12/来客
今日もシャルロットは深海世界で留守をしていた。
基礎的な訓練が終われば、あとは屋敷で独りだ。ヴラドとリリスの二人がどこに行っているのかは聞かされていない。ザーラッハに来る前までは毎日のように一緒に居たのに、この国に来てからは別行動が本当に多くなった。
独りは寂しいし、一人は怖い。
少し前までは一人の時が一番楽だったはずなのに、おかしな話だ。
でも、そんな事は、正直今は重要じゃなくて――
(本当に、人間の変化というのは早いものだな)
頭の中で、聲がする。
その正体が何なのかは、想像に容易い。
不死の魔神マヌラカルタ。先日の死によってこの身体の支配権が揺らいで、奴がまた自分の身体を乗っ取ろうと動き出しているのである。
(消えろ、消えろ、消えろっ……!)
頭の中で繰り返す。
その悍ましい声を掻き消すように、何度も何度も繰り返す。
(懐かしい抵抗だ。昔の貴様はそうやってよく泣いていた。……望み通り、消えてやろうか?)
甘い聲。
一瞬、心が揺らぐ。
それを見透かしたように、聲は嗤った。
(だが私が消えたら、貴様はただの小娘だ。あの男の傍に居る事は出来なくなるな)
(……そんな揺さぶり効かない。貴方の思い通りになんてならない)
昔とは、違うのだ。
心だって少しは強くなった筈。こんな雑音、聞き流してしまえば――
(リリスだったか。貴様にとっては残酷な話だが、彼女は私の味方になるだろう。いや、私が彼女の味方になると言った方が正しいかな。そして彼女はそれを承諾する)
(……そんなこと、あるわけない)
(何故言い切れる? 貴様は彼女の目的を知っているのか?)
呆れるようなトーンで、マヌラカルタが無視できない不安要素を指摘してくる。
ヴラドの目的は具体的なところまである程度想像はついているけれど、未だにリリスの方は不明だったのだ。彼女がヴラドの為にただ手を貸しているのであれば、それに越したことはないが、正直それはあまりにも希望的な観測で……
(……貴方は、知っているっていうの?)
(あぁ、もちろんだ。だからこそ、私は彼女の味方になるのさ。穢火の女禍のな)
(穢火の、女禍?)
その名前は、マヌラカルタが口にする前から覚えがあるものだった。
まだシャルロットが貴族だった、自由に本が読めた時代に神話の中に出てきた魔神が、たしかそういう渾名を有していた筈だ。
(アンフェノ・リリス。人間界の四割を焼き払った魔神だよ。多少の教養がある者なら知っている、有名な名前だ。だが、その知名度に反して、何故彼女がそれをしたのかについては、どの書物でも触れられていないし誰も気にしない。まるで、それを深く考える事が許されていないようにな。だが、私は彼女の目的を知っている。教えてやろうか?)
(……)
(そうか、興味がないか。ならば、そのまま無知を貫いていろ。そして全てを失ったあとで知るといい)
(ま、待って!)
気配が遠ざかって行くのを感じ取って、シャルロットは思わず声を上げた。吟味するべき情報を、みすみす逃すよりはいいという直感に従った形だ。
(……お、教えてください。お願いします)
屈辱を押し殺しながら、シャルロットは言った。
(礼儀をわきまえている事は良い事だ。お父上の教育の賜物だな)
くつくつ、と愉しげに嗤ってから、マヌラカルタが話し始める。
(穢火の女禍は、蒼黒の太陽の中に封じされた『最疫』の涙から生まれた。その出自こそが、彼女の目的を物語っている。……もし、貴様が彼女だったらどうする? 生まれた時より悪とされ、全てが敵と初めから決まっていたら。ただ一つ、自身を生み出した神だけが温もりを与えてくれる存在だと知っていたら)
その『最疫』という存在がなんなのか、シャルロットには判らない。
ただ、最たる疫とは、あまりにも不穏な名前だ。アンフェノ・リリス以上の災厄である事に違いはないのだろう。
そんなものを、もし解放したら、一体どうなるのか……。
(エンシェは、世界を滅ぼすつもりなの?)
