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君>世界   作者: 雪ノ雪
第二章『災禍の恵み』
7/13

01

この章にプロローグはありません。

 クリスエレスの西北に位置するムルカ連合の商業都市に降り立ったヴラド達は、早々にサロンで身を清めてから、服屋へと足を運ぶ事となった。

 街中を無様な姿で歩かせては関係者の品位や美意識が問われる、とシャルロットをこちらの前に突き出したリリスが強く主張したためだ。

 まあ、実際シャルロットが無駄に注目される事態は避けたかったので、それ自体に不満はない。

 不満があるとすれば、時間を使いすぎているという点くらいだ。

 たかが身支度一つに、どうして一時間以上もかかるのか。開始三分で衣類の更新を終えて店を出たヴラドには、まったく理解の出来ない事だった。

「……ふふん、やっぱりわたしのセンスは素晴らしいわね。これなら多少は見れるわ」

 ようやく店から出てきたリリス(ムルカ連合は悪魔を罪としているわけではないので、しっかりと実体化している)が満足そうに呟く。

 対して、彼女につき合わされて着せ替え人形をしていたシャルロットは少し疲れた様子だったが、表情に昏さなどはなかったので、深刻に捉える必要はなさそうだった。

「待たせたわね。それで、感想は?」

「?」

「この娘の格好に対するお前の感想よ。最初と比べてどうなのか。――あ、別にとか、どうでもいい、はなしよ。ちゃんとよく見て、感じた事を口にしなさい」

 これまたよく判らない要求をしてくる悪魔である。

 無視してもいいが……どうにも、そちらの方が面倒になりそうなので、要望に応えシャルロットを注視してみる。

 クリスエレスを出てから此処に来るまでの十日間、大きく変わった点は髪だ。

 まるで手綱の代わりみたいに太腿辺りまで伸ばされていたシャルロットの髪は「傷み過ぎよ、目障りだわ」というリリスの不満の元、肩口あたりの長さになっていた。(ちなみに切ったのはヴラドで、リリスは後ろから細かい指示を出すだけだった)

 当初は白髪も目立っていたが、栄養を得たからか今は殆ど見当たらない。

 ただ、これは道中の話だ。リリスの望む答えではないだろう。とはいえ、服装の事などヴラドには判らない。自己修復機能が付いていた前の拘束服の方が防御性能は高そうだったな、というくらいの感想しか出てこなかった。

 少なくとも、今着ている服にそういった特性は見当たらない。肌の露出も少しではあるが多くなっているし、腹などが裂かれた場合に臓器を留める性能も低そうだ。

 正直、良い部分が見当たらない。

(……いや、状態を確認しやすくなったのは美点か)

 まあ、顔を見るだけでも大体判る事ではあるが、他の部位の皮膚や肉の状態を目視できれば、その精度はより高まるだろう。

 それに、そもそもシャルロットを戦力として数えるつもりはないのだから、戦いに向いているか向いていないかはこの際どうでもいいのだ。

 だったら、これは賞賛になるだろうと、ヴラドは言葉を吟味した上で言った。

()えた」

「……」

「……」

 微妙な沈黙が数秒過ぎった。

 それから、心底疲れたようなリリスのため息。

「お前ね、少しは言葉を選びなさいよ」

「増えた。膨れた。重くなった。…………骨と皮だけよりはずっといい」

「なるほど、今思いついたっぽい最後の言葉以外が、他の候補だったわけね。その中なら最後が一番マシかしら。まあ、落第点に変わりはないけれど」

「多少は見れるようになった」

「それはわたしが言った台詞――」

「こちらと大差ない」

「寝言ね。大有りよ。お前とわたしじゃ美に対する目線が違うもの。極めて高い水準にあるこのわたしが、見れると評価してあげているんだから、これ以上ない褒め言葉でしょう?」

「独り善がりの価値のない評価だな」

 心外だったのか、リリスの表情に険が宿る。

 と、そこで、

「あ、あの、ありがとうございます」

 本格的な口喧嘩に発展しそうな気配を察知してか、やや口早にシャルロットが言った。

 結果、リリスの矛先が彼女に流れる。

 それに気圧されたように俯きながら、彼女は言葉を続けた。

「えと、あの、その、服を買って頂いて、すごく、嬉しかったので……ご、ごめんなさい」

「……わたし、卑屈な奴って嫌い。苛々するもの」

 淡々とした口調で、リリスが言う。

 今しがた行われていたようなただのじゃれ合いとは違う、本気のトーン。

「ご、ごめんなさ、あ、え、ええと……」

 シャルロットはますます委縮して、そのうち息すら止めそうな感じだった。

 そんな彼女の俯いた視界の中にすっと入りこみ、リリスはその頬をおもむろに両手で挟んで固定し、見つめ合う事を強要してから、少しだけ柔らかくした声で言う。

「治せと言っているのよ。その猶予を与えてあげているの。あぁ、でも、そのためには、まずは自信が必要なのかしら? いいわ。お前にはわたしの護衛を任せてあげる。剣を買いましょう。最低限は扱えるはずよね?」

