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君>世界   作者: 雪ノ雪
第六章『最善の悪』
81/114

18/暴露

 ……完全に見落としていた。

 それは、誰かの魔法干渉によって起こされるものだとばかり思っていた。

 最悪の光景。

「…………え?」

 自身を見上げる孫娘の生首を前に、母親である女性の時間が止まる。

 その隙を逃すことなく、オルガは彼女の側面に立ち、剣を振り抜いた。

 これも間に合わない。また一人死ぬ。

 立て続けの惨劇に、思わず目を逸らしそうになる。

 が、それより先に、鈍く硬い衝突音がホールに響き渡った。

 母親の影が本体を守るように飛び出して、オルガの一撃を防いだのだ。と同時に、オルガ自身の影からぬるりと見知った人物が姿を現して、

「少し見ない間に、貴方もずいぶんと惨めに落ちたものね。お師匠様」

 冷ややかな嘲笑と共に、オルガの腹から意匠の凝られたナイフが顔をだした。

 そのまま足を払って転倒させ片腕を掴んで拘束する流れだったようだが、オルガも歴戦の騎士だっただけあり、即座に前方に飛び退いて振り返る。

 振り返って、その目を大きく見開いた。

「……レナリア、なぜ、ここにいる?」

「そんな事よりも、貴方の凶行の方がよほど多くの者にとって気になることでしょう? 違うかしら?」

 周囲を見渡して、レナリアは小さく微笑み、

「口にはしたくない? では、私が代わりに答えてあげましょう。どうしてこのような事をしたのか。まあ、そんなこと、少しでも頭が回るなら聞かなくても判る事だと思うけれど。貴方が殺すのが一番優しい結末だったから、貴方はそれを選んだ。そうよね? そして、仮にもこの国の将軍を務めたほどの実力者だった貴方を相手に、それ以外の選択を与えない存在なんて神子以外ありえない。……あぁ、でも、それでもまさか、本当に殺そうとするなんてね。つくづく、この国の人間は気色が悪い」

 滲み出た殺気と共に影が一直線に伸びて、結界を作っていた商人風の男の脳天を顎から貫いた。

 影はそれを空高くに投げ飛ばし、血の雨をホールに振らせる。

 多くの悲鳴が上がり、七割ほどの人が我先に逃げ出した。だが、それは無意味だ。結界はまだ生きている。

(魔法自体に魂を込めていたようだな。この分だと、数分は維持されそうだ。神子がここの始末をつけるには、十分な時間だな)

 つまり、商人風の男の死も、初めから織り込み済みだったというわけである。

「それも捨て駒か。相変わらずね」

 感情のない声でレナリアが呟く。

 そんな彼女にオルガは剣を向け、全身に魔力を込めて、腰を低く落とした。臨戦態勢だ。溢れ出る魔力は、老いを一切感じさせないほどに猛々しい。

 でも、相手が悪すぎる。

「致命傷は外してあげたけれど、重症よ。そもそも万全であっても相手にはならない。それでも、やるつもり? そして、もう一度孫娘を殺めるのかしら?」

 つまらなげに言葉を並べつつ、レナリアは影の中から幼い少女を取り出して、その首に腕を回して盾にした。

 オルガの表情が驚愕に強張る。その様を確認しつつ、シャルロットは咄嗟に首が転がっていた場所に視線を向けて、それが黒くドロドロに溶けて消えていく様を目撃した。

 いつすり替えたのか不明だが、おそらく足元の隠匿の魔法を上手く利用したのだろう。おかげで、オルガはまだ決定的な選択を取っていない状況に戻る事が出来たわけだ。

「お、お爺様、た、助けて……!」

 事態をなにも理解出来ていない少女が、当然のように祖父に手を伸ばす。

 その光景を前に、オルガは手にしていた刀を手放した。

「……なにが、望みだ?」

「私は今、エンシェに身を置いている。それで十分伝わるでしょう? ついでに、貴方にもう一度機会を与えてやっているのよ。家族を取るか、国を取るかのね」

どこまでも昏い眼差しを向けながら、レナリアは少女の拘束をほどいた。

「……」

 強力な魔力を浴びた事と、あまりにショッキングな光景を目の当たりにした所為でだろう、気を失ってしまった実の娘と、そんな彼女のもとに駆け寄って「お母さま、お母さま」と弱々しく揺さぶる孫娘を見やり、オルガは歯を食いしばり、身体を震わせる。

