エピローグ/剥がれかけた仮面
「ずいぶんと妙な事になったものだが、彼は彼女を攫って、果たして何をするつもりなのか」
「そんなの、知るわけないでしょう!」
こちらにやってきて淡々とした言葉を並べるリグチラに、リリスは怒りをぶちまけた。
ぶちまけながら、ヴラドの身体を強く抱きしめる。
……震えている。でも、震えているのは自分だ。彼じゃない。
「あまり冷静ではないようだが、軍による制圧は完了。長距離転移のシステムもちょうど復旧した。我々の勝利だ。だからこそ、手にする事のできた次の機会に備えて、早々に撤収するべきだと思うのだが、違うかな?」
「……わかっているわよ、そんなこと」
呼吸を一つ整える。
でも、頭はまだ混乱している。
(奴も不死を求めていたの? それでタイミングを待っていた?)
それとも言葉通り旗頭が欲しかったから強引な勧誘をしたというだけなのだろうか。どれもが正解でどれもが不正解な気がする。
要は何もわからない。
ただ一つ、はっきりしているのは、あの男が心の底から大嫌いになったという事だけだ。ウィン・クラヤナードにも逃げられたのである。前回同様に、損失しかない。
(……忌々しい)
ふつふつとした怒りがまた込み上げてくる。この都市に生きる人間全てを殺しても余りあるくらいの殺意が、胸の奥から広がってくる。
その所為か、視界が少し滲んだ。
そんなリリスの目蓋に、不意にヴラドの手が乗せられた。
血に濡れた、嫌な感触。
「中に戻っていろ。化けの皮がはがれる前にな」
「……そうね、そうするわ」
自分だって冷静じゃないくせに、と思いながらも、たしかにこのままだと見せたくない見苦しさが溢れてしまうと感じ、リリスは自身を構築している魔力を彼へと還元させて――
§
――二ヘクテル以上ある高さの草むらの中を、少女の手に引かれて彼は駆けていた。
後ろから、無数の音が微かに聞こえてくる。
「……はぁ、はぁ、はぁ、、」
軽く乱れている程度の少女と比べて、彼の呼吸は酷く荒い。滝のように汗も滲んでいて、高熱に晒されているのがよくわかる。意識も朦朧としていて、いつ途切れてもおかしくないような有様だった。
「ごめんね、ごめんね……」
それに気付いている少女は、泣きそうな声を漏らしながらも彼の腰に手を回して身体を支え、それでも歩みを続ける。
追っ手との距離はじわじわと近付いて来ている。魔力が漏れている所為だという事を少女は知らない。そんな知識はないからだ。
このままでは時間の問題。
覚悟を決めた少女は、彼を抱きしめながら耳元でささやく。
「ゆっくりでいいから、このまま真っ直ぐに行くの。町があるから、町まで行くの。……私は大丈夫。私は殺されないから、大丈夫」
「……ダ、ゥァ、ヤメ」
言葉の不自由な彼の唇を、少女の唇が塞いだ。
涙をボロボロと流しながら、少女は微笑んでいた。
「外の世界には優しい人もいるよ。きっといるから。お互いが生きていれば、きっと、また会えるから」
そうして彼女はヴラドを逃がすために、一人駆けだした。
追っ手はそれを追いかけて離れて行って、彼は独りになって……だけど、少女の言いつけを守る事はしなかった。
結果、少年は少女の前でリンチされ、目の前で剣を突き立てられたのだ。
「――やめて! やめてっ! あ、あぁ、うぅ、う、あ、あああぁああ!」
絶叫が頭の中に響く。
その音に混じって、彼女の悲鳴も溢れてきた。
愛しい、なによりも愛しいスゥーヴィエの声。この世界を初期化しない限り、取り戻す事のできない存在。
(……やっぱり、近すぎるのは問題ね)
ヴラドの記憶に呑まれていた自我が、戻ってきた。
きっと、ヴラドも今のリリスの記憶を、眠りの時にでも視る事になるのだろう。
その事実にため息を零しつつ、彼の外へと出る。
どうやら、もう夜のようだ。ヴラドは自室のベッドで静かな寝息を立てていた。血を洗い流しもせずに、回復に努める事を優先したみたいである。
傷はあらかた塞がっているようだが、魔力の枯渇が激しい。にも拘らず、リリスにまた表に出られる程度の魔力を預けてきているのは、習慣だからか。
「……」
彼の記憶の追体験で得たルナの唇の感触が、まだ残っている。
その余韻に、寂しさとも苛立ちとも取れない表情を浮かべつつ、リリスは自身の唇に指を当てた。
これにて第五章『二人のリリス』は完結となります。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
次章は一週間後から毎日投稿していく予定ですので、よろしければ、またお付き合いして頂けると幸いです。




