16/契約者の戦い方
「――おい、起きろ。この間抜けが」
影の中から響いたその侮蔑で、シャルロットは眼を覚ました。
どうやら薬を嗅がされて気を失っていたようだ。
「ここは?」
「よほど居場所を知られたくなかったんだろう。暗闇の魔法で我々を包みこんでの移動だった。おかげで、仮になにかしらの共有魔法をかけていたとしても、仲間に今の場所を知らせる事が出来ない。全ては貴様の独断による失態だ。さて、何故貴様はそのような愚行を犯したのか。答えは明白だな。自惚れだ。マルテシア如きなら一人でも対処できると思ったのだろう?」
「そ、それは……ごめんなさい」
彼の言う通りだった。
悪い意味で自信がついてしまっていたのだ。
「自覚はあるようでなによりだ。そんな貴様にまた一つ教えてやろう。他の神子なら、そもそも色格や出力だけで天秤の強制力を吹き飛ばしていただろうが、この不死は、全てのリソースをそこに割いているからな。殺す事に特化している魔法はどうでもいいが、それ以外の系統にはかなり弱いと言える。特に肉体にダメージを齎さない魔法相手には一切機能しない事もあるからな。よくある精神干渉系などにも気を付ける事だ。まあ、貴様がおかしくなるさまを見るのも嫌いではないがな。おっと、もちろんだからといって貴様の足を引っ張ったりはしないぞ? 彼女が指令を変えない限りはな。まあ、それはそうと、調子の方はどうなんだ? この状況で出来る事は見つかったか?」
「ちょっと、待って」
主導権が握られているのは癪だけど、それが最善だというのは分かっているので、周囲に意識を向ける。
壁と床、天井に魔方陣が描かれている以外、特筆するところのない小部屋だ。シャルロットはその中央に置かれた椅子に座らされていて、特に拘束などはされていない。魔方陣の効果だけで十分と考えているのか、それとも単純に、これ以上の拘束手段を持っていないのか。
(この魔法陣、安定してない)
つまりは急造ということだ。なら、後者だと考えるのが自然だろう。
そう判断したところで、目の前の扉が開かれて、マルテシアが入って来た。
タイミングの良さからして、こちらの体調などは筒抜けのようだ。
「お姉さんを蘇らせるため、ですか?」
開口一番、シャルロットは質問を投げかけた。
ぴくり、と僅かにマルテシアの表情が動く。どうやら図星だったみたいだ。
「それを叶えて貰えるという保証はあるんですか?」
「叶えられるだけの力はあるはずです」
「――はっ、人間の愚かさそのもののような解答だな。保証もないのに縋りつく。そこまでして失ったものを取り戻したいのか? いや、そもそも、それは本当に貴様の願望か?」
顔だけを陰から出した不死の魔神が、侮蔑と嘲笑を浮かべて見せる。
「哀れな悪魔には、永遠に判らない事のようですね」
失望のため息と共に、マルテシアはどことなく不自然な微妙を返してきた。
それに対して、不死の魔神は白けたかのように鼻を鳴らして、
「やはりな、不都合な情報は一切認識出来ないようにされている。実にアルドグノーゼらしい。では、建設的な話をするとしよう。我々を拉致して、なにをするつもりだ?」
「その不死をアルドグノーゼ様のものにするために、まずは摘出をします」
「……なるほど、たしかに私の不死性は奴の支配の上に位置する強度を持っているが故に、取り込むというカタチ以外では手に入れる事が出来ない。儀式に備えた動きとしては悪くないな。だが、時期が悪い。アルドグノーゼが次に表に出てくるのはいつの話だ? それまで、我々をここに釘付けに出来ると、本気で思っているのか?」
「先程と同じ結果を繰り返すだけです。貴女の四肢は、私と同様動かない」
また、魔法が走った。
程無くして彼女の言う通りの状態に陥る。でも、陥るのはシャルロットだけ。
(おい、魔力を私に預けろ。良い機会だ。これから契約者の戦いというものを、貴様に享受してやる)
愉しげなマヌラカルタの声。
まさか共闘を持ちかけられるとは思わなかったが、確かに必要な選択だ。
(でも、彼女を手にかけるのは駄目だよ。ここでの目的が果たせなくなるし、なにより、お返しは正しくしたいから)
(つまりは誘拐返しか? 逃げるだけじゃなくそんな悪い事まで考えるとは、貴様も相当彼女に毒されてしまったようだな)
(……不服?)
