03/原初の絶望
視界に複数の世界が広がっている。
それらの世界のあちこちに目をつけたみたいに、ノスティワはあらゆる角度から全てを観測していた。それが酷く気持ち悪く感じるのは、やはり今ここでものを考えている自分が人間の魂を宿した存在だからか。
複数の世界が急速に変化し、多くの生命が爆発的な速度で生まれていく。
それは全てを物凄い速度で早送りしているようでもあったが、おそらくは逆で、自分の時間感覚を極限まで遅くした結果なのだろう。
そうして観測に集中し、天使が生まれ、悪魔が生まれ、幻獣が生まれ、精霊が生まれ、それらの世界が文明を構築していく最中に、ルーメサイトが新しい世界を生んだのを感知した。
空の上に佇む宮殿の中にあった本体に、意識が戻る。
傍らには、アルドグノーゼの姿があった。彼も大きな変化を感じて意識を器に戻したようだ。
「あれは何の世界なのかしら?」
「観察していればすぐに判る」
「それも、そうね」
素っ気ないやりとりを交わしたのち、二人はまた意識を時間感覚を遅めて、世界の変化に臨むことにした。
§
その世界に最初に生まれたのは、空を飛べる羽根もなければ、暴力に対する鱗もない、あげく魔力すら乏しいヒト型だった。
人間と名付けたその生物は、他のどの種よりも脆弱ではあったが、あらゆる可能性を内包するという不思議な特性をもっていた。天界、魔界、幻獣界、精霊界の全てと繋がっているというその世界の特性が、全ての世界にある色を混在させたのだろう。
それは非常に危険でもあったが、同時に非常に大きな飛躍を匂わせてもいた。
その為、人間界と名付けられた世界には、先に誕生し位階を上げていた他の上位世界の直接的な干渉が行えない法則が敷かれる事が決定した。
人間の変化は、他の世界の種の変化と比べて明らかに多様だった。期待した通りに多くの可能性がそこからは生まれた。
それを観察する行為はノスティワにとって非常に興味深いもので、そしてそれはきっと彼女だけではなかった。
§
「名前?」
「彼等は大量にいるだろう。そして連携をして行動する。だから個体名をつけないと色々と支障が出るんだろう。彼等の全てがテレパシーをもっているわけではないからね。私たちとは違って」
これはいつの記憶だったか、時系列は少し怪しいが、目の前にいるのはエルラカだ。
この雌雄同体の神は、人間が文字というツールを生み出した事を切っ掛けに、口という器官を進化させて神の言語を与えた。
積極的な介入はあまり好ましくなかったのでノスティワは賛成しなかったが、多数決で負けて……しばらく経った頃に、その進展についての報告に来たのだ。
正直、あまり興味はなかったが、彼の方はそれを非常に面白いと感じたらしく、こう言った。
「私たちにも名前をつけないか?」
「名なら既にあるだろう?」
突然現れて口を挟んできたのはアルドグノーゼだ。
原初の宮殿と呼ばれるこの共有領域にヒトが集まる機会もずいぶんと増えたものだな、と少し感慨に耽る。それもこれも人間界を皆で管理する事になり、共通の問題が生まれたためだった。
「ニア・アルドグノーゼ。でもそれは担当領域と機能の名前だ。個体をさすものじゃない。カフ・ノスティワも然り」
また別の声がやってきた。カラエルである。
「必要性があるとは思えないな」
「同感ね」
アルドグノーゼの意見に、ノスティアも面倒そうに頷く。
「無論その通りだ。だが、あって困るものでもないだろう? 要はただの戯れさ」
積極的な姿勢を示しながら、エルラカが言った。
「戯れ?」
「人間は度々必要じゃない事をする。その無意味の事さ。けれど、その無意味から可能性の多くが生まれてもいる」
「貴方が余計な事をしたからでしょう?」
「私だけではないよ。これは多数決で決まった事なのだからね」
「そうね、反対は私だけだった」
思い出して、ノスティワはため息を吐く。
こういった余分は果たして、本当に許容していいものなのか……いや、だが、そもそも、このやりとりだって多分に不必要なものなのだ。今更と言えば今更。
「では、聞いてあげる。どうぞ」
「私からなのかい?」
「貴方が発案者」
