19/平等的欠落
ここまでは、全てユルミニエルの計画通りだった。
ただ、本番は此処からだ。圧倒的な戦力差が薄れた今、いよいよ彼等も本気で手と手を取り合ってこちらを潰しに来る。
そうなれば敗北は必至だ。まだ、それだけの戦力差がある。
「もう彼等の自滅は待てない。こちらから仕掛ける必要がある。問題は、どこに仕掛けるか」
トルクラエルの言葉には確信があった。だから、これは問いかけではない。
その先にある結論に、どうしようもない哀しさを覚えながら、ユルミニエルは答える。
「アルドグノーゼと善戦さえ出来れば、彼等はまた愚かになるだろう。最有力候補を誰もが落としたいと考えているから」
つまり、否応なく漁夫の利が発生する。
でなければ彼等もまた勝てないからだ。その混沌こそが唯一の勝機。
今の戦力では夢物語だ。だからこそ、トルクラエルは躊躇なく自身の心臓を取り出した。
「戦いは貴女の方が強い。どうか、世界を救ってくれ」
「……ええ、承ったわ」
心臓を受け取り、それを自身の胸に押しいれて、融合する。
力の全てを遺憾なく手にするこの方法は、トルクラエルの全てを溶かす。即ち、彼という精神の完全消滅だ。
永遠に近い時を一緒に生きてきた半身との別れ。
全身に広がっていく彼の魔力と力が、自分のものと正しく同期していくのを感じながら、ユルミニエルは静かに涙を流す。
喪失の重さを、そこで自覚した。……幸せな悲しみだ。
「……また、会いましょうね。儀式を手にして、全てを取り戻した、その時に」
涙を拭いながらそう呟き、ユルミニエルは星舟の舵をルウォ帝国へと向けて切った。
おそらくは勝てない。その変わらぬ絶対的不利を受け入れながらも、一切の躊躇いを捨てて。
§
「状況はどうなっておる?」
マウロの元に戻ってきたリズが、開口一番に訪ねてきた。
「予定通りです。アブロイ様がルプテを生贄に差しだし、こちらの儀式の準備は完了しました」
「そしてスロウの権能は地に落ちたか」
「はい、おかげで優位な条件であの方との契約を進められるようになった。あとは侵略者をどうするかですが――」
「理想的な三つ巴じゃ。最善の悪には感謝せねばな」
こちらの言葉を遮って、リズは古くからあることわざを口にした。
悪とは弱者の意。そして弱者が勝つにはけして愚は犯せない。ゆえに、強者である正義はそれを考慮して対処しなければ足元を掬われる。それが最善の悪ということわざの意味である。
皮肉なのは、その愚を犯しているのが凡人ではなく神子だという点だろうか。
「やや他力本願が多めだった気もしますが……いえ、それも込みでの最善ですね」
今はちょうどアルドグノーゼが表に出ている時期だという事を思いだし、マウロは頷いた。
「判りました。では、これよりモルガナを戦場から除外します」
§
モルガナ・レッテンハイネはルウォに偏執的な恋慕を抱いているが、アルドグノーゼとは非常に不仲だ。
それは到るところで散見されており、信憑性が高い情報だった。
もちろんルウォとアルドグノーゼは運命共同体なので、彼等が窮地に立たされたら味方するだろうが、そうなるまでは傍観を決め込む筈だ。その間に、関与できない状況を作ってしまえば、三つ巴による均衡状態は完成する。
そこで重要となってくるのは彼女のメンタルだ。モルガナは躁鬱傾向が強い気分屋で、場合によっては非常にコントロールが難しい。
(一体、どうするのが安全か……)
考えながら、マウロは彼女の私室の前で足を止めた。
リズの助力は期待できない。彼女はまた知識の収集に戻ってしまっていた。まあ、いつもの事といえばいつもの事なので、これは問題ではないが。
「モルガナ様、少しお話したい事があるのですが」
ドアをノックし声を掛ける。
出てきたのは当然モルガナ……だが、普段の彼女とは大きく異なり、露出の極めて少ない格好だった。
「なにか用か?」
口調もずいぶんと違う。
それで理解した。今、自分の目の前にいるのは彼女の契約者であるフェルスガリアだ。
「助成を期待しているのなら諦めろ。彼女は貴様の主に興味などない」
