02/煩わしい男
いつもの如くルナが失踪した。
目を覚ましてすぐに「シャルロット。そう、シャルロットだ」という言葉を残して消えたらしい。
多分、名前を出された相手の元にでも向かったのだろう。
お目付け役でもあるアンナとしては、一刻も早く彼女を見つけ出す必要があるわけだが、
(多分、ルウォのどこかにいるんだろうけど……困ったな)
ほぼ鎖国状態の国なので入国するのは難しいうえ、国の規模も非常に大きいので、具体的な場所が判らない状態で探すというのは現実的でなかった。
普段ならルシェドがこういう場面をカバーするのだが、今日に限ればそれを期待する事も出来ない。『揺り籠』の日だったからだ。
実際、その日どこに行ってなにをしているのかはおそらく誰も知らないが、この三日間彼はあらゆることに干渉しない。それだけは確実と言っても良かった。
ゆえに、ある意味で実に都合のいい期間でもあるわけだが……
「アンナ、見つけた」
不意に背後から声がして、振り返ったら探し人がいた。
相変わらずこちらの探知能力を完全に無視した瞬間移動だが、今更驚く理由もない。それよりも、彼女が見つかった事実の方が重要だ。
(怪我とかはしていない、か)
まあ、その心配は、ほぼするだけ無駄なのは判っているのだが、
(……もしかして、泣いていた?)
物理的に彼女を傷つけられるものはこの世界でも非常に限られているが、精神的なダメージは別だ。もしそれが悪意によってなされたのなら、即座に報いを受けさせる必要があるだろう。
個人的にはそっちの方が簡単で良かった。ただ、相手がシャルロットなら、その線は薄い。彼女の事をそれほど知っているわけではないが、悪戯に誰かを傷つけるような人間には見えなかったからだ。
知らないうちに地雷でも踏んでしまったのか、或いは……
「……ちょうどお昼時ですし、食事にでも行きましょうか?」
「うん」
小さく頷いたルナは、やっぱり少し消沈しているようだった。
彼女はぴたりとアンナに肩を寄せて、躊躇いがちに手を握ってくる。
ひんやりと冷たい手。
それを握り返して、アンナたちはザーラッハの繁華街へと足を踏み出した。
§
「ねぇアンナ、アンナは好きな人っている?」
パスタをぐるぐるとフォークで巻きながら、何かを思い出したようにルナが言った。
こういう質問は、初めての事だった。
最近、その手の質問が増えた気がするのは、やはり時期の所為なのか。
「どういう意味の好きかによりますが、ルナ様の事は普通に好きですよ」
でなければ、お目付け役なんてやってない。
たとえ殺されたとしても、気に入らない事を進んでやるような殊勝さなど、アンナは持ち合わせていなかった。
「……私も、アンナの事好きだよ。えへへ」
本当に嬉しそうに彼女は笑う。とても魅力的な表情。ちょっと勇気を出して言った甲斐があるというものだった。
「でも、急にどうしたんですか? そんな事を訊いて」
「なんとなくね、気になったの。好きな人って具体的になんなんだろうって。やっぱり、いつでも会いたい人の事なのかな? そうじゃない人は違うのかな?」
「それは人によるものだと思いますよ。別に会いたいと思わないから大切じゃないなんて事はないですし。特別だからこそ、下手に会いたくないなんて感情を持つ事だってあるだろうし」
「あったの?」
「残念ながら。私は斬った張ったしか知らない小娘ですし」
「アンナ、可愛いのに」
グイッと顔を近づけて、こちらをまじまじと見ながらルナは言った。
その気はないアンナだが、それでも思わず息を呑んでしまう。最初からそうだが、本当に彼女という存在は今まで自分が見てきた中で最も美しい奇蹟のようだと思う。
安っぽい話なのかもしれないが、アンナが彼女を尊んでいる理由の一つはまさにそこにあった。もう一つはもちろん、自分よりも圧倒的に強いからという戦士としての価値基準ではあるのだが……。
閑話休題。思考をまた今の彼女の精神状態に向け直す。
シャルロットに会ったルナが、ヴラドについて言及されたのは間違いないだろう。それがどの程度の認識や覚悟で行われたのかは不明だが、少なくともその状態を良しとしていない点においては自分と同じはずだ。彼女は味方にできると思う。
ただ、やはりデリケートな問題なので、本当に彼女が役に立つのかどうかは見極める必要があった。事実、踏み込み過ぎた結果、ルナは此処に戻って来てしまっているのだ。おそらくはそれ以上、その件に触れられることを嫌って。
(でも、多分私がまた上手くつつけば、ルナ様はシャルロットの元に戻るんだよな)
彼女の記憶障害とはそういうものだ。まあ、ルシェドの元に行くという線もなくはないが……
(いや、それはないか)
ルナはルシェドに興味がない。敵視もしていなければ好意も抱いていない。
おそらくルシェドの方もそうだろう。大切に扱っているのは事実でも、彼のルナに対する認識はガラスケースに入れた宝石だ。価値があるから、その価値を損なわないようにしているというだけでしかない。
(どうしたもんかな……)
少し考えて、アンナはシャルロットに乗っかる事にした。
早速、水を一口飲んでから、
「あの子の事で、悩んでいるんですか?」
と、切り出す。
こちらも初めての試みだ。基本的に『あの子』については適当に相槌をうって聞き流す事が推奨されているし、当然踏み込むことも許されてはいない。仲間同士の殺し合いも暗殺もどうでもいいから容認するルシェドが、唯一ノイン・ゼタで定めているルールがそれだった。
「……わかんない。ただ、急にね、不安になったの。あの子にはいつでも会えるのに、もしかしたら、もう会えなくなるんじゃないかって。私って、ずっとこうだったのかな?」
いつもは気にもしない自身の記憶障害を、ルナはかなり気に病んでいるようだ。
そして精神的な負荷を受けると高確率でリセットされる記憶もまだ保持している。これは、果たして偶然なのだろうか?