「それはそうなのだけど……うーん、そうだな、じゃあ、シシカ。私は今からシシカ・ドラ・エルラカという事にしよう」
「シシカ? かつて在った外世界の一つの識別名ね」
「私の力が排除の大きな要因になったようだからね、戦利品として頂こうかと」
「その流れでいくのなら、私はディディレア・カフ・ノスティワという事になるのか」
「気に入らないかい? 別にそういうルールというわけじゃないから、嫌なら適当につければいい。人間たちも大抵は思い付きのようだしね」
「そういうのは好みではない。これでいい」
「じゃあ、私はギコードか。ギコード・ラド・カラエル。ふむ、悪くない響きだ」
そう呟いてから、この無性の神はアルドグノーゼに目を向けた。
彼は少しだけ考える素振りを見せてから、
「タルナクラフェルド・ニア・アルドグノーゼ」
と、言った。
それはこの世界に最初に侵略を試みた異世界で、自らを絶対の王と名乗っていたものの機能名だった。
「名前にも支配に纏わるものを入れるのかい?」
「それが我の本質だ」
素っ気ない口調で、アルドグノーゼはそう答えた。
「個性が出るなぁ」
と、カラエルが笑う。
それに同調するように、エルラカもくすくすと笑ってから、
「トールヴェンとレティソラエールは、どんな名前をつけるだろう? あとで聞いておかないとね」
そう呟き、微かに目を細めた。
§
人間界は順調に大きくなっていった。
一方で他の世界は行き詰まり、それを打開するためディディレアたちは分断されていた世界を繋げる事を選んだ。そうすることで、人間の世界と同じように新たな発展が起きることを期待したのだ。
ただ、期待ほどの成果はなかった。
天界はディディレア、魔界はタルナクラフェルド、幻獣界はシシカ、精霊界はギコードと、管理している原初の色に強く染められていて、拡張性というものが完全に失われてしまっていたからだ。
さらに、それぞれの神を最上位に置いた思想の影響か、小競り合いも発生するようになった。
最初はそれを止めようとしていたが、価値観の相違による争いを是正するには我々の力関係をはっきりさせるしかない。
とはいえ、殺し合いをするなんて愚かな真似は出来ないので、結局は話し合いでの解決しか求められず、当然のようにそれも失敗続きの平行線。
そうこうしているうちに、やがて彼等は勝手に戦争を始めた。
止めようという動きはなかった。誰もが、戦争という刺激を加える事での変化を望んだのだ。或いは、代理戦争に興じる事で、胸の内に広がり続けていた停滞感から目を逸らしたかった、という思惑もあったのかもしれない。
いずれにせよ、それを契機に原初の神たちはかつてのような交流から、また少し遠ざかる事となった。
§
戦争は発展の母だ。
事実、争いからは多くのものが生まれた。失われたものは、どれも簡単に再生産出来るものばかりだった。
だから、それ自体をディディレアは間違いだと感じた事はない。……ただ、果たして本当にこの世界の為に行っている事なのか、最近はそれがよく判らなくなってきていた。
自意識の拡張とそれに伴う同族嫌悪。そういった無駄なものを強く感じる局面が、ずいぶんと増えた気がする。
人間界の誕生以降、ルーメサイトは新しい世界を生み出していない。世界は一部を除いて大きく停滞してしまっている。それは、ルーメサイトを一つ上の次元に押し上げる事を目的に誕生したディディレアたち『神』にとって、到底看過できない事態だ。
やはり、この分断は失敗だった。別のアプローチに移る必要がある。そのためにも、まずは全てを一つにまとめて、邪魔なものは処理しなければならない。
時間は無限だ。本来なら焦る必要などない。なのに、どうしてか、このままである事に耐えられないという精神があって……それを緩和するために、彼女は自身の魂と役割の一部を切り離し、そこから子を創造することにした。
最初にスロウが産まれ、次にルプテとアブロイが誕生した。
彼等はディディレアの補佐を担当しつつ彼女の精神的な不安定さを埋めるカウンセラーとしての役割を担って、常に彼女の傍に居た。
他の神も同じような道を進んでいたようで、ここから多くの神が生まれるようになった。
