02/半歩寄る
魔物の群れに接触する前に、停止した隊商の元になんとか戻って来れた。
「ぼけっとするな、前面に結界を張れ!」
「砲手の用意。結界の外から撃てよ!」
流石に察知は済ませていた冒険者と傭兵が、慌ただしく動いている。
その中心に居るのはプレタだ。テキパキと概ね異論のない指示を出している。味方の能力も把握しているし、魔物の性質もよく理解しているようで、冒険者としては確かに優秀なようだった。
「あんた、一体どこ行ってたのよっ!」
そのプレタが、凄い剣幕で詰問してくる。
しかし、それを完全に無視して、ヴラドはディアの頬に触れ、共に行く契約を交わした際に施した紋様を起動させた。
それは魔力の糸で繋げるよりも深く、正確に相手の情報を得ることが出来る『共有』と名付けられた技法だ。本来は召喚士の魔法の一部とでも言っていい類だが、紋様などに落とし込む手順を踏めば適性がない人間でも扱うことが出来る、技法に成り下がった魔法でもある。
(戻る途中で速度が落ちたが、安定を取っただけか)
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、一応味覚も探ったが、特に異常はなし。
「大丈夫そうだな。後方に待機、溶けた空には触れるなよ。あと、あまり離れ過ぎるな」
と、ヴラドは飛龍の頬をポンポンと叩きながら指示をだした。
飛龍が小さく鳴いて、それからプレタの方を数秒睨みつけてから飛び立つ。
威圧されたのか、プレタは少し表情をひきつらせていたが、すぐに怒りで誤魔化して、
「答えなさい。一体なにを――」
「いやはや、思ったよりも早く騒がしい展開になったようですな」
ローマンの落ちつき払った声が、横からが届けられた。
これが他の相手なら、きっと「取り込み中だ。後にしな」とでも吐き捨てたのだろうが、さすがに依頼主相手にはプレタも強く出られないようで、見事なまでに押し黙った上で、邪魔にならないように気を遣ってか、身まで少し引いていた。
「制域を嫌って逃げてきた魔物たちのようですが、食費が浮くのは良い事だ。今見張りについている彼等だけで十分だと思うが、貴女の見解はどうかな? プレタ殿」
「……そうね、問題はないはずよ。大した魔物はいないし」
「では、我々は今後の展開についての話をする事にしましょう。要人を揃えて」
傍らにつき従っていた秘書の女が、その言葉を受けて小走りに去っていく。
と、そのタイミングで実体化を果たしたリリスがやってきた。シャルロットも一緒だ。リスクを考慮して連れてきたのだろう。
「ずいぶんと離れていたみたいね、危うくお前の中に戻されるところだったんだけど、なにがあった?」
説明は面倒なので、手を差し出す。
するとリリスは少し嫌そうな顔をしてから、ため息をつき、こちらの手をつまんで目を閉じた。中に入れて情報を共有した方が正確なのだが、お互いそれが嫌なので妥協したカタチである。
「……なるほど、大体わかったわ。ちょっと面倒そうね」
数秒後、手を離したリリスがそう呟いた。
「一体、なにがあったのですか? よろしければ、私にもぜひ聞かせて頂きたいのですが」
言葉以上に窺いを立てるような低姿勢で、ローマンが言った。
「二人死んだのはもう報告に上がっている?」
「ええ、長距離から射られたと聞いています」
「では、赤青のタイラントという名は知っているかしら?」
「たしか、ニル・タイラントにゼル・タイラントという名の双子の殺し屋でしたかな。主にターカスで活動していたと記憶していますが」
「向こうで有名な傭兵を三人殺してるわ。『黒潰石』を三人ね」
やや険しい表情で、プレタが補足を加えた。
ターカスの情報は追っていないので事実かどうかは不明だが、戦った感想としては妥当なラインだ。二人掛かりなら、そのクラスの相手も問題なく処理できるというのが、あの双子に対するヴラドの評価だった。青髪の魔法次第では、それ以上の脅威にも成り得るだろう。
