07/孤独に喘ぐ
その日、ラミアはククルと夜を共にした。
処女を演じるのは少し面倒くさかったが、童貞相手だ。どうせ適当でもバレはしない。そんな投げやりな精神で、彼との関係を一歩深める事に成功した。
契約しているサキュバの魔法が近くにいる人間だけでなく離れた相手にも機能していたら、こんな回りくどい真似をする必要もなかったのだが……ともあれ、これで彼はもう完全にアルドグノーゼの手駒となったと言えるだろう。取り返しのつかない殺しをしたうえで、依存を強める関係に発展したのだから、もはや思いのままだ。
あとは、何と契約させるか。
それを決めるのはラミアではないが、きっと上質な捨て駒として、対神子戦において投入される事だろう。
くだらないママゴトも、そこまで。
「……ククル」
醒めた思考を走らせながら彼に微笑みかけ、ラミアは少し濡れた声で「愛してしますわ」と囁いた。
全てはアルドグノーゼ様の為に、と胸の内で零しながら。
§
「やっとある程度の自由を得た事だし、少し散歩でもしない?」
ニコニコとした笑顔で、リリスが言った。
これはデートだからという理由でシャルロットは留守番となり、二人して地下の食事店に足を運ぶことになった。
もちろん、言葉通りの意味ではない。
「会いたい連中がいるのよ。サラヴェディカっていうね」
名前は当然知っているが、それが具体的にどういう存在なのか、ヴラドはあまりよく知らなかった。知る必要がなかったからだ。
「そうね、この機会に教えておきましょうか。サラヴェディカというのはルーメサイトの免疫機能の一種よ。統括者はノスティワ。アルドグノーゼと対をなす原初の秩序ね。もっとも、今対等な関係にあるかどうかは知らないけれど」
酒の入ったグラスを揺らしながら、リリスは酷薄な笑みを浮かべる。
今日は大人モードだ。その方が色々と都合がいいという理由を前に許可した。まあ、思考の共有をしているわけではないので、単純に外で酒を飲みたかっただけという線もあるが。
「つまり、その程度の奴等よ。ましてここは天敵でもあるアルドグノーゼの国、下手な事はしてこない。だから、私も朝っぱらから気にせずに酔っぱらえる」
そう言って、リリスはさっそくグラスを空にした。
それから「ほら、お前も飲みなさい? じゃないと私に失礼でしょう?」と良く解らない理屈を押し付けてくる。
ため息を一つついて、仕方なくそれに付き合ってやってから、ヴラドは言った。
「それで、どうやって会う?」
「既に一度接触しているから魔力は記録されている。少しアピールしてあげれば、多分向こうからやってくるわ。奴等は私という正体不明を無視できないはずだからね」
「そいつらからは、なにを得るんだ?」
「内情と権限のいくつか。まずは、今この地で契約できる存在のリストかしら。お前がコテンパンにした少年がなにと契約出来るのか、それ次第では引き抜くことも考えないといけないしね」
「手段は?」
「そちらは既にあるわ。不都合な真実という手がね」
くすくすと笑うリリスの様子からして、ろくでもない内容なのだろう。
「あれへの影響は?」
「特別な友人というわけでもないでしょう? 気にする必要はないわよ」
「……ならいいがな」
そんなやりとりをしているうちに、リリスの読み通りサラヴェディカの一員と思われる女がやって来て――
§
ヴラドとリリスの二人が帰ってこない。
夕刻には戻ると言っていたのに、日を跨いだ真夜中になっても音沙汰がないのだ。
間違いなく、二人の身になにかがあった。でも、それがなんなのかシャルロットには判らない。ただ出かけるという言葉しか聞かされていなかったためだ。
つまり、大事な内容が共有されていないという事を如実に示していて、
(……もしかしたら私、見捨てられちゃったのかな)
不死の力はまだ自分の中にある。だから、そんな事はないと思う。でも、それ以上に価値のあるなにかを手に入れた場合でも自分を傍に置いておく理由が二人にはあるのか、それだってシャルロットには判らなかった。
だから、酷く不安で……
「その様子だと、まだ帰ってきていないようだな」
やってきたデューリが言った。
先日見た少女の姿がいまだに一致しない、落ち着き払った、それでいて冷徹そうな男の姿。
シャルロットが、はい、と力なく頷くと、デューリは眉間に少し皺を寄せ、