(いいや、当初よりはずっと愉しくなってきた。――さあ、早く許可を出せ。契約者なんだ、教えてやらずとも、やり方は判っているだろう? この際だ、私の本来の姿も、貴様に披露してやろう)
高揚を孕んだ聲。
正直、彼のペースで話が進んでいるのは、あまり良くない気もするけれど、現状四肢を動かせないシャルロットに出来る事はない。
だから、用量に気をつけながら、彼に魔力を預ける。
その途端、シャルロットの影が大きく広がり、ぐにゃぐにゃに揺れ動いたのち、シャルロットの背よりも高く伸びて、水風船を針で割ったように黒い影の飛沫をあげた。
そして、その中から一つの存在が姿を現す。
色素のない肌と髪の、長身痩躯の青年。
特徴的なのは爪と歯、なによりも両の白目部分の色だろうか。
どれも一切の光を許さない闇そのもののように黒くて、それゆえにか白目の中に納まっている金色の瞳がやけに明るく見えた。
顔立ちも非常に整っているが、特異な配色の所為か唇の薄さの所為か、酷薄さと薄気味悪さが際立っていて、まるで親近感を抱けない。
禍々しい威容だ。けれど、それ以上に禍々しいのは、出現と同時に立ち込めたこの異様なほどに甘い死臭だろう。まるで、その身体の中に無数の死体を磨り潰して押し込んだかのような濃密さだった。
「どうした? 私は止めないのか?」
ニヤニヤと嗤いながら、不死の魔神は真っ直ぐにマルテシアに手を伸ばし、そこから黒い閃光を放った。
完全に心臓狙いだったが、これは避けられる前提の攻撃だ。予備動作の大きさがそれを物語っている。
「魔法は邪魔ですね。お互いにとって」
ゆらりと腰の細剣を抜きながら、マルテシアがまた天秤の魔法を用いた。
乗せられた魔法は『太陽」。『不死』を止める方が有効だと思うが、やはりその機能を停止させるのは彼女の魔法では無理なようである。
「なるほど魔眼持ちか。大した魔法は宿していないようだが、だからこそ、それを天秤に乗せることに支障もないということか」
と、そこで不服そうなため息を一つつき、マヌラカルタはおもむろにシャルロットを抱き上げた。
そしてそのまま、マルテシアが開けたドアの先に向かって駆けだす。 逃げの一手だ。
させまいとマルテシアの刃が彼の足を切り飛ばしたが、切断と同時に新しい足を復元して、マヌラカルタは廊下に出る事に成功する。
もちろん、これで切り抜けられたわけではない。
左右に人の気配。かなり近い。周囲に魔力を放って感知に努めていたが、範囲が相当に狭まっていたようで、この距離に迫られるまで気付けなかった。きっと建物の特性によるものだろう。
だから、ここがどこなのかまだ分からないし、当然どうすれば出られるのかも不明。攻撃魔法も使えないので、壁を貫く事も出来ない。もっとも、使えたとしても突破できる保証もないが――と状況を整理しているところで、左手に向かって進んでいたマヌラカルタが、突然シャルロットを手放した。
驚きを覚えながらも、咄嗟に姿勢制御を行う。
おかげで尻餅はつかずに済んだけれど、嫌な汗が少し滲んでしまった。
「なにを驚いている? それとも、その必要が無くなった上で、まだ抱きかかえられていたかったのか?」
「そ、そんなわけないです!」
ついつい敬語で返しつつ、マルテシアが動いたからこちらも動けるようになったという事実を、ここで理解する。
(このように、天秤は強力だが穴も多い魔法だ。制約の類もかなりある。見極めろ。ここからが本番だぞ。それは本来、控えにいてこそ真価を発揮する魔法なのだからな)
小馬鹿にするようにマヌラカルタが講釈を並べている間にも、前方から二人、後方からマルテシアを含めた三人が臨戦態勢で間合いを詰めてきている。