「残念だけど、葛藤している時間はないわよ。早く選んだ方が良い。もう、すぐにでも神子が戻ってくるのだから」

 そして彼が戻ってくれば、オルガの代わりに屋敷内の人間を皆殺しにするのだろう。あとはオルガを喋れない状態で生かせば目的は達成だ。都市魔法陣が機能している限りは、そのような杜撰もまかり通る。

(結果的には理想的な展開だな。少なくとも貴様にとってはだが。……しかし、問題はこのあとだ)

 マヌラカルタが微かに目を細めるヴィジョンが、脳裏に浮かんだ。

 嫌な共有だ。その事実に眉を顰めつつ、シャルロットもまたその先に思考を巡らせる。

 レナリアはこのあと、どのような展開に持っていくつもりなのか……

「……勝算は、あるのか?」

 誘惑に怯える声で、オルガが訪ねる。

「あの愚か者には、再び神の鉄槌が下されるでしょう。最も致命的な形でね」

 堂々たる佇まいで、レナリアは言った。エンシェの神子がこの件に介入することを示唆したのだ。前例もあるので、ブラフの線は薄いだろう。

「……私に出来る事など、もはや知れているぞ?」

「説明責任さえ果たしてくれれば、それで十分よ。ええ、きっとね」

 と、そこでレナリアは不意に視線を周囲に流し――一瞬、こちらと目が合った。

 まさか気付かれた? それとも、たまたま動かした視線の先に自分がいただけなのか? 答えは判らない。

 ただ、警戒は緩めない方がいいだろう。

「……わかった。全てを話そう」

 短く重たい息を吐いてから、オルガが沈んだ表情で決意の一言を零す。

 そのタイミングで、

(……リグチラさん、聞こえている?)

 と、シャルロットは共有を済ませている彼女に声を掛けた。

(始めるのか?)

(ええ、お願いします)

 オルガが滔々と此処に至った過程を語る裏側で、都市魔方陣の解体が始まる。

 下準備はおおよそ済んでいるので、完了はすぐだ。

 効果のほどは、オルガの話を聞く人たちの表情を見れば明らかだった。

 誰もが彼の話を真剣に聞いている。洗脳が解除されていなければ、こんな反応はしない。悪魔の戯言、狂人の他責と一蹴し、憐れみと侮蔑と憎悪を吐き捨てるだけだった筈だ。

(――来るぞ。道を開く。貴様も撤退の準備をしておけ)

 ロロントの声が届いた直後、玄関の扉が開かれてユーリッヒが戻って来た。

 結果はまだ残っているが、彼には機能しないようだ。きっと敵味方の識別も設定されていたのだろう。

「これは、一体どういう事だ?」

 糾弾するように、ユーリッヒがオルガを睨みつけた。

 必要最低限の暴露はもう済ませたオルガは、吹き荒れた神子の魔力に顔を歪めながらも、憎悪をもって睨み返す。

「……見ての通りだ。人柱になってやる理由が、なくなったのでな」

「戯言を。そのような事が、本当に許されると思っているのか?」

 ユーリッヒの上方に、複数の光の球体が生成されていく。短絡的な行動だ。おかげでオルガの発言の信憑性が決定的なものになった。

 もう此処に居る全ての客人が、人柱のからくりと自分たちもその生贄にされているという現実を受け入れた事だろう。

(制止をしなかったところを見るに、第二天使様は皆殺しに切り替えたようだな。だが、これも見積もりが甘い)

 嘲りに満ちたマヌラカルタの呟きと共に、屋敷のいたるところから爆発音が鳴り響いた。そこら中の壁と結界が破壊されたのだ。

「早く逃げろ! 此処に居たら殺されるぞ!」

 発生場所が判らないロロントの声が、生贄たちの背中を突き飛ばす。

 それが引き金となって、彼らは散り散りに逃げ出した。

「だから、誰がそんなことを許――っ!」

 周囲を閉鎖する結界を展開しようとしたユーリッヒの側面から迫った影が、その魔法を中断させる。

「直撃させてこの程度か。相変わらず出力と強度だけは規格外ね。まあ、それ以外は凡百もいいところだけれど」

 こめかみから血を流す神子を前に、レナリアがうんざりしたような吐息を零した。

 その血が地面に落ちるよりも早く、衝動のままに引き金を引こうとしたユーリッヒを、零れ落ちていく血に宿った魔力から顕現したルプテが制す。

「優先順位を違えてはいけませんよ。さあ、早く結界を」

「……あぁ、わかったよ」

 憎悪を無理やり胸にしまい、ユーリッヒが言われた通りに結界を再構築させていく。しかし、精神の乱れが原因か、すぐには成立しない。

 その間に、何人かは屋敷の外に出る事が出来たようだ。

 ルプテもそれに気づいたようだが、外に出た者の始末に移行するより先にレナリアが次の行動に出た。自身の影を四方に広げて、そこから空間操作の魔石をばら撒いたのだ。

 開かれた空間の先はどれもバラバラで、一網打尽にするのは難しそうだった。

(……殺気を仕舞ったな。こちらの仕掛けに気付いたか、それとも口封じが難しいようなら、ここでの虐殺はマイナスでしかないと判断したか。或いはその両方か。まさかまさかだが、貴様はそれが判って悠長に見物人をしていたのか?)