(いや、彼等の目的は人類の進化だ。彼等はけしてそれを良しとはしないだろう。つまり、私と彼等では最終的な目的が違う。彼等の目的は、私の目的の第一歩にしかならない。だが、彼女の目的は私のゴールそのものだ。どちらも同じ歩数で得られる結果なら、どちらを選ぶかなど考えるまでもない事だろう?)
(……)
(全てが真実なわけがない、だが全てが嘘とも限らないと、貴様は今考えている。そんな貴様に一つ予言をくれてやろう。裏付けとなる予言だ。貴様はまたすぐに死ぬことになる。彼女が私に自由を与えるために、必ずな)
不吉な言葉を残して、気配は消えた。
(……そんなはずない。下手くそな揺さぶり。上手く事が運んでいないから焦ってるんだ。きっとそう、絶対そう)
静かになった自室で、シャルロットは何度も自分にそう言い聞かせる。
だが、それを行った事で得たものは、自分自身がどこかでリリスを信用しきれていないという事実で……その事実に、激しい自己嫌悪を覚えたところで、呼び鈴の音が響いた。
ヴラド達が帰ってきた? 一瞬そう思ったが、彼等が呼び鈴を鳴らす理由はない。
(一体、誰だろう?)
少々の不安を覚えながら、階段を下りて玄関のドアを開ける。
そこに居たのはデューリ・コンクだった。
「中に入っても良いかな?」
「ヴラドさん達はいませんけど」
「それは知っている。数日帰れないという報告を預かってきたからね」
「……帰れない? それは、どうしてですか?」
「奇妙な話だが、今彼等はザーラッハの第一皇子の護衛をしているらしい。クーレ・サーランタという傭兵の依頼でね」
「クーレさんの……そう、ですか。…………どうぞ」
躊躇いを覚えつつも、ラウンジに通す。
それから一人キッチンに赴いて、一応客人という事で紅茶を用意する事にした。
そうして少し目を離している間に、デューリ・コンクはリグチラへと姿を戻していた。その結果、彼――いや彼女は、以前と同じく、ぶかぶかの格好となっている。
「あぁ、ありがとう」
ソファーに腰を下ろしていたリグチラは、香りを愉しむようにカップに少し鼻を近づけて、目を閉じ、優雅に一杯口にしてから、
「良い茶葉を使っている。彼女はこういう部分に拘りをもっているようだな。それを意外と見るべきか、らしいと捉えるべきかは難しいところだが」
「……あの、それで、用件はなんですか?」
出来れば早く帰ってもらいたくて、少しつっけんどんな口調でシャルロットは言った。
それに対して、リグチラは「ふむ」と思案するように頷いてから、
「君とは、あまり話した事がなかっただろう? だから、ちょうど時間も空いた事だし、この機会に親睦を深めるのも悪くはないと思ってね」
「親睦、ですか?」
「君は私の事が嫌いだろう?」
「そ、そんなこと――」
「隠さなくてもいい。隠せてもいないしな。ただ、その理由が判らなくてね。彼の協力者同士、足を引っ張る要素は排除しておくべきだろう」
どこまでも淡々と、リグチラは言う。
そして、十秒以上の沈黙がやってきた。
彼女はただ、じっとこちらを見つめているだけだ。
その居心地の悪さと圧に押し負ける形で、シャルロットは答えた。
「……この国に来てすぐ、平和主義者の起こしたテロを見ました。無関係な人が大勢巻き込まれて……あんなことを主動した人を、どうして好きになれるんですか?」
「では君は、ヴラド・ギーシュも嫌いなのか?」
「え? な、なんで急にそんなこと……」
不思議そうな切り返しに、戸惑いを覚える。どうして急にそんな話になったのか、シャルロットには理解出来なかったのだ。
そんな彼女をむしろ不思議がるように、ほんの少しだけ感嘆めいた息を吐いてから、リグチラは言った。
「彼は私以上に人を殺しているし、戦場以外でも私と同じくらい無関係とされる人間を殺している。確認出来ている範囲だけでも、別の大陸にあるカンデという国で貴族を二人、バグアウ共和国で政治家を三人。彼等は前科をもっていたわけではないし、巧妙な悪人だったわけでもない。商売敵は当然いたようだが、それだけの普通の人間だった。家族や友人を抱えた普通のね」
「……」