「は、はい」

 顔をやや赤らめながら、シャルロットが素直に頷く。

 それに気を良くしたのか、リリスは小さく微笑んで、

「じゃあ、行くわよ」

 と、意気揚々とした足取りで歩きだし、途中でこちらに振り返って、

「今度はお前にも時間を使わせてあげるわ。五分だけ待つ」

 と、楽しそうにのたまった。

 そうして武器屋に訪れ、ヴラドが投げナイフを何本か購入している間に、シャルロットの武器も決まった。見た目がカッコいい、などというふざけた理由でリリスが選んだらしい。……まあ、どうでもいいことだ。

 あとは魔石店などで水石やら火石やらを購入すれば、ザーラッハに向かう手筈は整う。

 目的地までは七日程度だろうか。もちろん、飛竜の速度に制限を掛けなければ半日程度で到着できるが、まだその速度に耐えられる身体がシャルロットにはない。

 或いは、此処で一日体調を整えるために休んでから向かう方が、結果的には早く到着できるかもしれないが……などと考えていると、風に乗って妙な気配がやって来た。

 視線をそちらに向ける。

 空模様が怪しい。嵐の類であるのならば雲の上を行けばいいだけなので大した問題はないが、どうやらそういったよくある現象でもなさそうだ。

「……へぇ、これは面白い事になったかもしれないわね」と、遅れて気付いたリリスが言った。「あれは|制域よ」

「制域?」

「正しくは制限特殊領域だったかしら。要は、この地域特有の現象ね。でも原因の方は馴染み深い」

「……|災禍か」

「そう、天泪(てんるい)が大地に落ちた事によって生じる極端に魔力濃度の高い一帯。その影響を過剰に受けているのが制域という現象ね。足元が液状化したり、空が溶けたりするらしいわ。当然、移動にも大きな支障が出てくる」

 ちらりとシャルロットを見遣ってから、リリスは言った。

 つまり死なれたら困る彼女がいる限り、強行突破は得策ではないという事だ。回り道をしなければならなくなった。まあ、彼女だけではなくヴラドにとってもリスクの方が高いので、居ようが居まいがその選択を取っただろうが……

災王(さいおう)の可能性は?」

 ふと、思いついたことを口にする。

 大地ではなく、魔物に直接『天泪』が注がれる事によって誕生する存在。

「無くはないわね。確率は神子の三倍くらいはあったはずだし……ふむ、そうね、手札の補強にはもってこいか。ただの変異種にしか出くわさなかったとしても、十分価値はあるしね。どう転んだとしても悪い時間の使い方にはならない。でも、災王を始末するなら、お前一人では少し心許ないわ。味方をつくらないとね」

「そんな物好き、簡単に見つかるのか?」

「ここは商業の都よ。大きなトラブルは同時に大きなチャンスにもなる。そう考える楽天家は多い。とりあえず、宿を決めてからギルドにでも顔をだしましょうか。いつもの如くね」

 そう言って、リリスは弾むような足取りで歩き出した。


                §


「どうやら、思ったよりも早く前兆を捉えていたみたいね」

 冒険者ギルドに到着するまでもなく、足を踏み入れたオフィス街には『制域探索、参加者求む』と銘打たれた募集のチラシがそこら中に貼り付けられていた。

 依頼主の数も相応に多い。最低でも二十はいるだろうか。

「だけど、熱量の方は似たり寄ったりだわ。これでは災王に到底届かないし、わたしたちにも釣り合わない」

 言って、リリスは踵を返す。

「宿に戻るのか?」

「ええ、のんびりと、途中の自然公園で出店でも堪能しながらね。名案でしょう?」

「……あぁ、文句はない」

「でしょうね。――ん? お前はどうしてか判らないって顔してるわね」

 シャルロットの微かな戸惑いを見て、リリスが微かに目を細める。

 ここで「ごめんなさい」と条件反射で言っていたら彼女は鼻を鳴らしていただろうが、それを寸前で堪えた進歩に気を良くしてか、

「考えてみなさい。お前でも判る事よ。どうして、わたしたちは待っているのが最善なのか」

 と、優しい口調で言った。

 十分後、公園に到着する。シャルロットはまだ答えに辿りつけていない。

 そこに失望を覚えたわけではないだろうが、大人しく待つことには飽きたのだろう。アイスの屋台を見つけたリリスは、子供のようにスキップを混ぜてながらそこに向かって行ってしまった。

(……ラムレーズンのダブル)

 が売っているのなら自分も食べたいし、シャルロットも喉が渇いているだろうからバニラかチョコレートあたりも欲しいところだが、果たしてリリスの奴は三つも同時にアイスを抱えてここまで戻ってこれるのだろうか? という心配が過ぎり、リクエストするかどうか迷っていると、先に問題の答えがやってきた。


「ヴラド・ギーシュ様ですね。双方にとって非常に有益なお話があるのですが、落ち着いた場所でどうでしょうか?」


 それなりの強さを感じさせる護衛を二人連れた中年の男。おそらくは商人の類だろう。手首に巻かれた腕時計や指輪から、相当に儲けているのがわかる。それに、このタイミングで冒険者ギルドにも足を運んでいないヴラド達を見つけたという事は、それなり以上の情報網を持っているという事も示していた。

