11/護衛のお仕事
結論から言うと、手遅れだった。
プレタに依頼をし三日後にクーレと会った時、既に彼はノスティワと契約を果たしていたからだ。
それは彼の左隣に座る、空色の髪に金色の瞳をした十歳くらいの少女の存在が物語っていた。
間違いなく契約者だ。ただし、力は殆ど感じない。そのありようは酷くリリスに似ていた。つまり、リリスと同じ方法で器の足りない人間と契約だけを果たしたというわけである。
「僕の前にわざわざこうして君が顔を出したって事は、君も祭りの参加者で間違いなさそうだね」
映画館でぼんやりとアクション映画を見ていたクーレは、視線をこちらに向ける事なく言った。
「そいつがノスティワなのか?」
一つ席を空けて、彼の右側に腰を下ろし、訪ねる。
「本人が言うにはそうだね。サラヴェディカとかいう連中も、そうだと言っていた」
「信じていない口ぶりだな」
「君が来て、少し信用度は上がったかな」
「そいつらはお前の身内を殺して、お前をザーラッハの王にするつもりのようだが、その話はもう聞いているのか?」
「いや、初耳だね」
言って、クーレは視線をノスティワに向けた。
ノスティワは無表情だ。最初に見た時からずっと、この少女には色がない。器と魂がまだ定着していないのか、それとも器自体がただの目の役割しかもっていないのか……現時点では。どういう状態なのかを断言することはできなかった。
「でも、まあ、驚くような事じゃない。器だけを見れば僕より大きい人間は探せば居るし、付加価値の方を重視しているのは想像に容易かったしね」
「それでも契約したという事は、やるのか?」
「まさか、そんなつまらない事、僕がするわけないでしょう?」
ピクリ、とノスティワが微動する。それに合わせて、周囲の空気が軋みを上げ始めた。
何かがそのあたりに潜んでいるのだ。返答次第では、すぐにでもそれがなんなのかが判りそうな気配だった。
「お前の意志に価値はあるのか?」
「まあ、彼等の中にはないのかもしれないね。今はまだ」
「……愉しそうだな」
「君と別れたあとの戦場は酷かった。つまらない事の連続だったよ。なにもかもが簡単だった。でも、最上位の神の勢力を従えるというのは、なかなかに歯ごたえがありそうだ。おかげで、今はやる気に満ちているよ」
その瞬間、場の空気が変わった。
平日の映画館に人は殆ど入っていなかったが、次元を裂いて現れたサラヴェディカの天使共(おそらく、中身の死んだ契約者たちの肉体を改造し、天使に近づけた存在)を前に、数人の客たちは一目散に映画館を飛び出していく。
テロに晒されているという現状あっての迅速さだ。こういうのを不幸中の幸いというのだろうか。
ともあれ、これで無関係な人間が死ぬリスクは下がった。
「狭量なヒトたちだなぁ。ただの言葉一つで躍起になるなんて」
呆れるようにクーレが嘆息する。
「狭量にさせたのは、お前がここまで従順に振る舞ってきたからじゃないのか?」
「そうなのかな? こっちとしてはただの社交辞令のつもりだったんだけど……まあ、いいや。もう契約は交わした後だしね」
「詐欺師みたいな物言いだな」
「向こうもこっちを都合よく使う気だったみたいだし、お互い様でいいんじゃない?」
そう言って、クーレは晴れやかに微笑み、
「ということで、ここで正式に表明しておくかな。僕は君たちの思惑に乗るつもりはないし、兄上を殺させるつもりもない。そして、儀式をただ誰にも使わさず腐らせるだなんてつまらない真似もしない。数百万年に一度しか行われない祭りに水を差すなんて、無粋にもほどがあるからね」
と、現れたサラヴェディカの連中に向かって言い放った。
傍らのノスティワが「そのようなことは許されない。秩序に逆らうということがなにを意味するのか、貴方はわかってない」と呟いていたが、それを完全に掻き消す張りのある楽しげな声と共に、クーレはヴラドの肩をたたく。
「というわけだから、君には兄上の護衛をお願いするよ。彼等の思惑は全部潰してやらないと気が済まないからね」
「……報酬」
「端的な切り返しだなぁ。そういえば、今日は彼女がいないのか。喧嘩でもしたのかい?」
