10/お返し
レナリアが離れていた間に、ザーラッハではいくつか大きな動きがあったようだ。
その中で要塞がルウォの手に落ちた事は、この国にとっての一大事だったが、エンシェにとっての最大の出来事は、シャルロットが一度死んだ事だった。
二日前の出来事だ。情報を齎してくれたのは、他でもない当人の身体にいる不死の魔神。
(――以上が、私の見聞きしたことだ)
クリスエレスでマヌラカルタに会った際に身体に刻んだ『共有』の刻印が、かの魔人の聲を脳内に響かせてくる。
それをそっくりそのまま、レナリアは傍らにいる青年に伝えた。
マウロ・バレンタイン。
エンシェにおいて、レナリアの上司にあたる男である。
「……貴方様は今、どれくらいの時間表に出ていられるんですか?」
言葉を選ぶような間を置いてから、そのマウロが訪ねた。
すると、かの魔神は少し間をおいてから
(強行的な介入は数秒程度だ。だが、宿主が眠っている時間帯なら、こうして長めの交信を行う事は出来る)
と返し、それから次の連絡予定を告げてきた。
どうやら、これで情報交換は終了のようだ。
繋がりを切る際に、ちょっとした痛みが走る。これは完全には『共有』が定着していない事の証だ。会話の合間に行われた大雑把な処置だった事と、いつでも自力で消せるように、意図的にこちらから瑕疵をつくったのが大きな原因だろう。
「……どうやら、なにか面白いものでも見つけたようですね、あの方は。でも、その情報を共有する気はない、と」
口元に手を当てながら、マウロが呟く。
「何故、そう思ったのですか?」
その発想に至った根拠がわからず、レナリアは眉を顰めた。
「貴女は一言一句違えることなく伝えてくれたのでしょう? だとしたらあまりにも端的過ぎる。色々と回りくどい物言いが好きな方ですからね。時間もまだありそうでしたし、こちらを気遣うような方でもない。だとしたら、余計な情報が零れないように意識していた可能性が高い」
「そう、ですか……」
納得できるような出来ないような、曖昧な理由だ。
多分、本当の根拠は別にあるのだろう。それをレナリアには教えたくないのだ。
「いずれにしても、これで必要な情報は揃いましたね。あの方もザーラッハに到着したわけですし、いよいよ本格的な共闘が始まります。それを阻止したい勢力も動き出すでしょうし、その時はどうか、お願いしますね」
淑やかな微笑を浮かべてから、マウロはこちらに頭を下げる。
部下に対する態度としては、ずいぶんと卑屈だ。あの時もそうだった。
出会った当初の事である。
エンシェからこのザーラッハに向かう途中の合流地点、彼を迎えに出向いたところで、レナリアは野盗に遭遇した。
魔物ならいざ知らず野盗というのもなかなかに珍しいが、衝撃だったのはその野盗にぐるぐる巻きにされて捕まっていたのが、件の上司だったという事実だ。
なんでも、一人で大丈夫と合流地点まで足を運び、ちょうどそこを陣取っていた野盗どもに捕まったらしい。つまりはくだらない陰謀だ。誰かがエンシェの高官である彼の情報をリークし、野盗が身代金目当てでそれを利用した。
(こんな奴が、私の上に立つというの?)