「残念、時間切れね。次はちゃんと答えられるように、色々な箇所に思考を巡らせておきなさい。わかった?」

 手ぶらで戻ってきたリリスが言った。どうやら今の気分に合うアイスはなかったようだ。

「は、はい、が、がんばります……!」

「素直でよろしい」

 そこで、リリスは視線を商人に移し、

「で、お前はどういう条件を提示できるのかしら? あぁ、つまらない言葉を並べたら、そこで終わりだって事を自覚して喋ってね」

「……」

 上から目線の傲慢な態度に、商人は一瞬むっとした表情を見せる。

 どうやら、この男はヴラドのオマケとしてしかリリスを見ていないようだ。つまり、彼女こそが交渉の主役だという事実を把握出来ていない。

 この手の不備は、状況によっては容易く致命傷にもなりうる。

 事実、目ざといこの悪魔は商人の感情を誰よりも早く察知し、ヴラドの身体にぴたっとくっついて、

「ねぇ、ご主人様、こいつ今わたしのことイヤらしい目で見た。どうしたらいい?」

 などと適当な言葉を並べ、相手の感情を弄ぼうとしていた。

 相変わらず趣味が悪い。

「な!? だ、誰がお前のような小娘に――」

「なに? お前、ご主人様がわたしに向ける愛を異常だとでも言いたいの?」

 不意にぞっとするくらい冷たい表情を浮かべて、リリスが相手の言葉を縫い止める。

 結果、より大きな動揺が商人の表情に滲みだした。

 こちらを重要な交渉相手と認識しているのは間違いなさそうだが、悪魔の戯言にここまで翻弄されるというのは、組む相手としてはどうなのか。利用しやすいという点では、悪くないのかもしれないが……

「グスタフ、あまり莫迦を晒さないでくれ。ここの商人がみんなそうだと思われてしまうだろう?」

 呆れるような声が、脇から差し込まれた。

 視線を向けると、そこには杖をもった初老の男が立っていた。

「……ローマン」

 ぎりっ、という音の苛立ちが商人の奥歯から響く。

 そのさまを、いっそ憐れむような微笑で受け止めながら、ローマンは言った。

「なにより、ただで交渉をしようなどという事自体、『血喰らい』を相手に失礼が過ぎるというものだ」

「へぇ、驚いた。最近は別の異称の方が有名な筈なんだけど。色々な大陸に根を張っているみたいね、お前」

 リリスの表情に、少し真剣味が宿る。

「長く商いをしていれば、誰もが手に入れる事の出来る情報ですよ。麗しくも可憐な淫魔(リリス)殿」

「――」

 その言葉で、目の前の少女が悪魔であることをグスタフという商人はようやく認識したらしい。こちらが有名な傭兵であり契約者である事は知っていても、具体的にその契約相手がどのような存在なのかまでは把握していなかったようだ。纏っている魔力があまりにも貧弱で、人間の子供にしか見えない所為だろう。

 これはこの商人に限った話ではなく、翼を実体化させていない時は大抵、どこかの令嬢であったり、気紛れで拾われた元奴隷の愛玩動物かなにかと間違えられるのが、リリスという悪魔だった。

『か弱くて生意気な小娘って可愛いでしょう?』

 というのが、それをしている理由らしいが、もちろんそんな戯言を信じた事はない。

「クリスエレスの神子(みこ)を相手にしたとも聞いています。神子と揉めて罪人として広められていないという事は、彼の者にとって望ましくない結果だったという事なのでしょう。そこまでの戦果を挙げられた貴方様は、今最も価値のある傭兵と言っても過言ではない」