「彼の生存は、同盟の証に交換した彼の魔力を宿した石によって確認されているが、だからこそ明後日の朝までに二人が戻ってこなかった場合、非常に不味い事態になる」
と、言った。
「……それは、どうしてですか?」
「謁見が決まったからだ。彼等から要請したものを彼等が反故したとならば、この国はそれを絶対に許さない。皇帝陛下への不敬は等しく極刑だ。そして、その決定から逃れることは叶わない。なにせ、そういった類の処刑を取り仕切っているのは、あのモルガナ・レッテンハイネだからな。背景など気にする事なく、彼女はそれに関与した全てを殺し尽くすだろう。派手なショーとして」
要塞を制圧した後に現れ、圧倒的な力を示した神子。
いくらヴラドが強くても、あんな化物が相手では、さすがに勝機一つないように思えた。
「あ、あの、デューリさんの方には、なにか思い当る節はないんですか?」
藁にもすがる思いで訪ねる。
すると彼は口元に手を当てながら、小さく吐息を零し、
「謁見が済むまでの間、君達の扱いは陛下の賓客となっている。その状況下で二人に害をなすという事は、陛下に害をなすのも同じ。そこまでのリスクを犯してまで謁見前のこの時期に手を出すというのは、おおよそ正気の沙汰ではない。あまりにも愚かだ。そのような愚物でありながらヴラド・ギーシュほどの相手をどうにかできる勢力というのは、私の知る限りこの国には存在しない。……こちらも手は尽くすが、君も最悪の事態に備えておいたほうがいいだろう。ザーラッハへ戻れる手配だけはしておく」
と告げて、足早に去って行った。
「……なによ、それ」
拳を強く握りしめて、怒りに声を震わせる。
その怒りに背中を押されるように、シャルロットは真夜中の街へと繰り出した。
§
魔力探知の波をひたすらに飛ばしながら、入り組んだ地下街を駆ける。
こんな時間でも外に出ている人の数は多い。ただ、それを目視以外の方法で確認することは難しかった。建物、床、天井すべてが魔力の波を吸収しやすい素材なのか、探知が殆ど機能しないのだ。
あげく街自体も非常に入り組んだ迷路のようで、自分がどこにいるのかを把握するのも難しい有様だった。
(無策じゃダメだ。なんとかしないと……)
とはいえ、打開策がすぐに見つけられるほど優秀というわけでもない。
不死という利点や、魔力量の大きさをのぞけば、本当に取るに足らない凡人でしかないのだ。
その事実がもたらす無力感に歯噛みしていると、後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、そこには見知らぬ男性がいて、
「地下の捜索は我々が行います。土地勘がなければ効率的にはいきませんからね。ですから、貴女には地上の捜索をお願いしたい。以上です」
一方的にそれだけ言って、男性は駆けだしていった。
多分、デューリの部下なのだと思うけれど……たしかに、彼の言う通りだ。
深呼吸を一つして、地上に向かう。
地上に探知を阻害するものはないし、建物自体も少ないので、探索範囲においては地下を捜索してくれるらしい人たちとも遜色はないだろう。
気持ちを引き締めなおして、魔力探知に全ての力を注ぎながら地上を捜索、朝になれば聞き込みも追加で行って二人の痕跡を追いかける。
……収穫はなし。
ないままに、夜が訪れる。
寒さは昨日よりも一層に厳しく、手足と耳が酷く痛かった。
翌日も同じことの繰り返しだ。最低限の休憩を挟みながら、一つ一つ希望を失っていく。デューリからの朗報もない。そもそもどれくらい真剣に捜してくれているのかもわからない。
そうして時間ばかりを費やして、猶予の終わりを告げる朝日を迎えた。
その光が、もう間に合わないという絶望を連れてくる。それを無理矢理振り払って捜索を再開するけれど、もう足の方が限界だったのか、身体を上手くコントロールできずバランスを崩して、凍った地面に肘と膝を盛大にぶつけてしまった。
疲れも相まって、すぐに立ち上がることは出来なかった。
じわじわと涙が滲んでくる。それを乱暴に拭って、でも、やっぱり立ち上がれなくて、そんな自分に憎しみすら覚えたところで、
「――寝ているの?」
と、ぼんやりした声が降ってきた。
顔を上げた先に居たのは、底無しに深い黒髪と、あたりの雪よりも白い肌をした、あまりにも美しい女性。
何故、彼女がここにいるのだろうか……?