自分の身すらろくに守れないくせに、護衛も連れずに出歩いて……何故か、野盗とにこやかに話している間抜け。
いっそ皆殺しにしてやろうかと、その時は思った。
だが、マウロは野盗からリークした相手を聞きだしたうえで、彼等を仲間に引き入れる事に成功したのだ。魔法を用いることもなく、話術一つで。
もちろん、なんの前情報もなしに成立する事ではない。
彼は野盗の情報を把握したうえで、あえて一人でそこに出向き、命を乗せた交渉の場に立ったのである。
そういった背景を知ることが出来たため、レナリアは一応彼を上司として扱う事に決めていた。
弱くとも、無能ではない。
ただ、やはり弱すぎるのは不快だ。その件にしても、強ければそもそも野盗を拷問すればいいだけの話だったのだから。
(……今、この男を拷問して、色々と情報を吐かせて、それからその記憶を消すというのも、面白そうではあるわね)
都合のいい事に、ちょうど二人きり。そしてここは都内のホテルの一室だ。音を消す魔石も所持している。条件は整っていた。
「なんだか怖い事を考えていませんか?」
表情を変えた覚えはないが、釘を刺すようにマウロが言う。
心を読む魔法でも有しているのか……いや、魔力干渉を受けた形跡はないので、さすがにそれはないだろう。まあ、ないからこそ、このタイミングでその発言をしてきた事が非常に気に入らないわけだが。
「まさか。今日の夕食はどうしようかと考えていただけですよ。この国の料理は、どれも大変美味ですからね」
涼しげにそう返して、レナリアはテーブルに置かれていた紅茶を、優雅な仕草で一口含んだのだった。
§
ザーラッハの街を、ヴラドはリリスと二人で歩く。
今日もシャルロットは深海世界で留守番だ。きっと今頃はククル、ロロント、他数名と日々の戦闘訓練を行っている事だろう。
これから、サラヴェディカにもう一度接触する。ムルカ連合の災王狩りの時に会った、あの胡散臭い記者に。
「そこの店よ」
リリスが指さした食事店に入り、飲み物を二つ頼んで五分ほど時間を潰したところで、プレタが入ってきた。
「時間通りね。五分前のほうが良かったけれど」
店の壁時計に視線を向けながら、リリスが言う。
プレタは無言で、資料をこちらに差し出してきた。
それを手に取って、ぱらぱらとリリスは内容を確認し、ヴラドの手に触れてくる。
情報が共有された。パウ・ドズワルドの行動記録である。
彼はヴラド達がザーラッハに訪れてからちょうど五日後に、この国にやってきており、今はシャンダー出版という会社に籍を置いていた。政治系の記者にでもなったのか、政に携わる人間と多く会っているようだ。
「まあまあの精度かしら」
「値段以上の筈よ」
「ちょうどお昼時だし、ここでの食事は奢ってあげるわ。チップ代わりにね」
「それはどうも」
ため息交じりに言葉を返しながら、通りを挟んだ隣の席にプレタは腰を下ろした。
そんな彼女のテーブルに硬貨を一枚置いて、二人は店を出る。
「あの記者もどきは、お昼必ずそこの店でパンを買うようね。それから裏道を通って本社へと戻る。……ここで仕掛けるわ。深海世界に引きずり込む。邪魔が入らないようにね」
リグチラからは、以前のものよりも融通の利く深海世界への鍵を貰っている。裏側にその世界さえあれば、魔力を灯すことでいつでも容易にそこに扉を用意できるという代物だ。
「そういえば、こんな魔力だったわね」
資料と一緒に渡された魔力の気配を宿した石を割り、リリスは醒めた表情で嗤った。
手近な屋根の上で気配を消して、やって来るのを待つ。
(……来たな)
前に会った時と違って、ずいぶんとしっかりした服を身に纏っている。ただ、きっちりした格好と異なり、相変わらず隙だらけだ。いつでも処理できそうに見えた。
(未来視を持っているんだったな?)
