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君>世界   作者: 雪ノ雪
第五章『二人のリリス』
46/62

02/埒外の証明

 基本的に神子を所有する国同士の戦争というものは、まず通常戦力同士で潰し合い、先に神子を投入せざるを得ない状況を作ってその神子を全滅覚悟で消耗させたのちに、後出しで神子をぶつけるというのがセオリーとなっている。

 神子は極めて強力な力を有しているが、それ故に消耗(特に肉体の方)も激しく、長期戦には絶望的なほどに向かないためだ。通常戦力相手だろうが一掃するとなれば負担は避けられないし、力を抑えたら抑えたで処理に時間がかかり結局肉体は疲弊する。そして少しでも疲弊すれば最大出力にも問題が生じ、同格の戦いとなればそれは勝敗を決する最も大きな要因となる。

 神子を失えば、その時点で敗戦はほぼ確定だ。少なくともザーラッハ以外の国の領土結界では、神子を通常戦力で打倒出来るレベルまで引き下げる事は出来ないので、その後の侵攻を防ぐ手立てが無くなる。

 故に、神子という戦力は最終兵器であるのが常なのだが……

「……どうやら、一人ではなかったようだな」

 そのセオリーを崩せる条件の一つを口にしながら、ヘカテがこちらを冷めた目で見据えてきた。

 情報の誤りに対して、なにか言いたい事があるようだ。

「そのようね。四年見ない間に仲良くなったみたい。まあ、そんな事もあるでしょう」

 涼しげな表情で、リリスはそう返した。

 別に嘘は言っていないし、最初に直近の情報ではない事も告げているので、文句を言われる筋合いはないというスタンスである。

 その一方で、ヴラドに対しては読み違えた事の本音を零す。

(どちらも覚えのある気配。新顔というわけじゃないわ。器があって二人の神子をまとめ上げたのか、それとも縁のある神だったことが幸いして説得が出来たのか。可能性が高いのは後者ね。その場合、この行動が意味するのはブラフという事になる)

(ブラフ?)

(前者であると思わせるための行動という事よ。神子二人でフィルターを掛ければ、あの臆病者の影響力もその陣営内にまでは及ばないだろうからね。真実を世界から教えてもらう事も出来ない。灰色を維持できる。まあ、いずれにしても、神子を投入した以上、ターカスという国の未来は此処で決まるわ。……あぁ、そういえば、お前は神子同士の戦争を見るのは初めてよね。なにかしらの収穫があればいいけれど)

 と呟きながら、リリスは陣取った高台の遙か先で構えるターカスとミッドラインダ帝国の両軍に視線を向けた。

 空間転移の魔法によってこの場にやって来た将軍たちとマウロも、鋭い視線をそちらに向けている。

 ただ、それを行った人物だけは、別のモノに集中していて、

「……むぅ、むぅ、結界多すぎ。ここからじゃ見えない。……ってか眠い。こんな時間に起こされるなんて酷い。……せっかく夜這いされたと思ってたのに、これじゃただ寒いだけ……あぁ、ルウォ様、そんな急に、ぐへへ」

 やたらと大きな帽子のつばを両手で掴んで真下に引っ張りながらその場にしゃがみ込んでいた下着姿のモルガナは、がたがたと身体を震わせながら恍惚な表情を浮かべていた。

 なんというか、普通に怖い。

「大丈夫なのですか? 彼女は」

 やや心配そうに、マウロが訪ねる。

 それに対してヘカテは、一切モルガナの方を見ずに、

「無知な灰色に一つ良い事を教えてやろう。触らぬ神に祟りなしだ」

 と、小さな声で淡々と答えた。

 他の将軍もそこには異論がないようで、完全にないものとして扱っているようだ。

 そんな奇人神子はおもむろに左手を地面に突っ込んで、そこから化粧ポーチを取り出した。(もちろんそう見えただけで、実際は地面と自身の部屋を繋げた空間に手を伸ばしたのだろう)