「おべんちゃらはいいわ。見え透いたお世辞って不快なだけだし?」

「私は世辞など言いませんよ。そのような事に時間を使えるほど、若くありませんので」

 朗らかなポーカーフェイスでリリスの悪意をいなしつつ、ローマンはリリスの元へと歩み寄り、懐から布袋を取り出して、片膝をついて目線を合わせ、

「不足かもしれませんが、どうか、これで交渉の席について頂けませんか?」

 と、それを彼女の掌の上に置いた。

「……過剰でもなく過小でもなく、か。いいわ。座りましょう」

 中身を確認したリリスが、袋をこちらに放り投げる。

 相変わらずノーコンだ。まあ、一歩踏み出せば取れる距離にあるあたり、今日はまだマシな精度といったところだが。

「ありがとうございます。……おや、まだ居たのか?」

 蚊帳の外に置かれていたグスタフを見遣り、ローマンは微かに驚いたような表情をみせた。

 なかなかに煽るものである。因縁込みの競合相手という事なのだろうか。

「貴様、なにを企んでいる?」

 敵意を露わにしながら、グスタブが押し殺した声で言う。

「企むも何も、利益に見合う投資を行っているだけの事だ。私は商人だからな」

 揺らぎない口調で、ローマンはそう答えた。

 リリスも特に文句はないようだし、この男で良さそうだ。

「心臓」

 最後の確認をするべくヴラドが口を開くと、いつもの言葉足らずを埋めるべく、リリスが補足を加えた。

「災王のそれが、こちらの求める報酬の最低条件よ。お前はクリアできるかしら?」

「……心臓だけで良いのなら、喜んで」

 数秒の沈黙は、本当の意味での驚きと、利害の計算をしていたためだろうか。

 いずれにしても、この男はそのリスクを呑み込んだようだ。

「決まりのようね。では、契約の手続きと行きましょうか」


                §


 そうして、制域という特殊な環境が齎す利益を求めて結成された隊商と手を組んだヴラドたちは、三日後、集合地点である街の西門の前へと足を運んでいた。

 時間通りの筈だが、既に多くの先客がいる。

 規模についても一応聞いてはいたが、この三日で更に増やしたらしい。国から派遣された調査員なんかもいるようで、総勢百名以上にはなりそうだ。

 その中で一番多いのは、もちろん危険に対処する傭兵や冒険者である。

「むさくるしいのがいっぱい居るわね。華がないのもほどがある」

 ここの荒事連中に一体なにを期待していたのか、リリスが残念そうにため息をついた。

 それが聞こえたというわけではないだろうが、身形(みなり)を酷評された一団がこちらに向かってくる。

「てめぇがヴラド・ギーシュか? 女二人も(はべ)らせて登場とは、ずいぶんといい御身分だな、おい」

 真っ先に口を開いたのは、先頭に立っていた髭面の男だった。

 なかなかの実力者だ。多分、この辺りでは名も通っているのだろう。

 五人の取り巻き共は、そんなリーダーの強さに絶対の自信を持っているようで、一様に挑発的な視線を向けてきている。

「ねぇ、これってもしかして喧嘩を売られているのかしら? 困ったわね、煩いだけの無能は斬り殺してもいいって、契約書に書かせておくべきだったわ」

 心底面倒そうに、リリスはそう吐き捨てた。

 先に手を出させるための安い挑発だ。その狙い通り、同じくらい安そうな取り巻き共はすぐに激昂した。

 髭面の男も、初めからどちらが上かを知らしめる為にちょっかいをかけてきたのだろう。それに乗っかり剣に手をかけ――

「――口だけならともかく、手まで出すのは契約違反だよ。依頼主のお気に入りみたいだし、損な真似はやめときな」

 苛立ちを孕んだ声が、左手から届けられた。

 視線をそちらに流すと、そこには肩口で乱雑に揃えられたくすんだ金髪に、小麦色の肌をした女が立っていた。

 かなりの長身だ。ヴラドと同じくらいはあるだろうか。さすがに肩幅などはヴラドより少し狭いが、相当に鍛えられているのが判る。

 得物は長剣と短剣の二本。守りを重視した立ち回りが得意そうだ。傭兵ではない。冒険者の方だろう。

「まあ、気に入らないのはあたしも同感だけどね」

 こちらを軽蔑するように鼻を鳴らして、女はそのまま去っていく。

 取り巻き共は、そんな女にも噛みつこうとしていたが、それより先に、

「……行くぞ」

 と、髭面の男がやる気を捨て、彼女とは別の方向に去っていった。

 取り巻き共の姿も消えたところで、ぽつりとリリスが呟く。

「驚いた。あれ、生娘だわ。二十半ばくらいで醜女というわけでもないのに、人間の雌がねぇ……」

 心底どうでもいいが、この悪魔にとってその違和感はそれなりに重要らしい。

 そして、それは他の人間にとってもそうだったようで、

「それ、本当の話かい? お嬢ちゃん」

 と、またも知らない誰かが声をかけてきた。

 今度は男だ。女と同じ武器構成だが、こちらはより攻撃的なのが一目で判った。

 へらへらとした笑顔を浮かべているが、瞳の方はまったく笑っていない。こういう目をした奴は、冒険者よりも傭兵に多い印象だった。

「なに? 馴れ馴れしい奴ね、お前」

 自分から声をかけるのはいいが、他人に無遠慮に干渉されるのは大嫌いなリリスが、露骨な舌打ちをかます。

「あぁ、悪い悪い、つい驚いちまってね。彼女はプレタ・リリエッテ。この国で一番の冒険者さ」

 まったく歓迎されていない空気を綺麗に流して、男はにこやかな笑顔を浮かべた。

 そのふてぶてしさが、逆に無視する事を避けさせたのか、

「そういうお前は、どこの誰なのかしら?」

 と、リリスは微かな警戒を滲ませながら訪ねた。

「あぁ、失礼、俺はデービス・ウルジルカだ。彼女とは違う、そこそこの冒険者だよ。これを最後に傭兵団の一員に鞍替えしようって決めている程度のね。まあ、そっちの適性もあんまりなさそうな魔法しか持ってないんだが、それでもそこそこ強くはあるんだぜ? ってことで、ザーラッハに行きたいんだよな。ノイン・ゼタが大陸に戻って来たって聞くし。なあ、あんたは外から来たんだろう? だったら、この大陸外でのノイン・ゼタの評判だって知ってるよな? 実際どうなんだ?」

