17/天敵襲来
戦いは終局を迎えようとしていた。
ヴラドの魔力は、もうじきに枯渇する。相手の方も致命傷をギリギリで凌いでいるが、そろそろ限界だろう。
完全な互角だ。
ゆえに、次戦えばヴラドは負ける。
或いは数年後があるのなら、まだ成長期であるヴラドが上回っているのかもしれないが、半年もない未来では到底不可能だろう。
「――来るか」
これが最後の一手だと予感してか、ウィンの魔力が最高潮に達した。
構えは守り。当然だ。自滅を待つのが最善手なのだから、それ以外はない。
対するヴラドも走りきるしかないのだから捨て身の覚悟だ。両腕の爪に全ての魔力を込めて、一点突破を狙う。
少なくとも、ウィンにはそう見えたはずだ。鞘を渡されていなかったら、リリスもそう確信した事だろう。
接近すると同時に、ヴラドの爪が振り下ろされる。
すり抜けるように躱したウィンの身体が、吸い込まれるような手刀を放った。
見惚れるほどに美しい。完璧なカウンターだ。
首が飛ぶ。
その想起を否定するように、硬い音が響いた。
ヴラドが皮膚を硬質化させたのだ。それでも完全に防ぎきれずに頸動脈が切れたようだが、ヴラドにとってそれは別に致命傷にはならない。むしろ、噴き出た血は即席の武器となってウィンの腕に絡みついた。もちろん、肌に纏った水の防御によって大きな効果は奪われるが、それでもその手を使わせた意味は大きい。
リリスの抱きしめている鞘が、微かに振動する。
向こうがあらかじめ空の上に湖を仕込んでいたように、こちらも最初から仕込んでいた魔法。
「――」
ウィンは、背後からのその強襲を、周囲に待機させていた水を巨大な刃にして対処してみせたが、本命は切り裂かれた鞘の中に入れていた血だ。
核と魔石を混ぜて構築されたそれは、ヴラドの意志によって即座にその特性を定着させて、超重力空間を発生させた。
互いが互いの手を潰し拮抗していた中での、これ以上ないくらい完璧な追撃。
信じがたい事に、それすらも直前に重力の魔法を包むように水の膜を生成することで効果を分散させてきたが、動きは確実に止まった。
地面に叩きつけた爪の片方が液体に戻って、その飛沫が一斉に鋭い棘となってウィンに襲い掛かる。
背後と足元からの同時攻撃。それがヴラドの本命だ。飛沫には当然重力が付随されているので、触れたらさらなる超重力が発生する。
それによって、ウィンの骨や臓器には多大なダメージが発生していた。
(――勝った)
小さなバックステップを一つ刻んで、横薙ぎの爪が最大限の威力を発揮できる距離に移動したヴラドが腰を鋭く回転させた瞬間、リリスは確信を胸に抱き――
ひゅん、
と、なにかが世界を切る音が、全てが終わった後で耳に届いた。
刹那、ヴラドの胴体――ちょうど肋骨の下あたりから、横一線に血が噴きだす。
斬られたのだ。おそらくは水の刃によって両断された。それを物語るように背中の方からも血が噴き出ている。
まったく感知出来なかった。ヴラドの超高密度な魔力を突破するだけの威力の一撃を、斬られた事を視認した後でも把握出来なかったのだ。
(……ありえない)
この世界の魔力に関して、リリスは他のどんな存在よりも優れた知識と感覚を持っているという自負がある。故に、より一層にその衝撃は大きく、でもだからこそ答えに辿りつけた。
これは魔法による結果ではない。
これは武芸においての一つの極致だ。
針の孔なんて大きな隙間じゃない、多くの者には見えることもない分子のような隙間を縫って、ウィン・クラヤナードは究極の間隙を突いたのである。おそらくは、かつて神子を殺した時と同じように。
いずれにせよ、決定打だった。
ゆらりとヴラドの胴体がズレ落ちていく。
そこに、トドメを告げる追撃が突き出された。心臓を狙った貫手の一閃だ。もう魔力が殆どない今のヴラドなら、避けられるかもしれない頭部を狙うより、十分殺せる心臓の方がいいと判断しての事だろう。
「止め――」
意味なんてないのに、思わず声が出た。
届く前に終わる事は判っていた。
だが、その絶望もまた、現実にはならない。