 中から化粧品を取りだして、せっせとメイクを施していく。

 それが終わったところで、

「良し、いつもの如く完璧だな! 私は!」

 と、急にテンション高く声を発し、勢いよく立ち上がった。

 ちょうどそのタイミングで、ターカスとミッドラインダ帝国の戦いの火蓋が切って落とされる。

 凄まじい魔力が、ここまで届くほどに大気を震わせた。

 ターカスの神子はアウゼリオン一人。対するミッドラインダ帝国は二人で仕掛けるつもりのようだ。

 神子以外の兵士たちは、完全に魔力の補助に回るようで、戦場の全ての魔力がその三人に集約されていく。

「兵を先に切らないとは、あちらさんはずいぶんと余裕そうだなぁ。これが数の優位という奴なのか」

 顎髭をさすりながら、グンダルが呟いた。

 実際、こうなってしまうとターカス側も消耗目的で兵を使うメリットがないので補助に回すしかなく、相手を探る時間も得られない。

「さすがに遠いな。細かいところまでは見えねぇぞ」

 微かに目を細めそこに魔力を込めて視力を強化していたトォーベが、不満げにぼやいた。

 ここから荒野の戦場までの距離は、大体二十五ヘクター(二十五キロ)程度だろうか。

「………待つのは面倒! いっそ両方やってしまっても良いな! ――え? ダメ? ……そう、ダメなんだ」

 内側にいる契約相手に窘められたのだろう、モルガナがまた急速にテンションを沈ませながら、その場にしゃがみ込んだ。

「爺やはいつも私の気持ちを挫いてくる。趣味にだって口出しする。私の格好の何が問題だっていうんだよ。胸か? 胸が足りないからか? ルウォ様もだから襲ってくれないのか……でも、胸大きくたって可愛くないじゃん。太ってるだけじゃん。腰を見ろよ、このエッチな腰付きを」

 ぶつぶつと、そんな事を呟く。

 どうやら相当に浮き沈みの激しい性格をしているようだ。

「わかっているよ。シャイアだっけ? ザーラッハの神子、私が消耗したら仕掛けて来るのわかりきってるし、あくまで状況の把握が目的。だから、向こうの方だってちゃんと見てるでしょ。向こうも同じだよ。この戦争が気になって両方見てる。――え? 私の見立て? そんなの言わなくても解るじゃん。ターカスの神子は負けるね。一対一ならどちらにも勝てそうだけど」

 その独白の通り、アウゼリオンと異大陸の神子二人の戦いは、数的優位が強く活きた内容となっていた。

 彼等はけして優れた連携を見せていたわけではないが、交互にスイッチをすることで魔力や器の消耗を半減させながら、じわじわと相手を削り続けている。

「……この位置は少し近すぎたな。余波だけなら防げるとは思うが」

 口元に手を当てながら、ヘカテが呟く。

 直後、紅と蒼の炎が竜巻となって荒れ狂い、肌寒かった荒野は一瞬にして黒く焦げ、息苦しいほどの熱があっという間に二十五ヘクター離れたこの場所にまで届けられた。

 余波でこれなのだ。

 神子という防壁越しとはいえ、間近でそれを受けている両軍の兵士たちが凄まじく、展開されていた結界は溶け出し、色格の弱い兵士たちは真っ先に発火し、火だるまへと化して周囲に二次被害を振り撒いていく。

 それでも彼等はこの戦争の要である神子に魔力を送り続けて、僅かでも神子の力になろうと尽力していた。まあ、神子が負けた時点で全員死ぬ事になるのだから、当然と言えば当然だが。