高い魔力に隙のない佇まい。新手の方も手練れだ。少なくともシャルロットにとっては難しい相手。
「こんなところで、なにをしている?」
そのうちの、こちらの視界内にいる一人が、非難的な視線をマルテシアに向けた。
「……別に、効果が切れそうだったので再度掛け直しにきただけですよ」
「そのような話は届いていないな」
「貴方に語る義務がなかっただけでは?」
「なんだ、仲違いか? どうやら私たちはお邪魔のようだ。ここは場の空気を呼んで静かに退散するとしようか」
楽しげに不死の魔神が口を挟む。
結果的に、それが口論を終わらせた。
「話はあとだ。補佐に徹しろ」
「お断りします」
マルテシアが剣を鞘に仕舞い、こちらに向かって鋭く踏み込んでくる。そこから放たれた突きは、殺すのではなく気絶を目的とした打撃だ。それに合わせて、彼女の背後にいた二人も舌打ちをしながらこちらに向かって接近してきていた。
さすがに魔法も使えない状態で、三対一を捌く自信はない。
残り二人のうちの一人も、通信石を取りだし増援の手配をしていて、手間取ってはいられない状況だった。
(貴様にかかっている不死の強度を一段落とす。その魔力を用いて、突破する事だけに力を注げ。背後は気にするな。そら、急げ!)
急速に魔力が溢れだしてくる。
まだまだ全然慣れていない感覚に吐き気が込み上げてくるが、それを呑みこみながらシャルロットは両足に魔力を込め、力一杯に地を蹴った。
圧倒的な速度に、前方にいる二人はまったく反応する素振りすら見せない。
やや遅れて背中にナイフが飛んできたが、隣を並走していたマヌラカルタがそれを払いのけた。宣言通り後ろの面倒は全部見るつもりのようだ。
それを頼もしいと感じる自分に複雑さを覚えながらも前進していくと、不意に魔法が戻ってきた。
彼女の有効範囲から外れたからなのか、それとも時間切れか、理由は不明だが好都合だ。
ある程度の距離を離したのを確認してから、天井に向かって閃光を放つ。
それなりの抵抗はあったが、なんとか四十ヘクテルほどの孔を開ける事に成功した。
(何故加減する? まさか、その先にいる誰かの事でも心配しているのか? 莫迦らしい)
(少し、黙ってて)
孔に向かって魔力を流し、感知に意識を傾ける。
空洞は見当たらない。
ならばともう一度閃光を放ち、さらに六十ヘクテル程度の深さを加算したところで、追いつかれた。
「そのまま続けろ。牽制はしておいてやる」
マヌラカルタが不死の色を混ぜた黒い閃光を無数にばら撒いて、マルテシアたちの接近を拒む。
自分一人だったら同時に捌くことなんて到底できなかっただろう。こういう点が契約者の利点なのだという事を、契約者になって数年経った今初めて実感しつつ、シャルロットは深呼吸を一つ取って、誤って射線上にいる誰かを傷つけないように閃光の範囲と威力を調整しながら、穿孔作業を再開する。
三百ヘクテルほど進めたところで、抵抗が無くなった。
地上かどうかは不明だが、その先に大きな空洞があるのは確かだ。視ようと思えば視る事も出来るが、その時間はなさそうだった。
魔力切れを起こしたわけでもないのに、マヌラカルタの魔法攻撃がぱったりと途切れたのだ。同時にシャルロットも魔法が使えなくなった。
視線をそちらに向けると、マヌラカルタは身体の自由も奪われてしまったようだ。
(やはり核を天秤に乗せているのか。これならば魔法はどちらも使えなくなる。が、肉体は別だ。私の身体は魔力だけで構築されたものだが、貴様の肉体はそうではないからな。けして同一としては扱えない。――間抜けが、いつまでぼけっとしている? さっさとその特性をついて、私の拘束を解除してみせろ。今なら簡単に出来るだろう? そら、早く!)
