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君>世界   作者: 雪ノ雪
第六章『最善の悪』
80/114

17/涙の理由

「お父様」

 オルガの元に娘がやって来たのは、孫娘の誕生日を明日に控えた夜の事だった。

 武人として知られ厳格な印象が強い彼だが、その本質は子煩悩であり、孫が大好きなどこにでもいる老人だ。

「最近、お忙しそうですけど、明日は来られますか?」

「……あぁ、問題ない」

「良かった。あの子もお父様にずっと会いたがっていたんですよ。剣術を教わるんだって」

「そうか……」

「なにか、あったのですか?」

 様子に違和感を覚えた娘が問う。

「なんでもない。たしかに最近忙しかったからな。しばらく、休養するのも悪くはないかもしれないと、考えていただけだ」

「そう、ですか。それは良い案ですね」

 嘘をつかれている事に気付きながらも、娘は笑顔を返す。

 そうして夫が待つ家へと帰っていった娘の気配が完全に感知範囲外に出たところで、オルガは剣を手に取り、素振りを始めた。

 現役を引退してからも剣を握らなかった日はないが、そこにあった鬼気は、おおよそ戦場ですら発揮する事がないほどに凄まじいもので――

「……」

 一際鋭い一撃と共に、オルガはその瞳から涙を流した。


                §


『こちらの配置は完了した。そちらの方はどうかな?』

 通信石からリグチラの声が届く。

「予定されていた招待客の殆どはもう入ったよ」

 屋根の上に陣取ったシャルロットの視線の先には、オルガの娘と結婚した貴族の豪邸があった。

 今は光に干渉して透明化してるので、こちらが視認される事はない。

『ユーリッヒは?』

「もう中に居る」

『声が強張っているな。過度な緊張を感じる』

 その理由は、父の存在にあった。

 ユーリッヒの付き人として、彼も招かれていたのだ。

『……ふむ、そうだな、ここで一度、不備がないよう状況と作戦の確認をしておこうか』

 よほど平常時とかけ離れていると思われたのか、リグチラはそんな事を言った。

 まあ、実際意識がそれに囚われ過ぎている自覚はあるので、ありがたい提案だ。

「うん、お願い」

『手にした情報によれば、オルガは血縁者をこの誕生パーティで皆殺しにし、さらに過半数の招待客を手に掛ける事となっている。おそらく前の生贄に自身の妻子を殺させた傀儡の魔法によってね。最後は適当な理由で席を外していたユーリッヒが戻り次第無力化し、神子の力を知らしめて終わり。そうなれば、彼はめでたく次の人柱だ。穢れは全てその一点に押しつけられ、この国の秩序は再び高い水準を取り戻すだろう。だが、もしこれが明るみになれば、それらの算段は台無しとなる』

「ただし、仮にそれを引き起こせたとしても、この都市の地下に敷かれている魔法陣によってそのリスクは極端に抑えられている。だからこそ、魔法陣を書き換える必要があるんだよね」

『あぁ、天秤を用いてそこに設けられている保険を限定し、解の特性を用いてこの国の人間にかけられているロックを解除する。簡単な仕事だ。むしろ、重要なのはそちらの行動となるだろう。不測が多いのもそちらとなる筈だ。まずは屋敷の仕込みの確認をし、オルガを操るであろう第三者を見つけ証拠の一つにする。望ましいのは二人か三人ほど彼が殺した後だが……まあ、その辺りの判断は貴女に任せようか。やりようによっては、戦力を一つ手に入れる事も出来るわけだしね。では、臨機応変な()()に期待しているよ』

 実にリグチラらしい冷酷さを残しながら、通信が途切れた。作戦開始の時間になったのだ。

 屋根から降りて、物陰で透明化を解く。

 解いた先にあるのは招待客の一人の姿だ。リグチラの魔法によって、シャルロットは今貴族の青年になっていた。

 ゆっくりとした歩調で屋敷に向かい、門番に招待状を差し出す。

 ちょうどそのタイミングで、もう一人の招待客がやってきた。身形からして明らかに貴族ではない。裕福な商人というわけでもなさそうだ。

 こういった客は、他にも何人かいた。他国の商人なんかもいる。かなり幅広い人選だ。

 惨劇をそれだけ多くの人間に伝播させるために選ばれたのだろう。あまりの不快感に、吐き気を催しそうだった。

 それを何とか表に出さないようにしつつ中に入り、パーティー会場を見て回る。

 まず確認する必要があるのはユーリッヒとダノラウトの位置だ。

 今、彼等は主賓であるオルガの孫娘に祝辞を述べている。恐縮する母親を真似てか、孫娘の方はぺこぺこと頭を下げていた。

 それを、ダノラウトもユーリッヒも微笑ましく見守っている様子だ。でも、彼等がこの後に起きる事を、知らないわけがないのである。

(……落ちつけ、冷静に、冷静に)

 込み上げてきた怒りを抑えながら、彼等から視線を逸らす。

 下手な事をして気付かれたら本末転倒だ。

 予定通り、次はトイレに向かう。

 今回のパーティーに合わせて用意された男子用のトイレには先客が居て、手を洗っていた彼はこちらを横目に見ると、

「二十秒の遅刻だな」

 と、独白するように零した。

「ご、ごめんなさい」

「言葉遣いも改めろ。まあ、そもそも喋る機会を作らないのが正解だがな」

 そう言った男は初めて見る顔だが、中に誰が入っているのかは判っている。ロロントだ。計測の魔法を所有している彼の手を借りて、事態を動かそうとする者を割り出す。

「仕掛けの方は?」

「彼女の仕事だ。露見などする筈もない。ここでの騒動は、まざまざとこの都市の空をスクリーンに映し出される事になるだろう。我々が生きている限りはな」

 言いながら、彼は計測の魔法を放った。

「オルガは時間に非常に厳格な人物で、必ず開始の五分前にやってくる。それより早い事も遅い事もない。……良し、情報通りだ。たった今、この場に主催者の血縁の数が一人増えた。彼よりも遅くにやってくる不敬な輩がいるとも考えにくいので、これで全員。つまり、予定よりも三人余分に混じっている。招かれざる客だ。そのうち二人は国外の人間。正確に言えば、この国の生まれではない人間だな。その中の誰かが事を起こす可能性が高い。現状の情報は以上だ」