「本格的に始まったな」

 ヘカテの呟きの通り、神子たちは足を止めた戦いから一転して、超高速の戦闘に移行する。

 ほどなくして戦場の規模はおおよそ半径15ヘクター程度にまで広がり、百万人規模の大都市に匹敵する広さが極限の暴力に浸された。

 これが、守るものという足枷を持たない神子同士の戦闘だ。あの戦場に立てば、ヴラドであっても凡百の兵士とさほど変わらない。

 判っていた事だが、その圧倒的な事実を目の当たりにして思う事は、それでも殺してやるという強い憎悪だけ。

 そんな自分に、微かな安堵を覚えたところで、

「均衡が崩れたな。開始してから二十七秒か」

 取り出した懐中時計を見ながら、ヘカテが呟いた。

 その直後、決着がつく。

 アウゼリオンの魔力が消し飛んだのだ。続けて、ターカスの兵士たちが巨大な炎の竜巻に呑みこまれた。

 三十万人位はいただろうに、三秒も経たずに全員死んだ。魔法を放って打ち消そうとしていたが、まったくの無意味だった。三十万人の魔力が、補助を手放したたった二人の魔力に圧殺されたのだ。

 そして、それはターカスという国の事実上の滅亡を意味してもいた。

 十年以上存続していなければ国として認められず、多くの独立都市が生まれては消えてを繰り返すこの大陸において、六百年以上も続いたターカスという強国が、開戦から三十秒足らずでその幕を閉じたのだ。

 これが、殺戮兵器たる神子を用いた戦争というわけである。

(かなり余力を残したわね。これじゃあ、ブラフかどうかを確かめるのも――)

 リリスの声を遮るように、重厚な熱波がこちらに向かって迸った。余波ではない。明確な攻撃だ。

 反射的にコートで身を守るが、こんなものではおそらく耐えられないだろう。全身に魔力を滾らせても重症は免れない。それだけの暴力が、巨大な都市を呑みこむ規模で迫って来たのだ。

「相変わらず、神子という存在は理不尽極まりないですね」

 いっそ呆れたように、マウロがそんな言葉を零した。

 危機感に欠けたトーンだったが、他の四人の将軍も似たような空気感で――

「……あいつらさ、今私狙ったよね?」

 据わった声と共に、熱が消えた。

 モルガナが自身の空間の中に閉じ込めたのだ。

「これって宣戦布告? 違う? あぁ、でも、どっちにしても私の火は点いたぞ! もはや止められないくらいに盛大にな!」

 再び立ち上がったモルガナが、燃えるような視線を二人の神子のいる方位に向ける。

 瞬間、その周囲が大きく歪みだした。

 こちらに流れてきた熱波が、一斉に歪んだ空間から吹き荒れる。

 その勢いのままに、モルガナは更に空間に干渉を行おうとして――しかし、それが形を成す刹那、歪んだ空間に斬撃が到達した。

 シャイアだ。彼女の現在地はここから五十ヘクターほど離れているが、そんな距離などまったく関係なく、それは瞬き一つの間に成立した。

 おそらく狙いがモルガナだったのなら、彼女は死んでいただろう。それほどまでに見事なタイミングでの奇襲だった。にも拘らず目下の敵ではなく二人の神子を狙ったのは、彼等の戦力の底を知るためか。

(……確定ね。カラエルだわ)

 シャイアの斬撃は、二人の神子に到達する寸前に泡となって消えてしまっていた。そして眩暈を誘発するような奇妙な魔力が、大気に香る。

(神子か使い捨てかはわからないけど、奴が変化の魔法を使って女元帥の魔法を泡に変えた。これで、奴等の戦力もおおよそ判明したわね。他の参加者もそれを前提に動くでしょう。もう此処に用はないわ)

「わ、私は速いから避けられたもん! やられたりなんかしないし! ……ま、まあ、荷物持って避けれたかは怪しいけどさ。……判ってる。早く撤収しろ、でしょう? 大事な確認は出来たしね。大人しく帰る。帰ればいいんだろう。帰れば」