(……わかってます!)
高圧的な物言いに反発を覚えつつも、マルテシア目掛けて突貫する。
魔力の出力は圧倒的に上回っているので、マルテシアに受け止めるという選択肢はない筈だ。
必然、彼女は魔法を解き回避動作に移った。これで不死の魔神の四肢は自由になったわけである。
「肉弾戦は得意ではないが、そこらの神よりはずっと上手いという事を、少し教えてやろう」
嗜虐に満ちた笑みを浮かべながら、マヌラカルタが他の四人に襲い掛かった。
魔力差を活かした強引で乱暴な戦い方だ。技術なんてものはほぼない。それでも当たれば即死するレベルの暴力を前に、四人は否応でも慎重になる。それは膠着を生むには都合がいい状況だった。もちろん、膠着状態が望ましいのは援軍を期待出来る彼等の方なのだが、少なくとも今は一対一でマルテシアに対応できる。そして彼女さえ押さえてしまえば、突破口はすでに見つかってた。
(天秤の魔法には色々な制限がある、か)
格闘戦を持ち掛けながら、どうすればこの状況で『太陽』の魔法を取り戻せるのかを考える。
先程の意趣返しが出来たらそれが一番だが、戦闘技術はやはり向こうの方が高い。色々な理由で殺す事も出来ないので、出力の暴力で片付けるわけにもいかない。
「――っ」
対するマルテシアはまったく躊躇なく、こちらの肩に細剣を突き立ててきた。
さらに喉と肺に刺突が届く。
焼けるような痛み。でも、こんなのは慣れっこだ。不死の力が瞬く傷を癒す。強度を落としたとはいっても、再生速度は落ちていない。そもそも、どれだけ性能を落としても人間の暴力でこの身体が死ぬことはない。それはあくまで神の出力を前にした時だけの懸念だ。
(それにしても、痛いところばかり狙ってくるな)
神経が多く通っている箇所を重点的に狙ってきている感じがする。
殺せない相手に有効だから、というのが多分理由なんだろうけれど……なんだろう、彼女の眼にはそういう合理性とは違う熱のようなものがあった。シャルロットにとっては馴染み深い、嫌悪と憎悪の熱だ。
(……そうか、この人は、私を苦しめたいんだ)
姉をヴラドに殺されたから、ヴラドの関係者であるシャルロットにも同じような痛みを与えようとしている。
でも、それはアルドグノーゼの意図するものではないだろう。かの神からすれば、そんなものはただのノイズだ。事実、彼女は既に独断めいた行動を取ってしまっている。
まあ、仮にも原初の神が人間一人完璧に支配できないというのも不可解な話ではあるが……他にリソースを多く割いているのなら、或いはないとも言い切れないのかもしれない。
ともかく、どうにかしてこの綻びを――彼女の過剰な憎悪と、前のめりな姿勢を利用する。
(欠損した部分を新しく再構築するんじゃなくて、くっつける事は出来る?)