(心配いらないわ。自動的に機能する類に関しては直近だけ。せいぜい一分先が限度。そして、その未来視にも穴はある。原理を知っていれば、そもそも機能させない事も可能)
そう答えて、リリスはカジュアルなワンピースのポケットから小さな魔石を複数取りだし、一分後くらいにパウが通る地面へと放り捨てた。
中身は不明だが、色の感じからして、そのすべてに失敗した魔法が入っているようだ。
(わたしが合図したら仕掛けなさい)
角を曲がったパウが、捨てられた魔石の前を横切る。
と、そこで魔石に気付いたようだ。足を止めて、それを拾う。
直後、魔石の一つが発動した。吃驚箱みたいに、ちょっと煩めの音と煙が出る。それだけだ。当然、命の危険なんてものはどこにもない。
更にもう一個が起動して、同じような結果をもたらす。
「悪戯か? 魔石なんて、なに入れたってそこそこ高価になるような物をこんな風に使うだなんて、まったく――」
(今よ)
屋根の上から、ぼやくパウの真後ろに降りる。そして、裏世界への孔を開けながら、物音に振り返った彼の首根っこを掴み、そのまま孔の中へと放り投げた。
勢い余って地面を転げまわり、こちらから五ヘクテルほど離れたところで慌てて起き上がったパウに、リリスが微笑む。
「奇遇ね、こんなところでまた会うだなんて」
「……」
「どうして予知できなかったか不思議? お前の契約者が持っている魔法はね、正確に言えばそいつ自身の魔法じゃないからよ。ルーメサイトに備わっている予測システムにアクセスして、危機を察知しているだけなの。そして回数制限が掛けられている関係から、誤作動に関しては厳重に設定されている。さっきの魔石はね、一瞬誤認識をするけれど誤作動はしないラインの悪戯。こういう場面に遭遇した時、システムはその前後数秒の危険をスキップするように出来ている。今起きているそれは危険に該当しないって認識を更新するためにね。もちろん、重傷を負うような場面は例外だけど、軽く突き飛ばされる程度の危険なら、誤認識としてそのまま処理される」
「どうして、そんな事まで知っている?」
パウの影から現れた、額と両手の甲にも目を備えた少女が言った。
臨戦態勢だ。それなりに大物の悪魔なのだろう。戦力としても、脅威になりそうな感じはする。
だが、それは、この場所で無ければの話だ。深海世界のこの場所には魔法陣が描かれており、既に起動もしている。
効果は魔力の拡散。確実に全ての魔力行使に遅れが生じる類となっていた。
「僅かでも動けば、両手両足を切り落とす」
刀の柄に手を乗せながら、相手が咄嗟に動きだそうとしたタイミングで、ヴラドは言う。
先手を取れなかった事がショックだったのか、悪魔の方に焦りの色が滲んだ。力はあるようだが、戦いは不得手なようだ。
それでも抵抗の意志を強める悪魔を尻目に、ゆっくりと両手を上げてパウは言った。
「降参。降参です」
「――っ、パウ!」
「この状況は詰んでいるよ、イリア。そして私は痛いのが嫌いで、君が痛い目に合うのはもっと嫌いだ」
「懸命な判断ね。残念だわ」
盛大なため息を、リリスが吐く。
そんな彼女からイリアを隠すように半歩前に出てから両膝もついて、記者は以前のようなへらへらした笑顔を浮かべた。
「それで、私たちになにを聞きたいんですかね?」
「まさか心当たりがないのかしら?」
「……えぇ、残念ながら」
少し怯えたような声でパウが答える。
つくりものの笑顔に、本当の硬さが滲んでいた。今総動員で、なにか見落としがないか頭の中を整理しているのが判る。
「今、サラヴェディカはどうなっている? 二分化、或いは三分化しているんじゃない?」
「――」
イリアの眼が少し見開かれた。
記者と違って、こちらの女はずいぶんと判りやすそうだ。つつくならこちらの方がいいだろう。
当然、リリスもそう認識したようで、突然パウの急所を蹴飛ばした。
威力が威力なので深刻なダメージはないが、こちらが少しでも与える魔力を増せば、話は変わってくる。
「お前、名前は?」
「……イリア」
はぁ、とリリスは失望を露わにしたため息を零し、
「ヴラド、まずは右手の指から行きましょうか」
「イリア・ヘイズ・ゼグレディアよ!」