 リリスと同じ判断をした契約者の言葉に従うように、モルガナはぱちんと指を鳴らした。

 その音を認識すると同時に、ヴラド達の身体は先程まで居た作戦室へと戻される。モルガナの方も、今の持ち場であるルウォ・ステラ要塞に戻ったのだろう。

「……さすがに体調悪くなるな。こんだけデタラメな魔力に晒されるとよ」

 椅子にどさっと腰を下ろし、背もたれに全力で身体を預けながら、トォーベが自身の少しへたれた髪を両手で持ち上げた。

 と、そこで、ぐうぇぉ、とグンダルがゲップを鳴らす。

 間髪入れずにヘカテが舌打ちをした。

 それに対して、

「心外な反応だな。ここは感謝するべきところだろう? 奴さんの前でしていたら、我々は死んでいたかもしれんのだからな」

 と、グンダルは面倒そうに言って、また干し肉をかじる。

「てめぇだけ死んでろ! 巻き込もうとしてんじゃねぇよ! 大体なんで――」

「続き」

 わめくトォーベを遮って、ディ・ジャ・ヴィグァが言った。

 それに呼応するように、マウロは頷き、

「そうですね。会議を再開させましょう。皇帝陛下を失望させるわけにはいきませんしね」

(――皇帝陛下、ね)

 内側にいるリリスの気配が、含みを持たせた聲で呟いた。


           §


 会議が終わった。

 その中で決まった事は、ザーラッハの中都市コルトを十日以内に制圧するという大まかな方針だ。この規模の都市のためにシャイアが投入される可能性は低いので、通常戦力による数と質の戦いとなる。

 指揮をするのはグンダルとなった。

 ターカスの首都を占領したミッドラインダ帝国への対応については、まだ不透明。というのも、途中で作戦室にやってきたルウォが、その件は自分が取り仕切ると決めた為だ。同格の神であるカラエルの存在がはっきりと確認されたことで、これは他人には任せられないと判断したのだろう。

 いずれにしても、こちらが関与できるような展開にはならなかったわけだが、灰公爵として参加をした価値は十二分にあった。

 特に大きかったのは、もう一人の灰公爵の存在を知れた事。

「ここ、いいかしら?」

 地下街の食事店でタマゴサンドと魔物の唐揚げを頼んでいたそのマウロの向かいの席に、リリスは許可を得る前に腰かけた。

 その隣に、ヴラドも腰を下ろす。

「彼と同じものを二人分頼むわ」

 メニューをもってやって来た店員にそう告げて、リリスはすぐに寄越された水を一口飲んだ。

 それに合わせるように、マウロも水を飲んで、

「こんなところで会うなんて奇遇ですね」

 と、涼しげな表情で言う。

「此処にはよく来るのかしら?」

「いえ、今日が初めてですよ。貴方たちと同じで基本的な活動拠点はザーラッハですしね」

「エンシェから鞍替えしたという話だけど、それっていつの話?」

「最近ですよ。貴方たちと同じくらいだと思います」

「どういう経緯でそうなったのかしら?」

「答える必要はありませんね」

 淡々とした口調でそう答え、マウロはタマゴサンドをかじった。

「……お前、邪魔ね。出来れば死んでくれないかしら? 今、ここで」

 笑顔を浮かべたまま、リリスが言う。

 かなり強烈な言葉だが、マウロの表情は変わらない。ただの言葉だと思っているからだ。

(確かめて)

