07/悪意の行方
イナゴの群れのような悪意も、罪人の象徴である拘束服もなく、故郷を歩く。
骨と皮しかないくらいに痩せ細っていた身体も、首輪代わりに切る事が許されなかった無様に伸びきった髪も一新したうえ、帽子をかぶって顔を見られないようにしているから当然なのかもしれないけれど、本当に誰も、シャルロットには気付かない。
「ここがクリスエレスの首都か、聞いていた以上に嫌な空気を纏った街だな」
知らない男性の姿に化けたリグチラが、不快そうに眉を顰めた。
隣を歩いていたプレタにいたっては、汚物をぶつけられたみたいな凄い表情を浮かべている。
そんな二人は情報収集のために、すぐに別行動を開始した。
「二人とも、気を付けて」
「そっちもね」
背中に送った言葉に、プレタは振り返らずに軽く手を振りながら声を、リグチラは振り返って淡い微笑を返し、足早に去っていった。
それを見送ってから、シャルロットも招かれた王宮に向かって歩き出す。
付き添ってくれるのはクーレとウィン、ノスティワの三名だ。ノスティワはともかく、二人の存在はあまりにも頼もしい。
特に絡まれるようなこともなく内門の前に到着し、内門もまたこちらが殆ど待つことなく自動的に開かれた。
そのまま次の内門もくぐり、王宮のある都市の中心部へと入る。
(……懐かしいな)
痛みを伴う懐かしさが、胸に広がった。
悪魔憑きとなる前まで、シャルロットはこの区域で生活をしていた。それ以降の生活に比べて、この場所には遙かに多くの思い出がある。
まあ、その思い出とて、幸せと呼べるものは数えるほどもなかったが。
「――っ、悪魔憑き!?」
ここでようやく、シャルロットを認識できる人間に出くわした。王宮の正門を守る門番だ。どことなくだけど見覚えもあった。
そんな門番は憎しみと嫌悪に満ちた表情を浮かべながら、内部への侵入を防ぐ透明な結界を解除し、
「少し、待て」
と、短くそれだけ告げて、腰に携えていた剣の柄を強く握りしめた。
必死に感情を堪えているような感じ。
「さすがに自制心はあるんだね。こんな国の人間でも」
感心したように、クーレが言う。
皮肉なのか本心なのかは、よくわからなかった。いずれにしても門番はその挑発に耐え、一分後、案内役の騎士がやって来る。
「どうぞ、ついてきてください。間違っても妙な真似はしないように」
こちらも本当に露骨にシャルロットに嫌悪感を滲ませていて、ようやく故郷に戻って来たという実感が湧いてきた。
それがなんだか可笑しくて、少しだけ苦笑が浮かんだ。こんな受け取り方を自分が出来るなんて、少し前までは想像もできなかった。
(私、ちょっとは強くなれたのかな……?)
なれていたらいいなと思いながら、足早に進んでいく案内役の後を追いかける。
王宮内部の様子は昔訪れた時とあまり変わっていないように感じられた。まあ、その当時の記憶なんて曖昧なものなので、ただの印象でしかないけれど、その印象部分は本当に変わっていない。
清廉で、厳粛で、息が詰まる感じ。
そうあることを物凄く強いられているような、居心地の悪さだ。同調している人たちだけが、活き活きとしている。
その異様さの中心点である玉座の間にたどり着いた。
緊張に満ちた表情でドアをノックし、騎士が言う。
「お連れしました」
「……そう、ありがとう」
気品に満ちた鈴のような音が鳴った。
鼓膜の心地良さを、これ以上ないくらいに突き詰めたような声だ。あまりの通りの良さに、気色悪さを覚えるほどだった。
扉が開かれ、騎士がその奥に深々と一礼をし、立ち去っていく。
踵を返す彼の表情はなんとも誇らしげで、褒められた子供みたいに無邪気だった。
……本当に、気持ちが悪い。この感じは、花火を見たあの夜のアルドグノーゼの演説を聞く人々に通じるものがある。
「どうぞ、入ってきてください」
そんな狂気をふりまく玉座の主が、ゆらりと立ち上がり、こちらに向かって微笑んだ。
腰まで届く流麗な金色の髪に桜色の瞳をもった、清廉と優艶の二つを兼ね揃えた可憐な少女にして、白と蒼を基調とした礼装を身に纏った厳粛な神子。