「プロの護衛も雇ったほうがいいかもしれないわね、今からでも」
投げやり気味なトーンで、リリスが言う。
「では、追加報酬に、私に対する脅威の排除および防止も加える事にしましょう」
涼しげな表情で、ローマンは対抗策を口にした。厄介な存在の出現など、まるで気にしていない様子である。
「それだけでいいの?」
「これほど優れた戦士たちに囲まれているのです。それで死ぬようなら、私という存在もその程度のものだったという事でしょう」
「……まあ、たしかにそうかもね。専門家を雇ったところでそこまで大きく変わりはしないか」
リリスも納得の姿勢を見せ、追加報酬についての話に移行する。
それが一段落したところで秘書が戻ってきて、本格的な今後の話については、会議室も兼ねているローマンのテントで行わる事となった。
§
秘書の招集に従って要人たちが集まったところで、リリスが開口一番に切り出した。
「まず、はっきりさせておきたい事があるわ。この制域の広がり方から、災王が誕生している事が確定した。すでに二人死者が出たわけだけど、お前たちの目的に変わりはない?」
「ええ、無論です。我々は最大の利益を得る為に結成された隊商ですからね」
真っ直ぐにこちらを見据えながら、ローマンが答える。
「ちょっと待って、災王を相手にするというのは聞いていない」
と、プレタが口を挟んだ。
それに対してローマンはやや困ったような表情を浮かべ、
「制域内のあらゆる存在を対象とする、と契約の内容にしっかり入れておいた筈だが?」
「それは認識してる。だから別に異論はないわ。ただ、戦力が足りていればの話よ。無駄死にを許容してるわけじゃない」
「気弱な事ね。ムルカ連合一の冒険者である自分が居れば大丈夫だって、言えないの?」
小馬鹿にしたように、リリスが嗤う。
「制域ではないけれど災禍には何度か足を運んだことがある。一度だけだけど災王を見た事もあるわ。あんたたちが強いのは確かなんでしょうけど、あれは人間がどうにかできるような化物じゃない。ただの変異種とはわけが違うのよ」
本当に遭遇した事があるのだろう。プレタの声には、ただの恐怖とは違う、異様すぎる存在に対する気持ち悪さのようなものが混ざっていた。
「そんなのは知っているわ。災王はこれまでに五体も仕留めているもの」
軽やかに自慢げに、リリスが言う。
ちなみにこれは嘘である。ヴラドはこれまで三体しか災王を殺していない。
「口だけなら誰でも言える事ね。特に、あんたは達者そうだし?」
挑むように鋭いプレタの視線。
その煩わしさに、リリスはため息を一つついて、
「……目利きの良い奴はいる?」
と、ローマンに訪ね、それからこちらに視線を向けてきた。
意図は、まあわかる。あまり気乗りはしないが、証明による後押しは必要だ。
それは倒せる存在なのだという認識の元、ある程度高い士気をもって挑んでもらわなければ、この集団の価値は著しく損なわれてしまう。最悪、即座に瓦解し、足止めすら出来ずにただ殺されるだけとなるだろう。
「……」
切れ味よりも強度と自己修復機能に重きをおいた長刀と、熱や冷気、電撃などに強い耐性をもった自己修復機能つきのコートを会議場の長テーブルの上に置く。
調査員も多くいるこの隊商において、魔力の純度などを精密に図る魔法を持った者は必ず用意されているので、これらの品がどのような素材で作られているのかは容易に判別できる筈だ。
その認識のままに、名乗り出た鑑定士は刀とコートを調べ、
「……どちらも初めて視る素材ですね。異質な色だ。凄い純度だな。そのくせ絶えず動いている。多層的だ。この素材はまだ生きていますね。独立して存在している。そういう魔法特性を持ったなにかだったということなのか、いずれにしても尋常ではない存在が元になっているのは確かでしょう。……もっと専門的な施設で検証すれば他にも判るかもしれませんが、現時点で私に言えるのはそれだけです」
