04/もう一人の蒼黒
「……まったく、おぞましい国だな」
ザーラッハに到着するなり、ユーリッヒは嫌悪を露わに吐き捨てた。
それに相槌を打つのは、シャルロットの父親であるダノラウトだ。
神子が国外に足を運ぶなど、複数の神子をもつクリスエレスでも滅多にない事だが、ザーラッハの神子であるタシネル・リャンタの強い要請でそうなった。代わりに交易の面でいくつかの優遇を得る事にはなったわけだが、果たしてどちらの方がより多くの利を得ることになるのか……。
「だが、この国にはあの忌まわしい悪魔憑きがいる。それを仕留めることが出来るチャンスだと考えれば、悪くはないか」
(……積極的に狙う事ではありませんよ。むしろ、エンシェに対する警戒を強めるべきです。どうやら彼等も、この件に神子を投入したようですから)
昏い欲望を口にするユーリッヒを窘めつつ、しかしその必要性はないだろうとルプテは考えていた。
サラヴェディカを介して休戦条約が結ばれていたからだ。
(それにしても、あのサラヴェディカまで巻き込むだなんて、それだけザーラッハも本気ということなのでしょうね)
約半年後の『極日』に行われる儀式をもって、ルウォが全てを破壊する。文字通り全て。この大陸のみならず、世界全ての常識がその日に崩れ去る事となる。
故に、これは全ての者にとって無関係ではない。
そして、皇帝ルウォは原初の第二神アルドグノーゼを宿した最も特別な神子だ。いかにザーラッハが傑出した戦力を有しているとはいえ、万全とは言い切れない。だからこそ、エンシェ、クリスエレスの二つの大国の神子を保険として要請してきたのである。
(……アルドグノーゼ、支配の神、か)
仮に、本当にルウォ帝国が暴挙に出たとして、あの神と相対して果たして誰が勝てるというのか。少なくとも、今のユーリッヒでは話にならないだろう。我が国の絶対君主たるスロウであっても単独では届かない。
そういう意味では、協力はこちらにとっても妥当なわけだが……正直ザーラッハはザーラッハで不透明な点が多すぎた。なにせ、主戦力が傭兵なのだ。
(報酬次第でなんとやら、ですからね)
いずれにしても、エンシェとの関係が肝要であり、過去のしがらみなどを捨てて本気で協力関係を結ぶ必要性があるという事実に、ルプテは胸の内で小さな嘆息をこぼした。
(強大な敵を前にした時だけ、我々は味方に戻れる。……皮肉なものですね、アヴロイ)
§
(……私は、どうするべきなんだろう?)
ククルにラミアの正体を知らせるべきなのか否か。
リリスの話を聞いてから、シャルロットはずっとその事について考えていた。リリスの言葉が真実である可能性が高いと、シャルロットもまた思ってしまっていたからだ。
その雑念は、訓練での動きを当たり前のように鈍くした。
なにか問題があるのではないかと心配してくれるククルの眼差しが、よりいっそうに胸をざわつかせる。
どれだけ考えても、どちらが正しいのかは判らなかった。
いっそ、永遠にバレない嘘だというお墨付きでもあれば黙秘する事も選べただろうに。もちろん、そんな都合のいい前提は存在しない。
いつかバレるのなら、きっと早い方がいいのだ。これ以上ラミアに深入りする前に真実を知らせるべき。……けれど、そのためには確たる証拠を揃える必要がある。
そういう意味では、今考えても仕方がないのかもしれないけれど……結局は、これもただの保留なのだろう。
「いつまで気を抜いているつもりだ? それとも、足を引っ張れという指示でも受けているのか?」
怒りを滲ませながら、ロロントが言った。
「そ、そんなこと――」
「だったら真剣にやれ。味方を殺したくないのならな」
「……すみません」
彼の怒りはもっともだ。こんなのじゃいけない。
(強くならないと、いけないんだ)
先日リリスに言われた事を思いだしながら、シャルロットは手にしていた剣を痛いくらい強く握りしめ、自分を痛めつけるような心意気で、前のめりに訓練を再開した。
§
訓練が終わり、屋敷に戻る。
汗が気持ち悪い。一刻も早くシャワーを浴びたい。
(それで嫌な気持ちも全部洗い流せたらいいのに……)
叶わない願いを抱きながら浴室に向かうと、そこでリリスと出くわした。
ちょうどお風呂上りだったのか、バスタオル一枚という格好だ。濡れた髪の毛と火照った肌が、異様な艶やかさを醸し出している。同性でも、頬が紅潮しかねない色気だった。