パウの指がジグザグになる様でも幻視したのか、慌てて彼女は言った。
悪魔にとって名前とは非常に重要なものだ。リリスという種が、個を示す名を得る事によってサキュバになれるのとは裏腹に、高位の悪魔に関しては名前を知られる事によって制限や呪いが掛けられる事も多い。
「ノルネなのはわかっていたけど、まさかヘイズとは、ずいぶんな希少種ね。お前、もしかして過去にもアクセスできるの?」
「……体調と条件さえ揃えば、一応」
「へぇ、それは面白いわね」
この上なく悪魔的な微笑を浮かべて、リリスはこちらに目配せをした。
そこに大した意味はない。だが、イリアからすればこれ以上ない脅しに映った事だろう。
「彼には手を出さないで。そうすれば、継続性を持たない内容に限り、ボクは一回だけ貴女の言う事を聞くから」
自発的に、彼女は悪魔の契約を口にした。
「一回だけ?」
「十二分な譲歩だよ。なにもしらない人間相手なら騙せるかもしれないけど、悪魔の契約ってそういうものでしょう?」
「そうね、手を出さないのが今日だけなら、それが妥当ね。契約成立。さて、あと何回酷い目に合わせてやれば、わたしが望む回数になるかしら? あっはは」
「……」
「一度で十分だよ。どちらにとってもね。それこそ、それ以上は時間の無駄だろうし」
嫌な想像に顔を曇らせたイリアを安心させるように、力強い声でパウが言った。
ふん、とリリスが鼻を鳴らす。
「では、まずは、ただのお話をしましょうか。ノスティワの調子はどう?」
「原初の神様を相手に、ずいぶん気安い物言いですね。怖いなぁ」
「ただでさえ頭が悪かったのに、更に悪化して手の施しようがなくなった愚物なんか敬ってどうするの?」
小馬鹿にしたように言ってから、リリスはそこで数秒ほど間を置いて、
「ねぇ、ルウォ・アルドグノーゼは誰を殺したのかしら?」
と、酷く優しい声で囁いた。
「奴の客であるわたしたちに手を出したんだもの、相応の代償はもう支払ったのでしょう? それが引き金になってお前たちは一枚岩でいられなくなった。当然よね、重要な配下を守れもしないのに手を出したんだから。これ以上、あんな莫迦に付き合っていたらサラヴェディカは瓦解する。そう考える者が出るのは自然な話。……それで、お前たちはどちらについたのかしら? それとも、まだどちらにもついていない? ついてなさそうね」
「……御明察です」
「パウッ!」
怒ったように、イリアが吠える。
そんな彼女に視線を向けて、苦しそうに微笑み、
「彼女の言った通り、もう一枚岩には程遠い。私達が黙ったところで、情報は勝手に流出するだろう」
そう告げてから、パウは視線をリリスに戻した。
「私達に貴女達と敵対する意志はありません。そして、もうノスティワ様に盲目的になる事も難しい」
「奴は、なにをしようとしているの?」
「知りたいのなら命令すればいい」
鋭い声で、イリアが口を挟んだ。
「嫌よ。お前たちはもう少し使えそうだもの。ここでカードは切りたくない。だから、そうね、ただの取引をしましょうか。私達はお互い有益な情報を所持している筈よ。それを交換するの」
「……貴女たちはルウォにいたようですけど、あの国の動向をどの程度把握しているんですかね?」
躊躇いがちに、パウが訪ねてくる。
「戦争に関する事なら、それなりにかしら」
と、リリスは答えた。
パウの視線がイリアに流れる。
彼は交渉に乗り気で、相方を説得する意志も持っているようだ。
「イリア」
諭すような声で背中を押す。
だが、イリアは頑なだった。
「契約はここで使わせた方がいい。……それか、自死するべきだ」
「たかが情報漏えいを防ぐためにそこまで考えているだなんて、大した忠誠心――いえ、使命感というべきかしら。素敵ね。別にサラヴェディカなんてものがあっても、世界はもうじき終わってしまうというのに」
「それは、どういう意味?」
「今更とぼけることもないでしょう? 儀式の話よ。そしてその参加者の中でお前たちは一番弱い。お前たちの最善は、お前たちの望む未来に近い願望をもった相手の味方になることだけ」
「貴女が、そうだとでも言うつもり?」
「お前はもう判っているんじゃない? わたしが、誰なのか」
