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君>世界   作者: 雪ノ雪
第五章『二人のリリス』
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プロローグ/戦争の始まり

 ルウォ・ステラ要塞が落とされた時から、本格的な戦争は秒読み段階に入っていたわけだが、それが決定的なものだと全ての国民が認識したのは、日が変わる間際の事だった。

 突然雲が払われ全貌が露わになった夜空が、次の瞬間水面のように揺れ、そこに一人の男を浮かび上がらせたのだ。

 気分転換に執務室を出て、自室のバルコニーで資料に目を通していたザーラッハの第一皇子、スラヴェルルルラーク・グラニ・ザーラッハは、おそらくかなり早い段階でその事態に気づいた一人だった。

(なんだ、この男は……?)

 殊更に挙げるべき特徴のない、どこにでも居そうな青年。

 身に纏っている衣装も平凡で、おそらく人ごみに紛れたら見つけるのは困難なほどの没個性っぷりだ。

 当然、面識はない。だが、自分は確実にこの男を知っているはずだ、という妙な確信が胸の奥には渦巻いていた。

 その気持ち悪さの正体が何なのかを探る前に、答えが訪れる。

 急に世界の重力が狂ったように、全身にすさまじい圧がかかり、立っていられなくなったのだ。

 さらに呼吸すらもまっとうに行えない状態へと陥ってしまい、急速に意識が沈んでいくのがわかった。

 ……このままでは、不味い。

 危機感が全身に魔力を迸らせる。

 弟ほどではないにしても、スラヴェルルルラークもまた十二分に強力な魔力を有している。そうそう簡単に屈服などしていいものではない。その自負をもって必死に抗い、なんとか荒い呼吸を取り戻す。

 取り戻したところで、夜空を陣取った男の正体にも気づいた。

(……そうか、この男が、ルウォ・アルドグノーゼか)

 ならば知らずとも知っているという矛盾は、なにもおかしくない。人間という種がもつ遺伝子の中に、創造主の情報が残されていたというだけの話だからだ。

(それにしても、やってくれる……!)

 ようやく外に向けられるようになった意識が、至るところから響き渡る悲痛な叫びと狂笑を捉えていた。

 おそらく首都全域が、この狂気に満たされてしまっている。

 首都の人口は約千五百万人。果たして、そのうちの何割が一時的な被害で済み、何割が深刻な後遺症を抱えることになるのか……。


『――降伏を許す猶予はもう過ぎた。愚物どもよ。最後に後悔の暇をくれてやろう』


 冷たいルウォの声が、再び凶悪な重圧と共に降り注がれた。

 どれだけ魔力を滾らせても、歯を食いしばっても、今度はどうしようもない。

 精神が死ぬ。磨り潰されてしまう。

 その恐怖が最後の自我となって消える間際――空が、裂けた。

 映像が消え、重圧も消える。

(……シャイア、か)

 彼女の斬撃が支配を断ち切ったのである。

 冷汗がどっと吹き出す気持ち悪さに眉をひそめながら、ゆっくりと呼吸を整え、手すりの力を借りて立ち上がる。

 夜風の寒むさに、身体が震えた。

 周囲の絶叫と狂笑は幾分治まっている。おそらく半数以上が気絶したためだ。

 翌日に届くだろう被害報告に気を重くしつつ、しばらく回復に努めていると、乱暴なノックの音が響いた。

 こちらが許可をする前に、ドアが開かれて一人の騎士が入ってくる。

 見知った顔だった。普段ならこのような無礼、けして行わない男だ。

「何事か?」

「も、申し訳ありません。たった今、ルウォ帝国の進軍が確認されたと報告が届いたもので、急ぎ知らせなければと思い」

「どこからの進軍だ?」

「で、ですから、ルウォ帝国が進軍を――」

「ひとまず呼吸を整えるといい。ゆっくりとな」

 その言葉で、スラヴェルルルラークの質問を正しく理解したのだろう。同時に焦りで冷静さを失っている事にも自覚出来たようだ。

「……申し訳ありません」

 と、騎士は深々と頭を下げてから、言われたとおりに深呼吸を何度か繰り返し、顔を上げた。

「落ち着いたか?」

「はい。……本国のルウォ・ステラ要塞ではなく。ルウォ南端のガラナリからの進軍です」

「報告はどこから届けられた? パラミアか? それともコルト?」

「パラミアです」

「あそこにいるのはオルミス将軍だったな」

 ルウォ・ステラ要塞が落とされた事もあって、ルウォ帝国との最前線になりえるその都市には強い指揮権をもっている人材を派遣していたわけだが、それが功を奏した形だ。

 とはいえ、安心できるほどの戦力があるわけではない。この辺りは他国と変わらず傭兵で埋めることになる。

「敵の数は?」

「黒が二、藍が十五、白銀が二百、金色が千の総数三万との事です」

 固い声で、騎士はそう答えた。

 そこに含まれているのは、強い不安だ。不安を抱くのも仕方がないほどの戦力という事でもある。

(黒潰石クラスが二人もか。例の四将の軍である可能性が高いな)

 パラミアにある現状の戦力で対処するのは不可能だろう。そもそもあそこは防衛にあまり向いていない、奪われる事を前提としている都市だった。

(……都市爆弾、か)

 果たしてタシネルは、そのカードを切るのか切らないのか……奴の性格を正しく理解しているわけではないスラヴェルルルラークにはわからない事だが、いずれにせよ被害は最小限にとどめるべきだろう。

「オルミス将軍には避難誘導が終わるまでの足止めを優先するようにと伝えてくれ。コルトには私が話をつけるともな」

「了解しました」

 胸の前に右手を押し当てる敬礼をして、騎士はいそいそと部屋を出て行く。

 その姿が消えたところで、もう一度だけ呼吸を整え、

「……千年以上ぶりの戦争、か」

 と、事の重さを胸に刻みながら、スラヴェルルルラークもまた、コルトとの通信可能な施設に向かって駆け出した。


章の完結まで毎日投稿する予定です。


よろしければ、最後までお付き合いいただけると幸いです。

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