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君>世界   作者: 雪ノ雪
第四章『虚実の幸』
34/37

08/告白と死

 そこは一面真っ暗闇の空間だった。

 あるのは、くるぶしあたりまでを濡らす、血だまりの地面だけ。

 それをばら撒いた敵共は、リリスが言うには人間の負の感情を具現化した化物らしい。それ故にか、そいつらは殺しても殺しても無尽蔵に湧き出て、今も全てを沈黙させてから一分と経たずに、新しいのを地面から生やしてきていた。

 どれも大した脅威ではないが、長期戦には非常に長けている。その性質が、これ以上ないくらいヴラドとは相性が悪かった。

 膨大な魔力量のアドヴァンテージを台無しにする燃費の悪さという、ヴラド・ギーシュの数少ない欠点にもろに刺さっているためだ。

 もちろん魔力を抑えて戦えば長期戦は可能だし、実際出来てもいる(反応速度なども落として神経の消耗も最大限抑えている)が、その場合は明らかにパフォーマンスが低下する。

 同格のクーレあたりと比べれば顕著で、彼なら適当に魔法を使いながらでも怪我一つなく此処に立っていられただろうが、ヴラドは既に至るところに傷を負っているし、魔法も一切使わなかったというのに既に魔力も底を尽きかけていた。

『……凄いものね。もうじき三日よ。三日。九十時間。人間はすぐに疲れる生き物の筈なのだけど、どうしてまだ戦えるのか』 

 何千回目の増援を全滅させたところで、頭上からハスキーな女の声が響く。

 数時間おきに喋りかけてくるこいつが、この世界の主だ。

『でも、さすがにそろそろ片付きそうね。人間一匹始末するのに、まさかここまで魔力を使う事になるとは思わなかったけれど、ようやく私も休めそう。休みたいから、早く死ねよ?』

「こんな有象無象では役者不足よ。まあ、お前も同じだけど」

 傍らのリリスが、毒を吐きかえす。

 元凶がこの場所にのこのこやってくる事を期待しての挑発だが、効果はない。

 最初からずっと、敵は言いたい事だけを言って、こちらに対して反応を返してくる事はなかった。

(…………いいわ。対消滅のカードを切る)

 いよいよこちらの限界を感じとったリリスが言った。

 傍らで実体化をせずに佇んでいる彼女の表情には、明確な怒りの色が浮かび上がっている。憎悪の類は大抵笑顔で示してきた彼女にしては珍しい。

 それだけ、現状が想定外という事であり、最悪に等しいという事を物語っていた。憎しみに混じって弱気な表情を覗かせるなど、幼い頃の記憶にしかない。

 だが、それでも一等級の核を使うという提案に頷くことは出来なかった。

 仮にここを凌いだところで、本番が台無しになったら同じ事だ。彼女が口にした魔法の核は、ルシェドと事を構える上では絶対に必要な物であり、あと数か月程度で代わりを用意できるような物でもなかった。

(ヴラド、時間はもう十二分に稼いだ。平和主義者の小娘もわたしたちを全力で探しているはず。それでも、まだ状況に変化がない。これ以上は無意味よ。使いなさい。ここで終わるよりはいい)