「そういうお前は、勝手に増やして揉めなかったのか?」
「ガジャとは厳粛な主従関係だからね、揉めるような事はないよ。もちろん、彼女とも揉めるつもりはない」
「原初の神と同列扱いか」
それなら、あの魔人も不満はないのかもしれない。
まあ、どうでもいい話だ。
ヴラドは座席から立ち上がり、
「はい、これが前金」
立ち上がったところで、隣の空いていた席に布袋が落とされた。
それを掴み、中を確認する。
入っていたのは、そこそこの金額と、魔石に保存された三つの核。
「戦場で面白い魔法を持っている人たちがいてね、君への手土産になるかと思って保存しておいたんだ」
最近、また色々と消耗していたので、核が増えるのは望ましい。少なくとも、交渉の席につく程度の価値はありそうだ。
「成功報酬は?」
「そうだね、僕がサラヴェディカを掌握した後の事になるだろうけれど、そこで殺した相手の核全部っていうのはどうかな? 中身を殺して独りになった天使も多そうだし、そういう契約者の核は変質するという話も聞くしね。君にとっても価値は高いんじゃない?」
「胡乱な投資だな。いいだろう。ただ、こちらも今はこの国と友好的じゃない。お前が口添えしたところで話が徹る保証もない。旗色が悪くなったらそこで終わりだ」
「こっちも不確実な投資になるって? 大丈夫だよ。兄上は僕のお願いを無碍には出来ない。父上もね。それくらいは愛されているから」
「ならいい」
袋をコートのポケットに入れる。
「さて、それじゃあ僕はそろそろ行くよ。せっかく彼等が自分たちの世界への扉を開けてくれたことだしね。待たせるのも悪いし」
出てきたが一向に行動をしていなかった天使やら悪魔に向けて、クーレが微笑んだ。
彼等は皆一様に脂汗をかいて、歯を食いしばっている。
まるで、自死を強要されているかのような――
「――サラヴェディカを、舐めるなぁあ!」
ありったけの気力を振り絞って、四枚の翼をもった天使の女が魔法で構築した剣と共に突っ込んできた。
防御も何も考えていない。ただただ必死な攻勢。
確定だ。クーレの魔法は重力が本質じゃない。重さという概念を扱う、より広義的なもののようだ。それをわざわざこちらに見せてくるあたり、ずいぶんと気前のいい事である。
「案内役は君でいいかな」
クーレがそう呟いた直後、動けずにいた奴等は超重力によって掌サイズにまで潰され絶命した。そして襲い掛かった一人は、剣をもっていた手首を切り飛ばされ、瞬く間に無力化させられる。
「選んでいいよ。首だけになって持ち運ばれるか、自力で歩くか。僕はどっちでもいいからさ」
喉元に短槍を突き付けながら涼しげに言うクーレを前に、どちらが利口なのかはすぐにわかったのだろう。天使は魔力で止血をしながら、自らが開いた次元の中へと、クーレと彼に手を繋がれたノスティワを連れて去って行った。
『この世界はいつだって危ういバランスの中で成り立っているんだ。だからこそ、私達がこの世界を守って行かないといけない。他でもない、今生きている私たちが』
スクリーンに映る主人公らしい男が、湿っぽい音楽に合わせて長ったらしい台詞を並べている。
その言葉が丁度終わったタイミングで、次元の裂け目は消え、世界の秩序を維持する事を目的とする者達の、肉片だけが残った。
§
クーレが寄越した袋の中には前金と魔石の他に、一通の手紙と紹介状が入っていた。ザーラッハの第一皇子であるスラヴェルルルラーク・グラニ・ザーラッハに宛てたものだ。
「それにしても、舌を噛みそうな名前よね」
「どうせ口にするつもりもないだろう」
「まあ、それはそうなんだけど」
リリスと軽口を叩きながら、王宮へと向かう。
王宮の一部は開放されているので、そこそこの数の一般市民と並んで中に入り、受付で手紙と紹介状を渡すと、十分後、他の衛兵たちとは違う、やや豪華な衣装を身に纏った騎士がやってきて、王宮の奥にある部屋の前へと案内された。
(……いるわね)
(あぁ)
要塞を略取する際に、まざまざと感じ取っているので間違えるはずもない。
名前はたしかシャイア・テキーラだったか、この国の神子だ。傍にいるもう一つの気配が、おそらく第一皇子なのだろう。
騎士がドアを開ける。
