14/新しい関係
息を殺して看守の背後に回り込み、首を絞めて失神させる。
小さな物音が別のところからも届けられ、そちらに視線を向けるとゼクスが同じように看守を無力化している場面を目撃する事となった。
その顔色はかなり悪いが、表情に関してはどこか高揚しているようにも見える。
(私は、どうだろう?)
と、エイダは自己の状態を確認する。
まず、呼吸が乱れていた。魔力も同様だ。そして看守から離した手は、驚くくらいに強張っており、また震えてもいた。
(もしかして、私って荒事に向いてない……?)
傭兵志望として、それは致命傷のような気がする。
そんな自分の弱心臓を否定するように、エイダはゼクスよりも先に移動を再開し、巡回してきた看守が異常に気付くより先にその看守の側頭部を水のハンマーで殴りつけ気絶させた。
「向こうの方も終わったみたいだし、これでこの区画は制圧完了かな」
事態を傍観していたクーレが、軽やかな足取りで最初に気絶させた看守の懐から鍵を取り出し、それをこちらに放り投げてきた。
「ラミア・シャーレとの再会まで、もう一息だ。頑張れそうかい?」
「あぁ、もちろんだ」
ゼクスが力強く頷く。彼の態度に揺らぎはない。
自分もそう在れたらいいのに、と悔しさに似た感情が滲む。正直エイダは、今此処に自分がいる事、自分が行おうとしている事に迷いがあった。
といっても、この監獄に足を踏み入れた時点で、今更葛藤に意味はない。
「私も大丈夫です」
頷き、奥に進んでいく。
緊張感に満ちた二人と異なり、クーレは相変わらず弛緩したままだ。多分、戦力としては期待できない。彼がするのは、通信石を用いて別地点から同じようにラミアを目指しているククルの情報をこちらに伝える事と、せいぜい伏兵の気配を教えてくれる事くらいだろう。
「向こうはもう始めたみたいだ。こちらもさっさと制圧して結界の二点同時解除に取り掛かるとしよう。敵の数は五人。手前を無力化してきた事もあって、多少は煩くしても問題なさそうだから、二人やったら残りの三人は強引に潰してしまうのがいいだろうね」
そのクーレの指示に従って、エイダとゼクスは五人の無力化を完了させた。
「ご苦労様。……あぁ、こっちも終わったよ。じゃあ、3、2、1、で行おうか。3、2、1――」
合図と同時に結界をつかさどる魔石を破壊し、来た道を戻ると、最奥に続く両開きの扉が開いているのを確認した。
どうやら、ククルはすでに中へと踏み込んでしまったようだ。
(合流してから行動する予定だったでしょうに……)
独断専行に苛立ちを覚えつつ、エイダたちはその魔力のあとを追いかけ――無事に追いついたところで、看守の首を撥ね飛ばす彼の姿を目撃した。
切った張ったを商売にすると決めたが、まだ人を殺した事はないエイダにとって、それは酷く衝撃的な光景だった。
「無事なようだね」
返り血を浴びたククルが、感情のない声で言う。
「……そっちもな」
自分と同じように少し引いた様子のゼクスが、やや強張った声でそう返した。
とにかく、障害はもういない。
「ノスティワによると、一番左側の列の奥の子がそうみたいだ。僕は部外者だから、ここで待っているよ。猶予があるうちはね」
壁に背中を預けて、クーレは欠伸を一つ零した。
本当に緊張感がない。それに八つ当たりじみた怒りを覚えつつ、左右に牢屋が並ぶ区画の一番左側の列を進んでいく。
ここは重犯罪者を収容する区画のようだが、牢に入っている人間はどれも凶悪犯というよりは、精神的に病んでしまった人達のように見えた。誰もが虚ろな目で、ぶつぶつと呟いているだけだったからだ。
そして、それは一番奥にいた少女もそうだった。
灰色の髪に、青白い肌、猫のように吊り上がった瞳に、薄い唇。なにより豊満とは言い難いスレンダーな体躯は、あまりにも自分の知る友人の姿からは離れていて……
「……ラミア、なの?」
ベッドの上で体育座りをして俯き、ぶつぶつとなにかを呟いていた彼女は、エイダの声でようやくこちらに気付いたようだ。
ぼんやりとした表情で視線を向けて、
「あら、ククルじゃありませんこと? 丁度良かった。貴方が居なくなったせいで、私大変困っていたの。アルドグノーゼ様の信頼を裏切ってしまった。本当、死んで償ってほしい気分ですわ」
と、とろけるような微笑と共に魔力を展開した。
頭が溶けるような甘美が、全身に広がっていき、まともに立っている事すら出来なくなってしまう。