「……だったら、もう一つの方も使え。今日で全ての決着をつけてみせろ」

 自分に言い聞かせるように語るリリスに、ヴラドは刺すようなトーンで言った。

 まったく考えていなかったんだろう。虚を突かれたような表情をリリスは浮かべ、それから、くすくすと、泣きそうな表情で嗤いながら実体化を果たす。

「確かに、それが現状の最善か。……でも、まさか、お前の方が状況がよく見えているだなんてね、新鮮だわ」

 そこで小さく息を吐いて、彼女は弱々しい声で続けた。

「…………ごめんなさい、ヴラド。まさかサラヴェディカがここまで愚かとは思わなかった。これは、わたしの落ち度。取り返しのつかない失態よ。責めてもいいわ」

「らしくないな。気色が悪い」

 そんな彼女の頭に手を置いて、ヴラドも小さくわらった。

 泣いている子供は頭を撫でてやればいいだなんてのは、以前こいつ自身が言っていたことだが、どうやらそれは見てくれだけの奴にも通用するようだ。

「……それは、こっちの台詞だ。莫迦者」

 と、言い返してきた彼女の表情は、もういつもの傲慢と優雅に彩られたものへと戻っていた。

 そんな彼女は、長めの深呼吸を一つ取ってから、大人の姿へとまた戻る。

 そして、血塗れのヴラドに寄りかかり、

「お前との十年は、まあ、それなりに愉しかったぞ」

 淡い微笑と共に、ヴラドの頬に手を添えながら自身の唇を噛み千切り口内を血で満たして、朱く濡れた唇をゆっくりと近づけ――

「――待て、なにか揺らいだ」

 世界に波紋が生じたのを感じたヴラドは、そんなリリスの口を手で抑えて距離を留めた。

 その気になっていたリリスは一瞬不機嫌そうな表情をしたが、すぐに気配を感じ取ったのだろう。そしてそれは、この世界の主もそうだったようで、

『人間を嬲り殺しにするのは楽しいものだけど、貴方はもう飽きたわ。これで終わらせてあげる。だからほんと、さっさと死にな』

 先程まであった嗜虐性を消し去って、硬い聲を届かせてきた。

「目新しい増援が来たわね」

 血だまりから化物が生成されていく。

 数は三百程度。これまでの増援の三分の一程度だが、二段階くらい危険度が増した印象だった。

 凌げる自信は、正直殆どない。だが、今まで敵がそれをしてこなかったという事は、ヴラドと同じで魔力量に問題が生じるからだ。この檻を維持できなくなる。そのリスクを負ってまで結果を急いたという事は、外から異物が入り込んだという事。つまり外に通じる道が出来た。

 この増援さえ凌げば、致命的な損失なく続けていける。

「お前はそのまま死にそうだから先に言っておくけれど、本当に限界だと判断したら使うわ。……この私に、ぬか喜びなんて惨めをさせないでよ? まあ、今回はそれでも許してあげるけれど、ね」

 リリスが実体化を解き、少女の姿に戻った。

 これでいつも通りだ。なら、こちらもいつも通り、この薄氷を渡りきろうと、ヴラドは刃こぼれ一つない刀を強く握りしめ、一斉に襲い掛かってきた化物たちを迎え撃った。


                §


 孔の中は濃密な死の空間に繋がっていた。

 規模は、おそらくそこまで大きくない。ペドリツァーノの裏世界の半分程度だろうか。暗幕のようなものでいくつかに区分されているようだが、それ以外にはなにもなかった。

 中心部分に、度を越した魔力の塊がある。その中にヴラドの気配もあった。

 今にも呑みこまれてしまいそうなくらいに彼は弱っており、しかも敵に囲まれている。

 でも、道を作るくらいの事は自分でも出来るはず。

 この身の全てを、閃光の魔力に込めて撃ちだせば、きっと――


「この牢獄を脅かせる存在なんて、ここではルウォ・アルドグノーゼかモルガナ・レッテンハイネくらいだと思っていたけれど、あの神子共の気配はなし。一体どうやって、この私の世界に干渉してきたのかしら?」


 その言葉の途中で、シャルロットの頭部は地面に転がった。

 噴水のように、首から血飛沫が噴きあがる。

「あぁ、訊いてから殺せばよかったわね。逸ってしまったわ。まあ、どうでもいいけど」

 魔力の刃を持ってシャルロットを殺した女は、ルナが開いた孔に手を伸ばして、そこで眉を顰め、みるみるうちに表情を強張らせていく。

「なにこれ? 破綻してる……? 私の魔法が、この完璧な魂の結界が……」

 激しい動揺が、声からは見て取れた。

「――く、はは」

 それを嘲笑う喉の震えを前に、女は更なる驚愕を見せつつ振り返る。

「……貴女、なんで生きてんのよ?」

「貴様こそ、この状況を見て誰を前にしているのか想像もできないのか? 器の中身を殺して一人で居られているという事は、一応上級の悪魔だろうに。まったく、実に不敬だな」

 落ちた頭部を両手にもって、ゆっくりと元の場所に戻しながら、

「だが許そう。貴様は一時の自由を、このマヌラカルタに提供してくれたのだからな」

 と、不死の魔神はピタッとくっついた首を左右にゆっくりと動かし、ぺきぺきという音を立て、短く息を吐いてから、にこやかに微笑んだ。

「不死の王だと? あれは、クリスエレスにいるはずでは……」

 女悪魔が、戸惑いと怯えを滲ませる。

「情報が古すぎるな。意味のない奇襲でぬか喜びをするところといい、本当にサラヴェディカなのか? 敵に纏わる事を実行役が知らないなど、いくらなんでも不自然が過ぎる」

 口元に手を当てながら、マヌラカルタは数秒ほど思案し、

「ノスティワになにかあったのは間違いなさそうだが、なにがあったか……貴様は何も知らなさそうだな? 所詮は駒でしかない存在か。もういいぞ、死んでくれてもな」

「……ずいぶんと威勢がいいのね。不死なだけの悪魔が」

「今は違う。段階を二つほど落として、宿主に声を届かせる事が出来るようになっているからな。あぁ、だから、もし貴様がこの魂の器の設計図に傷をつけられる程度の暴力を有しているのなら、この身も殺せるかもしれない。まあ、そのような力を本当に貴様程度が有していたらの話だが」