「ご苦労、下がって良いぞ」
そう言い放ったのは、金髪に碧眼の、どこか中性的な美貌の男だった。
やはり兄弟だからか、クーレに似ている。
その事実に少し感心していると、押し殺したようなシャイアの声が執務室に響き渡った。
「ヴラド・ギーシュ、平和主義者に関与した疑いのある傭兵か。妙な事をすれば、命はないと思え」
「ずいぶんと悠長ね。それは被害を容認しているのと同意よ? ザーラッハの元帥様はよほど上の意向に忠実と見える」
小馬鹿にするように、リリスが言い返す。
これは一種の確認だ。相手は元帥。皇子以上に武力行使の権限をもっている。こちらに干渉すると不味い理由でもない限りは、この挑発を口実になにかしらのアクションを仕掛けてくるはず。
しかし、シャイアはつまらなげに鼻を鳴らすだけで、何事もなく部屋を去って行った。
「心臓に悪い事をするものだな」
苦笑気味に、第一皇子が言う。
「お前の弟が好みそうな遊びでしょう?」
「どうやら、ラーサは傭兵を愉しめているようだ」
「それがあの酔狂者の本名?」
「あぁ、ラーサクターレン・グラウウェル・ザーラッハ。それが、弟が授かった王名だ」
「王名?」
「表向き国王をしているのは父上だが、この国の王は既に代替わりをしていて、統治者としての強制権をもっているのは彼となっている」
「重要な情報に聞こえるが?」
「その重要な情報を、彼は手紙に記していた。よって、貴方たちに隠す必要性はない」
ヴラドの問いに、第一皇子はそう答えた。
「確かにな」
納得感から頷く。
すると、隣のリリスが、
「待って、まるでわたしが当然のように盗み見た感じになってない?」
「違うのか?」
「もちろんそうだけど、初対面の相手にそう思われるのは心外だわ」
微かに目を細めて、リリスは皇子に視線を向けた。
「ラーサと幾度となく刃を交えてなお生きている貴方たちの事は、個人的にも調べていた。交渉事を担当している悪魔の抜け目なさも、当然調査済みだ」
「……やり難そうな相手ね。そうだ、いっそ、さっきの神子に護衛を任せればいいんじゃない? 我ながら名案だわ」
「それは難しい。ルウォ・ステラ要塞が落とされているからな。彼女が此処に戻ってきたのは一時的なものだ」
「その要塞がどの程度の価値を持っているのかは知らないけれど、お前が通常戦力では対処できない化物に狙われるのも、おそらくは一時的なものよ。だったら、その間あの女の傍にいればいい」
「手紙には『僕が解決するまで彼等に守ってもらってよ』としか書かれていなかった。途中で飽きて止めてしまう可能性もあるし、私にも破棄できない予定というものがある」
「そう、それは残念ね」
別にその意見が徹るとはリリス自身思ってはいなかったのだろう。だからあっさりと興味を無くして、ポケットから取り出した飴を黙々と舐めはじめた。
バトンタッチ、あとは任せたという意思表示である。
「……指示には従え。勝手な事をされてまで守れるほど、護衛は得意じゃない」
素っ気なく、ヴラドは必要事項だけを口にする。
「あぁ、分かっている。では、早速だがついて来てくれ」
「どこに?」
「大広場だ。今日は演説をする事になっている。本来は私の役目ではないのだが、父上ももう年だし、表向きの後継者は私だからな」
どこか自虐的に微笑んで、彼は執務室をあとにした。
§
豪華な匣を背に乗せた四足歩行の送獣に運ばれて、皇子と共に広場へと向かう。
目立つ行動は避けるべきだが、王としての振る舞いは必要不可欠なものらしく、周囲には数多の騎士が追従していた。そして予定通りの行事ゆえに、匣の中に誰が入っているのかも周知であり、喧噪の大きさは感知にも支障を生じさせている。
そんな神経に障る環境が二十分ほど続いたところで、ようやく送獣が足を止めた。
ヴラドは先に外に出て、広場の南端に用意されていた壇上に立ち、魔力の波を放ちながら周囲を見渡す。
騒ぎが一際大きくなったのが煩わしかったが、集まっている奴等の中に脅威はなさそうだ。
気になる点は、狙撃ポイントの多さだろうか。壇上の背後には七ヘクテルほどの高さの魔力防壁があるので気にしなくても良さそうだが、左右と前面は射線が通りすぎている。遠距離からチクチク攻撃されると面倒かもしれない。