ヴラドの身体を、彼の背後から先に何かが貫いたのだ。そしてそれはそのまま直線上にあったウィンの手を縦に裂き、軌道を逸らす。
刀だ。早々に手放していた長刀を、ヴラドは最後の手として取っておいたのだ。そして自らの身体を死角にして、致命傷を打ち消した。
そのまま流れるような自然さで得物を掴み、振り下ろす。
力のない斬撃。胴体が別たれていた為に腰が回らなかった所為だ。けれど、それでもウィンの片目を切り裂くことには成功した。
「……」
息をする間もなく続けられていた死闘の緊張感が、一度途切れる。
互いが同時に息を吐き、自身の深刻な状態に意識を向ける。
「どうやら、魔力が底を尽きたようだな」
と言われたヴラドは、最後の魔法を治癒に用いた。
「傷は治せるのか? その魔法で?」
と言われたウィンは、まだ使える箇所を確かめるように身体を微かに動かした。
どちらも使える武器はずいぶんと減ってしまった。最後はシンプルな暴力によって決着するのだろう。……邪魔さえ、入らなければ。
「――」
不細工としか言いようがない、ただただ巨大なだけの魔力の飛来を、リリスは感知した。
四枚の巨大な翼をもつ天使に抱かれた神子。
ユーリッヒ・リエル・レグナントが、この場に訪れたのだ。
「……はっ、そういうこと」
自虐を孕んだ笑みが零れる。
ユーリッヒはやる気だ。はるか遠方で拵えていたらしい魔力は、確実にこの都市を消し飛ばすに足る魔法を可能としていた。
本来なら、ザーラッハがそれを許すはずもないが、その許可が徹ったのだ。
なぜ通ったのか? 考えるまでもない。タシネルがザーラッハの陣営ではなかったからだ。おそらくは既に始末され、エンシェに立場を乗っ取られてしまったのだろう。
それが周囲に露見するリスクを背負い、更にシャイアとの関係を最悪にして彼女という神子を使う機会を失ってまで、マウロはこの手を切ってきた。
おおよそ正気ではない。神子でもない人間を殺すために、神子を一枚捨てるなんてどうかしている。正直、なにかしらの密約がなされている可能性は疑っていたが、これはまったく想定していなかった。
そもそもタシネルが崩される事など考えてもいなかったのである。元々、リリスは外神を多大に警戒する傾向があったが、それが仇となったカタチだった。
「小物同士の戯れだったな。まあ、見世物としてはそれなりに愉しめたか。……だが、もういいだろう?」
神子の膨大な魔力が集束されていく。
転移の魔法は使えない。その核はとうに消費されているためだ。もっとも、あったとしても短距離の転移でしかないので、逃げられない事に変わりはない。
(こんな塵芥に……!)
気がふれそうなほどの憎悪を抱きながら、リリスは実体化を解き、ヴラドの元へと飛翔する。
とてもじゃないが間に合わない。視覚の共有をしていたため両者の戦いを見届ける事に困りはしなかったが、それ以外の部分に魔力など一片も与えられていないからだ。そしてリリスが自身の力を解放するには、互いの血を溶かし合わせる事が必要だった。
「死ぬがよい」
恍惚を含んだ声と共に、死刑という名の罰が空から堕ちてくる。
都市どころか外で展開している両軍全てを、簡単に呑みこめる規模の暴力。
「――させない!」
その絶望的な未来に抗うように、地上からか細い白銀の光が放たれた。
§
「させない! そんな事、絶対に!」
全ての魔力をもって、閃光を放つ。
神子としての力をある程度取り戻しているシャルロットは、この都市の中では今、間違いなく最高の出力を有していた。
それでも足りない。全然足りない。
「私の方で魔力を統一させる」
状況を共有していたリグチラが足元から無数の蛇を顕しながら、こちらに駆け付けてくれた。
蛇たちは巨大な一つの魔法陣を描いているようだ。
「都市魔法陣の機能の一部も今掌握した。二つの魔法陣を用いる。貴女は出力を上げる事だけに集中してくれ」
「――っ、リグチラさん!」
身体に流れてくる魔力の量と数によって、それが強制的に吸い出されたこの都市の人間すべての魔力だと気付き、シャルロットは非難の声を上げた。