 瞬間、ヴラドはテーブルを膝で蹴り上げた。

 そうして敵の視界を潰しながら、姿勢を低く落とし刀に手を掛ける。

 と同時に空いている右手の掌から血を溢れさせ、鞭の要領で手首を振り抜いてから、時間差で斬撃を放った。

 大抵の相手は初手で死に、そこそこの手練れもこれで死ぬ。

 だが、マウロはそのどちらも凌いでみせた。鞭を回避し、斬撃をナイフで防いでみせたのだ。

 得物は持っていなかった筈だが、暗器使いなのか、或いはそういう魔法なのか。まあ、なんにしても、これでこの男の強さの最低ラインは定まった。

 刀を仕舞う。

 かちん、という音を掻き消すように、吹き飛んだテーブルと衝撃で割れた窓の音が周囲に響いた。

「……ずいぶんと乱暴な方ですね」

 いつの間にか手にしていた分厚いナイフを顎の位置辺りに構えながら、静かな口調でマウロが言う。

 反撃の意志は、見えなかった。

「死ななかった」

 と呟き、ヴラドは席を立つ。

「そのようね、残念。帰りましょうか」

 全く残念そうではない、むしろ楽し気なトーンでリリスが言った。

「迷惑を掛けたな」

 懐から魔石を一つ取りだして、それをカウンターの前に置く。

 そうしてヴラドたちは店を後にした。 


                §


(支配されていない事が露見したな。戦力の一部も暴かれた。じゃが、そちらは最小限で済んだと見るべきか。候補は絞られたが断定されるほどではなかった。それを逆手に取ることが出来れば、或いはといったところか)

 内側から響くリズの聲を聞きながら、マウロはナイフを懐に仕舞い、仕舞ったところで具現化したそれを静かに解いた。

 それから小さく息を吐き、

「すみません。もう一度同じメニューをお願いします」

 と、無事な席に座り直して言う。

 店主は、突然の嵐を前に少しのあいだ役割を忘れてしまったようで、

「この石って、高いんですかね?」

 惨状に表情を曇らせながら、そんな事を訊いてきた。

「宝石には見えないし、魔力も入ってるようには見えないし、というか、ただの石にしか見えないんですが……」

「それはグリナイル石。ある特定の色の魔力を増幅させる効果を持っています。この国での価格は……そうですね、大体三十万程度でしょうか。店内のテーブルと窓を全て一新しても、余裕でお釣りがくると思いますよ」

「そ、そうなのかい?」

「ええ。そういうことなので、タマゴサンドと唐揚げをお願いしますね」

「あ、あぁ、少々お待ちを」

 店主がカウンターの奥に引っ込んだ。

 なんとなく耳を澄ましてみると、誰かと話し始めたのがわかる。

 その誰かが、鑑定、という言葉を口にしたのがかろうじて聞き取れた。……まあ、状況を察するにはそれで十分だろう。

 腹を膨らませるのには、まだ少し時間がかかりそうだが、考えを纏めるにはちょうどいい。

(彼等は、どの程度のリスクを覚悟していたと思いますか?)

(さて、どうじゃろうな)

 気のない調子でリズが言う。

 これはいつもの事だ。マウロも別に助言が欲しいわけではなく、ただ彼女の聲が聞きたかっただけなので目的は果たしている。

(私には問題ないと確信しての行動に見えました。だからこそ難しい。彼等が驚異的な楽観主義者でない場合、アルドグノーゼの性格まで正しく把握していたという事になる。そして私たちが取るべき行動も判っていた。まるで、貴女を相手にしているようだ。けれど、それはあり得ない)

(そうか? 或いは妾こそが騙りであるかもしれんぞ?)

(契約をしているんですから、あり得ませんよ)

 苦笑を浮かべつつ、話を続ける。

(多分、皇帝陛下という台詞が良くなかった。それはルウォにも当て嵌まる言葉だから。神子同士の気配に中てられて緩んでしまった。だが、それを綻びだと理解出来る存在は非常に限られている筈だ。貴女ではなく、それが可能な存在)

 果たして誰なのか、考えを巡らせようとしたところで、

(重要な部分はそこではない。そこを、重要にしてはいけない)

 と、リズが口を挟んだ。

 いつもは聞き役に徹する彼女が、珍しい事だ。

(重要にしてはいけない? …………たしかに、そうですね)