と答えて、割れ物を扱うような丁重さで、装備をこちらに返した。
「その男が無知でないのなら、これである程度の証明にはなったんじゃない? まあ、小国が買えるくらいの莫大なお金を支払えば、自分で殺さずとも手に入れる事は出来るかもしれないけれど、どちらが現実的なのかは、各々が好きに判断したら?」
嘲りの笑みを浮かべたまま、リリスはわざとらしく肩を竦めてみせる。
ちなみに、小国が買えるくらいの金額が必要になる、という部分も嘘である。ただし、こちらは誇張ではなく、どちらかといえば希望的観測だ。
そもそも市場に出回っているところを見たことがないし、売られたという話すら聞いた事がないのである。故に、まずは相手を見つけるために資金が必要な、報われるとも限らない宝探しとなっていた。
「……ひとまず納得はしておくさ。他の奴等にもあたしの口から言っておく。ヴラド・ギーシュは噂通りの本物だった。災王は、神子でなくとも殺せるってね。それでいいでしょう?」
不承不承といった様子でプレタが言う。
「最低限の道理はわかっているようでなによりだわ。さて、他の方々の意見はどうかしら?」
白けた笑顔を湛えながら、リリスが周囲を見渡した。
荒事の担当者が納得したのだから、それ以外が口を挟むわけもない、と思った矢先、
「文句はもうないけどさ、あんたは災王のどこを取るの?」
と、プレタがまた口を挟んできた。
それから、ちらりとローマンに視線を流す。
「全部、あんたの報酬ってわけじゃないわよね?」
「心臓」
と、ヴラドは端的に答えた。
「心臓? なんで? 武器とかにするなら爪や牙、防護服なら鱗や皮とかでしょう? まさか金だけが目的で災王なんて化け物狙うわけでもあるまいし」
「曲がりなりにも女の癖に、そんな事も判らないの?」
残念なものを見るような目で、リリスが言う。
それに対して、プレタは露骨な舌打ちを一つ、
「わかんないから訊いてんのよ。是非とも教えて欲しいわね。見てくれ以外にも、可愛げってのが少しでもあるのなら」
「仕方がないわね。では、教えてあげる。その中に入っている核が綺麗だからよ。どんな宝石よりも、災王の核というものが放つ輝きは蠱惑的なの。だから、どんな宝石よりもわたしに似合う」
陶酔気味に微笑んだリリスが、こちらの腕に絡みついてきた。色々と気色悪い。
それと同じ感想を抱いたかどうかは知らないが、嫌悪の眼差しをプレタが向けてくる。
「最高クラスの傭兵が淫魔なんかの言いなりだなんて、滑稽な話ね」
「なに、もしかして羨ましいの?」
「莫迦らしい」
リリスの挑発を、プレタは一度は流した。
が、軽やかな足取りで近付き、息がかかる距離で、
「本当に?」
と、微笑まれた時、明らかに彼女は動揺の色を見せた。
それでも他人がいる手前だろう、声や表情はなんとか平静を保てていたが……どうやら弱みを握ったらしい。
「心地良いものよ、自分が世界の中心になるのって。まあ、お前にはとてもとても難しい事でしょうけど。……なんなら、教授してあげましょうか?」
愉しげなリリスの声には、嗜虐の色が溢れていた。
つまり、ここから先は暇潰しの時間という事だ。なら此処に居る理由はもうない。
幸い、緊急時の手際はそれなりだったし、制域に入る前に仮眠をとっておくのも悪くないだろう。
「戻る」
「――は?」
意外な事にまったく予期していなかったのか、間の抜けた声を漏らしたリリスを無視して、ヴラドはさっさとテントを出る。
出たところで、一人の男が小走りにこちらに走ってきた。
焦った表情だ。もしかして招集に遅れた奴なのか、それとも別の問題でも発生したのか……まあ、どちらでも構いはしない。
そのまま自分たちのテントのある陣へと降り立つ。