 頭の中にマヌラカルタの嫌味が響く。

 その通りだと言えたら格好良かったんだろうけれど、残念ながらそうでなかった。レナリアの動向が気になって仕方がなかったというだけだ。まあ、一応とはいえリーダーである自分が、ロロントよりも先に撤退するわけにはいかないという思いもあったりはしたが。

(まあ、なんにしても、手遅れだがな)

 くつくつと、不死の悪魔がいやらしく嗤う。

 嗤ったところで、ユーリッヒが閃光を解き放った。

 逃げられたら不味いという最初の認識のままに、皆殺しに踏み切ったのだ。

「――っ、ユーリッヒ!」

「大丈夫、心配しなくても、空間への対応ももうすぐ終わる。何匹かは逃がす事になるけれど、補足はもう出来てるんだし。あとで始末すればいい。そうでしょう?」

「そうね、それでどうとでもなるのがこの国、だった」

 いっそ憐れみを滲ませた表情で、レナリアが言った。

 どうやら彼女はこちらの仕掛けに気付いているようだ。そして、ルプテもその過去形で確信したのか、身体をわずかに強張らせた。

「見限るには、ちょうどいい日になったわね」

 そう言って、レナリアは懐からまた空間操作の魔石を一つ取り出して、それをオルガの前に放り投げた。他の魔石とは違う長距離用の特注品だ。

「……死ぬなよ」

 短くそう告げて、オルガは娘と孫を慎重に抱き上げて、開かれた空間の中へと飛び込んだ。

 そこに邪魔が入らなかったのは、ユーリッヒの射線にレナリア自身が割って入り、右手に集中させた死陰の魔法をもって閃光を相殺していたからだ。

 といっても、出力の差から完全にとはいかなかったようで、彼女の右手からは血の煙が立ち込めていた。

 けれど、その表情はどこか嬉しそうで、

「愚問ね。私がこんなところで死ぬはずないでしょう? あとは任せて帰るだけなのだから。――ねぇ?」

「くっ!?」

 やはり偶然目が合ったわけではなかったようだ。

 向けられた視線と共に迫った影の中から漆黒の槍が飛び出し、そこに宿されていた死陰の魔法が、シャルロットの変身を解除した。

 こちらにはまったく気付いていなかったのか、ユーリッヒはもとより、ルプテも驚きに目を見開く。

 その隙に、レナリアは悠々と影の中に沈んで、開かれていた空間の中へと消えていった。

(一気に最悪の展開だな)

(……その割には、愉しそうだね?)

(耳を澄ましてみろ、今此処で行われた事が無事に宣伝されて、神への信仰が折れる音で溢れている。これほど愉快なものもないだろう)

 くつくつとマヌラカルタは笑い声をあげる。

(クリスエレスとの同盟関係も終わったけどね)

 裏工作が露見したのだ。しかも、首謀者が組織のリーダーなのだから、部下が勝手にやったとか、そういう下手くそな言い訳すら出来ない始末なのである。

(愚か者が、なにを言っている? ここでユーリッヒが死ねば、それこそ関係を失えなくなるのはクリスエレスだ。私を正しく使えば、あの傭兵二人で十分スロウは処理できるうえに、弱体化の情報も有しているのだからな。他の勢力と組むには力がなさすぎる。いいように使い潰されて終わりだ。それでもまだ交渉の余地がある我々以外にはな。……まあ、懸念がないわけでもないが、現時点ではその認識でいい。いずれにしてもここが正念場だ。私の魔力の扱いも多少はマシになってきたようだしな。不死の強度を最大まで抑えて、貴様の火力にあてる。それでなんとか時間を稼げ)

 言葉通りにマヌラカルタの魔力が一気に流れてきた。ユーリッヒほどではないが、今までの比ではないほどの力が込み上げてくる。

 どうして異世界の侵略者と対峙した時にこの力をかしてくれなかったのか、と一瞬思ったが、

(得体のしれない外神を相手に不死性を落とせるわけがないだろう? 貴様との繋がりを失えば、私はまたふりだしなのだからな。過保護になるのは当然だ)