(原始的な再生だな。無論可能だ。切り替えておこう)
胸に内で問いかけると、即座に答えが返ってきた。
それなら早速試してみようと、左手の指を切り落とさせる。
いつもなら、別たれた部分は再構築と同時に跡形もなく消えるのだが、五本の指は無事にバラけて地面に転がった。
噴き出る血を撒くように腕を振りながら、シャルロットは後方に飛び退く。
その眼潰しを躱しながら肉薄してきたタイミングで、マルテシアの背後に五つの衝撃が走った。
それは、ダメージと呼ぶにはささやかなものだったが、意表を突くという意味では十分で、まったく予期していなかった奇襲に彼女の身体が一瞬硬直した隙をついて、シャルロットはその腹に一撃を喰らわせ、動きが完全に止まったところで背後に回り、彼女の首を締め上げて気絶させた。
『太陽』の魔法が戻ってくる。
こうなったら、四人とマヌラカルタの戦いも終幕だ。
無い前提で動いていた彼等は、上下から発生した閃光に対応できずにそれぞれが重傷を負い、戦闘不能となった。
「さあ、死ね!」
「駄目! それは必要ない!」
嬉々として殺そうとした悪魔を制止する。
もう勝負はついたのだ。自分の魔法で不必要な殺人をさせるつもりはない。彼等だって、アルドグノーゼの支配によって本来の意志を踏みにじられているのかもしれないのだから、尚更だ。
「それよりも、早くここから脱出しないと」
気絶したマルテシアを抱き上げ、孔を開けた地点に戻り、それなりの幅の閃光をもって人が余裕をもって通れるだけの道を確保。壁を蹴って上昇し、上の区画へと移動する。
着地と同時に周囲の確認。
急に出来上がった穴から出てきた三人の姿に、何人かの人が驚いているが、脅威となる敵の姿は見当たらない。
「……すみません、ここはどこですか?」
手近にいた老人に訪ねる。
「どこですかって、第七階層の工業区と商業区の間だが」
「そうですか、ありがとうございます」
ここからサラヴェディカの拠点に戻るには少し時間がかかりそうだ。足元から迫ってくる気配もある。彼等はまだ諦めていない。
その事実にため息を覚えつつ、シャルロットは逃走を再開した。
§
なんとか途中でウィンたちとも合流して、シャルロットはなんとかサラヴェディカに戻ってきた。
あの後一度も戦闘をせずに済んだのは、ひとえにノスティワが周囲の状況のサーチを終えてくれていたからだろう。
幸先は不安だったけれど、結果的に全員が協力して事態を切り抜けたというわけである。
「私は護衛が得意な人間ではない。専門は戦場での殺しと魔物狩りだ。ノスティワがいなければ、この場に間に合う事もなかっただろう。それは理解しておいてもらいたい」
ようやく一息つける状況に落ち着いたところで、ウィンが静かな口調で言った。
こういうのを正しい説教というのか、声を荒げられたり暴力に訴えられるよりずっと、その言葉は胸に刺さった。
「……本当に、すみませんでした」
深々と謝る。
申し訳ない気持ちで一杯だった。
「なんだ? 私の時とはずいぶんと態度が違うな。まったく卑しい娘だ」
影の中からマヌラカルタが嫌味を吐いてくる。
なにか言い返そうと思ったが、多分こういうのは無視するのが一番だと考え直し、
「すいません、ククルさんの方はどうなりましたか?」
と、頭上に向けて訪ねると、空間が歪みそこから一人の天使が現れる。
天使は淡々とした口調で、ククルが手を貸すにあたって条件を提示したこと、それによって現在ラミアが隔離室に入れられている事、ノスティワが言っていた通り、魔法を行使する必要なく恩恵だけで十分機能する事などをシャルロットに教えてくれた。
最大の懸念が解消されたのは良い事だが、ラミアとの再会は果たしてククルにどのような影響を齎したのか……
(少し、間を置いた方がいいかな?)
(別の事に神経を使っている方が、気休めになると思うがな)
こちらの思考を盗み聞いたのか、マヌラカルタが口を挟んできた。
(……それって、貴方の実体験?)