「ふむ、多少の驚きはあるが、ショックなどは覚えていないようだな。では、私と彼との違いはそれを見たか見ていないかという点となる。体験による感情、これはなかなか難しい問題だ。どうしたものかな」
「――別にどうする必要もないでしょう? 私の邪魔さえしなければそれでいい」
シャルロットの意志とは無関係に、口が動いた。
マヌラカルタだ。身体の主導権を一瞬奪われた。
殆ど反射的に口を抑える。抑える事は出来た。他の箇所も自分の思い通り、正常に動いている。ただ、呼吸と心拍だけは大いに乱れていた。
「今の魔力の乱れ方は、相当に無理をした感じだな。君の拒絶も相まって、しばらくは表に出て来れないだろう。……うん、これは好都合だ」
最後の言葉に不穏さを覚えて、シャルロットは咄嗟に身構える。
「あぁ、すまない。今のは不安を煽るような物言いだったか。君の事情は彼から聞いている。私が此処に来た一番の理由も死んだ影響を懸念しての事だ。報告を部下に任せなかったのは、どうやら英断だったようだな。おかげでマヌラカルタの置かれている状況がある程度判った。主導権はまだ君にある。よほど多くの死が重ならない限り、今以上の干渉は行えないだろう」
どこまでも淡々とした口調で言ってから、リグチラはそこで紅茶を呑み乾して、空になったカップをテーブルの上に置いた。
「……置かれている状況が判ったって、具体的にはどんなことがわかったんですか?」
他でもない自分の事だ。知らないわけにはいかない。
彼女の空になったカップになんとなく紅茶を注ぎながら、シャルロットは訪ねた。
「ありがとう。……そうだな。まず、マヌラカルタは好きなタイミングで表に出る事は出来ない。もし、それが可能なら、リリスがいるところで行っていただろうからね」
「それは、どうしてですか?」
「君の身体に干渉できるという事実を、あえて第三者に伝える必要などないからだ。それをアピールしたい当人にすればいい。今は互いに別行動をとる事も多いのだし、二人きりになれる機会も少なくはないのだから」
確かに、その通りだった。
「……あの、その、貴女はどう思ってるんですか? リリスさんの事」
「そうだね、彼と彼女の最終目的が違うところにあるのは間違いないだろう。だから、警戒は必要だ。リリスにこの事実を伝えるのはまだ避けた方がいいと思う。あぁ、それと、一つ確認したい事があるのだが、少し裸になってくれないか?」
突然の申し出に、シャルロットは一瞬言葉の意味を見失った。
数秒後、戸惑いと警戒心を抱きつつ「あ、あの、それはどうしてですか?」と訪ねると、リグチラは相変わらずの無表情で、
「エンシェ陣営が君の身体に『共有』を仕込んでいる可能性があるからだ。そして、ヴラド・ギーシュはおそらくそこまで徹底した検査を行っていない。核を使う事を渋ってか、君を気遣ってか、別に支障がないと自惚れてか、いずれかの理由でね」
と、答え、その瞳の――黒目の部分の形を十字に変えた。
……魔眼だ。
「私のこの眼は、人よりも多くの種類の魔力を視ることが出来る。その服を作った人間の魔力の残滓などもね。これを使って確認する。もちろん断っても構わないが、その場合は疑いが残る事を理解してもらいたい」
「……わかりました」
脅されている感がなくはないけれど、魔眼の話は初めて聞いた。
彼女は、こちらにその手札を見せたのだ。それはある意味で、彼女の誠意とも言えるのだろう。それに、シャルロット自身知らない間に自分の何かが覗かれたり、発信されているなんて気持ち悪い可能性を放置は出来ない。
多少の羞恥を覚えつつ、服を脱ぐ。
幸か不幸か、この身体は死なない程度の大怪我ではなく、死に直結する大怪我に見舞われてきた事の方が多かったおかげで、傷の類は殆ど存在していない。
それでも、幼い頃に負った傷のいくつかは、古傷として身体に残っていた。
「……表には見当たらないね。背中を向けて」
言われた通りにする。
顔が見えなくなった事で、信用できない相手にここまで無防備になっている事実を強く感じた。
その所為だろうか、時間にすればおそらく十秒程度の沈黙が、先ほど以上に長く感じられて、
「――見つけた」
不意に背中に触れた冷たい手の感触に、びくっと身体が震える。
