エピローグ
傭兵にとって移動というものはなによりも重要だ。
戦場から戦場へ飛び交う速度は、それに参加できるかどうかの有無を決める。
故に優秀な傭兵ほど優れた手段を有するものだが、中でもあらゆる環境にそれなりの耐性を持ち、超長距離を超高速で移動し続ける事の出来る飛龍は最上級に位置する存在と言えた。
それが二体空を駆ける様は、見る者によってはこの上ない絶望となるものだったが、当人たちにその意図はない。
「さて、恙なくクリスエレスからは脱することが出来たわけだけど、このあとはどうするんだい?」
「幾つかを経由して、ザーラッハに向かう」
クーレの問いに、ヴラドは静かに答えた。
魔力の膜を張って空気に干渉していたので、お互い少し聞き取りにくくなっていたが、もう少し魔力を込めればその問題も解決するだろう。まあ、あまり無駄な事に魔力は使いたくないが。
「そうか。僕はとりあえずターカスに行こうと思ってる。色々と傭兵が足りていないって話だからね。……さて、ということで、そろそろ飛ばしていくよ。僕もザーラッハには顔を出すだろうから、多分またすぐに会えるでしょう。次は敵だといいな。或いは、君がいないと勝てないと思えるくらいの舞台なら、味方でもいいけど。ふふ、それじゃあ、また」
クーレの駆る飛龍が、大きく翼をはばたかせた。
本来の速度に移行した飛龍は、十秒足らずでヴラド達の視界から完全に消える。
そのタイミングで、
「……降りるぞ」
と、ヴラドは飛龍を降下させることにした。
国を出たとはいえ、立ち寄れる場所が傍にあるわけでもない。なのにどうして急に着陸をすることになったのか。それが分からなかったシャルロットに、
「今にも落ちそうだったからでしょう。お前が」
と、リリスが説明をいれた。
今、ヴラドの背中に必死にしがみついているシャルロットだが、それももう難しい状態にあったのだ。
本来なら彼女自身が申告をするべき事なのだが、それが言えないのがこの娘なのだろう。
「ご、ごめんなさい」
「こういうのは慣れよ。何度か乗っていればあまり疲れない方法が判ってくる。それにほら、美味しそうな魔物もいる事だしね。ちょうどいいわ」
空気抵抗も何もないリリスが下方を指差し、野宿の場所が決定した。
§
バチバチと、焚き木から音が鳴っている。
凍結保存されていた野菜スープをゆっくりと飲み、魔物の肉をしっかりと何度も噛んで呑みこみながら、シャルロットは食事なんていつ以来だろうか、と感慨にふけっていた。
この身体は当然餓死したところで蘇るので、不死の肉体になってからは、そういった普通の人間らしい行為とも縁遠かったのである。
「ゆっくり食べなさい。そしてちゃんと全部食べなさいよ。次の国に着くまでに、その見るに耐えない枯れ枝のような身体を少しはマシにするの。みすぼらしいものを傍に置くのは嫌だし、わたしを引き立てるものはいつだって華のあるものでなくてはならないのだからね。……まあ、あれはみすぼらしい方が好みなのかもしれないけれど」
悪戯っぽくリリスは笑い、食事をすでに終えて白銀の飛龍に背中を預けぼんやりと夜の空を見上げているヴラドに視線を流した。
つられるように、シャルロットもそちらに目を向ける。
……鋭くも、どこか寂しげな横顔。
目的もなにも分らない人。ただ、自分の世界を決定的に変えた人。
彼は一体、不死の力を手に入れてなにをするつもりなのか……。
同じものを見るだけで答えなんて得られるわけもないけれど、なんとなくシャルロットも夜の空を見上げて、無数の星をぼんやりと眺めた。
§
それは本来、一方的な虐殺になる筈の戦いだった。
二十万対一万五千の戦場。兵の質においても圧倒的大差で、間違いなんて何一つ起こさないという強い意志がそこにはあった。
なんとも理不尽な話だ。世界最強の傭兵組織と名高いアルタ・イレスと双璧を為すノイン・ゼタが劣勢の小国側につかなければ、彼等はまさしく望んだとおりの結果を得られたはずなのだから。
(……それにしても、相変わらず圧倒的だな。うちの眠り姫は)
その傭兵団の看板の一人であるアンナ・リベルリオンは、まだ返り血も浴びていない細剣を仕舞って戦闘を完全に放棄し、ただの観戦者になる事を選択していた。他の一万五千の兵士たちも、おおむね似たような感じだ。
最初こそ決死の覚悟で戦っていた彼等だが、彼女が戦場に降り立った途端にする事が無くなった為である。
そういう意味では、これは二十万対一万五千の戦いですらなく、二十万対一の戦いだったと言っても過言ではないのだろう。
空から堕ちてきた夜という名の漆黒の海が、洪水となって縦横無尽に平らな大地を暴れまわり、敵という名の砂粒を呑みこんでいく。
もうじき、為す術なく殺されているだけの彼等の悲鳴も止むことだろう。
(本当、絶望的な光景)
何度見ても鳥肌が止まらない。いっそ感動的ですらある恐怖だ。
その最悪の奇蹟を織りなした彼女は、戦場の中心だった場所でゆっくりと目を覚まして、ぼんやりと空を見上げていた。
いつもの事である。だからこその眠り姫。
そんな彼女は、とろんとした瞳をこちらに向け、
「夢を、見ていたの」
と、呟いた。
途端、黒い海が死体もろとも蜃気楼のように霧散する。
「大事な大事なあの子の夢。暖かくて、気持ちが良くて、なんだか寂しいあの子の夢。あれは、誰? ………私は、誰?」
不思議そうな表情で、彼女はそのような事を訪ねてくる。
これも、いつもの事だ。そして、その問いに対する答えは、しっかりと用意されていた。
「貴女はルナ・オルトロージュ様。我々ノイン・ゼタの最高戦力の一人である、白紙の神子です」
「…………そう、そうだったね。私はルナ。借り物のルナ」
どこか哀しそうな表情で彼女は呟き、また空を見上げる。
規格外の神子であることの弊害なのか、重度の記憶障害を抱えている彼女は、理不尽なほどに強いけれど、不条理なほどに儚くて――
「……帰ろ。早く眠りたい。そして、また会いに行くの。あの子に」
夢見心地の微笑むその姿は、まるで幼い少女のようだった。
これにて第一章『天使の国の悪魔』は完結となります。
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次章の方も、来週の水~日曜までに完結まで投稿する予定ですので、またお付き合い頂けると幸いです。