ともあれ、一応のチェックは済んだ。
その合図を魔力で送ると、第一皇子が匣から出てきて、颯爽とした足取りで壇上の前に立った。それに合わせてヴラドも少し後ろに下がり、いつでも抜けるように刀の柄に手を乗せる。
「……」
第一皇子がマイクに手を伸ばし、角度や距離を調整し、短い呼吸を一つとってから演説を開始した。
演説の内容は今の時勢に相応しい、ルウォとの関係について。
その過程で平和主義者にも触れて、犠牲者への黙祷とテロに対する姿勢を語っていく。
民衆の反応は概ね好意的だ。真剣に彼の話に耳を傾けて、同調の意思を示している。
それは、洗脳のような過度のものではない、実に自然な受け入れに見えた。この国においての皇族がどのような立ち位置にいるのかが、よくわかる光景だ。
(……仕掛けてくるなら、この辺りか)
その読み通りに、広げていた魔力が空間の歪を感知した。
頭上だ。五十ヘクテルほど先。数は七。結構距離がある。
これは、こちらの展開していた魔力によって、近場での空間転移が不可能だったためだろう。
よほどの強制力や出力がなければ、基本的に魔法というものは自身が展開している魔力領域内でしか発現させる事は出来ない。至近距離で魔法を機能させたいのなら、相手に肉薄した上で自身の体内で構築した魔法を放出するという手段に限られる。
(例外は、居なさそうだな)
敵戦力の上限を把握しつつ、ヴラドは懐から取り出したナイフを開かれた空間目掛けて二本投擲した。
入れ違ように、そこから五本の槍が射出される。
第一皇子はそれに気付いている。なら対処するのは三本に留め、次の攻撃に備えるのが良さそうだ。
二本を斬り払い、一本を左手で掴んだところで、鮮血が視界に過った。
問題なく処理できると思っていた第一皇子のこめかみを、槍が抉ったのだ。
微かな驚き。だが、すぐに納得が胸を埋める。
彼の表情には、一切の動揺がなかったためだ。それどころか痛みの発生源すらも無視して、彼はただ真っ直ぐに聴衆を捉えていた。
(なるほど、この状況を演出に使うつもりなのか。だったら早く片付けてあげないとね)
つまらなげにリリスが呟く。
クーレとの血の繋がりを感じたのだろう。まあ、その意見には同意だ。
掴んだ槍に自身の血を纏わせ、敵の侵入口に向かってまた投擲し、手ごたえを感じたところで血液を弾けさせる。
砕け散った槍の破片と圧縮された血の刃が、おそらく七体ほどを始末した。
そいつらの血を蛇に変えて、残りを襲わせる。
これで、あとはちょうど外に出てきた四体の天使を始末して終わり。
(……増援もなさそうだな)
こちらの戦力を正しく理解していない感じだ。サラヴェディカは相当にごたついているのだろう。
そんな事を思いながら、再度第一皇子を狙った槍の投擲を弾き返しつつ、最初に地面に降り立った天使の首を刎ねる。
そのままの勢いで次の心臓を穿ち、その死体を蹴飛ばして一体の視界を隠しつつ、死体もろとも胴を両断。飛び散った血を散弾に変えて最後の一体をハチの巣にし、排除の完了を告げるように、刀を振って刀身にこびりついていた血を払う。
そのタイミングに合わせるように、
「臆するな! 我々は決して、このような卑劣な者たちに屈することはない! どれだけ血を流そうと必ず勝利を手にすることを、今ここに誓おう!」
と、第一皇子は高らかに演説を締めくくった。
言葉だけではない確かな姿勢を示したその姿に、聴衆は恐怖をあっさりと拭い去って、熱狂的な歓声を響かせる。
そうして狙い通りの反応を引き出した第一皇子は、しかし苦々しい色を滲ませながら、颯爽とその場を後にした。
§
最初に会った執務室に戻る途中で、二人の従者をひきつれた国王と出くわした。
「襲撃を受けたようだな」
「問題ありません。危機を察知した彼が、優秀な護衛を寄越してくれたので」
ちらりとこちらに視線を向けて、第一皇子はそう答えた。
「……そうか」
「父上はこれからどちらに? 本日の予定に外出はなかった筈ですが」
「タシネルに呼ばれた」
声に、微かな嫌悪が滲む。
感情を制御するのが得意そうな人種から、それでも零れる感情だ。