それでも反射的に振り返らなかったのは、その手に死を感じたから。
「心配はいらない。今から君の肌の裏側にあった刻印を摘出する。出来れば、魔力を抑えてこのまま大人しくしていて欲しい」
「――」
ぞわりと総毛立った。
彼女の手が、シャルロットの背中から離れると同時に、なにかが自分の体内から抜けていくような感覚が訪れる。
「完了した。綺麗に抜き取れた筈だが、違和感などはないかな?」
「え、ええ、大丈夫です」
不思議な感覚が少し残留しているが、それだけだ。
脱いだ服をいそいそと着直してから振り返ると、碧色の紋様を摘んだリグチラの姿があって、
「……それが、私の中に入っていたんですか?」
「あぁ、だが紐付されているのは聴覚だけだな。交信用だ。機能を増やせば、それだけ露見のリスクも増えるから妥当ではあるが……ふむ、逆手に取るにはちょうどいいか」
そう言って、リグチラは懐から取り出したイヤリングに紋様を張りつけた。
そのタイミングで、十字の魔眼が元に戻る。
「これは特殊な加工を施した記録石だ。眠る時に身に着ければ、彼等の内緒話を傍受する事が出来るだろう。まあ、そのまま処分してくれても構わない。対応は君に任せる」
「任せるって……どうしてですか?」
この状況の為に、リグチラは自身の魔法と魔眼を披露したのだ。
変身と合わせて三つ。彼女自身の手札は全て晒したと見て間違いないだろう。それがどれだけのリスクなのかは、シャルロットでも判る。
「それはもちろん、君に命令する権利を私が有していないからだが……いや、そういう問いではないか。だが、その答えは既に口にしている。私は君と仲良くなりたいからだ」
……あぁ、その言葉は本当だったんだと、それで理解した。
そこまでする理由は、相変わらず判らないままだけど……少なくとも、その誠意を無碍にするのは違うと思う。…………ただ、それでも彼女に対する嫌悪感を拭う事が難しいのは、ラミアの件があるからだ。彼女がククルにしている事。
まだリリスが言っているだけで確定している情報じゃなかったし、リリスがそれを利用する可能性もあるので、理由の部分で口にすることは躊躇ったけれど、そこをはっきりさせない限り、リグチラへの感情は永遠に平行線のままだろう。
だから、迷ったけれど、シャルロットは踏み込む事を決めた。
「一つだけ教えてくれませんか? ラミアさんの事です。……彼女は、本当は誰なんですか?」
「……なるほど、私を嫌悪する一番の理由はそれだったか。視えているものを減らしすぎていると、やはり読み違えるものだな」
小さくため息をついて、リグチラは言った。
「君の想像通り、彼女はラミア・シャーレではない。ただ、では誰なのかという問いに答える事も、私には出来ないが」
「なぜですか?」
「あれは確かに私の魔法の成果である可能性があるが、私が行った事ではないからだ」
「どういう意味ですか?」
「アルドグノーゼがどういう神なのかは君も知っているだろう? 彼の支配は、この世界の全てに影響力をもっていて、当然私が持つ魔法も例外ではない。つまり、私の許可など関係なく私の核を使って魔法を行使する事などもできるというわけだ。もちろん他の方法で化けさせる事も可能だろう。それに、そもそもラミア・シャーレが両親を失ったのは、私の父が死ぬ前、つまり私が平和主義者を運営する前の事だ。あとはそうだな、私の魔力では彼女の姿を長期間維持させる事は出来ないという点も根拠に出来るだろう。私は既に自分自身にそのリソースを割いているからね。維持出来たとしても半日が限度。それで騙し続けるのは現実的ではない。嘘だと思うのなら、プレタ・リリエッテにでも聞いてみるといい」
そこでプレタの名前が出るのは、同程度の魔力量を有している契約者だからなのだろう。
いずれにしても、リグチラの説明には一定以上の説得力があった。
その上で、彼女とどういう風に関わるべきなのか……。
すぐには答えが出ない。まだ、色々と思うところはある。でも、もう拒絶一択ではないのも確かで、
「……イヤリングって、どういう風につけるんですか? 私、そういうのにあまり縁がなかったので」
躊躇いがちに言葉を紡ぎながら、シャルロットはそれを受け取った。