「気を失うかもしれないが、防がなければ全員死ぬ。転移門が完全に潰されているからね。彼等も文句は言わないだろう。それよりも集中した方が良い。彼を失いたくないのなら」
「……」
言葉の最中にも、ばたばたと周囲の人たちが倒れだしていた。
こういうところはテロリストだ。彼女の声にはなんの呵責もない。……ただ、間違っている事を言っているわけでもないのは、わかっている。
乱れた感情を整えながら、力を注ぐことに集中する。
「無駄な抵抗だな。そんな事をしても体感で十数秒延びるかどうかでしかないぞ? もっとも、それだけあれば彼女は間に合うかもしれないが」
投げやりな声が、マヌラカルタから届けられた。
とっくに諦めているといった様子で、
「穢火の女禍の顕現、か。知っているか? 彼女が世界に吐きだした最初の憎悪は、世界の海の半分を蒸発させたらしい。まあ、その程度で私を殺し切れるとも思えないが、全力の一撃なら或いは期待出来るかもしれないな。いや、それとも、現段階でも『最疫』を目覚めさせる目途が立っているという可能性を期待するほうがいいのか。難しいところだ」
「見苦しいだけの抵抗だな。穢れた悪魔憑きよ」
今度は頭上のユーリッヒが声を放ってきた。
心を折りに来ているのがわかる、凄まじい魔力。昔なら、ただ絶望しか抱けなかった事だろう。
でも、今は違う。
状況を覆す力がなくたって、諦めたりなんてしない。
「……不快な眼差しだ。前回は処分し損なったが、今回も同じになるとでも思っているのか?」
「――っ」
ユーリッヒの魔力が更に増大していく。これが、制限を抱えていない本物の神子の力なのだと思い知らされる。
「さぁ、それが絶望に変わるところを見てやろう」
嗜虐的な笑み。
それを前に、マヌラカルタが不快そうに鼻を鳴らした。
「スロウの下位互換の傀儡風情が、滑稽なことだな。もうじき自分が死ぬ事も判っていないとは。彼女の怒りは凄まじいだろうから、楽には死ねないぞ? くだらない餓鬼の絶望顔などそそりもしないが、多少は気が晴れる事を願うとしようか」
マヌラカルタの話が事実なら、間違いなくユーリッヒは地獄を見るだろう。
リリスの残酷さは、シャルロットもよく知っているからだ。
けれど、その未来が訪れる事もなかった。
「――あぁ、どこまでも滑稽! そして芸術の価値も判らぬ無教養のなんたる醜悪さか! まったくもって、度し難いな!」
大仰な台詞が、都市全体に響き渡る。
聞き覚えのある声。それが誰のものなのか認識するより早く、頭上の脅威がふっと消え、それはユーリッヒの左右から再び発生した。
そして、突然自身の力で圧殺されそうになった事実に目を見開きながらも、同じ力を放出してそれを食い止めるユーリッヒの目の前に、巨大な帽子が現れる。
その陰から、一拍遅れて手が現れ、モルガナ・レッテンハイネが登場を果たした。
帽子をゆっくり頭にのっけて、角度を調整しつつ、彼女はユーリッヒが相殺を終えたタイミングで、
「不敬だぞ、小物。今すぐ頭を垂れがよい」
軽く持ち上げた右手を、すっ、と真下に落とす。
直後、ユーリッヒの身体が地面に向かって弾け飛んだ。ゴムのように引き伸ばした空間を真下に向かって解き放ったのだ。
さらに彼女は墜落までの間に手首を気まぐれに動かし、ユーリッヒの身体を穴の開いた風船のように無軌道に放って、最後に頭から地面へと叩きつけた。
そうやってこちらの数十ヘクテルほど前方にユーリッヒが墜落し、盛大な土煙をあげたところで、いきなり真横から声が響く。
「さすが、私のお気に入りの神子だな。決死の覚悟で愛しい男を守る姿、感動したぞ!」
振り返る間もなく、抱きつかれた。
石鹸のいい匂いがした。と思ったら、その身体をすぐに離し、モルガナはどんよりした表情をこちらに見せてくる。
「まあ、私には永遠に訪れそうにない光景で少し凹みもしたが。――いや! だがしかし! 儀式の日になれば、或いはそのような未来もなくはない筈だ! だってルウォ様、私より弱いし!」
