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君>世界   作者: 雪ノ雪
第一章『天使の国の悪魔』
3/6

02

「……大体、三千七百五十ヘクテルってところかな、ずいぶんと高いところまで飛ばされたものだね。見て見なよ。大地がマグマみたいに溶けてる。この規模の仕掛けを見るのは僕も初めてかもしれないな。クリスエレスもなかなかやるものだね」

 爆風が過ぎ去り上昇が止まった体を回転させ、両足を地面のほうに向けたところで、クーレが言った。

 死ぬかもしれないこの状況でずいぶんと呑気な感想だが、肝心の落下はまだ始まらない。

 クーレも、彼の手首を掴んだヴラドも浮遊したまま、その身には殆ど重力が生じていなかった。まあ、そうでなければ、そもそも爆風に乗ったところでここまで跳躍する事も出来なかっただろうが。

「愉しそうだな」

 率直な感想を、ヴラドは口にする。

「こういうのを前にすると、ただの人間にも可能性を感じられるからね。しっかりとした準備さえ出来れば、いずれは大陸一つ、或いは星すらも焼き払える魔法を用意できるかもしれない。そして、それを別の方向に伸ばせば、より高度な魔法を誕生させる事だって出来るかもしれない。そう思うとわくわくしない?」

「しない」

「そう? 面白いと思うんだけどなぁ。まあ、君の魔法は特別だしね。既にそれくらいの事は出来るのかもしれないけれど」

 そう言って、クーレは微笑んだ。

 そこにどのような意図があるのかは、正直よくわからない。

 全ての人間の心臓には魔力の源となる『核』があり、核が生成する魔力の色には個体差がある。そしてその個体差こそが使える魔法の違いでもあるのだが、こいつの扱う『重力』の魔法もまた、魔法陣や儀式などの手間を掛ければ、国や大陸は無理でも都市の一つくらいなら簡単に消滅させる事が出来る類だったからだ。応用力にしてもそう。安定性に関しては勝負にもならない。

 そんな奴が含みを持たせて「特別」などという言葉を使う。どうにもらしくない。

 なにか、こちらの動きでも掴んだのか、それとも……

(……まあ、いいか)

 深読みしたところで答えなど出ないのだ。少なくとも当面は敵にならなそうなのだから、過度に警戒する必要もないだろうと、さっさと思考の袋小路から抜け出す。

「さて、状況も安定したことだし、そろそろ降りようか。ガジャはどこがいいと思う? 爆風の熱から僕らを守った君に、選ばせてあげるよ」

 そのガジャは今、二人の足元に居た。クーレに思い切り背中を踏まれている。

 既に脅威は去ったので密着の意味もないのだが、離れるつもりはなさそうだった。

「マグマの外に決まってんだろう? これ以上盾をするつもりはねぇよ。――てか、そんなことより、この人間をいつまで繋いでいるつもりなんだ? そもそもどうして、こいつを助けたんだ? 俺にも判るように説明してくれないか?」

 不機嫌そうな物言い。嫌われているのはリリスだけではない、というのがよく判る。

「どうしてって、こんなに愉しく殺し合いができる相手、そうそう見つかるものじゃないんだから当然でしょう? それに急がないと間に合わなかった。あの状況で、僕の腕を掴んだ彼の手を切り落とすのは無理だし、今もそうだ。この距離は彼の方が速い。――あぁ、つまり、君は僕に死んでほしいという事かな。なるほどね」