天上のスロウ。
クリスエレスの法そのものにして、この国の創設者たる第一天使である。
クーレは既にザーラッハの和解交渉に伴って接触を果たしていたが、シャルロットが会うのはこれが初めてだった。幼い頃も、彼女に会う機会はなかった。
「……久しいね。スロウ」
やや硬い声で、ノスティワが口を開く。
そこに含まれた感情は、はたしてどんなものだったのか。
「ノスティワ様。本当にお戻りになられたのですね。しかし、あまりにも手遅れです。貴女はもはや、この世界の中核ではない」
静かにノスティワを否定しながらも、スロウは言った。
「同盟の話でしたら問題ありません。貴女方には十分な価値がありますからね」
「じゃあ、さっそく具体的な話をしようか。悪魔の契約は出来る?」
冷めた表情で、クーレが進行役を買って出る。
一刻も早く面倒を片付けて帰りたいといった空気を、隠す気もない感じだった。
「そこまでの関係性は必要ありません。そこまでの価値もありませんし。お互い、正しい距離を保った援助をするというのが好ましいでしょう」
微笑を湛えたまま、どこまでも優しい声でスロウは言う。
その、無邪気な悪意とすら言えそうなスタンスに、クーレの目が少し細められた。
「襲撃を受けた場合は?」
「火の粉を払っていただけたのなら、それに見合う報酬を差し上げますよ」
「ならこっちもそれでいいよ。その代わり、攻勢に出る時は人員が欲しいところかな。もちろん有象無象のゴミじゃない、まともな戦力が、だよ?」
にこやかな微笑を浮かべ、クーレも棘を返す。
「召喚獣を一種、提供しましょう。数の方はそちら次第となりますが」
「それは太っ腹だね」
「か弱い者への慈悲は、天使の義務ですから」
……このような感じで、まったく和やかさの欠片もなく具体的な話は進められていき、それでもなんとか同盟関係は締結された。
そうして無事に王宮を出られそうだと、安堵を覚えつつスロウから背を向けたところで、
「あぁ、そうだ、貴女にはまだ労いの言葉を贈っていませんでしたね。貴女はたしかに価値を落としましたが、それでもけして無価値ではありませんでした。貴女の七年は実に有益だった。次の方が大変だと思う程度には」
という言葉が、シャルロットに届けられた。
思わず振り返った先にいた彼女の表情は、まるで子を見る母のように、ぞっとするくらいに優しくて――
§
「――ふっ!」
新調した細剣を、力任せに振り抜く。
足運びは細かく狭く、斬撃は極端な緩急をつけて、全身に無酸素化の負荷をかけ続けていく。
次々と滲み飛び散る汗と、自室をこもっていく熱気。
それが心臓に痛みを齎してきたところで、シャルロットは脳裏に浮かびあがった悍ましい貌を断ち切るように一際鋭い斬撃を放ち、息を吐き、ベッドに脇に腰を下ろした。
小休止だ。ゆっくりと呼吸を整えながら、タオルで汗を拭く。
同盟が成立したあの日から、数日が経過していた。
その間に起きた最も大きな出来事は、異世界の脅威に対して、ブーセット大陸にある全ての国家が一時的な休戦を決定、各々の裁量で共闘関係も構築される運びとなり、サラヴェディカもそこに加わった事だ。
まあ、といっても、そういう難しい仕事はノスティワやクーレが担ってくれているので、現状シャルロットにその件で出来ることはなく、事態が動くまでは待機という事になっていた。だから、こうして訓練に励む事と、サラヴェディカの有している情報を頭に入れる事に終始しているわけだが、その甲斐もあって、アンフェノという魔神や、悪魔の契約という名の特権、曖昧だった儀式についての詳細なんかもある程度頭に入れる事が出来たと思う。
そして、だからこそ、この儀式がいつから始まっていたのかを計る事も出来て、どうしようもない嫌悪感を覚える事になった。
(……極日、か)