 水を止めて、彼はトイレを出ていった。

 シャルロットも十秒ほど手を洗って時間を使ってから外に出て、オルガを視界に入れ続ける事が出来るポジションを確保する。

 今のところは特に異常なし。なにかしらの魔法の影響を受けたような感じはしなかった。

 はたして、一体どのような手段を用いて彼に凶行を強いるのか……

「やはり、貴方も招かれていましたか」

「――っ」

 突然かけられた声に、一瞬身体がびくっとした。

 激しい動揺を抑えつつ、ゆっくりと振り返ると、見知らぬ青年が微笑んでいた。

 おそらく、今シャルロットが化けている貴族と面識がある人物なのだろう。ただ、リグチラから提供された資料には一切載っていなかったあたり、関わり自体は非常に薄いはずだ。

「……ええ、まあ」

 曖昧に頷きつつ、相手の様子を伺う。

 とりあえず、こちらの動揺は思ったよりも表には現れなかったのか、不審などは抱かれていない。

 なら、適当に二、三言葉を交わせば離れていってくれるだろう。

「ところで、貴方は今の業界についてどうお考えですか?」

 と思った矢先に紡がれたその言葉に、シャルロットは見積もりが甘かったことを痛感した。

 これは多分、ビジネスの話に移行する流れだ。当然、シャルロットに分かる内容ではない。

 ……というか、そもそも今、この場でするようなものでもないだろう。社交界にそれほど詳しい身ではないが、それでもこの振る舞いが異常なのはわかる。祝う、という行為以外が許されるのは主賓が席を外した時だけであり、その手のマナーをよりによって神子がいる場でするなど、下手をすれば立場を失う恐れすらあるからだ。とてもではないが、クリスエレスの人間のする事とは思えない。

 つまり他所の国の人間である可能性が高いわけだが、重要なのはこれが偶然か意図かという点だ。

 国外の人間もそれなりに招かれているし、こちらの計画を知った上での接触とは限らない。過剰な対応は避けるべきだろう。

 まあ、いずれにしても、こういった場面でクリスエレスの貴族が取るべき行動は決まっている。

「……その話はあとでお願いします。もっとも、貴方にまだその価値があればの話だが」

 ぺらぺらと小難しいビジネスの話を並べていた相手にぴしゃりとそう告げて、シャルロットはさっさと彼から背を向け、この場を離れる事にした。

 追い縋ってくる気配はなし。ちらりと振り返ると、彼はすぐに別の誰かに声を掛けて、同じように顰蹙を買っていた。

 おかげで偶然の線が濃くなったが……まあ、これ以上気にしても仕方がない。

 ひとまず問題は処理できた事にして、別のポジションからオルガを補足し直す。

 目を離していた時間は少しだったはずだが、既にユーリッヒとダノラウトは挨拶などを終えて彼から離れだしていた。

 想定通りの行動ではあるが、両者のやりとりをまったく伺えなかったのは失態だ。この見落としの中に、大きな動きがなかった事を願うばかりだが……

(残念ながら、そうはいかなかったようだな)

 愉しげな悪魔の聲と共に、足元に妙な魔力が過ったのを察知する。

 発生源は、壁に寄りかかってグラスを揺らしている商人風の男だ。魔法の種類はまだ判らないが、かなりの広範囲に根を張っているのが判る。

(これは結界だな。内部の者を閉じ込める結界だ。盤石には程遠いが、単純な強度はなかなかのものだな。この感じからして、客を招き入れる前から用意されていたな。こちらがすぐに気付けなかったのは、それこそ足元に隠匿系の魔方陣でも刻まれているからか。つまり、この場所の提供者も加担している可能性が高いということだ。そのような報告がなかったのは気がかりだが、まあ、今は置いておくとして、注意しておけ。そろそろ始まるぞ)

(……ええ)

 強張った声で頷きつつ、魔力感知に全神経を集中させる。

 オルガに干渉するには相応の出力が必要だ。結界がその規模を増した事で察知できたように、奇襲の方だって完璧に隠匿は出来ない筈。

 だから、直前に注意を引くような何かが起きる可能性は高い。

 その読み通り、商人風の男はおもむろに懐から魔石を取り出して、オルガの方に向かって放り投げた。

 中にどのような魔法が入っているのかはわからないが、警戒していた甲斐もあって、今なら閃光で撃ち落とせ――

(――おかしい)

 不意に、違和感に襲われた。

 理由にはすぐ辿り着けた。結界の存在に他の誰も反応をしていない点だ。一般人ならともかく、オルガが自分よりも察知に遅れる事など、ありえるのだろうか?

 答えは否。

 むしろ彼は間違いなくシャルロットよりも早く、それに気づいていた。

 気付いたうえで、完全に無視していたのだ。

 そして、その理由は、たった今鼓膜に届けられた。

 風を切る音と、何かが断ち切られる音。

 遅れて、ごとり、と鈍い音が床に落ち、最後に割れた魔石から派手な音が鳴り響いた。その音によって、ほぼすべての来場者が、オルガが自身の孫娘の首を撥ねたという事実を目の当たりにした。


 ……他でもない、彼自身の意志で、それは行われたのだ。


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