 ヴラドの方に視線を切り変えながら、デービスが質問してくる。

「……アルタ・イレスの方が目立っていた」

 少し考えて、ヴラドはそう答えた。

「そうなのか? それはいいことを聞いたな。そっちも念頭に入れておくか。ありがとよ、傭兵さん」

 なにかしらの意図があってというよりは、ただ興味本位で声をかけてきたのか、デービスはあっさりと背を向けた。

「……つまらない嘘ね。そんなことをする価値があるの? あんな男に」

 呆れ混じれにリリスが訪ねてくる。

 嘘というのは、両者の知名度に関してだ。

 アルタ・イレスもザーラッハから生まれた最高位の傭兵組織だが、ノイン・ゼタにはどの大陸でも半歩ほど劣っている。戦力差においては、それ以上だった。

 その差が、これ以上広がるのはよろしくない。

「さっきの女よりはな」

 一言で答えると、リリスは目を丸くして、

「そうなの? とてもそうは見えなかったけれど……まあ、お前が言うならそうなんでしょう。でも、だとするなら、ちょっと期待はずれね。その程度の奴が幅を利かせているだなんて。ほんと、残念だわ」

 と、白けた表情で、プレタという名の冒険者への嫌悪を露わにしたのだった。


                §


 制域を移動するにあたって、一番気をつけなければならないのは足場の確保だ。

 液状化した地面というのは場所によっては底なし沼にもなるし、そもそも人体も一緒に溶かす場合もある。

 それを避ける為に、この隊商は小さなキャンプ地を作れるくらいの範囲の金属の板を用意し、その四方の隅に穴を開け、そこにロープを結び、雇った召喚士たちの空飛ぶ魔物と繋いで、低空飛行をもって移動するという手段を取った。

 全部で五つその環境は作られ、指揮にもたつきがないようにグループも五つに分けられた。

 中心に置かれたのは、依頼主であるローマンを含めた危険に晒されると不味い人員と、食糧などの重要物資だ。そして、それを守るように陣形を組んだ周りの四つには傭兵や調査員などが配備され、ヴラド達は左下のグループの中に置かれる事となった。

 そこの指揮を任せられたのはローマンの秘書だ。仕事の出来る理知的な女といった印象だったが、荒事に関しては素人で、百点とは言い難い人選だった。まあ、指示に従う必要のないヴラドにはどうでもいい話である。

 こちらに求められている仕事は、災王を含む危険な(あるいは価値の高い)魔物を殺すことだけ。それに関しても全てこちらのやり方でいいとの事で、殆どの場面に制限がない。だから、誰かを守る必要もなければ、見回りなどに参加する義務もなかった。

 おかげで、制域の手前まで進軍するだけの本日は、ほとんど休暇のようなものとなっている。個人用のテントも用意されているし、のんびり過ごすのに支障が出る事もないだろう。

 とはいえ、油断が出来るほど同行者に信頼があるわけでもない。

 折り畳み式の簡易ベッドの上に腰を下ろしながら、ヴラドは絶えず小さな魔力の波紋を広げて、周囲の様子を窺っていた。

 移動が始まってから三時間ほどが経過したが、今のところ特に問題はなし。

 それを、つまらなく思ったか、

「少し出歩くわ。このまま此処に居たら、退屈に殺されてしまいそうだし。――あぁ、心配しなくても、実体化は解くからトラブルは起きない。きっとね」

 と言って、両足を広げヒトの背中に凭れて出発前に買った新聞紙を読んでいたリリスが、勢いをつけてベッドから降り、金属の床に足が触れる間際に実体化を解いた。

 これで、同類の悪魔か悪魔憑き以外に彼女が認識される事は無くなったわけだが、

「あ、あの、私はどうすれば……?」

「お前は消えられないでしょう。そこの無口とお喋りでもしていれば? まあ、別に下のお世話でもいいけれど」


                §


 そうして、シャルロットはヴラドと二人きりになった。

 彼は眠たげな表情で長刀の手入れをしている。時間が空いている時にいつもしている事だ。よって、基本的には暇を持て余しているという認識でいいのだと思う。だからこそ、リリスもあんなことを言ったのだろう。

(……下の、お世話)

 どういう意味かは、一応判る。つまりは娼婦のような真似をしろという事だ。

 昔、父がそういった職業の人を見て、嫌悪と侮蔑を露わにしていたのを思い出す。

 あの時は特に疑いもなく彼の感情に正当性を覚えていたけれど、立場が変わった事もあって、今はもうそういう認識はもっていない。……とはいえ、そういう行為に抵抗がなくなったというわけでは、もちろんなかった。

 というか、そもそも免疫がないのだ。悪魔憑きになってからはおおよそ人間扱いをされてこなかった人生だけど、貴族の娘という立場上、子供が生まれることは絶対に避けなければならないという都合もあり、性に関しては下手な貴族以上に守られてきたためである。

 でも、もう自分はその立場にいない。そして、今の自分はろくに役にも立っていない。だったら、自分に出来る事は、そういう事だってやるべきなんだろう。多分、しなきゃいけないのだ。少しでも見限られるリスクを減らすためにも。