その疑問を口にするより先に、ルナは言った。
「お父様から番石を渡されたんでしょう? だから、会いに来たの。貴女のこと、思い出したから」
「……」
彼女と共に裏世界から救出された時の事を、少し思いだす。
ルシェドは「どうやら彼女は君を気に入ったようだ。だったら、これを渡しておこうか」といって番石をシャルロットに押し付けてきたのだ。
そのことをヴラド達に言えなかった事も、ずっと後ろめたさとして残っていたのだが……
「ここは寒いよ? きっと」
重力を一切感じさせない奇妙な感覚と共に、ルナはシャルロットの両脇を掴んで立ち上がらせた。
「怪我してる。痛そう。だから、泣いているの?」
「……う、うぅ」
ずっと締め付けてきていた孤独から不意に解放された所為か、ギリギリで堪えていた感情が決壊して、ボロボロと涙が零れた。
そんなシャルロットを、あたたかな体温が包み込む。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんがいるから、寂しくない。……あぁ、そっか、寂しいんだね、貴女は。迷子?」
「……」
小さく、頷くように俯く。違うけれど、きっと似たようなものだった。
すると彼女は、クンクン、と鼻を鳴らして
「なんだか、懐かしい匂い」
と呟くなり、シャルロットの懐をまさぐりだした。
「え? あ、あの……!?」
「あった。これ」
そうして取り出したのは、ヴラドと繋がる番石だった。
もちろん、今はまったく機能していない代物だ。シャルロットが持っているのは居場所を発信する方で、受信する方ではなかったためである。
「……この世界には、いない、かな」
不吉な言葉を零しつつ、ルナは自身の影を広げた。
いや、それは影ではなく全てを呑みこむ闇だ。隣接する別世界との境界線すら容易く穿つ、これ以上ない強制力。
「見つけた。その先に、この石と繋がっている匂いがする」左手に広がった孔を指差して、ルナは言った。「急いだ方がいいかも。死の匂いが、濃いから」
「――」
危機的な状況は想定していたが、それでも心臓が跳ねた。
感情のままに、彼女が生み出した孔に向かって足を踏み出す。
だが、中に入る寸前で、急にルナがその場にへたりこんだ。
「ルナさん……?」
「……頭、痛い」
両手でこめかみを抑えながら、彼女はぎゅっと目を閉じて……数秒後、ゆっくりと目を開けた。
そして、ぼんやりとした表情で周囲を見渡して、
「ここ、どこ? 貴女だれ? …………私も、だれなんだろ?」
と、不思議そうな声でそう呟いた。
(どうしよう……)
穿たれた孔から、激しい魔力の衝突をシャルロットは感じていた。
その片方はヴラドのものだけど、ルナが言った通り相当に弱っているのが魔力の感じで判る。一刻も早く助力に行く必要があるのに、ルナがこの有様ではすぐにとはいかない。
或いは、彼女を置いて自分一人で突入するという手もあるけれど、ヴラドが苦戦している相手に一人で行って何が出来るというのか。
頼るしかないのだ。こんな状態の彼女に。
「あ、あの――」
「君はルナ・オルトロージュだよ」
自己嫌悪を呑みこみながら彼女の手を掴もうとしたところで、ぞっとするほどの泰然とした声が轟いた。
振り返るまでもなく、誰なのか判る。ルシェド・オルトロージュだ。
「ルナ? ……あぁ、うん、そう、私はルナ。貴方はお父様。貴女はアンナ?」
「い、いえ、私は――」
「違う、貴女はシャルロット、だよね?」
独白のように、ルナはそう訂正した。
瞬間、ルシェドの表情に驚きが過ぎった。何故かはわからない。
ゆっくりと立ち上がったルナは、空を見上げて、寂しそうな表情で言った。
「私の中の『夜』が教えてくれた。私があの子の為に出来る事は二つきりだって。だから、これで最後だって。もう、完全に溶けてしまうからって。……違う。おかしい。それはいつの話? 『夜』って誰? あの本はどこ? これは私なの? ねぇ、アンナ…………違う。違う。貴女はシャルロット。ねぇ、シャルロットにはわかる?」
「……いえ」
正直、話の内容は意味不明だ。
ルナ自身もよく判っていないのだから、当然と言えば当然だが……
「……眠い」
ぽつりと呟いて、ルナはルシェドの胸に頭から倒れ掛かった。
それを柔らかく受け止め、
「今日はずいぶんと長い時間起きていたからね。記憶もよく掴めていた。それはきっと君にとって酷く疲れることなんだろう。だから今日はもう止めて、楽になるといい。あの子もきっと、それを望んでいるだろうから」
子守唄のような、ゆったりと落ち着き払った声を流しながら、彼は彼女を抱き上げた。
そして、ここで初めてシャルロットに視線を向けて、
「また会ったね。やはり君は彼女に気に入られているらしい。それも酷く。これは喜ばしいとみるべきなのか、悩ましいとみるべきなのか、迷うところではあるが…………まあ、いいか。今優先するべきは、眠り姫を柔らかなベッドに届ける事だろうしね」
そう言うや否や、二人の姿は蜃気楼のように消えてしまった。
ルナがヴラドと接触する事を嫌って、ルシェドは現れたのだろうか?
なんにしても、頼れる相手がいなくなってしまったのは大きな痛手だが、おかげで腹は括れた。元より、始めから自分が取るべき答え自体は、変わっていないのだ。
その決意をもって、シャルロットは異様な魔力が漂う穴の先へと飛びこんだ。