(いいや、他でもない絶望の只中に溺れていた貴様を見て思った事さ)
くつくつと悪魔が笑う。
余計な事を訊くんじゃなかった。そんな後悔を強く抱きつつ、シャルロットはククルの元に向かう事を決める。
天使の案内によって空間の孔を抜けると、その先にはククルの他にエイダとゼクス、そしてプレタとリグチラの姿があった。
「あの男だけいないようだが、どこにいる?」
「共有は切られているから、私にも不明よ」
眉を顰めるマヌラカルタに、ノスティワは興味なさそうにそう返す。
「酷い関係性だな」
「貴方たちよりはマシだと思うけれど」
「無知だな。悪魔と人間の関係に無意味な建前など必要ない。だからこそ、我々は互いの本質をよく知る事が出来るのだ。実に素晴らしいことにな」
なんだか、ずいぶんと気持ち悪い事を口走っているが、反応しても疲れるだけだ。
それよりも早く本題に移ろうと、シャルロットはマルテシアを床に降ろし、ククルに言った。
「お願いできますか?」
「……マルテシア教官も、あの神の支配を受けていたんだな。あぁ、分かった」
一目見て、毒されている事を把握したようだ。
ククルは慎重にまだ意識を取り戻していないマルテシアの肩に触れて――瞬間、彼女から漂っていた何かが綺麗に払拭されるのを、シャルロットは肌で感じた。
「恩恵だけでここまでの効果があるというのも凄まじいな。よほど相性が良かったのか。これならば、たしかに魔法に頼らずとも色々と運用が出来そうだ」
感心したように、ウィンが呟いた。
そのタイミングで、マルテシアの指がピクリと動かし、ゆっくりと目を開く。
「……私を殺さない理由は、天秤の魔法ですか?」
「貴女を殺すつもりなんて、初めからありませんよ」
静かな口調で、シャルロットはそう言葉を返した。
「私が再び、貴女に刃を向けたとしてもですか?」
「私は、もうヴラドさんと一緒に行動していません。……決別、したんです」
「何故ですか?」
「あの人の目的が、破滅だったから」
嘘ではないし、そもそも彼女がその気になればこちらは嘘をつけない。天秤の魔法があるからだ。
「お互い嘘はやめましょう。質問を繰り返します」
案の定の展開。
同じ答えを返すと、彼女は一応の納得を示した。
そのうえで、こちらの感情などについても質問してきて、シャルロットが別にヴラドに対して悪感情を抱いていない事なども明るみになってしまったけれど、同時に彼が不死をどれだけ重要視しているのかなども判ったからか、
「……良いでしょう。ここに居る方が色々と都合も良さそうですし、その時までは貴女たちに協力します。うちの生徒たちも、厄介になっているようですしね」
と、こちらの申し出を受け入れてくれた。
「無事に話は纏まったようだね」元凶の一人でもあるリグチラが、他人事のように言う。「こちらの方も全て整った。そして、彼等もじきに動くだろう。クリスエレスの次の生贄が、オルガ将軍で決まったようだからね」
「そう、オルガ将軍が……」
昔、何度か剣の稽古をつけてもらったのを覚えている。そういえば、叔母の剣術指導をしていたのも、彼という話だったか。
「具体的な日程は、判っていないの?」
「明日までには判明する。それで、貴女はどうするのかな?」
微かに目を細めて、リグチラが試すように訊いてくる。
今までの行動はあくまで準備だ。まだ伸ばした手を引っ込めることは出来る。だからこそ、ここで改めて、シャルロットの覚悟を問うてきているのだ。
本番でしくじれば、サラヴェディカの立場は大きく傾く。下手をすれば戦争に発展する事も十分考えられるだろう。
けれど、上手くいけばクリスエレスの歪みに亀裂を走らせる事が出来る。今更、止まるような足は持っていなかった。
「阻止します。……手を、貸してくれますか?」
「あぁ、もちろんだよ。盛大にぶっ壊すとしよう」
背後からぬっと現れたクーレが、楽しげな言葉を返す。
その最初の一声が効いたのか他の面々も次々と頷いてくれて、悪魔の囁きから始まった計画は、恙なく最終段階へと移行した。