「……叡の劫火、或いは全知の司書。リズ・ペディア・リリス」
絞り出すように、イリアはその名を口にした。
リリスはくすりと微笑し、
「先に、お前の求める情報を与えてあげる。なにが知りたい? といっても、二つ名ほどなんでも知っているわけではないわよ。世界全てにアクセスできるわけではないもの。だからこうして、交渉なんて面倒な真似をしているわけだしね」
「ボクが今一番知りたい事は、サラヴェディカがこうなってしまった原因だけだよ。あの方がなにをしようとしているのか判らない貴女に判るはず――」
「その答えなら持っているわ」イリアの声を遮って、リリスは言った。「この情報交換において、わたしは絶対に嘘をつかない。代わりにお前もわたしに嘘はつけない。微笑ましい契約よね」
「たしかに、そうだね。……交すよ」
明確に自分が不利になる事はないだろうと判断して、イリアが悪魔の契約を了承する。
結果、細い糸と化した二つの魔力――いや、この場合魂という方が正解か――が絡み合い、一つに結び付けられた。
契約成立だ。
その事実に満足そうに頷いてから、リリスが言う。
「端的に言ってしまうと、指導者が変わったからよ」
「?」
「今までサラヴェディカを管理してきたのは、実はノスティワではなかったという話。それが、ここ最近になってあの女が復活して権限を取り戻したものだから、当然のようにおかしくなった」
「復活? そんな莫迦な話……」
嘘は言っていないという前提の中で、それでもイリアには信じられない話だったようだ。
ただ、傍らのパウはそういう想定もしていたのか、動揺の色を見せることはなかった。
「かつての聖戦、『最疫』を前にこの世界を守った神々の話を少ししましょうか。神話では、原初の神の犠牲無く、それを封じる事に成功したとされているけれど、真実は違う。戦争の勝者で生き残ったのはアルドグノーゼだけだった。他の原初の神は皆死んだの。でも、そんな事実を伝えるのは彼等の権威に泥を塗るだけ。だから死は隠された。他でもない、お前たちサラヴェディカの手によってね」
「ええと、つまり、ノスティワ様の感覚では少し前に殺されたばかりで、その時の恐怖がまだ強く残っているという事ですか? それで冷静さを失っていると」
口元に手を当てながら、パウが確認を取る。
「まあ、そんなところなんじゃない? 死という衝撃は、一部を除けば神にとっても強烈な体験のようだしね。……さて、次はお前たちよ。そのノスティワは今なにをしようとしているの?」
「…………今わかっているのは、あの方がザーラッハの第二皇子と関係を持とうとしているという事だけ」
逡巡の末、物凄く嫌そうにイリアが答えた。
「第二皇子……たしか、病弱で一度も表舞台に立ったことがない人物だったかしら?」
「表向きはそうだけど、実際は違う。その人物は、皇族の中でもかなり特殊な立ち位置にあったみたいだ。神子ではないが、全てが許される存在とでもいうのか、持て余していたが手放したくはない存在だったらしい」
「らしいって、ずいぶんと曖昧ね」
「感情という理由自体が曖昧なんだから仕方がないよ。ボクに言われても困る」
「そいつは今どこにいるの?」
「それに答える前に、ノスティワ様が彼と契約してなにをしようとしているのか、貴女の意見を訊かせてもらえないですかね?」
へらへらとした笑顔で、パウが強欲をみせた。
ある意味でこの男らしい。そういう認識があるためか、リリスもため息一つで今回も許すことにしたようだ。
「ザーラッハには神子が二人いて、一応皇帝の直属となっている。正確な期日は忘れたけど、近いうちに即位する第一皇子を殺して第二皇子が国の指導者になれば、そいつらを自由に扱えるようになるかもしれない」
ちなみに、第一皇子を選ばなかった理由は明白だ。宿すだけの器もなかったからである。むろん、その第二皇子も宿す以上の事は出来ないだろうから、結局神の力を致命的代償なく揮う事は叶わないと思うが。
「その力を使って、ノスティワ様はなにをするつもりなんですかね?」
「その先に目的なんかないわ。怖いから守りを固めたいというだけ。少しでも不穏な要素を、考えなしに排除しようとしたようにね」