「あら、お前だったのね。残念、せっかく真っ先に悩殺してあげようと思ってたのに」
「の、悩殺って……あ、あの、ヴラドさん、今日も出かけているんですか?」
昨日もそうだし、二日前もそうだった。訓練を開始してから五日が経過したが、その内の四日間、彼は真夜中に帰ってきていたのだ。
なにをしに出かけているのかとかは訊けていないが、平和主義者絡みではない気がする。……でも、だとしたら一体なんのために出歩いているのか。
今日はそれを思い切ってリリスに訪ねてみた。彼女の色気に中てられて、ちょっと平常心を失っていた所為かもしれない。
結果、シャルロットはまた嫌な汗を滲ませる事になり、そんな自分に激しい自己嫌悪を覚える事となった。
「今日はたしか、お前が穏やかではいられない娘の件だったかしら。あぁ、愛しの眠り姫ってね」
§
ちなみにリリスの言葉は大嘘で、ヴラドはその時アルタ・イレスの本隊を観察できる場所に居た。
利用相手の優先順位はルウォがトップに変更されたが、お尋ね者になっていない現状、アルタ・イレスとの関係を進めておくのも悪くはないという結論に至ったためだ。
冒険者ギルドを使って色々と情報を集め、彼等の状況もある程度は把握出来ていた。交渉材料はそれなりにある。
ただ、一つ大きな懸念としてオセの存在があった。
アルタ・イレスが十二分に戦力として役立つのは判っているが、一番重要なのは神子の戦闘能力だ。仕入れた情報から鑑みて、ルシェドを消耗させることが出来る程度の戦力だとは認識しているが、あくまで人伝の情報、結局最後は自分の眼で見て判断するしかない。
だからこそ、直接面会する必要があったのだが、トルウォラト傭兵学院の口利きがない状況では、忙しいから会えないという回答しか得られていなかった。
会う事さえ出来れば、手にしたいくつかの情報が役に立つのだが、会えなければ使いようもない。なので、今日はそれを打開するつもりで、乱暴な接触を試みるつもりだった。
それが、つもり、で終わったのは、思いもよらない人物に声を掛けられたから。
「――人間にとっての十年という歳月は凄いな。あんなに小さかった少年が、今や私よりも長身の青年だ」
落ち着き払った、低い声。
振り返るまでもなく、それが誰のものなのか、ヴラドには判っていた。
ルシェド・オルトロージュだ。相手がこの男であるのなら、気配を一切感じさせない接近に驚く必要もない。
ゆっくりと振り返ると、そこには十年前と一切変わらない姿が佇んでいた。
「私の事は覚えているかな? 私はつい最近まで君の事を忘れていた――いや、違うな。とうに終わったものとして認識していたというのが正しいか。……ところで、まだその刀は抜かないのかな? 私を殺したくて仕方がないといった気配を感じているのだが」
「……用がないなら消えろ」
素っ気なく、ヴラドは吐き捨てる。
この男を始末するのは、今じゃない。
「用があるから声を掛けたんだ。もちろん此処にも用はあるが、それは君のついでと言ってもいい。……私はね、ひどく感謝をしているんだよ。やはり人間というものは可能性の塊だという事実を、君には再確認させてもらったからね。だからこそ、御礼をしたい気分でもある」
にこやかな微笑を張りつけたまま、ルシェドは言った。
「御礼?」
「一つ、願いを口にしてみると言い。私に叶える気があるものに限るが、それを実現してあげよう」
「……」
ここにリリスが居たら、果たして何と口にしたか。
死ね、と吐き出したい気持ちを抑えて、ヴラドは言った。
「……ルナを、傷つけるな」
「ふむ、それが願いか。君は本当に変わっていないな」
嘘くさい笑みが消える。
代わりに浮かび上がったのは、どこまでも冷淡な本来の微笑だ。
「心配せずとも彼女は大事なお姫様だ。私にとっても特別な存在。それを傷つける事など、私が許さない。彼女が最上の供物となる、その時までは」
……あの日も確か、この男は似たような事を口にしていた。
十年と二百十日後に彼女を生贄にする。だが、それまで彼女は安寧を得られるだろうと。
「君が十年ほど彼女を追い駆けてきたように、私も変わらずその目的の為に進んできた。全ては順調だ。実に待ち遠しいよ。その時が」
「……」
「さて、私はこれからオセに会いに行くわけだが、どうする? 私と一緒なら、彼女にも簡単に会えると思うが」
(彼女?)