途中でまたテンションを上げ、最後に爆弾発言を残してから、モルガナはこちらに向けていた視線をユーリッヒに戻した。
そのユーリッヒは脳を激しく揺さぶられた影響だろう、げぇげぇと血と汚物を撒き散らかしている。
「それにしても、惨めな様だな。この程度の輩ならば、神子でなくともやれると思うのだが、いや、これはそれだけ私が突出してしまっているという事の証左か。……や、でもやっぱり、こいつが弱すぎるだけの気がするなぁ。じゃあなに、私の活躍って無価値? そっか、無価値かぁ。だよね、こんな奴やっつけたって、誰も褒めてくれないもんね。……はぁ、なんか疲れたな。早く殺して帰ろ」
またも途中でテンションが地底まで沈んでしまったモルガナが、帽子のつばを掴み大きく外に振り払う。
それを合図に、硬い物質がすり潰されるような異様な音が、四方八方から響きだしてきた。
「気をしっかりと持ちなさい! 周囲への警戒を強めて、感知に力を注いで!」
意識朦朧なユーリッヒを支えながらルプテが叫ぶ。
叫びながら羽ばたき、大きく後方に跳び退いた。
しかし、その背後に、モルガナの姿はもうあって、
「宿主が足を引っ張っているのか、どこまでも哀れな傀儡だな! そら、同情をくれてやる!」
溢れ出た怒りと共に振りぬかれた蹴りが、ルプテを捉え二人を上空に吹き飛ばした。
かろうじてガードは間に合ったようだが、腕が折れている。
「っ、ルプテ!? 貴様ぁああ!」
憎悪を剥き出しに、ユーリッヒが蒼い閃光を放った。
放った途端に、それはモルガナが展開した空間の孔を通って、自身のこめかみを撃ち抜かんと疾走する。
ユーリッヒはまったく反応出来ていなかった。それでも死なずに済んだのは、ルプテが咄嗟に手を伸ばして射線を遮って、骨で受け止めたからだ。
「落ち着きなさい! 私は、大丈夫ですから!」
痛みを必死に堪えた声で、彼女は言った。
「本当にそうか?」
モルガナは呆れるように言いながら、いつの間にか両手に持っていた、切り落とされたルプテの四枚の翼を左右に振ってみせた。
その仕草に合わせるように、彼女の背中から大量の血が噴き出る。
「……凄まじい展開速度だな。ルプテにとっては天敵もいいところか。『罰』を司る奴の魔法は、応用力に長けてはいるが展開が遅いからな」
マヌラカルタが感心をしている間にも、モルガナの攻勢は続く。
それはどこまでも一方的な内容で、同じ神子でもここまで差が有るのかと戦慄を覚えるほどだった。
「本当に弱い。私と踊るなど七千年は早いな! ――さぁ、今度こそ終幕だ! せめて派手に散って、私を慰めてみせるがいい!」
掌の上に、モルガナは異様な球体を生み出した。
その中には無数の空間の断裂が発生している。いや、空間どころか時空すら切り刻んでいるようだった。
ユーリッヒ達に凌ぐ手立てなどありはしない。それが分かっていても、彼は恐怖に駆られるがままに逃げだし――
「――っ、ちょっと爺や! なんで邪魔するのさ! せっかくカッコいい文句も決まったのに! え? 三秒経ったからって? ……そういえば、そういう契約だったっけ。でもさ、今私凄くやっちゃいたい気分で……うぅ、わかってるよ。帰ればいいんだろう、帰れば」
その一言と共に、モルガナは姿を消した。おそらく要塞に戻ったのだろう。
それと入れ替わらるように、空間から翼をもった軍勢が現れる。
中心にいたのは、クーレ・サーランタだった。
§
外では戦闘が続いている。
だが、都市内の争いは、彼等の出現によって完全に終わりを迎えていた。
「あの露出狂の神子が戦闘をするには大きなリスクがあった筈だけど、お前が女元帥と話をつけたというのなら、その問題も解決できるというわけね。……お前が好む行動とは思わなかったけれど」
ヴラドの傍らに寄り添いながら、リリスが言った。
その声は微かに震えている。つまり、彼女ですらも、この事態はまったく想定していなかったという事だ。
「確かに気は乗らなかったけれど、それ以上にこの状況が欲しかったからね。天秤にかけた結果だよ。君の驚く顔も見れたし、うん、やって良かった」