「…………あ、あの、わ、私、が、がんばりますから、え、えと、その――」

「悪魔の戯言を真に受けるな。気持ち悪く媚びるな。反吐が出る」

 いっそ憎悪すら込めた声が、身体をすくませた。

 あの夜、首を絞められた時の事を思いだす。自分はまた失敗したのだ。彼をただ怒らせてしまった。

「ご、ごめんなさい」

「暇なら剣の訓練でもしておけ」

 冷たく吐き捨てて、ヴラドはテントを出ていく。

 一人になってしまったシャルロットは、少しの間その場にへたり込んで自己嫌悪に陥っていたが、彼の言葉に縋るように買ってもらった剣を手に取って、素振りを開始した。


                §


 低空を飛ぶ魔物の速度は大体百二十ディール(時速にして百二十キロ)、大陸横断などで最も重宝されている軍馬の三分の一程度だろうか。

 実体化をしていたらかなりの強風を感じそうなものだが、テントの外にいる者達の髪が大きく揺れる事はない。その辺りは簡易な結界によって防がれている。中に居る人間の快適さを求めた結果なんだろうが、少々外への警戒に支障が出そうな所が怖いところだ。

 もっとも、これもおそらくは制域に入るまでだろうし、中に入ってからの移動速度は嫌でも落ちる。

(さて、どこから埋めて行こうかしらね)

 暇潰しの体で外に出たリリスだが、当然それだけを目的に出歩いているわけではなかった。

 この依頼に裏がないかどうかや、災王と遭遇した際に本当に戦う意志があるのかどうかなど、色々と確認を取る必要があったからだ。

 まあ、あくまで暇潰しがメインである事に変わりはないので、そこまで真剣味はないのだが、こういう複数の勢力が一堂に会す場所では、適当であっても意外と情報というものは零れ落ちて来るもので、


「それにしても、今回は本当に大規模だな。傭兵の数もそうだけど、他にも色々と……」

「そうだな。でもまあ、プレタさんもいるしな。そのあたりの調整は問題にならないだろう。早速お役所連中にこっちの都合を通してくれたみたいだし、上の回答待ちでグダる心配がなくなっただけでも万々歳だよ」

「けど、傭兵や冒険者同士の空気はなんか微妙な感じじゃないか?」

「そのあたりはいつもの事だろう。むしろ、このクラスの戦力が集まったわりには、纏まってるほうだと思うが」

「いや、だけどさぁ……」

「なんだよ? ずいぶんと後ろ向きだな。これって立候補じゃなかったっけ?」

「し、仕方がないだろう? ボーナス美味しかったし。もうじき子供も生まれてくるし、稼げる時に稼ごうってアイツが言うから」

「尻に敷かれるってのは大変そうだな」

「そういうお前はどうなんだよ? 別に金には困ってないだろう?」

「制域なんて、これを逃したら二度と足を踏み入れる事がなさそうな場所だからな。それに、社長も一緒なんだ。最大限の準備が約束されているなら、冒険をしてみるのも悪くはない」

「……まあ、確かに、社長も一緒なんだもんな。心配し過ぎかなぁ」


 早速、ローマンという人間の身内評価がこうして入ってきた。

 自分が矢面に立つことで、自然な形でリスクを他人にも強要出来る人物。

 裏はありそうだが、実行力や支配力には、このまま一定の信頼を置いても良さそうだ。

(でも、もう少し近しい人間の声も聞きたいところね)

 少し興味を持ったので、ローマンの居る中央の足場に移る。

 此処は主に幹部社員や役人のエリアだが、何人かの冒険者もここに配置されていて、ちょうど今、ローマンと打ち合わせをしていた。

(……そういえば、あの女のテントも此処にあったわね)

 プレタ・リリエッテ。

 戦士としての実力は大したことないとヴラドが評価していた女だが、こちらと同じく結構なスペースを陣取ったテントを利用している。しかも、ローマンのテントのすぐ横。これ以上ないくらいに判りやすい信頼のカタチだ。

(結構、付き合いは長そうね)

 駆けだしの頃から面倒を見ていたとか、そんなところだろうか。

 生娘でなければ色々と邪推も出来たのだが……とりあえず、気に入らない女の弱みを握るのは最後にすると決めて、情報収集を続ける。

 結果、ローマンが既婚者である事や、でも子供はいない事。ムルカ連合においては頭一つ抜けている商人である事。冒険者ギルドの支部長とは旧知の仲だという事。彼の秘書が珍しく今日は遅れて出勤してきたらしく、記憶が飛ぶほどお酒を飲んでいたらしい事。こちらに先に声をかけてきたグスタフという商人が、なにやら仕掛けてきそうだという事などが、追加で判明した。

 その中で注目すべきは、やはり最後の情報だろうか。

 他にも制域に足を運んでいる隊商は多いようだし、人間同士の殺し合いに発展する可能性は高そうだ。まあ、殺し合いが日常の傭兵にとっては、そこまで気にするような話でもないが。

(……そろそろ、本命に行っても良さそうね)