ゼクスもその場に両膝を突いて、大きく開いた目を血走らせ、勃起をしながら涎を垂らしていた。
だが、ククルは平然としたまま、
「誘惑の魔法か。契約者の力。かなり強力だ。けど、もう俺には効かない」
怒りを押し殺したように呟きながら、殺した看守がもっていた鍵を用いて牢の中に入り、彼女の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
異様な空気が霧散して、正常な思考が戻ってくる。
同時に、ラミア自身の中にあった陶酔と狂気も、まるで悪い夢から覚めたように剥がれて、彼女は抵抗の意志を失った。
「そう、契約者の特性で全てを解いたのね。……それで、どうしてここに来たの? 私が此処にいるのを知っているということは、当然、私が明日どうなるのかも知っているはずでしょう?」
自嘲を孕んだラミアの声。
事実、彼女は翌日に処刑されるという話をリグチラが提供してくれていた。つまり、ククルの復讐は自動的に完了するはずだったのだ。
「……どうして、俺を助けたんだ? どうしてあの時逃げろなんて言ったんだ? それがなかったら俺は、もう俺じゃなかっただろうに」
彼女以上に苦しそうな表情で、ククルは訪ねた。
今のやりとりで既に確定してしまったが、ラミアの行動はラミアの意志によるものじゃない。これまでのすべては、アルドグノーゼの支配によって引き起こされた事だった。それが契約した第三天使の力によって解けてしまった時、彼女はククルを助けたのだ。
それらの事実が、彼をこの場所に到らせた。
「……そうね、どうしてかしら? わからないですわ。不思議な話ね。……付き合いの、長さのせいかしら?」
くすくすと、彼女は泣きそうな顔で嗤う。
ラミアの両親が殺されたのは七年前だ。つまり、七年間も彼女はククルと一緒にいたという事になる。
そして、その中で得た全ての体験や感情は、けして嘘という一言で片づけられるものではなかったのだろう。そういった積み重ねが、解放された時の彼女の行動を決定づけたように思えた。
その考えにククルも至ったのか、彼は怒りと悲しみを綯交ぜにした目で、
「…………お前が、ラミアを殺したのか?」
と、訪ねた。
もし違ってくれていたなら、ただ助けにきたと言える筈だから、と。
「ええ、そうですわ。私がみんな殺した。そして彼女に成り代わった」
淡々とした口調で、ラミアは答えた。
重たい沈黙が過ぎる。
永遠のように長く感じられたその時間を断ち切ったのは、クーレの足音だった。
「まだ結論は出ていないみたいだね。なら、場所を変えてから決めた方がいい。そろそろ大事になるから」
そう言って、彼はこちらの様子に殆ど興味なく踵を返す。
あまりにこちらを気遣っていない空気感に、遅れたら見捨てられるのではないかという不安が過ぎった。
「……私たちも行きましょう。今、此処で決めなきゃいけない事でもないんだから」
「あぁ、そうだな」
エイダの言葉にゼクスも同意して、クーレの後を追いかける。
ククルも数秒ほど迷いを見せていたが、
「確かに、その通りだね。……来い」
と、ラミアの手首を強く掴んで、駆けだした。
§
なんとか騒ぎになる前に、サラヴェディカに戻って来る事が出来た。
ククルとラミアの間にある空気は変わらず重苦しいままだったが、それをどうにかしたいとは思わなかったし、どうにかできるとも思えなかった。……ただ、無関係にする事もまた叶わないのだ。それが出来るなら、そもそもククルと共に彼女の元に赴くなどという選択は取らなかった。
彼と同様に、自分もゼクスも確かめたかったのだ。或いは許したかったのかもしれない。エイダだって彼女とはもう四年以上の付き合いであり、偽者の方としか面識がなかったのだから。
「さて、これで、こちらは君が提示してきた協力条件を果たしたわけだけど」
「分かってますよ。この契約者の力が必要なんですよね。この解の天使の力が。もちろん、なんでもしますよ。命だってくれてやってもいい」
クーレに対し、ククルが投げやりな調子でそう答えた。
「そう、それは良かった。じゃあ、まずは恩恵の限度確認かな。どこまで無償で行えるのかを把握しておきたい。ついて来て」
指差した先の空間が開き、二人はその中に入って行く。
追いかける前に空間が閉じ、エイダ、ゼクス、ラミアの三人はその場に残される事となった。
しばしの沈黙。
