08/全ては秩序の為に
そうして、まんまと悪魔に唆されて、シャルロットは再びクリスエレスへと足を踏み入れた。
今度は独り。とはいえ、首都にはまだプレタとリグチラがいる。
後者は今どこにいるのか不明だが、前者に関しては番石は持ってもらっているので、見つけるのはそう難しくない。
持ってきた受信側の番石に魔力を灯すると、数秒ほどで発信側の番石が反応を返してくれた。
場所は、王宮の近く。ここは外壁付近の裏路地なので、内門を二つ潜る必要があった。
透明化だけでは突破できないギミックだ。でも、すでにリグチラが抜け穴を見つけてくれていて、もう一つ持ってきた番石を起動させると、合図を受け取った潜伏中の平和主義者のメンバーが、誤作動というカタチで内門を人が一人入れる程度の隙間だけ開いてくれた。
巧妙なのは眼で見ているだけでは門が作動したことに気付かれないように、簡易な認識干渉と、視覚干渉が施されているという点だ。
この番石をもっている自分だけが、その影響を受けることなく変化を察知し、すぐに閉じる門の内側に身体をねじ込む事が出来る。
それをもう一度繰り返して首都の中心部への侵入を果たし、そのまま番石から伝わってくるポイントに向かって進んでいくと、叔母の屋敷の前へとたどり着いた。
以前見た時と違って、正門を潜った先にある庭の様子は一変していた。
草木は全て黒く枯れていて、中央の水瓶をもった片翼の天使の噴水にいたっては、その首と翼がもがれ、これ以上ないほどに穢されている。
やったのは、おそらく家主であるレナリア本人なのだろうけれど、凄まじい憎悪がそこにはこびりついているようだった。
周囲を見渡して、誰も見ていないことを確認してから、閉ざされた門を飛び越えて、開いていた窓から中に入る。
と、そこで、左手から声が響いた。
「あんた、どうしてこんな所に来たのよ?」
彼女が持っている番石は発信用だったので、相手がシャルロットとは気づかなかったのだろう、その手には剥き出しの短剣が握られている。
「まあいいわ。話はラウンジでしましょう」
短剣を腰の鞘に仕舞って、プレタはすたすたと歩きだす。
ラウンジのテーブルの上には、大量の資料と飲料水が入ったボトルが数本置かれていた。
「それで、何かあったわけ?」
「はい、実は……」
ここに来た理由を説明する。
話を聞き終えたプレタは、小さくため息をつき、
「事情は分かった。あたしのところに来たのも正解よ。でも、単独行動は感心しないわね。変な気とか遣わないで、ちゃんと戦力は常に傍に置くように心がけなさい。あんたはリーダーなんだからさ」
と、やや強い口調でそう言った。
「そう、ですね。すみません……」
軽率だった。まだ今の自分の価値を正しく認識できていない証拠だ。これは強く意識して改善していく必要がある。
「……まあ、ゆっくり自覚していけばいいわよ。その間は、きっとあのクーレとかいう男が死ぬ気で守ってくれるでしょうしね。ある意味で、あいつこそが元凶なんだから、苦労させてやっても全然いいだろうし」
苦笑気味にそう言って、プレタはテーブルの上に置いてあった飲料水をこちらに差し出してソファーに腰をおろし、開封済みの水をぐびぐびと飲み干していく。
シャルロットもここまで結構歩いて喉が乾いていたので、ありがたく頂くことにして、封を開けながらプレタの向かいのソファーに腰を下ろした。
水をちびちびと飲みながら、改めてラウンジを見渡してみる。
全体的に埃っぽい。レナリアがこの家を放棄してまだそれほど経ってはいない筈だから、もともと掃除などをしていなかった事が窺えた。カーテンで完全に日の光を拒絶した室内を照らしている照明石も、魔力が切れかけているのか、チカチカと明滅を繰り返している。
「では、まずは、そうね。ここに住んでいた奴の話からしましょうか」
空になったボトルをテーブルに置いて、プレタが話を始めた。
「レナリア・ディ・グゥオン。元は下位の貴族でありながら、最上位の貴族の一角である『ディ』の位にいた女。あんたの叔母でもあるわね。エンシェに寝返ったって話だけど、ここでは死亡扱いになっているわ。誰の死体を火葬したのか知らないけれど、かなり雑な確認だったみたいね。その体たらくを見越してなのか、あてつけみたいに色々とヤバい情報が中には転がってた。露見したら何人の首が飛ぶか想像つかないくらいのね」
「……私の事も、なにか書かれていたりしましたか?」
父が元凶なのは知っているけれど、エンシェに寝返った以上、叔母も無関係でないのは想像出来ている。
彼女は、一体どの程度絡んでいたのか……。
「気分のいい内容じゃないわよ?」
「大丈夫です、ある程度は把握していますから」
「なら、いいけど」
一息をついてから、プレタは口を開いた。
それはシャルロットが想定していたものとは大きく異なっていて、
「……そっか、主導してたのは、お父様じゃなかったんだ」
全てを聞き終えたところで胸に去来した想いは、寂しさだった。
少しだけ、もし父がそれを知ればどうなるのかと考えて、何も変わらなかっただろうという結論にすぐに辿りついてしまったからだ。