「だったら、すぐに証明してやるわよ! 糞野郎!」

 足元の血だまりから、異形の怪物が現れる。

 数は三。これまでのシャルロットを殺すには十分すぎるほどの戦力だが……まったくもって、不足にも程がある。

「愚か者が。不死にそれほど力を割かないという事は、当然、他に力を割けるという事だ。たとえば、この娘の魔法などにな」

 言った直後、閃光が三体の魔物を灰に変えた。

 シャルロットがその身に有している魔法は『太陽』。この世界の昼を常に照らしている赤白の陽に連なる、光と熱の最高峰である。

「古い情報にどのように記載されていたかは判らないが、この身は神子だぞ? 私の不死がその力を食い続けていなければ、この娘は十分他の神子とだって戦える程度の性能をしている。まあ、勝てるかどうかは別にしてもな」

「ま、待って、わ、私は――」

 真白の炎が、女を包みこんだ。

 悲鳴も飲み込み、命も綺麗に溶かす。あっという間だった。

「……ふむ、死んでもすぐには消えない世界か。たしかに魂を織り込んでいるようだな、その一点だけは評価するべきか。まあ、なんにせよ、都合のいいことだ」

 このまま最大出力をもって、シャルロットの拠り所である男を殺す。

 そうすれば、長引いてしまっていた支配権の獲得も、無事に完了することだろう。

 願わくば、その直後に彼女の意識を呼び起こしたいところだが……

「残念だ。もう目覚めるのか。私の心の声でも聞いたかのような迅速さだな」

 これでは、殺害は間に合わないだろう。

 不死性を一段階また引き上げてシャルロットの力を制御しつつ、指先から解けていく支配に嘆息を零す。

(……しかし、アルドグノーゼと事を構えるリスクを犯してまで殺そうとする、か)

 ノスティワの頭が本格的におかしくなったとかでなければ、考えられる可能性は一つしかない。

「――あぁ、そうか、そうか! く、くく、はは、あはは、あはははは!」

 穢火の女禍だ。

 あの淫魔を装っている悪魔の正体は、アンフェノ・リリスに違いない。

 その結論に至った瞬間、マヌラカルタの胸を埋めたのは、これ以上ないほどの高揚だった。

 だから、自由が完全に奪われるその時まで、彼は感情の赴くままに笑い――


                §


(どうやら私の願いは、穢れた火の中にこそあるのかもしれないな)

 意識が浮上する間際、そんな言葉を聞いた気がした。

 夢と同じで、目覚めてすぐに忘れてしまった内容だ。そもそも、そんな事を気にしている暇もなかった。

 自分が死んだというのは判っている。判るくらいに、シャルロットは数多の死を経験してきた。

 意識を失っていた時間も、ある程度は把握できる。多分、五秒くらい。

(……まだ、大丈夫)

 ヴラドの気配は健在だ。敵の数も減っている。

 首筋が焼けるように痛みだしたが、動きに支障が出る箇所ではないので無視できる。

 深呼吸を一つ、体内に閃光の魔法を構築しながら、射撃可能なポイントまで駆けだす。

 障害はなかった。

 無事に辿りつき、化物たちの中心にいるヴラドを補足する。

(軌道を思い描いて、出力を限界まで高めて、一気に解き放つ)

 中途半端な火力だと意味がない。

 マニュアルを読み直すように頭の中で反芻しながら、自身の血を触媒に魔力の純度を上げていく。

 その制御が不可能になる手前で、シャルロットは叫んだ。

「ヴラドさん!」

 彼は百戦錬磨の傭兵だ。こちらが思い描いたような結果を出せなかったとしても、きっと最大限状況の変化を活かしてくれるはず。それを信じて、複数の閃光を同時に解き放つ。

 想定していたよりずっと大きな戦果。三分の一くらいの敵が消し飛んだ。ほんと、自分でも驚くくらいの威力だった。

 理由は不明だけど、今は全部後回しだ。

 手薄になった群れを切り裂いてヴラドが包囲を突破し、こちらに向かって駆けてくる。

 不格好な動作。……当然だ。左の足首が無くなっていたんだから。

 他にも左脇腹がごっそりと抉られていて、右肩は剥き出しの鎖骨が見えていた。出血が多すぎた所為か、血も殆ど流れていない。生命活動の殆どを魔力で繋ぎ止めている、そんな感じだった。