オセという人物は男だったはずだが……まあ、会ってみればわかることだ。わざわざ訪ねる必要はない。というか、この男とは必要以上の会話をしたくなかった。
「……行くなら早く行け、こちらも暇じゃない」
「そうか。では、向かうとしよう」
§
アルタ・イレスもまたノイン・ゼタと同じく自由に出来る区画の一つを所有している傭兵組織であり、彼等の今の根城は高層ホテルとなっていた。そのため、入口付近には実に野蛮な連中がたむろしている。はっきりいって場違いだ。
そんな場違い共の元に、悠然とした足取りで向かったルシェドが、穏やかな微笑を湛えながら言った。
「オセに会いにきた」
「あぁ? 何だ、てめぇ――」
声を掛けられた男が眉を顰めるが、続きの言葉が吐きだされる事はなかった。
首から上が無くなったからだ。まったく感知出来なかったが、焼き切ったのである。おかげで血が噴き出す事もなく、首から上を無くした死体はただ地面に倒れた。
「私の事も知らないだなんて、これは話にならない連中だな。話しかけて損をした気分だよ」
なんて理不尽な事を口にしている最中にも、周りにいた連中が死んでいく。
どれもこれも、似たような死に方だった。
「て、敵襲だ! 敵襲!」
あえて生かされたのだろう一人が、悲鳴をあげながらホテルの中に逃げていく。
それをゆっくりと追い掛けて、重力石を用いたエレベーターの前で足を止めたところで、増援がやって来た。
数は二十程度。先程の連中よりは強そうだったが、当然その程度では話にならない。
「ルシェド・オルトロージュ!」
ただ幸いな事に、この集団のリーダー格は名前を知っていたようだ。
だから、同じような虐殺がリピートされる事はなかった。
「そう身構える事はない。今日もただの挨拶だ」
諭すような柔らかい声で、ルシェドは言う。
「ふざけんな! 仲間殺しといて、そんな道理が通用するわけねぇだろうが!」
「仲間? 生きていようが死んでいようが大差のない連中だろう? 彼等が居て何が変わるというんだ? そんな事より、ノイン・ゼタの代表がこうして顔を出してやっているというのに、彼女はまだ私の前にいない。この不敬は、どう受け止めればいいだろうか」
「……ついて来い。そうすれば、すぐに会える」
要求に従わなければ、この場に居る全員が死ぬという事が容易に想像出来たのだろうリーダー格の男が、感情を堪えてエレベーターのスイッチを押した。
ドアが開く。
男が真っ先に中に入り、ルシェド、ヴラドの順に続いた。
「あと二回くらい同じやりとりをするかもしれないと少し心配だったんだが、杞憂で済んだようだね。あぁ、良かった」
ルシェドの満足そうな呟きを聞きながら、エレベーターは最上階の二つ下の階に向かって上昇を始める。そこにオセがいるようだ。
一応、周囲に魔力を放って、脅威の検知を行っていく。
下は警戒一色だが、上にはまだ伝わっていない感じ。情報の共有速度不足が目立つ。それに、単純に脅威を覚えるような気配もほとんど感じられなかった。まあ、これは上手く気配を殺していると捉える事も出来るが、そういう嫌な感じも特にないのが、どうにも引っ掛かる。
「ところで、主要戦力は留守なのかな?」
同じことを感じたのかは不明だが、世話話をするようにルシェドが訪ねた。
男は押し黙り、冷や汗を垂らす。
「別に隠すような事でもないだろう? どのタイミングで戦争になろうが、どうせ一対一にしかならないんだから」
「……あぁ、そうだよ。此処に居ても愉しくねぇからって理由でな」
微かに上擦った声で、男は吐息交じりに白状した。
「なるほど、かなりの時間表に出ているという訳か。それは確かに、面白くない状況だな」
エレベーターが開く。
男は足早に進んでいき、ある部屋の前で立ち止まった。
その部屋から、嬌声が聞こえてくる。
「もっとだ! もっと鳴くんだよ! 俺をもっと勃たせろ!」
次いで、男の濁声がドアを突破してこちらの鼓膜に届いた。
