらも神子を殺し殺されているのだ。たとえクリスエレスが良くても、エンシェは絶対に了承しないだろう。
大体、向こうはクリスエレスと違って戦力も十分整っているのである。交渉できる相手もこちらより多いし、仮に遺恨を抜きに考えるとしても、だったらザーラッハとの同盟を結び直した方がずっと――
「――ん? あぁ、わかった」
ノスティワから連絡でもあったのか、クーレが小さく頷いて、
「同盟成立だそうだ。ずいぶんと手際がいいね。ちょっと面白くなってきたよ」
と、微笑んだ。
「同盟成立って……ノスティワ様は、今どこにいるんですか?」
動揺を抑えつつ、シャルロットは訪ねた。
「場所はよく判らないけど、彼女の視界にはチュルとアブロイがいるね。血も問題なく提供してくれるそうだ」
「話もまとまったようですし、早速儀式の用意をしなければなりませんね」両手を合わせて、スロウが淑やかな微笑を浮かべる。「場所はいかがしましょうか? そちらで用意出来ないというのなら、我が国が使えますが」
「……いいえ、こちらで用意します」
硬い声で、シャルロットはそう答えた。
どこか冷たい瞳でこちらを見据えてきているスロウに、強い警戒心を抱きながら。
§
ノスティワが足を運んだレティソラエールの書庫には、驚くべき事に先客がいた。
そして、その先客たるチュル・ウルフェンファングは、ノスティワが此処に来るのが判っていたかのように、開口一番同盟を求めてきた。
「それはリズ・ペディア・リリスの指示?」
静かに臨戦態勢を取るウィンの前に立って、ノスティワは口を開く。
「まあ、そんなところだ。悪巧みはあの女の領分だからな」
つまらなげに答え、チュルは手に持っていたカップの中身を空にした。
「……」
結構長い時間この領域に居座っていたのか、この一見空っぽの書庫には寝袋やらボトルやら菓子の袋なんかが散乱している。
はっきり言って非常の不愉快だった。許しがたい不敬だ。
もし此処に居るのはディディレアだったのなら、間違いなく粛清していたことだろう。そう確信できるくらいの怒りが、胸の内側から込み上げてきている。
ただ、自分はもうディディレアではないのだ。他者の残滓に振り回されたくはない。
呼吸を整え感情を沈め、あとで掃除をしようと心に決めて、
「意図は聞かされているの?」
と、ノスティワは努めて静かな口調で訪ねた。
「さあ? どうでもいいさ。それより早く結論を出しな。うちと組むのか組まないのか」
「……サラヴェディカのトップは私ではない」
「知ってるよ。不死の娘だったっけ? けど、発言権を持ってるのは奴じゃない。てめぇの契約者の筈だ」
断定的な口調。内通者がいる線を疑いたくなる。
あげく、
「血も提供してやる。必要なんだろう?」
たった今、クーレを介して届けられた情報に関する内容を、彼女は口にしてみせた。
クリスエレスとの関係は切れたとばかり思っていたが、トップ同士では情報交換を続けていたという事だろうか。だとしたらお互いの損失も計算の上という事になりそうだが……
「彼女の目的はなに?」
「この世界の位階を引き上げる事だ」
チュルの傍らで自前の書物に目を通していたアブロイが答えた。
「それはエンシェの掲げる理念でしょう? リズも、本当に同じものを見ていると思っているの?」
「さて、どうだろうな。それに本人に聞いてみない事には判らないだろう」
興味がないとばかりにアブロイは言葉を返してくるが、相方の方はそうでもなかったようだ。
「そう言うてめぇはどう見てんだよ?」
「彼女はきっと、世界そのものを見ている」
「世界そのものねぇ、それが何か問題なのか?」
「その世界に人間という種や天使という種が含まれている保証はない。彼女にとって重要なのはルーメサイトの状態だけ」
「そりゃあ、なんの根拠から来ている言葉だ?」
「もちろん彼女の出生、存在理由から」
「……」
チュルはちらりとアブロイに視線を流してから、鬱陶しそうに鼻を鳴らし、
「揺さぶりとしては弱ぇな。まあ、一応確認はしておいてやるさ。……それで、どうすんだ?」
「同盟成立だと、今彼が口にした」
それこそ、こっちが勝手に決めたみたいな口振りで、サラヴェディカにいる半身は語っていた。
彼との共有はそこで切れられたが、拒む理由もあまりなさそうだし、シャルロットもきっとそれを受け入れる事だろう。彼女にとって、ルナの問題は最優先事項の一つなのだろうから。
「ところでアブロイ、貴方たちはここで何を調べていた?」
「ルシェド・オルトロージュについてだ。そちらも同じ目的だったのではないか?」
「否定はしない」
「では、同盟の証に情報の共有と提供をしておこう。他になにか調べたいものはあるか? 此処の機能にもそれなりに慣れたからな、我々が行った方は早いだろう。それを済ませ次第、サラヴェディカに足を運ばせてもらう。その流れで構わないか?」
「口頭は信用できない。ルシェドの件も、ここの機能で見せてもらいたい」
「用心深い事だな」
苦笑を浮かべつつ、アブロイが端末をスムーズに操作してその情報を引き出す。
それに目を通しながら、ノスティワは言った。
「ルナ・オルトロージュの事は、何か分かった?」
「……いや」
歯切れの悪い解答。
「調べていなかったの?」
「無論調べたさ。その上で、なにも出てこなかった」
「出てこなかった? 本当に?」
レティソラエールは世界の脅威全てに対応する神だ。凡百の人間ならいざ知らず、神子の情報が収集されていないというのはあり得ない。
「疑いたい気持ちは解る。だが事実だ。彼女という神子をこのシステムはまったく感知出来ていない。ただの人間として認識されている。つまり、ルシェド・オルトロージュの改竄の比ではない強制力をあの神子は有しているという事だ。一体どんな天泪を受ければそんな怪物が生まれるのか、想像もつかないがな。……さて、それを踏まえた上で、偉大なる母よ、貴女はそんな白紙の神子をどうするべきだと考えているんだ?」
「……」
ルシェド・オルトロージュは今、この世界にはいない。そして、真に危険な存在はもしかしたらルナの方なのかもしれない。
だとしたら、取るべき道は一つだ。
秩序を司る原初の一柱として、ルナ・オルトロージュを処理する。それこそがサラヴェディカが取るべき正義だろう。
ただ、それは今の主導者とは決定的に相容れない。秘密裏に行う必要がある。
「……貴方は、どうする?」
その最初の障害に視線を向けて、ノスティワは訪ねた。
チュルからも殺気が溢れだす。返答次第ではこの場で殺すという意志表示だ。
「私が眠り姫に対して干渉する事はない。もちろん、そちらに手を貸すこともないが」
静かな口調で、ウィンはそう答えた。
脅しに屈したという雰囲気ではない。元々のスタンスという事なのだろう。
いずれにしても、これでチュルとの同盟は達成されたわけだ。
その事実に何とも言えない感情を覚えつつも涼しい貌で呑みこんで、ノスティワはクーレに対する共有を完全に破棄、再構築もすぐには行えないように細工しつつ、アブロイの提示する計画に耳を傾けた。