(そんなわけないよね。団長が干渉出来ない状況にあるからこそと見るのが自然)
つまり、今なら彼が施した記憶障害を拭う事も可能かもしれないというわけである。
「ルナ様は、御自身の記憶の問題を治したいと思いますか?」
そこに舵を切るかどうかの最終確認として、アンナは訪ねた。
数秒後、ルナは小さく頷く。
了解を得たのなら、もはや迷う理由はない。
なら、あとはどう動くべきかだが、シャルロットが出来る事をアンナがやる必要はないだろう。ヴラド周りのアプローチは任せておけばいい。
(私が取れる選択で一番有効そうなのは……やっぱり、ノイン・ゼタの威光を最大限に使う事かな)
その権威をもって、手始めにザーラッハの神子であるシャイアに接触する。
タシネルとの関係は破綻しているが、タシネルとルシェドの繋がりは表沙汰にはなっていないので、コンタクト自体は可能だろう。まあ、仮にばれていたとしても、このタイミングで『眠り姫』が無断行動しているとなれば、裏切りや仲違いを勘ぐるはず。どのみち無視されることはない。
「食事が終わったら、王宮に足を運びます。その間に記憶が飛んだとしても、行動を続行しても構いませんか?」
「うん、大丈夫。私も、忘れないように頑張るね」
「そうですね。眠らないように頑張っていただけると助かります」
そんなこんなで食事を終えて店を出たところで、左手からこちらを呼ぶ声が届けられた。
あんまりいい印象のない相手の声。無視してやろうかとも少し思ったが、それはそれで面倒な事になると思い、内心でため息をつきながら振り返る。
すると、そこには案の定、ギリアム・ローウェンハイロォの姿があった。
ノイン・ゼタの看板の一人、序列第四位の男だ。ルシェド不在時にはノイン・ゼタの運営を任せられている人物でもあるが、このタイミングでやって来た事には面倒な予感しか覚えない。
「ギリアムさん、なにか用ですか?」
「ルナ様が不在だと聞いてな、探していたところだ」
「それは徒労でしたね。見ての通り解決しました。そもそも、それは貴方の役割ではなかったと思いますけど」
「確かにその通りだ。だが今はルシェド様が不在だからな。総動員してでも当たるべき事柄だ」
「総動員って、他の人達も動かしたんですか?」
「数十名ほどだが、何か問題でもあるのか?」
「別に。ただ色々なところで面倒が起きてそうだなと思っただけですよ」
「貴様が、その最たる面倒で無ければよいがな」
細い目を更に細めて、ギリアムは言う。
「それはどういう意味ですか?」
「最近の貴様の行動には不審な点が多い。一体なにを探っている?」
「貴方には関係ないよ」
ちょっとウザったくなってきたので、丁寧語を捨てる。
残念ながらこちらの導火線は短いのだ。そして傭兵ゆえに、暴力での解決が得意。つまりはすでに臨戦状態だった。
当然、それを理解しているギリアムも苛立ちを滲ませるが、
「王宮、行かないの?」
というルナの声を前に霧散する。
「……ルナ様の邪魔をしたいなら、この不毛なやりとり続けてもやってもいいけど、どうするの?」
そう言ってやると、ギリアムはさっと背を向けて去って行った。
最後に「くれぐれも、ルシェド様を煩わせるなよ?」という、こいつそればっかだなという捨て台詞を残して。