真の元凶だったレナリアに対しても、不思議と憎しみを抱くことは出来なかった。理由はきっと、クリスエレスという国がそういう国だったからという、ある種の達観が自分の中に既に構築されてしまっていたからだろう。
そしてそれをより強固なものにする情報が、プレタの口より齎される事となった。
スロウが言った「自分の次」とは一体何を指しているのか、答えを急いだシャルロットに、彼女はこう答えたのだ。
「あんたがこの国を出てすぐに、ある貴族の男が罪人になった。愛人との関係を進展させる為に、妻と子供を殺したらしいわ。でも、死刑にはならなかった。これまでの功績っていうのを理由に、それだけは許されたみたい。で、今は無期限の社会奉仕を命じられているんだけど、その内容が戦場や手術なんかで負う痛みの肩代わりだったり、ただ苦しめる事を目的にしているみたいな奴ばっかなのよ。……これって、あんたが置かれていた立場に少し似てると思わない? しかも裁判は完全に非公開ときている」
「……無実の罪、ということですか?」
「いや、家族を殺したのは事実っぽい。ただ、動機の部分がかなりぼやけてんだよ。外から来た女に惚れこんでの凶行って話なんだけどさ、目撃者のその女の特徴が見事に一致してなくてね。なんていうか、愛人ってイメージだけで作られてる感じ? こういうのって、経験上大体裏があるのよ。賭けてもいいレベルでね。あと、ここ数日ずっと聞き耳立てて情報収集して、ハッキリした事があるんだけど、聞こえてくる不満とか怒りの類の大半が、その元貴族に向けられてたんだよね。新聞賑わせた当日とかならまだしも、もう結構な時間が経ってて事件としても終わってるのに、ふとした拍子に誰もがその話題を口にして、まるで身内が殺されたみたいに怒りをぶちまけて、不自然なくらいにこの事件を風化させないようにしてる」
「それって、もしかして……」
嫌な汗が、背筋に滲んでいた。
その先の言葉を口にする事が、少し怖かった。
「えぇ、国が率先して捌け口となる生贄を作ってるって事でしょうね。実際、かなり強力な体制でその維持は行われている。多分、領土魔法陣を絡めた洗脳とかもやってるんじゃない? じゃないとこの状況はあまりに異常だし。実際あんたの前にも居たのよ。まあ、ちょっと毛色は違うけど、貴族という立場でありながら嘲笑の対象とされてきたような捌け口がね」
「そう、なんですか。……でも、どうして貴族なんでしょう?」
「多分、嫉妬があるからじゃない? この国の貴族は結構な権利を持っているみたいだし、それに対して色々と不満を抱いている奴等は多いでしょう。そういう奴等にとって、転落した貴族を嘲笑うっていう行為は、十分不満や怒りを晴らせるものだった。そういう憎しみがこの国には必要だった。或いは、それこそがこの国の秩序というものをより強固にする核だったのか」
……罵倒をする人の中には「貴族だからって」という言葉を使う人が多かった。潜在的に、そういった格差に対する不満をこの国の人達は抱えていた。
「でも、知りませんでした。誰なんですか? 私の前の人って」
アステアのような英雄にならなければと自分の事でいっぱいいっぱいだったから、本当に外の事には疎くて、
「クルジェ・デ・グゥオン」
「……え?」
その名前を前に、呆然としてしまった。
従妹である彼と顔を合わせたのは二度。一度目はシャルロットが舞踏会にデビューした五歳の時だった。
大勢の人の前に出るのもその時が初めてで、英雄アステアの娘を見る視線がとにかく怖くて、泣き出しそうだったのを覚えている。そして、それと同じくらい、レナリアの隣でぎこちのない礼儀作法を披露してくれた彼の事も覚えていた。
緊張している自分に優しく声をかけてくれて、大丈夫だって言ってもらえて、それにずいぶんと救われたからだ。たしか、彼もその日が社交界デビューだった。
生きていた彼を見たのは、それが最初で最後。
次に彼を見たのは、彼の葬儀でだった。
彼は、屋敷に押し入ってきた賊と交戦して死亡したのだ。享年13歳。その当時、シャルロットは七歳だった。そして契約者になったのは十歳の頃で……
「……彼は、亡くなった後も?」
「あぁ、常に無様と無能の象徴として扱われて、しばらくその席に座らされていたみたいだね。母親の方にも色々と吐きだされてたみたい」
あんまりな解答に、思わず笑みがこぼれた。
同時に、涙も滲む。
「最低。本当、最低な国……!」
眩暈がするくらいに腹立たしくて、吐き気がするくらいに受け付けられなかった。
「まったく同感ね。だからこそ、この真実はクリスエレスにとってもかなり重要になるはず。もちろん、洗脳の類を解いた上でって前提にはなるけど、貴族に化けたデューリ・コンクの情報と併せれば色々とやれる事は増えそうね。まあ、それらの情報をどう使うかは、あんた次第って事になりそうだけど」
と、そこでにわかに外が騒がしくなりだした。
何事からと二人して外に出て、すぐに原因を発見する。
空一面を、真っ赤な魚の群れが泳いでいた。
侵略者が、本格的な侵攻を開始したのだ。