どうやら交尾の真っただ中のようだ。
「ここだ。……もういいよな?」
「あぁ、御苦労さま」
適当な労いを口にしつつ、ルシェドがドアを開けた。
案の定の光景。ベッドの上で二ヘクテル以上はありそうな大男が、女を後ろから抱いている。その周りには裸の女が四人ほど気絶していた。
汗と精の生臭い匂い。
「あまり汚らしいものを見せないでくれないかな、オセ」
「――っ、てめぇ、ルシェド!」
よほど行為に夢中だったのか、声を掛けられてようやく気付いたようだ。振り返ったオセは驚愕を見せたのちに、表情を憎悪に歪ませた。
「こいつが、そうなのか……?」
「あぁ、残念ながらそうなんだ」
ヴラドの問いに、ルシェドはため息交じりに答えた。
「お仲間連れてカチこみとは、ずいぶんとやる気じゃねぇか! ああ!」
「彼は私の仲間ではないよ。それどころか、君たちの仲間になるかもしれない人材だ」
「はあ? なんだそりゃ? 要はあれか、ついに俺たちの軍門に下る気になったって話か? だったら男じゃねぇだろう? 女寄越せ。胸のデカい女だ。あと締まりがよけりゃあ尚更だな。初物の貴族とかなら最高だ! ほら、さっさと持って来いよ!」
魔力を発散させながら、オセが牙を剥く。
威圧感は凄いが、正直災王と対峙しているのと大差がない。恐ろしい話だが、核の出し惜しみをしなければ問題なく処理できる相手という認識を抱くほどだった。これがノイン・ゼタと肩を並べる組織のトップとは到底思えない。
「……不味いな、眩暈がしてきたよ。私も多くの神子を見てきたが、ここまで愚かな奴は君が初めてだ。だから、うっかり殺し切ってしまう前に早く出て来てくれないかな? アルタ・イレス」
「はっ! やっぱ殺りにきたんじゃねぇか! 上等だ! その面グチャグチャにして――」
――と、そこでピタリとオセの動きが止まり、見開かれていた両目が裏返った。
そして、両膝を地面について天井を見上げたまま硬直し、その口と目と鼻から大量の血が溢れだす。
まぐわっていた女が悲鳴を上げた。
ヴラドはちらりとルシェドに視線を向ける。こいつがなにかをして、オセを始末したのではないかと当然の思考に至ったためだ。
だが、その後ろにいたオセの部下にも、動揺の色は一切なかった。
(見慣れている感じだな)
そうこうしているうちに、血は床を埋め尽くし――そこで、異変が起きた。
真紅の血が、突然銀色に染まったのだ。さらに、ぶくぶくと沸騰するように泡を立てながら重力に逆らって上昇していき、中空で球体となって留まり、ぐねぐねと蠢きながら枝のように四方に伸びていき……やがて、女性のシルエットを構築して、静かにオセの真後ろに降り立つ。
続けて、嫋やかな両手がオセの頬に宛がわれ、義眼のように一切の抵抗なく両眼を抉り取り、手のひらに収まったその二つを、自身の空洞の両目に押し当てた。
色を何重にも重ねて描かれたような目蓋が瞳を数度隠し、程なくして、そこに光を宿す。
「……ヴラド・ギーシュ、たしかに逸材だな。話を聞こう」
そうして、数多の銀色で構成された血で出来た女は、水の中から響くような聲を放った。
心臓が掴まれたと錯覚するほどの重厚な魔力に満たされた言霊。本物だと確信するには、それだけで十分だった。
「ご苦労だった。もう、消えて良いぞ、この世界の敵よ」
投げやりなトーンが、ルシェドに向けられる。
しかし、世界の敵とは、この女もルシェドが行おうとしている事を理解しているようだ。まあ、目的まで理解しているのか、ヴラドと同じく過程でそうなる事を知っているだけなのかは定かではないが。
「そういう訳にもいかない、彼は大事な娘の大事な子だからね。拉致などされては困る。なに、君たちの邪魔はしないさ。思う存分にアプローチをしてくれ」
部屋にあったソファーに腰かけて、そのルシェドはどこまでも穏やかで微笑をこちらに向け……本当に、最後の最後まで、ただの聴衆を演じたのだった。