「最近、多いですね」
と、第一皇子も強い警戒心を見せる。
これだけで、この国が誰の手で回っているのかがよく判った。
「それだけ大事な時期ということなのだろう。……すまぬが、代わりは任せる」
そう言って、国王が手にしていたスケジュール表を第一皇子に手渡す。
それにさっと目を通し、皇子は小さく頷いた。
「ずいぶんと影響力があるみたいね。もう一人の神子の方は」
執務室に戻ったところで、リリスが言った。
「あの方は、この国が創設された時からおられる、この国の歴史そのものだからな」
「創設当初って、それは凄いわね。つまりはルウォと同じか。何故王をやらないのかしら?」
「さあ、神の如きにお方の考えなど、凡人には到底判らない事だ」
「つまらない答えね」
「私は、彼とは違うからな。そういった事を求められても、期待には添えられない」
どこか頑なさを感じさせる声で、第一皇子はそう答えた。
「……まあいいわ。それで、次の予定は?」
「要人との会食だ。さすがに危険はないと思うが」
「今お前を狙っている相手はサラヴェディカよ」
「サラヴェディカ?」
「偉大なる原初の神たるノスティワの直轄組織と言えば、どういう類なのかわかるかしら? ……でも、そうね、王名の話をしてあげれば、お前が狙われることもなくなるかもしれない。試してみる?」
「きっと無駄だろう。貴女も、そう思っているように見えるが?」
「そうね。裏を取るのに時間を使うより、殺してしまったほうがずっと早いしね」
くすくすとその短慮さを嘲笑いながら、リリスは飴を取りだして、
「あ、ところで、会食にはどんな料理が出るのかしら? ケーキとかはあるの? どうせ不測の事態に備えて余分に作るのでしょう?」
「……そうだな。お二人の夕食は会食の後という事になるが、もう二人分用意させておこう」
「ふふ、ありがとう、皇子様」
笑顔から毒を消して、手にしていた飴をヴラドのポケットにつっこんだのだった。
§
そうして、護衛として会食の場にも同席することになったリリスとヴラドだったが、そこには馴染みのある顔が二人ほど揃っていて――
「――貴様、どうして此処に居るっ!?」
クリスエレスの神子であるユーリッヒが、憎悪を露わに吠えた。
傍らにいるダノラウトも、苦々しい表情を浮かべている。ここにシャルロットがいたら、きっと誰よりも激しい感情を見せた事だろう。
そんな二人を真っ先に小馬鹿にしたのは、もちろんリリス、ではなく、エンシェの重鎮であるチュル・ウルフェンファング――大天使アヴロイを宿した、エンシェを象徴する最高戦力の神子だった。
外見は二十歳半ば。くすんだ赤髪に、日焼けした肌、やけに明るい碧の瞳が特徴的で、野生的な印象を強く受ける。実年齢は六百歳以上の筈だが、落ち着いた雰囲気はまるで見られなかった。
「クリスエレスからも神子が来てるっていうから少しは愉しみにしてたってのに、雑魚の方かよ。がっかりだな」
それを物語るような開口一番の悪口。今後の協同を見据えての会食が、いきなりの暗雲である。
「いいか、小僧。オレの邪魔だけはするな。オレの気が乗らない時だけ気張ってろ。それが出来りゃあ、殺さないでおいてやる」
いっそ憐れみに近い感情を向けながら、彼女は乱暴に席に着いた。
その不躾さも相まってか、右の目尻を痙攣させながらユーリッヒは努めて静かな口調で言い返す。
「……エンシェもよほど人材に困っているらしいな。まさか、このような品性劣悪の下等生物を寄越すなど。これは、ザーラッハに対する侮辱と受け取っても良いのではないか?」
「……」
処理に困る嫌なパスを受けた第一皇子は、苦笑いを見せつつ国家にとって代えの効かない特別な戦力を提供してくれた事に対する、当たり障りのない謝辞を述べた。
そうして、食事会が開始される。
第一皇子のここでの目的は、おそらく悪魔の契約を両者に行う約束を取り付ける事だ。
二国とも今ザーラッハと事を構えたいと思っているわけではないだろうから、多少のセーフティーは効いているが、それでも安全が確実ではない兵器がこの国に齎す脅威は計り知れない。