ただ、そんな中、トールヴェンとレティソラエールだけは類似の増産に否定的かつ圧倒的な存在の安定を示していて……もしかしたら、それこそが正しい道だったのかもしれないという不安を覚えつつも、ディディレアは空を見上げ、それ以上の不安を前に、少しだけ自信を取り戻した。
外見台と名付けた天界のこの施設から見えるのは、世界の外だ。ルーメサイトに含まれない異世界たち。
いや、正しくは異世界だった残骸たちか。
観測できる外の世界は年々広がっているけれど、観測内にはもう生きた外世界は存在していなかった。
なにもかもが蒼に溶かされて、星の芯以外何も残っていない。その芯も蝋燭のように燃え続けていて、いずれ消える運命だった。
昔は星と星の溝である黒界の暗さもあり、ルーメサイトの星々の輝きは眩いほどだったのに、今では周りが明るすぎて陰のようになってしまっている。
「……少し見ない間に、また新しい蝋燭が増えた」
投げやりに零した声は、しかし抑えきれない恐怖に震えていた。
圧倒的な、絶対的な、不条理極まりない埒外の力。
それがもし、外側ではなく内側にも向けられる事になったら、果たしてどうなるのか? 馬鹿げた想像だと一蹴する事が出来ていたのは、いつの話か。
「ディディレア様、アルドグノーゼ様が会見を希望されているようですが、如何しましょうか?」
「会見? ……そう、やはり対という事なのか、我々は同じものを求めて、同じ危惧を抱く。……いいよ、タルナクラフェルド、久しぶりに会おう。この世界の平和な未来の為に」
スロウの確認に頷き、ディディレアは次元の扉を開いて、久しぶりに原初だけが利用する事の出来る庭園へと転移し――
§
外敵を焼き払う蒼炎が、この世界の全てを染め上げようとしていた。
こちらが便乗させてもらった新参の異世界はとうに死に絶え、タルナクラフェルドとの繋がりも途絶、シシカは消滅、今はギコードが自らの世界の全てを用いて応戦しているが、そこにも一切の希望はなかった。
「事態が終息するまでルーメサイトの外で待機。その後はルーメサイトの修復に務めなさい」
「ディディレア様はどうなさるのですか?」
「もはや私以外に対処できる存在は居ない。最悪の事態になった場合、貴女が管理を引き継ぐの。いい? 仮に生き残っていたとしても、けしてタルナクラフェルドには迎合しないで。この状況を引き起こした奴には」
そう言って、ディディレアは自身が生んだ天使たちを滅びた異世界の近くに転移させた。
それから眼を閉じて、周囲に再び意識を向ける。
全てを灰にしながら、奴がこちらに近付いて来ている。
美しかった天界が、突然燃え出した。
だが、その勢いは先程見たものより幾分弱い。
ここはディディレアの完全領域だ。ここでなら支配の王だろうが、ノスティワに届くことはない。自己の世界の中に居るとはそういう事だ。
エルラカもカラエルも同じ条件だったはず。全ての戦力を用いて対抗した。
それでも勝てなかったのは信じられないが、いかにあの化物でも、さすがに無傷とはいかないだろう。十分勝機はあるはず……。
そんな、希望的観測は、数千万年ぶりの再会と共に一瞬で消え去った。
戦いと呼べるものなど、そこにはなかった。
残ったものは恐怖と絶望という、無駄なものだけ。
原初の神としての威厳も義務もかなぐり捨てて、ディディレアは惨めな命乞いをした。
「消さないで」
その言葉すら蒼く燃えて、声という機能が焼き切れた。
程無くして視覚も溶け落ち、存在が壊される。
最後にディディレアが映した光景は、鮮烈すぎる深蒼の炎髪をなびかせる、この世界の守護神だった者の、凍えきった眼差しだった。
§
……頭痛がする。
強烈な追体験だった。恐怖がまだ深いところで滞留している。
それが過ぎ去るまで自身の身体を抱きしめながら、ノスティワは手にした情報を整理する。
(タルナクラフェルド・ニア・アルドグノーゼの行いによって、トールヴェンは『最疫』となった)
そしてディディレアも間違いなくその一端を担っていたのだろう。だからこそ、トールヴェンという名の原初の神は歴史から消されたのだ。そして絶対の悪とされた。こういった情報操作はアルドグノーゼ単体では為し得ない。