でも、このままじゃ精神的にきついと、エイダは口を開く。
「……それにしても、少し見ないうちに、ずいぶんと変わったわよね。貴女」
「ほんと、そうだよな。魔力の色まで違ってるし」
ゼクスも同じようなぎこちなさで言葉を続けた。
そんな二人を前に、ラミアは小馬鹿にするように鼻を鳴らして、
「相変わらず、御目出度いのね。私は貴方たちを騙していたのよ? 平和主義者の一員だったの。大勢殺しましたわ。以前に学校を襲わせたのも私」
と、まるで罰を求めるように言った。
それは、ザーラッハの人間としては怒りを抱くべき内容で……だけど、やっぱり感情はどっちつかずのまま宙に浮かんでしまっている。
いったい何故なのか、エイダは自身の心に問いかけて、一つの結論にたどり着いた。
「貴女がククルやご遺族に殺されても、私はきっと仕方がないと思うでしょうね。……でも、それだけよ。私はそれだけ。貴女に憎しみはないわ」
要は、本当の意味での被害者ではないのだ。それに、裏切られたという気持ちもあまりなかった。
その理由については明白で、ラミア・シャーレは初めからいい子ではなかったからだ。陰口も叩くし、興味がないものには冷たいし、なんで友人やってるのかわからない時も何度かあった。
その辺りの事を捕捉してやると、ラミアは少し呆けた顔をしてから、
「酷いですわね」
と、わらった。
それから視線を少しの間落とし、深呼吸を一つして、
「……不思議な気分ですわ。自分の中に色がない感じ。いつ以来かしら? もう覚えていないけれど、これが、私の心なのね」
それは、酷く静かな独白だった。あまりに寂しいと感じる佇まい。
だからだろうか、
「なぁ、お前の本当の名前はなんていうんだ?」
と、ゼクスが訪ねた。
今までのような付き合いはもう出来ないからこそ、これからの付き合いの始まりとして、名前を求めたのだと思う。そういう前向きさや寛大さが彼にはあった。
「……ラミアよ。ラミア・ペドリガ。名前と魔法が同じだったから私は選ばれたの。年も対象と近かったし、この上ない人選だったのでしょうね」
懐かしむように、ラミアは答えた。
それから互いの近況なんかを探り探り話しあっていると、二人が戻ってきた。
するとラミアは穏やかな笑みを向けて、
「……ククル、殺したくなったら、いつでもやっていいですわよ。私、待っていますから」
酷く優しい声で、そう言った。
衝撃的な内容に、エイダとゼクスは息を呑む。ククルも怒りと戸惑いの二つを滲ませて、本当に苦しそうだった。
そんな三人に、ラミアは寂しげに微笑み、
「おかしな反応ですわね。私にはもう何もないのよ? 生きている意味なんてありませんわ」
なにかを言わないとと言葉を探している間に、空間が裂け、そこから天使が現れた。
「部屋の用意が出来ました。どうぞこちらに。抵抗はしないように」
「抵抗なんて、するわけないですわ」
嘲笑うようにして、ラミアは天使と共に庭園を後にする。
その後姿に声を掛けようとして、でも出来ずに拳を握りしめたククルの姿が、ただ哀しく映った。
そんな彼に残酷なほど興味がないのか、クーレは欠伸を一つ零して、
「ところで、君達はどうするんだい?」
「どうするとは?」
「今後の事だよ。裏世界やら自宅やらに戻るのか、それともここに残るのか。ちなみに僕は残る事をお勧めするよ。どちらも、多分此処より安全ではなくなるだろうからね」
そう言われ、エイダは一度ゼクスと目を見合わせてから、
「お父様も一緒で構わないのなら、是非お願いします」
正直、あの深海世界は閉鎖的で、ただでさえノイローゼ気味な父には良くない場所だと感じていた事と、ラミアの件に関わった以上、彼女との距離は昔みたいであるべきだという思いから、エイダは頭を下げ、
「俺もお願いする。親父たちは海外出張で今年いっぱい帰ってこないし、にぎやかな方がいいし。ってわけだから、ククル、お前も決定な」
「……あぁ、もちろんそれで構わないよ」
と、三人はこのサラヴェディカに身を置くことを決断した。
その決断に関しては心が動いたのか。クーレは、うん、とこちらの心に寄り添うような柔らかな微笑で頷き――と、そこでなにか情報が入って来たのか、微かに眉をひそめて、
「そう、シャルロットの方はまだ帰ってきていないのか。これは、なにか問題が起きたと見てよさそうだね。さて、どうしたものかな?」
と、少しだけ気だるげな吐息を零したのだった。