 そもそもヴラド・ギーシュは神子ではないのだ。

 契約者である事や何と契約したのかといった部分を隠すことは容易いが、器を隠すことは難しい。壺や瓶などといった容器と同じで、蓋をすれば中身は隠せるが、そのものの大きさを誤魔化すのには限度があり、特に大きいものを小さく見せる事はリズのような反則でもしない限りは不可能と言えた。

 一応、拡張出来る未知領域の存在があるので、小さいものが思ったよりも大きかったという例はあるが、それでも小箱が倉庫ほどの大きさになる事は絶対にない。

 拡張できそうな部分込みで、ヴラド・ギーシュの器は上級悪魔や高位の精霊、中級の天使を宿すのが精一杯で、神や神に近しい大天使と契約した場合は一度でも力を使えば即自壊。つまり、誰と契約していようが今の彼が出来る事は、神のそれではないのだ。

 もちろん、それを覆すために不死の少女がいるのだろうが、『定着』の魔法には大きな欠点がある。魔力の消耗の激しさと、棄却した瞬間にその核が失われてしまうという点だ。

 神の魔力量は人間の比ではないが、それでも不死の魔法を定着させ続ける事が出来るのは長く見積もっても数十分が限度。それを越えたら棄却するしかなくなる。そして棄却したら当然器が壊れて絶命する。

 だからこそ、儀式に纏わる勝敗が決する日以外に、彼が不死の力をもって壊れる器を治し続け無理矢理神子に等しき力を揮う事はない。仮に揮ったとしても、その時点で脱落者になるので、エンシェにとってはどうでもいい存在になる。

(……元々、マヌラカルタ様の身体は回収する予定でしたしね。優先順位を大きく変える必要もないか)

(それなら良いのじゃがな)

(まさか、裏切りにまで発展すると?)

 裏でなにか画策している雰囲気はあったが、そこまで深刻とは捉えていなかったので、さすがに驚いた。

(奴は妾の事を知っておる。ゆえに、奴がそれなりに情報を仕入れていた場合、辿りつく答えは一つ)

 マヌラカルタは絶対の不死。

 宿主が死ぬことがあっても、かの魔神が死ぬことはない。そして人と同じく、悪魔もまた、ないものを強請るものであり。

(……アンフェノ・リリス、目的は最疫の復活ですか?)

 世界全てを滅ぼす者とも言われている、あの蒼黒の太陽を生み出した存在ならば、マヌラカルタの永遠すらも焼き払う事が可能だろう。

(まだ遠い未来の話じゃ。今は、良き仲人になることに集中するべきじゃな。この同盟工作もまた、儀式の担い手を決する極めて大きな要素ゆえ)

「お待たせいたしました」

 店主が戻ってきた。

 その手には、サンドウィッチと唐揚げが乗せられたトレイ。

 それをテーブルに置いてから、彼は荒らされた店内の掃除を始めた。

 他の客に「御免なさいね」と言いながら声のテンションが高いのは、通信石かなにかでグリナイル石の正確な値段を伝えられたためだろう。

 そんな店主の微笑ましさを眺めつつ、マウロはサンドウィッチに手を伸ばして、

(……っ、やっぱり、ヒビが入ってるな、手首)

 と、呟いた。

 瞬間、胸の奥に彼女のざわめきが一気に広がってきて、

(な!?  だ、大丈夫なのか!?)

 眼を瞑れば、どんな表情をしているのかも、鮮明に浮かび上がってくる。

 意外というべきなのかどうかわからないが、泰然たる振る舞いを常とするリズはその実かなりの心配性なのだ。おかげで、幼い頃はよくこういった反応を見ることが出来ていたが、ここ最近は御目にかかれなかった。そういう意味では、ヴラド・ギーシュには感謝してもいいのかもしれない。

(大丈夫ですよ、半日も魔力を注いでいれば治ります。もちろん、このお返しもすぐにします。やられっぱなしというのは、趣味ではありませんしね)

 淡々とした口調でそう返して、マウロはサンドウィッチを一口齧った。


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