(確実な証拠は……ダメ、ここにはアクセスできない)
まだ抜け落ちている部分が多い。
あんな埒外に、アルドグノーゼはどうやって勝ったというのか? ……考えられるのはレティソラエールの存在だ。トールヴェンの対である神の力を用いた。
結果、この世界はまだ存続しているという事なのだろうが、アルドグノーゼの世界になっていない以上、彼も望んだ結果は得られなかったという事だ。
正義を掲げて欲に溺れ、そして結局多くを失っただけ。
(愚かな為政者たち)
まるで人間の歴史を見ているかのようだ。
まあ、その人間を生み出したのが他ならぬ神なのだから、ある意味で当然なのかもしれないが。
いずれにせよ、アルドグノーゼは『最疫』による世界の絶滅を凌ぐ事はできたが、アンフェノとリズという遺恨は残してしまった。
前者は早々にサラヴェディカの手によって封じる事が出来たが、後者の現在は不明。トールヴェンから生み出された事が露見したのが、あまりにも遅すぎたことがすべての原因だ。
争いに纏わる全ての知恵を有するであろうその神は、一体今どこにいるのか……
(……リリス、か)
最近の記憶に穴はない。だからこそ、ヴラドという傭兵の傍らにいる少女が、リズである可能性は無視できない。
とはいえ、情報が圧倒的に足りないし、今は他に優先するべき事案もあった。
(私は、いったい誰なのだろう?)
もう一度、その事について考える。
今此処にいる自分はディディレア・カフ・ノスティワではない。その明確な証拠を得ることで、不具合が取り除かされる事が期待できたし、なによりディディレアが犯した罪からも解放されるかもしれない。
そんな期待を抱きつつ、復活前後のタイミングで死んだ人間を検索する。
検索結果は、一千万超。この大陸に限定しても五十万人以上が候補となっていた。より限定的な条件を加えれば、もう少し絞り込めるとは思うが、それでも数万単位にはなってしまうだろう。
「……」
小さく吐息を零して、空を見上げる。
蒼黒の太陽が、そこにはあった。
蒼はトールヴェンの色だ。そして黒はレティソラエールの色。対である二つの神の魔法が永遠に鬩ぎ合う形で、その極限のプラスとマイナスを内包した太陽は存在している。
「少し見ない間に雰囲気が変わったね」
不意に、背後から声が届いた。
振り返るとそこに居たのは、今のノスティワの契約者であるクーレだった。
「貴方は、私のなにを知っているの?」
「別に何も」
「ウィン・クラヤナードから何も聞いていないと?」
「彼と君に接点があったのかい? それは少し驚きだな」
嘘を言っているようには聞こえなかった。
なんのために行動しているのか、いまいち判らない男。ウィンはこの男の本質をある程度理解しているような口ぶりだったが、本当にその通りなのかもまだ判らない。結局は、自分自身で確かめてみるしかないのだ。
「貴方は何故、その道を選んだの?」
「何故? もちろん、やりがいがあるからさ」
と、クーレは答えた。
結果ではなく過程。ウィンの言った通りの内容だ。これにも、嘘はまるで感じなかった。
「やりがい、か」
なんてシンプルで自分本位な理由だろう。
でも、今したがた見た建前だけ立派な記憶のせいか、それは酷く価値のあるものに見えて、
「それを叶える為に、貴方はまずなにをするの?」
「まだ決まっていない。それより先にする事もあるしね」
「する事?」
「ザーラッハを一つに纏める事さ。一つになってもらわないと、勢力として弱すぎるからね。このままじゃエンシェの食いものにされるだけだし」
「貴方が本物の王だと名乗り上げればいいのではないの? それでザーラッハ内の問題は片付くはず。戦力だって――」
「やだよ、僕は王様になんて興味ないからね、ここで一番国を救った奴がなればいい。僕がするのは、久しぶりの親孝行。ただそれだけだよ」
きっぱりとそう言ってから、彼は小さく微笑み、
「どうやら事の顛末に興味があるみたいだし、一緒にくるかい?」
と、こちらに向かって手を差し出してきた。
少し迷ったが、その手を受けると共に、ノスティワは自身がこの人間にサラヴェディカの主導権を奪われたという事実を、改めて受け入れた。