先日の件がよほどムカついているのだろう、笑い声には憎悪が滲んでいた。
「……だけど、実際のところ皇帝にそんな権利はないはず」
それにやや気圧されながら、ぽつりとイリアが呟く。
「ええ、そうね。女元帥の方はともかく、もう一人にそれらのルールは当て嵌まらない」
「タシネル・リャンタ。おそらく、この国を真の意味で支配している存在……その認識で、あってますかね?」
「さあ? 奴はわたしも知らない神だからね」
「それって――」
「サービスは此処までよ。気になるなら調べてみるといい。価値がある情報を手に入れたら、また交換する機会を与えてあげるわ。あと、これ以上横槍を入れるなら舌を切り落とす。残りは全部返答だけに回しなさい」
「あ、はは……了解です」
乾いた笑顔で頷いてから、パウは先程の質問に答えた。
「第二皇子の今の行方は不明ですけど、ずっと外の大陸にいて、つい最近この国に戻ってきたという情報は得ています」
「このタイミングで、か。ノイン・ゼタよろしく儀式に合わせて戻ってきたのかしら? だとしたら、ザーラッハ陣営の肝になりそうだけど……そいつの今の名前は?」
「クーレ・サーランタです」
「…………は?」
馴染みの傭兵の名前が突然出てきた事に、リリスは本気で間の抜けた声をもらし、
「はぁ?」
もう一度、怒りを込めてその声を発したのだった。
§
情報交換を終え、連絡手段を交換したところで、二人を外に出す。
そのタイミングで、ヴラドはなんとなく魔力を広げて周囲を探ってみた。
近場には誰もいない。感知範囲ギリギリのところでシャルロットたちが訓練しているのがわかった。向こうの方に問題はなさそうだ。
「まあ、先日の憂さを晴らせる程度には、収穫もあったかしら」
ため息交じりに、やや不満そうにリリスが呟く。
有益なのは、やはり悪魔の契約だろうか。
これで、プレタと同じく一度だけなら好きなタイミングで、サラヴェディカの力の一部を使用できるようになったわけだ。着実に手札は増えている。ノスティワという不確定要素の目的がはっきりしたことで、警戒対象も一つ減った。……もっとも、代わりに一つ、無視できない不安要素が追加されたわけだが。
「それにしても、まさかあの酔狂者が皇子とはね。その事実にはさすがに少し……いえ、かなり驚いたわ。頭が痛くなった。…………あの男、契約するかしら?」
「そもそも出来るのか? すでにガジャと契約しているだろう」
「そこは問題ないわ。腐っても原初の神、それもルールを司るね。契約するだけなら抜け道はある。まあ、奴にあの男を管理できるとは、到底、まったく、微塵も思えないけれど……」
そこで、リリスは非常に難しい顔を浮かべて、ポケットに入っていた飴を口に放り込み、しばしその甘さを堪能するかのように目を閉じてから、その場を意味もなく三十秒ほど歩き回って、
「……とりあえず、会う?」
と、立ち止まったところで言った。
「嫌そうだな」
「当たり前でしょう? 嫌よ。嫌。駄々をこねて回避できるなら全力を出してもいいくらいに嫌っ!」
クーレ・サーランタという傭兵に初めて会ったのは傭兵らしく戦場でだったが、彼という人間を認識するようになったのは純粋な戦場とは言えない状況での事だった。その時の出来事をリリスは思い出しているのだろう。唯一、ヴラド達が明確に失敗した仕事の件を。
「だが、前回は上手くいった」
「クリスエレスでの話? あんなの誰でも想定できるわ。だって、あの男が嫌いな事ははっきりしているもの。国中がよってたかって小娘一人嬲りものにするなんて、あの男からすればつまらないの極みでしょう? 事実わたしは何の誘導もしていないわ。それくらい簡単な空模様だった。でも、今回の件は違う。お前も思い出した事でしょうけど、三年前の災王討伐に状況が似ている」
三年前、とある都市国家を災王が襲撃した。
人間がその災王の縄張りに入ったとか攻撃を仕掛けたとか、そういう理由ではなく、単純に旅をするその災王の眼に、潤沢な餌場として見初められたからという理由だ。
ただ、その都市国家も標的にされたことを嘆くわけでもなく、大々的に宣伝をして災王を打倒する流れを作り、さらに隣国との戦争を自然に行えるような情報統制まで行う始末だった。