 あらかたの情報は仕入れる事が出来たと判断し、大きなテントの中に入る。

 外に居なかったので当然と言えば当然だが、そこにプレタの姿はあった。

 簡易ベッドに腰を下ろして、ずいぶんと神妙な表情を浮かべている。

 こちらの存在には、まったく気付いていない。

「……はぁ」

 そんな隙だらけ女から、ため息が零れた。

 悩みでもあるのか、それは弱みになりえるものなのか……などと考えていると、今度は急にその頬が朱く染まった。

 いったい何を考えたのか、邪念を振り払うかのようにプレタは首を左右に振ったが、頬の色は変わらぬまま、

「あぁ、もう、なんであんなに可愛い生き物がいるのよ……?」

 と、弱々しく呟いた。

「あれが契約した淫魔(リリス)って奴なの? 契約者ってあんなのを自由に出来るの? 自由に……」

 いっそう頬を赤らめて、プレタはベッドの毛布に顔を隠して悶えだす。

 人間の基準で見れば十分な美人が、何故未だに男を知らないのか、その理由の一端がそこにはあったわけだ。

 それを知ったリリスの表情は、

「――あはっ」

 まさに小悪魔と呼ぶにふさわしい、魅惑的かつ底意地の悪い笑顔だった。


                §


 テントの中は防音の所為で、外の状況が把握しづらい。

 だから、シャルロットの事があろうがなかろうが様子を見るつもりだったヴラドは、落下防止のために設置された腰くらいの高さの外周の柵に手を乗せながら、ゆっくりと近づいている制域の方を見据えていた。

 魔力で視力を強化しても此処からではまだ制域という現象を確認できないが、重苦しい気配は既に伝わってきている。

 にも拘らず、見回りの者達は呑気なものだ。

 思わずため息が零れる。とてもじゃないが、彼等に安全を任せる事は出来ない。

 そんな自然な反応だけには注意を払っていたのか、近くにいた三人の傭兵が、派手な足音を立てながらこちらにやって来た。

「俺たちの警備が信用できないって感じだな? おい」

「あぁ」

 あっさりとヴラドは頷く。

 傍にリリスがいない以上、言葉を選ぶ必要もない。まあ、仮に居たとしてもこの手の輩にあの悪魔が配慮するとも思えないが。

「……ずいぶんと自分の実力に自信があるようだが、俺たちが知ってるのは噂だけだ。それも大半はこの大陸の外。程度の低い外のだ。そんな噂ほど宛てにならないものはない」

 剣に手をかけながら、右手に立つ男が言う。

 抜くつもりはなさそうだが、くだらない意見だ。

「お前たちの信用なんて要らない」

 ばっさりと彼等の価値を切り捨てつつ、ヴラドはなんとなく周囲への警戒レベルを引き上げる。

 もし敵がいるのなら、此処で仕掛けてくるだろうと思ったためだ。

 こういう杞憂は大抵徒労に終わるものだが、どうやら今回はそれが功を奏したようである。

 もう話す事などないだろうに、無駄に声を荒げる真ん中の男の背後から、針のように細く鋭い殺気が迫ってきていた。

 補足した時にはもう、ヴラドは刀を抜いていた。

 目の前の三人は、その動作にすら反応する事なく、ただ怒りに任せて声を放っていて――直後、耳を劈く金属の衝突音が響いた。

 弾いた矢の重さを手の痺れで実感しつつ、風穴が開いた真ん中の男から血が噴きだすより早く左後方に跳び退くと、二の矢が左側にいた男の首から上を吹き飛ばしながらヴラドの肩を掠めていく。

(……あそこか、遠いな)

 距離にして、大体十五ヘクター(十五キロメートル)程度だろうか。足で追いかけるのは得策じゃない。

「――ディア」

 静かに、飛龍の名前を呼ぶ。

 隊商の後方約三ヘクターに控えさせていた、信頼できる仲間。

 声に宿した魔力の意味を感じ取り、彼女は颯爽と上空から現れた。

 その背に乗って、首に掛けられている手綱を握り、ヴラドは空を駆け、飛龍本来の速度を持って一気に敵との距離を詰めていく。

 途中、ディアの翼目掛けて一本矢が飛んできたが、偏差射撃とはならなかった。

「奥は任せる」

 言いつつ、こちらの隊商と同じくフロートの足場を拵えた敵陣の一つに降り立つ。

「……強制でもされていないかぎり、他の翼種なら制域を嫌って近付きたがらないんだが、さすがに飛龍は例外か。怯えの一つもないとはな」

 超遠距離から正確無比に射抜いてきた青髪の射手が、つまらなげに呟いた。

 その傍らには、瓜二つの容姿の、髪の色だけ正反対の赤毛の男がいる。

「そんなことよか、あれを弾き返した事を危惧するべきだと思うけどな。こりゃあ、眉唾の噂以上って奴だぞ、兄貴」

「足止めしろ。射抜く」

「はっ、簡単に言いやがって! 上等だ! やってやるよ!」

 啖呵を切ると共に、赤毛の男が地を蹴った。

 手にしている身の丈以上の大剣が勢いよく振り下ろされ、金属の足場に衝突する。

 その反発を利用して、間髪入れずに返し刃が襲ってきた。

 初めからそれを狙っての連撃だったのだろう。なかなかにスムーズだ。ただ力任せに剣を振っているわけでもない。たしかな技量がそこには見受けられた。

 けれど、対処に困るほどでもない。

 大上段から降り下ろされた三度目の斬撃に、カウンターを合わせる。

「――っ、やっべ! 死にかけたぞ! おいっ!」

 紙一重で躱された。

 反応がいい。それ以上に勘がいい。総合的に優秀だ。少々面倒な相手。

 その認識の元、本格的な攻勢に移る。

 緩急をつけ、フェイクを混ぜ、体勢を崩し、まずは胴体に一太刀。

 が、その一撃を、目の前の敵は肘と膝で白羽取りしてみせた。

 思い切りの方も良さそうだ。ただ、完全に受け止めるには姿勢が悪い。斬撃の勢いを少し殺す程度。とはいえ、軌道はズラされた。

 その所為で、胴体を守る軽装鎧に当たって長刀は肋骨で止まる。臓器に届いていない以上、致命傷には程遠い。動きにも大きな支障が出ることはないだろう。

 こちらを追い払う大剣の横薙ぎから距離を取りつつ、刀についた血を振り払って仕切り直す。

(……再生の魔法か)