統治に携わる者なら、まずはこの問題を処理する筈。……まあ、上手くいくかどうかは知らないし、こちらにとってはどうでもいい。
それよりもリリスが気になったのは、チュルの態度だった。。
傲慢で好戦的なのは確かだと思うが、あまりにもユーリッヒだけに牙を突き立てている感じがする。敵国同士なので自然と言えば自然だが、忌み嫌っている敵と肩を並べる状況にしたザーラッハに皮肉の一つも並べないというのは、吐きだしている言葉の強さからすると、やや不自然だ。タシネル・リャンタがこの場に居ない事に触れないのも気になった。実際、ここに元凶とでもいうべき神子がいないというのは、かなり失礼な話なのである。
(……つまり、そういう理由で噛み付いているわけではないという事よね)
でも、だとしたらなんなのか……それは、表に出てきたルプテが教えてくれた。
「近い者同士じゃれ合うのも構いませんが、場は弁えた方がいいかと。貴方の口からも言って欲しいものですね、アヴロイ」
「――あぁ、そういえばそうだったわね」
くすくすと口元を手で隠しながら、リリスは嗤ってみせる。
すると、視線が一斉にこちらへと流れた。
「なにがおかしい?」
ユーリッヒが眉間の皺をより深くする。
どうやらルプテが嗤われたと勘違いしたようだが、それは少し違う。
「なにが? そうね、思った以上にはしたない理由だった事が、かしら」
チュルに視線を向けながら、リリスは言った。
「そりゃあどういう意味だ? ってか、てめぇ誰だよ」
「ただの観客よ。埃をかぶった神話の一節を思い出しただけのね」
「神話だと?」
と、ユーリッヒが怪訝そうな表情を見せる。
反面、ルプテは内容が読めたのか、少し身構えるように重心を後ろに下げた。
それをせせら笑いながら、リリスは言う。
「第二天使ルプテは、かつて天界でとある天使と恋仲にあったの。だけど彼は召喚の義によって地上へと行ってしまった。その天使の名はアヴロイ」
「――」
動揺から、ユーリッヒが瞳孔が大きくなった。
ルプテに対して特別な感情を抱いている証拠だ。それが恋慕なのか、ただの独占欲なのかは知らないが、チュルのほうも似たようなものだろう。
(愉快な関係図ね)
それを上手く使えば、どちらかの神子の核を手に入れる事も可能かもしれない。
望ましいのはユーリッヒの方だ。ヴラドに対して敵愾心を持っているこの神子は、不必要なリスクをこちらに齎す恐れがある。それに、明らかにこちらの方が殺しやすい。ルプテさえ崩してしまえばいいのだから……なんて事を考えながら、殺気立った空気を愉しむ。
そんな中でも、なんとか悪魔の契約を取りつけた第一皇子の手腕は、大したものだと褒めても良いだろう。
ともあれ、無事に会食は役目を果たし、彼等は何事もなくこの場を去って行った。
第一皇子も安堵の吐息を漏らし、こちらに食事を用意するように従者に告げてから、颯爽とした足取りで立ち去っていく。
それを見送ったところで、
「それにしても、ずいぶんと大人しかったわね。なにを考えていたの?」
「あの男をどう殺すか」
静かな、それでいて酷く冷たい口調で、ヴラドはそう答えた。
殺気が少し滲んでいる。相当に抑えていた証だ。それほどまでに、ヴラドはダノラウトという男を許しがたい存在として認識していた。ある意味では真っ当な、けれど確実に常軌を逸した憎悪だ。
「……まあ、知らない間に処分するのなら、あの小娘にとっても良い結果になるかもしれないけれど、あまりお薦めはできないわね」
「障害になるのは明白だ。あの神子よりも確実にな」
「それでも、殺せばあの娘の精神に影を落とすわ」
「何故?」
「血の繋がった家族だから。要は幻想よ。哀しいかな凡人ほどそういうものにしがみつく。それがどれだけ愚かだと自分自身が理解していたとしてもね、手放せないの。そこにまだ幸せがあるかもしれないと思ってしまう。まあ、それでもやるというのなら、わたしは別に止めないけれど」
「……どの道、勝手にはやらない。次を許すつもりもないがな」
「そうね、お前はそうよね」
それが良いのか悪いのかはさておき、と胸の奥で呟きつつ、リリスはその当事者に今異変が起きている事を感じ取って、微かに目を細めた。