ずいぶんと冷たいトーン。言葉以上に拒絶的だった。
「それは、貴方様だけの言葉ではないのですか?」
「無価値極まりない杞憂に対する、一般的な応答だ」
「たしかに、アルドグノーゼ様が遅れを取るなど考えられません。しかし、可能性がゼロではない以上最善を尽くすというのが、私の使命ですので」
「哀れな駒だな。いっそ、今此処で死なせてやろうか?」
彼女の口から、老人の声が響いた。
表に出てくるつもりなのか。
「力を揮えば、さすがにモルガナ様が気付くのではありませんか?」
「仮にそうだとしても貴様如きの死を気にする理由はない。どこにもな」
「たしかに、そうかもしれませんね。私がアルドグノーゼ様の部下でしかない存在だったのならば、ですが」
「……小賢しいな」
フェルスガリアが微かに目を細めた。
言葉の真意を吟味しているといったところだろうか。ルウォがどの程度絡んでいるのか次第では、安易な選択は取れない。そんな感じである。
(どうやら、モルガナを第一に考えているのは間違いなさそうだな。けれど、主の想い人であるルウォに対してもあまりいい感情は持っていない、か)
即座に殺意を引っ込めるのではなく、少し迷ったような間があったのがその証拠だ。
だとしたら、彼はこちらの思惑に率先して乗ってくれるかもしれない。
(どういう口実を用意するのが正解かな?)
アルドグノーゼの為にという建前が必要なので、出来れば彼の方から話を展開してくれると有難いが……
「いずれにしても、彼女は今動けない」
淡々とした口調で、フェルスガリアは言う。
それで話が終わりなら、そのまま部屋に戻っていただろう。だが彼はこちらを冷たく見据えたまま、こちらの反応を待っていて、
「何故ですか?」
その期待に応えるように、マウロは訪ねた。
「儀式の前の最終調整を行っているからだ。当然、彼女も参加者だからな」
「つまり、最後にはアルドグノーゼ様に牙を剥くと?」
「それは誰もがそうだろう。奴に儀式を与えるなど、誰も望んではいない」
「聞き捨てなりませんね」
「では、その耳を潰してやろう」
瞬間、両耳の鼓膜が破れた。
ドロドロと血が溢れだし、首筋を伝って垂れていく。
「……ずいぶんと、乱暴を好む方なのですね。モルガナ様越しの印象とはまるで違う」
痛みを抱えながら、マウロはなんとか柔和な笑みを浮かべてみせた。
「当然だろう? 貴様は路傍の石にも配慮をするのか?」
「アルドグノーゼ様への配慮はするでしょう? そして私はあの方の駒だ。ただの石ではない」
唇の動きで言葉を読み、堂々たる態度で言い放ってやる。
「御目出度い頭だが……いいだろう。では、貴様に一つ機会を与える。駒遊びだ。それでもし私に勝つことが出来たら、そうだな、貴様の要求に答えなくもない」
やはり、彼もそれを望んでいたようだ。
ならばとマウロは不正の類が使えないように外の情報が一切届かない世界を要求し、思惑が一致していたフェルスガリアを数日間、閉じ込める事に成功した。
§
「……とりあえず、復旧完了だな」
ふぅ、とアブロイが息を吐いた。
それに対して、傍らにいたチュルは遙かに大きなため息を返して、
「めっ、ちゃくちゃかかったな、おい! 何日此処に使ったよ?」
「勝負が決する前に間に合ったのなら問題はない」
「オレの精神はずいぶんとすり減ったけどな。昨日の憂さ晴らしがなかったらヤバかったってくらいには。……てか、実際ここってなんなんだ?」
海底に埋もれていた、図書館ほど大きな匣。
中には一冊の本のカタチをした情報端末と、椅子が一つ。吃驚するくらいのシンプルさだ。まあ、二人きりというこのシチュエーションにおいては悪くもないが。
「今頃そんなことが気になったのか?」
「今じゃなかったから無視してただろう? てめぇ。だから今まで待ってやってたんだよ」
「……ふむ、さすがは私の契約者だな。確かにその通りだ。調べ物の邪魔をされることほど不快な事もないしな。私の事をよく判っている」
「……いいから、早く答えろよ」
「しかめっ面なのに声は弱い。そちらの感情も大変だな。まあいい。ここは、外敵からこの世界を守ってくれていた原初の一柱たるレティソラエールの書庫。いわば彼女のもう一つの脳だ」