 魔力による自己治癒能力の上昇と魔法の決定的な違いは、戦闘中に深手を治せるか否か、要は回復速度だ。

 浅かったとはいえ、欠けた骨を一呼吸の間に完治させる治癒魔法の質は、かなりのものに思えた。無論、不死には程遠い三等級程度の価値ではあるが。

「殺れそうか?」

「見たらわかんだろうが! クソッタレ! こいつ、マジで俺より二段くらい強い。最高に胸糞だぜ、おい!」

 矢をこちらに向ける青髪の射手の問いに喧しく叫びながら、赤毛の男は愉しそうだ。

 少し、クーレに似ている感じがする。……が、こいつのそれは勝利の宛てがあるからこその余裕だ。本当に絶望的な時でも笑えるのかどうかは判らない。

(まあ、どちらにしても、問題はないか)

 射手が矢から手を離すと同時にばら撒かれた魔力の波――そこに潜ませるように放たれていた背後からの奇襲を躱し、ヴラドは刀をその奇襲者に放り投げながらそちらに向かって地を蹴った。

 防いだのなら次の手で殺す予定だったが、その必要はなし。心臓に刺さった刀を回収しつつ、そいつが腰に携えていたナイフを一本拝借する。

 これで、回収する手間のない、射手への使いやすい牽制が手に入った。

「……前後からの時間差攻撃も届かないか。なるほど、たしかに噂以上だ。参加者の誰でも良い中で一番の外れを引くとは、今回は運がなかったな」

「冷静ぶってっけど、ヤバいぞ、どうすんだよ!」

「そうだな、和解が出来ればいいが――」

「死ね」

 返答は端的に、ヴラドは魔力を高めていく。

 敵の戦力はおおよそ把握出来た。これ以上時間を掛ける必要もない。

「どうやら無理なようだ」

 特に落胆も焦りもなく、射手はそう呟き、

「だが、こんなところでリスクを負うのもどうかと思うがな。――判るだろう? 制域はまだ広がっている。今、この時も」

 その言葉の直後、ヴラドも察知した。

 嫌な気配が、急に大きくなり始めたのだ。

「これ以上、この場所にいると、戻れなくなるかもしれないな」

 視線をそちらに一瞬だけ流すと、溶け始めた空と、それに怯えた魔物の大群がローマンの隊商の方に向かっているのが見えた。

 まだ猶予はあるが、制域の影響を受けた可能性もある魔物の脅威度がどの程度のものかは不明であり、雇われた傭兵たち全体の質にも疑問が残っている。

(……退き際か)

 ここでの最優先はシャルロットを死なせない事と災王の心臓。前者のリスクを冒してまで、こいつらを今殺す必要性はない。

「ディア」

 後ろの陣を三つほど潰し、小腹を満たすためか人間を何人か噛み砕いていた飛竜を呼ぶ。

 肉片を吐き捨てて、彼女はこちらに戻ってきた。

 制域の空気に嫌悪を滲ませた呻り声を上げながら、中空で一度ホバリングをする。

 そのタイミングに合わせて背中に乗り、ヴラドは隊商へと引き返すことにした。


                §


 双子の殺し屋は、離れていく脅威を前にそれぞれ安堵の反応をみせた。

 先に赤毛の方が大剣を背中の鞘に仕舞い、次に射手が弓をおろす。

「……撃たねぇのか?」

「無駄撃ちをしてどうなる」

「当たんないか?」

「当たらないな。まだ条件をクリアできていない」

 淡々と応えつつ、射手は周囲に視線を向けた。

 被害は甚大だ。立て直しにはそれなりの時間が必要だろう。

「なぁ、さすがに割に合わないんじゃないか? こっちの物言いを真に受けたとも思えないし、狙われてるってのが分かってる状態を殺らなきゃならないってのは、正直きついぜ?」

「だが、既に依頼は引き受けている」

「けど、どうにかするしかないってわけでもない。所詮は金と信用だけの問題だからな、別の大陸に引っ越せば大体解決だ」

 その物言いに、依頼主の部下共が敵意に近い気配を滲ませるが、死に体の連中が噛みついてきたところで何の問題にもならない。それに、赤毛の男の言葉には続きがあった。

「降りたいのか?」

「まさか。楽しくなってきたところだよ。今以上の名声を得られる機会は少ないからな。上に行くには本物を食わないと。だから安心しな、降りはしないさ。最後までな」

 彼は獰猛な笑みで依頼主の部下たちにそう告げて、兄の方に視線を戻し、

「……では、続行だ」

 その一言と共に、部隊は立て直しへと移行した。














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