どちらも貪欲でしたたかで、それに乗っかった傭兵や冒険者も、自身の欲を呑み乾せる程度には実力を兼ね揃えていた。
そうして始まった災王との戦争は、最初の方こそ五分だったが、徐々に災王が押され始め、人間側の防衛戦は思いのほか早く終わり、討伐戦へと移行した。
もし、そこでクーレが裏切ってさえいなければ、災王は問題なく処理する事が出来たし、かの化物の心臓もヴラド達の手の中にあった事だろう。
まったくもって理解に苦しむが、人間側優勢で仕事の成功がほぼ約束されていた状況で、あの男は突如災王の側についたのだ。
ただ、当然だが、鞍替えしたからといって災王が彼の味方になったわけではない。事実、最後の最後まで災王はクーレにも攻撃を仕掛け続けていた。
それを全ていなしながら傭兵や冒険者の相手をして、彼は無理矢理戦局を膠着状態に戻したのである。長く状況を愉しむため……或いは、その先にあった一人勝ちの未来を見据えて。
いずれにしても、一つのこれ以上ない派手な裏切りは、人間側にある猛毒を撒いた。クーレという都合のいいスケープゴートを使って、見えないところで同士討ちが起きるようになったのだ。ヴラドも何度か背後から襲われた。
おかげで、傭兵や冒険者同士の信頼関係は絶望、かといって兵士たちが彼等を統率できるかといえば実力的に無理と負の連鎖は続き、災王も休みない戦いで身体中に傷をつくり、どちらも疲弊に疲弊を重ねていった。
このままでは災王に逃げられてしまう。傭兵や冒険者たちも、これ以上は損だと降りてしまう。
そう考えた都市国家は、莫大な報酬をもって、次での決着を求めた。
あの時は、『三十日も使って、はした金だけだなんて笑い話にもならない。なんとしてでも災王を殺して心臓を手に入れなければ、万死に値する時間の浪費だわ』とリリスも相当に息巻いていたのを覚えている。
だが、結果としては先述した通り、クーレの一人勝ちでこの件は終了した。
常に飢餓状態だった災王は餌場に固執したことで逃げ遅れ牙を失い、名の知れた傭兵たちの多くは彼に殺され、ヴラド達は金以外手に入れることなく、都市国家は隣国への戦争という思惑が潰えた上に、莫大な費用をまったく回収できずに上層部の何人かが入れ替わる流れへと変わった。
クーレだけが殺し合いという欲求を満たしたうえで、今奴の双槍になっている災王の牙を手にし、またその災王と殺し合えるという未来への愉しみも残したのである。
「やる気がない時は、ただの傭兵に過ぎないのだけどね。真剣になると途端に無茶苦茶な事をし始める。参加者にはしたくないわ。本当、したくない」
バキ、と音を立てて、リリスが飴を噛み砕いた。
「――決めた。殺しましょう。先手必勝の奇襲よ、奇襲。二等級までならなにを使ってもいいわ」
「途中で横槍が入って終わりになるだけだと思うがな」
「すぐに殺せば問題ない。すぐに殺って」
「無理を言うな。それとも何か策でもあるのか?」
一等級でも切らない限り、あの男を即座に殺す事は不可能だろう。それほどまでに、クーレ・サーランタという男は強い。魔法抜きの戦いでは五分。魔法を使った戦いでも、二等級は二つまで、三等級は無制限といういつものスタンスでやればやや不利といった具合だ。
暗殺なども困難。というか、下手な神子より難度が高いというのがヴラドの見解だった。危機を感じる能力に関して、彼は間違いなく今まで出会ってきたどんな存在よりも優れている。
そのうえで、自分の命やら利害やら全部そっちのけで死地に踏み入れる異常性を持っている事こそが、彼を彼たらしめているのだ。
「ないわよ。言ってみただけ。……はぁ、いっそ、あの原初の方が酔狂者を選ばないように仕向けるか。その方がまだ可能性があるかもしれないし」
「すでに契約している可能性もあるがな。それを確かめるためにも、会う必要はある」
「わたしは中にいるわ。会話の方も任せる。それと、殺れそうなら殺って、もしかしたら二重契約でなにかしらの支障がでているかもしれないし、希望はある筈だから。ええ、少しくらいは、きっと、多分ね」
投げやりなリリスの希望的観測と共に、予定が一つ増えた事にヴラドも小さくため息を零した。