「つまりバックアップって事か。どの程度保管されてたんだ?」
「六割程度だ。残りの四割は永遠に失われてしまった。ただ、こちらが求めていた情報については問題ない」
「外神の情報か。当然、オレが行くもんだとばかり思ってたサラヴェディカよりも詳細なんだよな?」
「無論だ。サラヴェディカの有している知識というものは結局、原液を薄めたようなものでしかないからな」
「で、その原液が此処ってわけか。いつ発見されたんだ?」
「さてな。それはリズに訊いてみないと判らない」
「その物言い。てめぇ、相当昔から知ってたな? なんでこの時期に掘り起こす事になったんだよ?」
「この場所の再起動には、侵略者の存在が必要だったからだ」
「あぁ、なるほどな。まあ、納得ではあるが…………ユルミニエルにトルクラエル、それが侵略者の親玉共の名前か。それくらいはサラヴェディカも把握してそうだが、『不可侵領域への侵食』に『色格の強化』『融合』そして『切取』か。魔力の波形からここまで正確に所有している魔法にまで辿りつくとはな。さすがは原初の守護神が遺したシステムってところか」
端末を操作して、チュルも必要になりそうな知識を仕入れていく。
ただ、本命の一つだった情報は見つからなかった。外神の契約者であろうルシェド・オルトロージュに纏わる情報だ。
「不自然なくらいになにもねぇな。滞在許可すらない。今それをもってるのは、アルタ・イレスの一柱のみ。これって、改竄されてるって事だよな?」
「だろうな。まあ、なんにせよ、これでルシェド・オルトロージュの魔法の強度はある程度把握することが出来た」
「?」
「以前、サラヴェディカからも情報を買っていてな。滞在履歴にはノイン・ゼタという名前が載っていた。だが、その情報の大本であるレティソラエールには載っていない。つまり、サラヴェディカは干渉を受けたが、レティソラエールは干渉を受けなかったという事だ。そのラインが奴の魔法の強制力という事になる」
「なるほど、つまりオレたちにも十分通じる魔法って事か。……なぁ、もしかして、今もなにか喰らってんのか?」
「喰らっていた、が正解だろう。でなければその思考は発生しない」
「それもこの場所の恩恵ってわけか」
「レティソラエールの魔法は全てを零にすること。あらゆる特性の無力化だ。おそらく、この書庫の外壁にもその魔法は施されている。あの『最疫』の炎からだけでなく、こんなところでも彼女は我々を助けてくれているというわけだ。胸が痛むことにな。……まあ、それはともかく、非常に不味い状況だ。あげく、不味い事に気付けたのが幸いとも言えない段階でもあるな」
「どういう意味だ? 具体的に話せ」
「この三つ巴の状況。奴等の狙い。上手く行くと思うか?」
「侵略者が善戦出来ればいいんだから、別にそこまで難しい条件じゃ――」
と、そこで当たり前のようにルシェド・オルトロージュという脅威が頭に過ぎった。
『最疫』と同じくらいに異質極まりない、本来なら見落とす事などあり得ない存在。
「そうだ。アルドグノーゼを落としたところでルシェドと『眠り姫』がいる。三つ巴の構図になってしまった時点で勝者は奴だ。潰しあって疲弊した死に体を討つだけでいいんだからな。にも拘らず、どの陣営もそれを危惧していない。アルドグノーゼさえ潰してしまえば儀式の勝者になれる可能性があると信じてしまっている。奴以上かもしれない化物が高みの見物をしているというのに、だ」
ため息を零したところで、新しい情報が入ってきた。
ユルミニエルがルウォへの侵攻を開始したのだ。マウロが上手くやったのか、モルガナは不在。
「どうするんだ?」
「もはや見守るしかないだろう。最後までな」
「……で、その最後になったら?」
「無論、仕掛けるさ。おそらく、そこが唯一の勝機だからな。私たち以外にも、それが出来るものが居てくれればよいが」
珍しいどころか初めて目の当たりにする悲壮な表情と共に呟きながら、アブロイは決戦の場を映しだした。