 という、もっともな答えが返ってきた。

(それより集中しろ。来るぞ)

 その忠告の通り、ユーリッヒが仕掛けてきた。

 扱う魔法は奇しくも同じ『太陽』。

 白銀の閃光が衝突し、弾けた光の線が周囲を破壊しつくす。

「忌々しい悪魔憑きが! 今度こそ法の裁きを受けるがいい!」

 続けてユーリッヒが放ったのはルプテの魔法だ。なにかしらの法則を閃光に付加して均衡を一瞬で崩してくる。

 避ける事など出来る筈もなく、頭部が吹き飛ばされた。

 普通の生物なら即死だ。

 だからこそ、シャルロットはその傷を一瞬で元に戻す。

「弱いな。一人を殺すために威力に特化させ、あげくこの国の罪人に強いる事ができる処刑の『法』を付与した太陽の魔法をもって、この程度か? これでアブロイの対とはな。……あぁ、だから人間の女などに奪われ決別する事になったのか。魅力のない女は」

 影から顔を出したマヌラカルタが、悪意に満ち満ちた笑顔と共に精神攻撃を始める。

 ルプテはスルーだ。だが、ユーリッヒの方はそれを無視できない。

 黙れと告げるように、激しい閃光が乱発される。

 回避を試みるが三度死んだ。そして死ぬと同時に三度復活する。瞬き一つで元通りだ。即死級の攻撃のおかげで痛みも残らないのも幸いだった。

「まさか、それが限界か? もっと出力を上げろ。魔力の純度を高めてみせろ。出来ないのか? まったく酷い契約者だな。全ての面でチュル・ウルフェンファングに劣っている。なぁ、ルプテよ、どうしてこんな奴を選んだ? 自棄にしても無様過ぎないか? それとも才なき愚者の方が扱いやすいと踏んでの事か? だが、愚かすぎるとそれはそれで邪魔にしかならないと思うのだがな」

「言わせておけば、貴様っ!」

「落ち着きなさい。ただの悪魔の戯言です。耳を傾ける価値などどこにもない」

 自身を守る防御結界の魔力を攻撃に回そうとしたユーリッヒを後ろから抱きしめながら、ルプテが言った。優しい口調だが、こちらを視るその眼は酷く醒めている。表情と声のギャップが凄かった。

「なにか一つでも証明出来るのなら、そうだろうな。惨めな負け犬女」

「――跡形もなく消し去ってやる!」

 防御用に身体に纏っていた魔力も攻撃に回して、ユーリッヒの猛攻が始まった。

 一度や二度三度で死なないのなら、死ぬまで殺すという意志だ。

 周りの事などもはや何も考えずに、閃光が乱れ飛ぶ。巻き添えを喰らって逃げ遅れていた何人かが死ぬ。

「良いのか? 大事な臣民が死んでいるぞ?」

「それがどうした?」

「冷たい反応だな。いくら元々今日死ぬ生贄だったとはいえ、憐憫の情くらいは見せたらどうだ?」

 くすくすといやらしい笑い声を漏らしながら、マヌラカルタは言う。

 言いながら、

(もうその出力にも慣れてきただろう? そろそろ反撃開始だ。ルプテを狙え。あの愚かな子供の頭を沸騰させ続けろ)

 意識が生死の境を言ったり来たりしているシャルロットに、そんな指示が飛んできた。

 言われるがままというのも複雑だけど、実際その手は有効だろう。

 ユーリッヒの側面と背後に魔力を静かに集め、そこからルプテを狙って閃光を放つ。

 当然防がれるが、自分など眼中にないと感じたユーリッヒはさらに攻撃を加速させて、魔力と肉体を消耗させていていく。

 そんな彼に、ルプテの声はもう届いていない。アブロイ、そしてチュルに纏わる内容だったことがその大きな要因だとは思うが、それ以上に死んでも喋りつづける悪意に呑みこまれたというのが大きそうだった。