それは大雑把に言ってしまえば、ルーメサイトよりも上位世界の座標、下位の世界の座標、そして同列の外世界の座標などが完璧に噛み合った、いわゆる自然が生み出した魔方陣の事を指しているのだが、それがルーメサイトという世界を中心に成立した事はまだ一度もなく、しかも、その見積もりが立ったのは三百万年ほど昔の事らしい。
ザーラッハが建国されたのも、ちょうどその時期だ。
彼らは戦火をばらまき続け、今日に至るまで儀式の中心点であるブーセット大陸に夥しい死を――生贄を積み上げてきた。
とても偶然とは思えないし、きっとザーラッハの力だけでも成立しなかったはずだ。儀式を知る立場にあった神子を抱える国の多くも、共犯者だった可能性が高い。
戦争で最も多く死ぬのは傭兵や兵士だ。けれど、戦争である以上一般人だって死ぬ。戦争自体は避けられないものだとしても、意図的に大陸中で戦争を起こさせようとする動きには、どうしても忌避感を抱いてしまう。
けれど、同時にそれだけの生贄が捧げられているからこそ、儀式の価値は絶大で、そこに期待してしまう自分がいるという事実からも、眼を逸らすことは出来なかった。
嫌な二律背反。まあ、二律背反に良いものなんてないとは思うけれど。
(……でも、一体どういう内容にするのが一番いいんだろう?)
権利を得た時の事を、少し考える。
ルナの記憶を取り戻して、ヴラドの死を回避するにはどうすればいいのか。
目的も手段もはっきりしているけれど、どのような形でそれを実現させるべきなのかという点については、まだ何も固まっていなかった。
たとえばヴラドの件にしても、死そのものを回避するのか、その死を取り返しのつくものにするのか、或いは全てが始まる前の過去に戻って原因を始末するのかなど、色々なアプローチがある。問題の解決という点ではどれを選んでも一緒なのかもしれないけれど、過程の違いがそのあとの未来に影響を齎さないとも限らない。手に余りある奇跡を用いるのだ。想定外の歪が起きないように、全ての事の神経を使う必要がある。……まあ、そのあたりの儀式の運用方法なんかも、自分は完全な門外漢なので、ノスティワあたりに頼るしかないわけだが。
(……よし、休憩終わり)
気を取り直して、また剣を振るう。一つ一つの動作と魔力の動きに注意しながら、新しい細剣を身体に馴染ませていく。
でも、あまり上手くはいかない。
自分が集中できていないのが判る。理由の方も、良くわかっていた。
その煩わしさを殺すようにまた必死に剣を振るうが、やっぱりどうしても集中できず、ついつい壁に掛けられている鞘に入った折れた細剣に視線を向けてしまった。
自爆である。
今の関係性を物語っているようなその有様にどうしようもなく胸が痛んで、じくじくと後悔が滲んでくる。
そんな無様な半身に呆れたのか、影から声が放たれた。
「雑念に塗れているな? それで訓練になるのか?」
「……」
対応せず、シャルロットは剣を振るう。
まったく気にせず、不死の魔神は言葉を続ける。
「今一番気になっている事から何故目を逸らすのか。この暇こそ、それを解決する機会だというのに。それともクリスエレスの事情など、もはや興味はないか? あの腐りきった国を変えようとは思わないのか?」
嗜虐に溢れた聲だった。
姿を見ずとも、悪意に満ちた彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。同時に、その言葉が意味する事も理解できた。
「……同盟を組んでいるんだよ? そんなこと――」
「愚かだな。必要なのは戦力だけだ。そして重要なのはイニシアチブ。内部の統制が乱れれば、それだけ奴等はサラヴェディカに頼らなければならなくなる。そうなれば、当然こちらの要求も、より多く、奴等は呑まなければならなくなるというわけだ。弱みは積極的に握って行け。それが健全な同盟関係というものなのだからな」
そんなわけがない、と頭では思いながらも、一蹴することは出来なかった。
スロウが口にした、次の方、という言葉と、あの時の表情をどうしても拭う事が出来なかったからだ。
それを無視してはいけない事は、きっと、自分が一番よくわかっていたから。