と、そこで、一人の傭兵が今にも殺されそうな場面に出くわした。おそらく新米。セオリーとは違う行動を制域の影響を受けた魔物が取った所為で、孤立してしまったようだ。
別に助ける義理もないが、ちょうどここに捨ててもいい敵から奪ったナイフがあったので、それを群れの頭らしい魔物目掛けて投擲する。
結果、その魔物の死をきっかけに更なる乱れが生じ、その隙に新米は無事味方の元に脱することが出来たのだが、そんな未来を見届ける事もなく、ヴラドはさっさとテントの中へと入っていった。
§
「――おい、起きろ」
翌日の早朝、不機嫌そうな誰かの声でヴラドは眼が覚めた。
人の腹の上に圧し掛かって、悪魔がこちらを見下ろしている。
実体化と共に体重が伝わるまで気付けなかったあたりが、この悪魔と自分の関係性の面倒なところだ。気配を同一化されると、まったく感知できない。こちらもそれは出来るが、する必要を感じた事はないので、今のところはリリスだけの特権と言えるだろうか。
「不機嫌そうだな」
見たままの事を、とりあえず口にしてみる。
「もしかして、それが何故なのか、わからないのかしら?」
「ああ」
素直に頷く。
すると、リリスは両手でぽかぽかと人の胸を叩きながら、
「この、わたしが、せっかく、淫魔らしい振る舞いを、してあげたっていうのに! 欠伸したあげく、さっさと離席までして、腹立たしい!」
「……それだけか?」
だったらこの悪魔を除けて、自分はまた眠りにつくだけだが。
「そんなわけがないでしょう」
不意に、リリスの表情が真顔になった。
人を叩いていた手も止めて、その眼差しは酷く醒めたものへと変貌している。眠気を飛ばすには十分な深刻度だ。
そんな彼女が、淡々とした口調で言う。
「あの娘の精神状態があまりよくない。死から遠退いたことで悪魔に乗っ取られる危険性は減っているけれど、妙な事をされて死なれたら元通りよ。連れ歩くと決めたからにはちゃんと管理しなさい」
「お前がすればいいだろう?」
「あの娘にとっては、わたしよりもお前の方が比重が大きいのよ」
「なぜ?」
「さあ? わたしが悪魔で、お前が救世主だからじゃない?」
投げやりに締めくくって、リリスはヴラドの上から降りた。
「今、なにをしている?」
身体を起こしながら、訪ねる。
外に出たことは意識の片隅で捉えていたし、それほど離れていない事も把握しているが、それ以上の事にまでは眼を向けていなかった。
「お前が訓練しろって言ったんでしょう? 外で素振りをしているわよ。わたしの方も、今の今まで寝る間も惜しんで一つの陣で重点的に情報収集をしていたから、いつからかは知らないけれど」
「……」
「腐っても神子。不死を除いても価値はある。アルタ・イレスと同様に、それを使える戦力にしておくのも手だと思うわよ。我々は一人の娘を取り戻すために、あのノイン・ゼタと戦争をする予定なのだからね。手札は多い方がいい」
そう言って、リリスは旅行鞄の中に入れてあったタオルを取り出し、こちらに投げ寄越してくる。
それを手に取って、ヴラドはテントを出た。
左手に溶けた空が見える。
その一帯を避けて侵入する事が決定したので、まだ制域には入れていないが、あと数時間で世界は否応なく変わることだろう。
まずは、その異様な空気やルールに慣れる必要がある。陣に敷かれている結界はそれらの影響を薄くすることを本来の目的としているが、どの程度順応の手助けをしてくれるのかは未知数だ。いずれにしても、入ってみるまでは判らない。
「……そこか」
魔力を波紋のように広げて、感覚の確認がてらシャルロットを探しだす。
どうやら中央に位置する足場にいるようだ。たしかに訓練をするうえで一番スペースを確保できるのはあそこだし、安全面でも優れている。ただ、自分でそこを選んだとは思えないので、おそらくローマンが使っていいとでも言ったのだろう。
此処と中央の間隔は大体二十ヘクテル。その距離を埋めるに足る魔力を両足に込めて、ステップ一つで降り立つ。