 その状態がこれ以上続くのは流石に危険と判断したのか、

「主導権の譲渡を要請。意識の強制遮断を開始」

「――っ、ルプテ!?」

 驚愕の途中でユーリッヒが白目を剥き、脱力する。

 だが、そのまま崩れる事はなく、ルプテが右手を動かせば同じように右手を動かし、彼女が足を前に出せば同じように足を前に出した。

 どうやら、力を自分一人にまとめるのではなく、自分の動きを完全にトレースする分身として扱うつもりのようだ。

 前者を選ばなかったのは、器にこれ以上の負担がかかることを嫌ってか、それとも自陣内ではどのみちこれ以上の出力は揮えないという認識からか。

 まあ、なんにしても、ユーリッヒという足手まといがいなくなった事で、ルプテは存分にその力を――

「――貴女も十分粗悪ね」

 揮う前に、背後からの奇襲を受けた。

 離脱したように見せて、レナリアはまだこの屋敷の中に留まっていたのだ。転がる死体の影に潜んで、そこから黒い糸をユーリッヒの首筋に伸ばしていた。

 それに触れた瞬間、彼の体中に赤く輝く文字が広がる。

(本体はいないようだが、これはアブロイの魔法だな。……自殺の罪か)

 ルプテが法においての『罰』を司るのなら、対の天使であるアブロイは『罪』を司る。そして両者の魔法は、自身が今立っている社会の『法』を参照に機能する。

 クリスエレスにおいて、神の所有物である命を勝手に捨てるという行為は重罪だ。アブロイの魔法はその行為の罪深さを導くべき民に教えるために発露させる。そして、特殊な手順を踏む魔法というのは、得てして高い強制力をもつものだ。

 その強制力が、ユーリッヒの意識を強制的に戻した、という事らしい。

 急に頭に入って来たマヌラカルタの情報に混乱しつつも事態を見守っていると、感情的になって指示を聞かなかった事を反省してか、ユーリッヒがルプテに謝罪の言葉を並べ始めた。

 そこには、敬愛と嫌われる事への畏れが多分に含まれていて……しかし、そんな彼にルプテは言った。

「貴方が謝る必要はありません。私も間違えました。人間の可能性を選んではみましたが、やはり中身は殺しておくべきだった」

「……え? ルプ、テ?」

 そこで、罪の魔法が全身に行き届いたようだ。

 ユーリッヒは腰に掛けていた剣を抜き、その切っ先を腹部に押し当てて、

「は? 待って、どうして――」

 自分が何をされたのかも理解できないままに、根元まで突き立てた。

 さらに手首をひねり傷口を広げる。

 致命傷だ。だが、すぐには死ねない。

 両膝をつき、上半身を前のめりに倒しながら、ユーリッヒは血反吐をはく。涙を流し、呻き声を上げながら、彼は歯を食いしばってルプテを見上げる。

 だが、彼女の眼にはもう、自身の半身の姿は映されていなかった。

 彼女は、今度こそ完全な離脱を果たしたレナリアがいた場所を見つめながら、思案するように口元に手をあてて、

「……なるほど、想定よりも少なかったのですね。二つでは足りなかった、と。たしかにその懸念はありました。それなら、まあ、良いでしょう。許してあげますよ、アブロイ」

 最後にそんな言葉を残して、ユーリッヒの死と共に光の粒子となって消えた。

 なんとも後味の悪い幕引き。

 神は契約した人を、みんなこんな風に見ているのだろうか? もしかしたらリリスも? そんな事はないと思いながらも、不安は拭えなかった。

「さて、これで障害は全て排除された。上々だな。さっさと退散するぞ」

 そう言って、影から出てきた幼い姿のマヌラカルタが、すたすたと玄関口へと歩き出す。

 そのあとを追いかけて外に出て空を見上げると、あちこちに屋敷で行われたいた惨劇の映像が、大音量で垂れ流されていた。

 騎士団が総動員で、建物の屋根の上に設置されたプロジェクター用の魔石の回収に動いているが、事態の鎮静化にはまだまだ時間がかかりそうだ。

「……」

 混乱を叩き込まれた地上には、様々な感情が入り乱れている。

 不安に猜疑に怒りに否定に嫌悪に、あとはなんだろう、好奇心を孕んだ微かな喜びだろうか。

 洗脳が施されていた数分前なら、きっと全ては天使を貶めようとする何者かの悪意に対する怒りだけだっただろうに、凄い変化だ。

 その真っ当さを、マヌラカルタは目を細め心地よさそうに聴いている。よほど天使に打撃を与えられた事が嬉しいようだ。

 そんな不死の魔神は、不意にこちらに視線を向け、

「つまらない表情だな。憎悪を晴らす事以上に幸福なことなど、この世界にはないというのに。くく、ふふ、あははははははは!」

 と、薄っぺらい優等生ぶりを心底軽蔑するように腹を抱えて嗤ってみせてから、少し長めの息を吐いて、恍惚を孕んだ声で呟いた。

「それにしても、頭上の敵はそっちのけで、仲違いばかりだな、我々は。まったく、傲慢すぎて反吐が出る。最高に滑稽だよ」


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