13/天使の特権
サラヴェディカに戻ってきたシャルロットを迎えてくれたのはクーレだった。
彼も少し離れた戦場にいたが、まったくの無傷だ。そこは流石というべきか。
「気配が突然消えた時は驚いたけれど、無事だったみたいでなによりだ」
「モルガナさんに助けてもらいました」
「彼女か。彼女はいいね。やっぱり、ルウォ帝国も巻き込みたいな」
「残念だけど、彼等が共闘を容認するとは思えない」
淡々とした調子で、ノスティワが口を挟む。
「そもそも彼等だけは協力を必要としていない。モルガナとアルドグノーゼがそれぞれの神子に対応すれば損失の恐れもなく処理できる。不測に対しても支配した二人の神子で足りるでしょう。侵略者たちが余所の神子を削れるだけ削ったところで始末すればいいと、彼等は考えているはず」
「つまり、現状は侵略者とルウォの理想通りの展開というわけか。それを他の陣営は正しく理解する必要がある、と」
楽しそうに、クーレは言った。
「理解した上で、正しく協力する必要よ。無理だと思うけれど」
ノスティワの方は悲観的だ。
そんな彼女に、シャルロットは訪ねる。
「悪魔の契約を用いても難しいんですか?」
「ザーラッハが二国の神子とその契約を結べたのは、タシネル・リャンタが居たから。彼女の影の大きさと、両国に神子が二人以上いたという点が大きい。制約を受けずに自由に動ける神子が保険となれていたからこそ。けれど、今は違う。クリスエレスとミッドラインダ帝国以外、神子の数は一人。その状況で国の生命線である神子に過度な制限を負わせる事なんて、まず出来ない」
「じゃあ、条件を揃えてみる?」
非常に軽い口調で、クーレは言った。
その内容の過激さとあまりにかけ離れたトーンに、ノスティワが動揺をみせる。
「……クリスエレスとミッドラインダの神子を殺すと? それは、我々に実現可能なことなの?」
「さあ? でも、やってみないと解らない事ではある」
「やるまでもなく愚策だとは思うけれど」
「でも、もし僕たちがそれを成し遂げたなら、間違いなく今以上の発言力を得られるだろうし、この戦争はより一層複雑になる。その混沌こそが僕たちの勝利には最も重要なものだ。なにせ、僕たちは今のところ一番弱い勢力だからね」
哀しい現実をクーレは嬉しそうに語る。それを覆して勝つ事こそが美学とでも言わんばかりの力強さだった。
「……いや、たとえ数を揃えられたとしても、それは難しい」
多少は可能性を感じたのか、少し吟味する間をおいてから、しかしノスティワは小さく首を振った。
「どうして?」
「本当に一人である事を証明できないから。今のはあくまで公となっているものが全てだったらという前提の話に過ぎない」
「事実、エンシェにはリズがいるしな。ミッドラインダもそうだ。神子が一人死んだというのに、特に焦った様子もないようだし、隠し玉を持っている可能性は高い。私もおすすめはしないな」
と、陰から顔だけ見せたマヌラカルタも捕捉を入れ、
「それよりも、このままクリスエレスとの力関係を変えていくべきだ。奴らを使える立場になれば、エンシェが弱体化した事も相まって、こちらも十分強力な勢力として振舞えるようになるからな。その立場が得られれば、他との交渉でも有利に立てるようになるだろう」
「それはいいんだけどさ。そこまでのスキャンダルになるかどうかは、まだ判んないんじゃない? ……っていうか正直、神子の戦いを見た後だと、最悪全部ごり押しで成立しそうっていうか、国の状態なんて関係ないって感じに見えてきてるんだけど」
やや言いにくそうに、プレタが意見を口にした。
マヌラカルタも確信はないのだろう、どう説得するかを考えるように口元に手を当てて、
「その点は、問題ない」
そう答えたのは、ノスティワだった。
「あの国においての信仰とは力と直結したもの。それが崩れれば、スロウの影響力は大きく減退する」
「具体的に、どの程度の低下が見込めるんだ?」
静かな調子で、ウィンが訪ねた。
「今のルプテと同等程度にまでは、落ちる事になるでしょう」
「今の? ……あぁ、そうか、天使の特権があったな」
「あの、それって具体的にどういうものなんですか?」
不思議な話だが、シャルロットはクリスエレスという天使の国で生まれ、天使と契約する予定にあったというのに、天使の契約については全く知らなかった。悪魔の契約については昔から知っていたというのに、だ。
「なるほど、そのあたりの情報も規制されていたのか。さすがは天使の国だな」
いっそ感心するように嗤ってから、マヌラカルタが答える。
「天使が持っている特権は二つ。『信仰の奇蹟』と『大いなる犠牲』だ。効果は、まあ言葉通りだな。信仰を集めるほどに天使は力を得られ、その信仰を生贄に、より大きな奇蹟を為す。欺瞞を象徴する奴等らしい力だよ。……しかし、どういう心境の変化だ? 実の娘の弱点を暴露するなど。奴の奇蹟は、他の天使のような、ちょっとした恩恵ではないんだろう?」