中央の結界の中に入ったからか、剣が風を切る微音が届いてきた。
資材置き場とされているテントの傍で、シャルロットが一心不乱に素振りをしている。玉の汗が、それに費やした時間を示していた。
必死な表情だ。それだけ集中していると評価することも出来るが、周りがまったく見えていないというのは問題でしかない。
「……重心がずれている」
ため息まじりに、ヴラドは口を挟んだ。
「え? あ、」
悪戯が見つかった子供みたいに、シャルロットが狼狽を見せる。
原因は、まあ分かっているので、そこになにかを言うつもりはない。
「両足の間隔を意識して、軸足をもっと固定させろ」
「は、はい……!」
若干裏返った声で頷き、シャルロットは素振りを再開するが、こちらの言葉が足りなかったからか、特に改善した動きとはならなかった。
それどころか、こちらに意識を向け過ぎている所為で動作全体に濁りが生じてしまっている。それもまたこちらが原因なので、指摘はしないが……
(……酷い動き)
どこまで行っても、そんな感想しか出てこない。
ただし、それは基礎がなっていないとか、センスがないとかではなく、全てが愚かしいほどに捨て身に繋がっている動作だったからだ。
不死ゆえの戦い方。
初見殺しにはなるかもしれないが、本当の格上にはまったく通用しない。最初に矯正する点はそこだろう。
「……振ってみろ」
少し考えて、ヴラドは自身の得物である長刀をシャルロットに押し付けた。
彼女が今使っている武器の五、六割ほどの長さと三倍の重さをもつ長物だ。
当然と言えば当然だが、同じ感覚で振ると身体は前のめりになってしまう。それを避けるためには、重心をかなり後ろに置く必要が出てくる。
「バランスが崩れているのは判るな? 調整しろ」
「は、はい」
シャルロットは素直に刀を振るって、その度に少しずつ重心を下げていく。
それを繰り返し、ある程度バランスを取り戻したところで、
「打って来い」
と、ヴラドはシャルロットが使っていた剣を構えながらそう言った。
あまり乗り気ではなかったが、訓練を施すことをはっきりと決めたのだ。
§
「早く」
戸惑っていると、淡々とした声が急かしてきた。
シャルロットは意を決して、ヴラド目掛けて刀を打ち込む。
「――え?」
予期していた抵抗がなく、重心が思い切り前に傾いた。
その隙にヴラドは左側面に移動していて――そのまま彼が剣を振り下ろしていれば、いともたやすく自分の首は落とされていただろう。
「殺せる保証もないのに踏み込み過ぎるな。攻撃は常に引くことを意識しろ。躱された後の事を考えて身体を動かせ。続けろ」
「は、はい!」
言われた内容を頭の中で反芻しながら攻撃を続ける。
十度ほど打ち込んだところで、ヴラドの剣が翻った。咄嗟に防御するが、衝撃で両手が痺れる。
追撃はない。冷たい視線に、背筋が震えた。
数秒後、再度ヴラドの剣が躍動する。
手を抜かれているのは判る。それでもシャルロットには荷が重い攻勢だ。このままじゃ一方的になる。
だから、いつものように被弾覚悟の反撃を選んだ。
瞬間、手首を掴まれて、
「打開なんて考えるな。お前が殺せる相手に見えるのか?」
「――っ」
ぎしぎしと骨が軋む。
手に力が入らなくなって、長刀を握っていられなくなる。
そうして戦う術を手放してしまったところで、かかっていた力が消えた。
「……あれは、自分を護衛しろだなんて言っていたが、お前が最優先でするべきは自分自身を守る事だ」
シャルロットが落とした刀をゆっくりと拾いながら、ヴラドは言う。
「死なない立ち回りを考えろ。死んでもいいような戦い方は二度とするな。いいな?」
「……はい」
掠れた声で頷く。手首がまだ痛い。
でも、胸に滲んだのは恐怖だけじゃなくて、妙な温かさもあって、戸惑いを覚えてしまう。
その感情が表に出ていたのか、ヴラドは小さく吐息を零して、