 軽く突き飛ばされただけでも、死んでしまいそうなくらいで――

「――このっ!」

 恐怖と怒りが全身を震わせた。

 本当に、間に合ったのが奇蹟だった事実に、また涙が出た。

 でも、そんな無駄はいらない。そんな暇があるなら脱出の援護だと、もう一度魔力を練って、追いかけてくる化物たちを砲撃する。

 溜めた一撃ではないので今度は足止め程度にしかならなかったけれど、足止めが目的なんだから十分だ。

 ヴラドが自分の脇を駆け抜けたところで援護攻撃を止めて、シャルロットも出口に向かって駆けだす。

 足首が片方なくても、彼は自分よりも速かった。

 その在り方はあまりにも揺るぎがなくて、でも同時におぼろげで、なんだか酷く寂しかった。

 色々な感情を抱えたまま、二人で一緒に外に出る。

 出た途端、孔は閉じた。

 ルナ、いや、ルシェドがやってくれたんだろうか? 真相は判らない。ただ、危機は去ったのだ。

 真っ白な雪に、彼の血が静かに落ちる。

「は、早く手当をしないと――」

「どうして此処に居る?」

 怒りを押し殺したような声が、ヴラドの口から零れた。

 続けて、首に痛いほどの熱と圧迫が襲い掛かってくる。

「魔力がずいぶんと混ざっているな。お前は誰だ?」

「わ、私は……」

「懸念は判るけれど、それは小娘よ。どうやら不死が手を抜いたみたいね」

 シャルロットの首を絞めるヴラドの手の甲に小さな手を乗せながら、リリスが言った。

「いずれにしても、騙し討ちを警戒する必要はない。まあ、どうしてあの場所に入って来れたのかは、わたしも疑問ではあるけれどね」

「……」

 ヴラドの手がシャルロットの喉から離れる。と同時に彼はその場に座り込んだ。

 色々な緊張の糸がそこで解けたシャルロットも、その場にへたり込む。

「なにか、望みがあるなら言え。可能な事なら、それで返す」

 眼を閉じながら、棘を抑えた声でヴラドは言った。

「お二人が無事なら、私はそれで……」

 自分に居場所があるのなら、それ以上に望むことなんてシャルロットにはなかった。これで見限られる可能性が少しでも減る事を願うだけ。

 そんな彼女に、リリスが呆れたように言う。

「わたしはお前に強くなれと言ったはずよ。そして強者とは総じて貪欲で傲慢なもの。機会は無駄にしないことね。せっかく、二つもあるのだから」

「二つ?」

「お前の活躍は、わたしも予想外だった。なら、わたしからも、ちゃんとした……そうね、お前のためだけのご褒美を与えてあげないと、でしょう? まあ、今すぐである必要はないわ。見合うものを考えておきなさい」

 大人びた、それでいて疲れを滲ませた微笑でそう言ってから、リリスは視線を二人から外して、

「お前の方には多少期待していたのだけどね、残念な結果だったわ」

 と、ここにやって来たデューリに向かって、やや冷めた口調で言った。

「それは済まなかった。だが、間に合って何よりだ。医者を待機させてある。それにしても酷い有様だな。私が抱きかかえようか?」

「だ、大丈夫です!」

 咄嗟に、シャルロットは声をあげた。

 どうしてか、凄く嫌だと思ってしまったのだ。

「わ、私がしますから!」

 衝動のままに、そう続ける。

 続けたあとで、ヴラドの視線が酷く気になった。

「そんな必要は――」

「なくはないでしょ。お前はわたしの魔力を使って生命維持に努めておきなさい」

 彼の声を遮って、リリスがヴラドの深刻な足の傷口に触れた。

 彼女を形成している魔力が傷口に集まり、彼女の姿が薄れていく。

 そうして完全に消える間際、

「……頼むわね」

 と、珍しく懇願の響きをもった声が届けられた。

 回復に専念するために意識を手放したヴラドを慎重に抱き上げる。こんな状態なのに、彼に触れられる事に、胸が高揚しているのが判る。

 ……気持ち悪い。恥ずべき感情だ。

 この感情は、どうやったら消せるのだろう? もしかしたらリリスにお願いすれば、消してくれるのだろうか?

(――くく)

 そんなシャルロットを嘲笑うように、悪魔の嗤い声が身体の中に響いた、気がした。


 



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