「……クリスエレスの現状を確認して、少し、思うところがあったから」
少し俯き、ノスティワはぽつりとそう零した。
「なんだそれは? 貴様、本当にあのノスティワか?」
マヌラカルタが不審を露わに詰め寄る。
この魔神にとって、ノスティワという神はよほど度し難い存在だったのだろう。
そんな彼の感情を諫めるように、ウィンがその理由を――今の彼女を動かしているものが人間の魂だという真実を語った。
「…………言われてみれば、たしかに淀みは感じられるか。そして、それが事実なら納得しても良さそうだな。私の進言の価値も高くなった事だし。まあ、いいだろう。とりあえずはそれを信じてやるとして……クリスエレスの方になにか進展はあったか?」
「首都に張り巡らされている領土魔法陣の特性が分かったという事くらい」
目を閉じ、淡々とした口調でノスティワが答えた。
「それはプレタ・リリエッテとリグチラ・コンクの成果だろう? 私は貴様の成果を訊いているんだ」
「残念ながら、サラヴェディカはクリスエレスには不可侵。スロウはサラヴェディカの管理を、先日ルウォ・アルドグノーゼによって失われた第四天使たちに預けていたけれど、自身に対する干渉が出来ないように注文をつけていたみたい」
「それを解くことは出来ないのか?」
「復活の際にある程度の権限は戻ったけれど、一部はスロウが保持したまま。譲渡させるには許可を得る必要がある」
「欠陥の多い管理者だな。あげく、契約した相手が神子ではないから、戦力としても一度しか期待できないと来ている、と」
侮蔑を孕んだ笑みを、マヌラカルタが浮かべてみせる。
それを涼しげに流しつつ、ノスティワは言葉を続けた。
「サラヴェディカの収集能力が使えない事実は確かに痛い。けれど、必要最低限の情報はあの二人で確保できる。此度の侵攻失敗もあるし、多少の粗や疑いはねじ伏せる形で、スロウは強引に信仰のための秩序を維持するため、次の生贄を用意するはず」
「問題はそれが侵略者の次の一手の、前か後かといったところか。たしか、神子の回復速度にはそこまで大きな個体差はなかった筈だが」
静かな口調で、ウィンが呟いた。
「外神については不明よ。それに彼等は契約者ではなく神そのもの。とはいえ、ルーメサイトも異物に寛容ではない。万全に戻すには二日程度必要となるでしょう。多くの他の神子と同じく」
「そっちは別に気にする必要ないでしょ?」やや呆れたようなトーンで、クーレが言った。「彼等は動かない。少なくとも僕が彼等の立場なら、すぐに仕掛けたりはしない。あと一人でも神子が死ねば、本当の意味で団結される恐れがあるからね。彼等が次に動くのは、二人以上が同時に死ぬような状況でだ。それだけ死ねば勝機が生まれる。もちろん、ルウォ帝国を除いた場合の話だけどね」
「開幕全面戦争を仕掛ける事といい、こちらの事は良く調べているみたいだな、異世界の侵略者は。まあ、なんにしても今は準備期間という事か。……他に用意するべきものは?」
「必須というわけではないけれど、クリスエレスの魔法陣の構成が判ったことで、有用になった魔法がある。『解』と『天秤』の二種」
ウィンの問いに、ノスティワが答えた。
「どちらも珍しい魔法だな。特に前者は、魔法辞典の類にも載っていない事が多い。宛てはあるのか?」
「ええ、前者は既に把握済み」
ノスティワの流した視線が、一瞬こちらを捉える。
貴女も知っているでしょう? というサインだ。
ククルの情報を提供した覚えはないのだが、一体どこから漏れたのか? 或いはサラヴェディカの中に居ることでシャルロットの知識や記憶なんかが覗かれているのか。色々と気持ちの悪い話だが、なんにせよそれを許可するつもりはなかった。
「その人にリスクがある選択は取れませんよ」
「心配せずとも、魔法を使う必要はない。恩恵だけで解決する問題よ」
こちらの言葉を想定していたのか、用意していたみたいなスムーズさで言葉が返って来た。
「……本当ですか?」
「ここにはそれを確かめる装置がある。……後者についても、特殊な魔法だからおおよその居場所は既につかめている。この大陸だとルウォに二人、ザーラッハに十七人、アンガラ共和国に五人、エンシェに三人いる。けれど、実用可能なラインにいるのはルウォに居る一人だけ。……もちろん、この情報をどう扱うかは、最終的に貴女が決める事になるのでしょうけど、クリスエレスを攻めるつもりなら、間違いなくそうした方がいいと進言しておく」
冷ややかな眼差しをもってノスティワは言った。
拒む理由は、残念ながら見当たらない。
「どうやら決まりのようだね。――あぁ、解の魔法については僕が話を付けておく。ちょっと彼には興味もあったしね」
そう言って、クーレは愉し気に微笑んで、
「というわけだから、シャルロットは天秤の方をよろしくね」
有無も言わさず、担当する相手が決定したのだった。