「少し休憩」
と言って、タオルをこちらに突きだしてきた。
おずおずと受け取るが、どうしてタオルを渡されたのかがすぐには判らない。
「あ、あの、これはどうすれば……?」
「汗でも拭けばいいだろう?」
「あ……は、はい」
言われた通りに汗を拭く。
その間に、ヴラドは刀と剣を鞘に仕舞って、周囲の景色に眼を向けていた。
しばしの沈黙。
彼とそれなりの時間二人きりになるのは、首を絞められたあの夜以来だ。
なんだか緊張してきた。沈黙が息苦しい。けれど、自分から話を振る勇気なんてものもなかった。
怒らせるのは、怖い。
だから、ただ静かに、つぶさに様子を窺って――
「いつからやっている?」
こちらを見ることなく、ヴラドが訪ねてきた。
自分たちのテントには時計(ローマンたちの備品)が置かれていて、外に出る前に時刻は確認している。
その時間を伝えると、一言「長い」という言葉が返ってきた。
ここで「ではどれくらいの時間が適切なのか」とか聞けたら良かったのだが、怒っているような空気を前に、つい反射的に謝ってしまう。
謝ってしまって、きりきりと胃が痛くなってきた。卑屈が嫌いなのは、多分リリスだけではないからだ。
またやってしまった。自己嫌悪が否応なく視線を下げさせる。
そこに、
「もういい」
という追い打ちが来て、
「その気があるなら、明日からこちらの時間に合わせろ」
「え?」
「お前の独学よりはマシだろう」
……言葉の意味をすぐには呑み込めなかったが、どうやら、これからは一緒に訓練をしてくれるらしい。
「は、はい。あ、ありがとうございます……」
おずおずと感謝を伝える。
ヴラドの表情は変わらずだ。苛立っているように見えるけれど、怒気の類は滲んでいない。そんな感じ。
汗を拭き終わる。
と、そこで、昨日の会議での事を思いだした。大丈夫そうな話題を見つけたのだ。
リリスが説明すると言っていたけれど、結局彼女はその話をヴラドにはしていなかったので、まだ知らない筈。
「あ、あの――」
「なにか聞きたい事でもあるのか? あるならさっさと話せ。……別に、なんでもいい」
用件を口にする前に、ヴラドが言った。
最後の捕捉は、重要じゃない話でも大丈夫という気遣いだろうか。
今すぐ伝えなければならないような性急な話でもなし、ここは彼の厚意を受け取りたい。知りたい事もあったからだ。……ただ、本当にそれを訊いても良いのかは判らない。
なにを為すために、ヴラド・ギーシュは不死の力を求めているのか。
自分の中にある不死の悪魔をどのように処理するのかとか、具体的ではないけれどその時期とかは既に聞かされているので、おおよそ重要な部分に不透明さはないのだけど、その点についてはまだ聞かされていなかったのだ。
それが、単純に自分には関係のない事だったからとかなら問題はないのだけど、もし言いたくない事とかだったら、そこに触れるのは非常に危険で……
「……いえ、あの、昨日の会議の中で決定した事がいくつかあって」
迷った末、シャルロットは訊かない事を選んだ。
視線を彷徨わせつつ、おずおずと話し始める。
「予定進路の近くにあるウルタカの森という場所に、価値のある変異種がいるかもしれないとの事で、ヴラドさん達にも出来ればその討伐をお願いしたいと。それで、その、一緒に同行したいという方が居て」
「依頼主か?」
「いえ、違います。その、記者の方が、生きている変異種を撮影したいって」
瞬間、ヴラドの眼差しに険しさが宿った。
「あれはなにも言わなかったのか?」
「は、はい。その、暇潰しくらいには、なりそうだからって。あ、あの、その――」
「お前が気にする事じゃない。いちいち他人事でビクつくな」
抜けない謝り癖がまた発動しそうになったところで、ヴラドはつまらなげにそう言って、
「……戻るぞ」
と、少しだけ柔らかさをもった声で締め、歩き出した。