口元に手を当てながら、クーレは嬉しそうに微笑んだ。
ぎりっ、とリリスが歯を軋ませる。それから短く息を吐き、いつも以上に冷たい微笑を浮かべて、
「……ノスティワの姿が見えないようだけど、もうサラヴェディカは完全に掌握できたの?」
と、訪ねた。
「そうだね、九割くらいかな。彼女は此処に居ても意味がないから、留守番をして貰ってるよ」
「そう……それで、軍勢を連れてきたのは何故かしら? この都市を拠点にでもするつもり?」
「いいや、彼等を連れてきたのは、話を通しやすくするためだよ。ここには略奪に来たんだ。――彼女を貰いにね」
こちらを指差して、クーレはそう言った。
「……え?」
自分はまったくの無関係だと思っていたシャルロットはきょとんとした顔を浮かべてしまったが、リリスとヴラドは即座にその意味を理解したようで、
「逆らえば、そうだな、この場に居る全員を――」
凄まじい金属同士の衝突音が、大気を震わせ鼓膜を痛ませた。
「今の状態じゃあ、そこらの天使にも勝てないよ?」
ヴラドの斬撃を短槍で受け止めながら、クーレはわらう。
その瞬間、世界にある全てが重くなった。
呼吸一つすることさえ億劫で、あらゆる意志が現実との間に距離をとる。
「……なにが、目的だ?」
血を吐くような辛さを抱えながら、ヴラドが口を開いた。
「さすがだね。色格に差があるとはいえ、君には今最大限の重さを込めたから、口を少し動かすだけでも切腹するに等しい労力が必要になっている筈なんだけど、殆ど時間を掛けなかった。やっぱり、君相手にこの魔法の使い方は無粋だね」
「だったら早く解きなさい。くだらない目的とやらを口にしながらね」
憎悪を露わにリリスが吐き捨てる。
「……ふむ、君にも少しは重さを加えたんだけど、変わらずか。防げていないのに効かない。精神構造が人間と違い過ぎる所為かな、やっぱり神様にはダメみたいだ」
少し残念そうにそう呟いてから、クーレは答えた。
「うちにはまだ旗頭の神子がいないだろう? だから、彼女にしようと思ってさ」
「あの女元帥でいいでしょう?」
「彼女はザーラッハの神子だからね」
「お前の言う事ならなんでも聞くはずよ? そうでしょう、第二皇子様?」
「あぁ、そうだね、だからつまらない。だから気乗りもしなかった。それに、彼女がいなくなれば、兄上たちも選択肢を失ってしまう。せっかくのお祭りだ。参加者は多くないとね」
穏やかに言って、クーレは右手を軽く上げた。
都市を地上と上空の両側から包囲する天使の軍勢が、光の槍を一斉に構える。
「さぁ、どうする? 出来れば穏便に終わらせたいんだけど」
「……」
シャルロットに向けられた視線に、悪意は一切ない。
敵意も殺意も見当たらない。とても自然な笑顔だ。
だからこそ、一欠けらの余地がないと確信できた。
「――っ」
彼の元に踏み出そうと心に決めた途端に、全身に纏わりついていた重たさが消える。
意志には影響がなかったところをみると、効果範囲を自由に選択する事も出来るようだ。
「止めろ」
押し殺した、ヴラドの声が肌を震わせた。
魔法の影響だとは思うけれど、それは酷く苦しそうで、あまりにも切実で――
「……早く連れて行きなさい。今、ここで殺されたくなかったらね」
そんなヴラドを小さな身体で必死に引き留めながら、リリスはそう吐き捨てた。それからこちらに視線を向けて、
「すぐに迎えに行くわ。だから、わたしの従者らしく優雅に、粗相のないように振る舞うのよ?」
と、涼しげな調子で言う。
シャルロットはそれに小さく頷き、クーレの前に立ち、彼の背後に現れた孔の中に、彼と共に足を踏み入れた。
踏み入れたところで、
「ところで、君は来ないのかい? 此処に居たら死ぬだけだと思うんだけど? 外の軍勢も、もうじき此処にやってくる事だしね」
と、クーレはウィンに声を掛けた。
ウィンはその問いに数秒ほど瞑目したのち、ちらりとヴラドを一瞥してから、
「では、同行させてもらうとしよう」