 可笑しそうに、クーレがわらう。

「ばっ!? な、ち、違うに決まってんだろうがっ! なにわけわかんない事言ってやがんだテメェ!」

「煩いよガジャ。僕は煩い奴が嫌いだ。知っているだろう? そして君に求める言葉がなにかも、もう判っている筈だ。違う?」

「……理由には納得した。文句も、なくはないが、ない」

 苦々しい表情で、しかし殊勝にガジャは頷いた。

「よく躾けられてるな」

 なんとなく自身の契約者と比べて、ヴラドはそう呟く。

 するとクーレはきょとんとした顔をして、

「君のところは違うのかい?」

「……先日、財布の中身が知らない間に半分になって、全部飴になった」

「あー……それは酷いね。なのに罰の一つも与えなかったの?」

「面倒な事になるだけだからな。それに……」

「それに?」

「飴は美味しかった。とても」

 まだいくつかあるが、もうじき在庫が無くなる事を思いだして、少し悲しい気持ちになる。

 食事はまあまあだったが、果たしてクリスエレスにはあの飴を越えられるほどの甘味があるものなのか。副題ではあるが、解決しなければならない非常に重要な問題だった。

「そういえば、結構な甘党だったね君は。いいお店は見つかった?」

「まだ」

「じゃあ、僕がそっちに寄る時までに調べといてよ。僕も甘いのは好きだし」

 そこで、落下速度が少しだけ増した。

 このペースなら、着地までは大体二分程度だろうか。

「……あぁ、そうだ。今思いついたんだけどさ、君も一枚噛んでみない? 味方である筈の君すら殺そうとした、クリスエレスという国の正義に風穴をあける一手に」

「それは、面白そうな、話ね」

 真下から声がした。

 見ると、身の丈よりも大きな翼を広げて、リリスがこちらに近付いてきている。

 余裕はあまり感じられない。息切れ感がある。が、こちらも下降しているので、力尽きる前には目的を達成して実体化を解ける状況になっているだろう。

 その予想のままに、リリスは程無くして記録石をこちらに向けて放り投げた。見事なまでのノーコントロールだった。

 おかげで、長刀の鞘を使って手に届く位置まで弾くという手間が発生する。まあ、届いただけマシと見るべきなのかもしれないが。

「でも、すぐには頷けないわ。報酬をまだ貰っていないもの。色々とね。だから、わたしたちを説得できる程度に話がまとまったら、また声をかけてきなさい」

 こちらが記録石を懐に入れたところでリリスは実体化を解き、いつもの上から目線で言った。

「では、連絡手段を渡しておくよ」

 クーレが懐から『番石(つがいせき)』と呼ばれる魔石を寄越してくる。

「これで僕の居場所がわかる。いいお店が見つかったか、その気になった時に会いに来てよ。楽しみに待ってるからさ」

 地上が近付いてきた。

 生きている人間は誰もいない。こうして上空に逃れた二人と、消し炭になろうが即座に元の形に戻っていた、不死の少女を除いて。


                §


 酒場で貰った紙片に記されていた依頼主の館に到着した。

 貴族のくせに首都の外壁の傍で暮らしているらしい元将軍の邸宅は、他の家よりは幾分大きかったが、それ以外に特筆するべきものはなかった。別荘の類なのかもしれないが、それにしたって貴族優遇が目立つこの国にしては質素だ。

「今度はわたしの口調まで真似ないでよ?」

 呼び鈴を鳴らしたところで、リリスが言う。

「ああ、わかったわ」

 適当なトーンで、ヴラドはそう応えた。

 盛大なため息が返ってくる。――と、そのタイミングで見知った執事が玄関のドアを開け、少し驚いたような表情をこちらに見せた。

 一瞬の反応だ。それが何を意味するかまでは断定できない。

 とりあえず平静を装った執事の案内に従って執務室へと赴くと、そこには重厚な気配を纏った武人が書類仕事を片付けていた。

 彼がこの屋敷の主であり、かつて将軍を務めるほどの立場に居た依頼主のオルガのようだ。一応、壮年に見えるが、老いは感じられない。まだまだ現役といった気配。

「無事だったようで何よりだ」

 見た目に違わぬ低い声が響く。

 声量は大人しいのに肌を叩くような威圧感があるのは、別に意図したものではなく、それが普段なのだろう。

「残念そうだな」

 耳元で囁かれたリリスの皮肉をヴラドがなぞると、彼は元々深い皺が刻まれていた眉間にさらに皺を集め、

「まさか、むしろその逆だ。他の生存者の報告はなし。爆発が起きた事くらいしかこちらは判っていない。戦場で一体なにが起きたのか」

「知りたいのか?」

「無論だ」

「隕石が降ってきて皆死んだ」

 これもリリスの戯言だ。

 ただ、ヴラドがあまりに淡々と言うからか、真に受けてしまったらしい。

「まさか、そんなことが……」

「もちろん冗談だ」

「――」

 一瞬、イラッとした空気が肌を刺した。

 この手の冗談を流せない、直情的で生真面目な性質が窺える。

「だが、可能性としては捨てきれなかったから驚いた。言葉なんてそんなもの。証拠としては弱い。語れる目撃者が一人だけなら、尚更にな」

 言いながら、ヴラドは記録石を取り出した。

「それは、記録石か……?」

 ラベルはとっくに剥しているので、そこに含まれている魔力の色でそう判断したのだろう。どの程度詳細に色分けが出来たのかは不明だが、似たような色の『魔石』が相当数ある中で正解を選べるあたり、目の方も悪くない。

 先程の戦場に居た兵の質は狂気を感じるレベルで酷かったが、少なくとも将軍クラスはまともなようだ。それが良い事なのか悪い事なのかはさておき。

「そこの奴にも見せていいのか?」

「……今日はもういい。外れてくれ」

 やや硬い声でオルガが言う。

 執事は小さく会釈をして、部屋を出て行った。

 その気配がある程度離れたところで、ヴラドは魔力を流し記録石を起動する。

 すると、なにもない空間に立体映像が浮かび上がった。

 リリスが上空からシャルロットを中心に据えて撮ったものだ。そのため結構な俯瞰視点となっているが、魔力で眼を強化すれば表情を確認する事も十分可能な距離となっていて、情報を得るという点においては理想的なポジションと言えた。

 この種類の記録石をねつ造することは基本的に不可能なので、証拠としても十二分の価値を持つことだろう。

「――おぞましき悪魔がっ!」

 シャルロットが爆弾と化して周囲を消し飛ばす光景に差し掛かったところで、オルガが目の前の分厚い机を叩き割った。

 普段、このように激昂する人物というわけでもないようで、荒ぶる魔力の気配を察知した執事が慌てて戻ってこようとする。が、途中で指示を思い出して踏みとどまったのが気配から見てとれた。

 その動きを彼も認識してだろう、はっと我に返り、

「……すまない」

 と、短い謝罪を一つ、次に重苦しくやや長いため息をついてから、こちらを真っ直ぐに見据え、

「それを、どうか譲って頂きたい。この国から許されざる悪を排除するためにも」

「金程度で譲れるものじゃない」

「では、なにが所望だ?」

 微かな警戒心を抱きながら、オルガが踏み込んでくる。

 どういう人物かはある程度わかったし、立場についてもそうだ。十二分に利用できるとリリスも判断したのだろう。

「この国は、あの不死をどうやって処分する?」

 と、ヴラドに切り出させた。

 こちらが望む強度のものであるのなら、処刑は不可能だ。かといって、忌むべき悪魔憑きが行った非道を民衆が許容する筈もなし、中枢がすべて共犯者という線も考えにくい。そして、この国の君主たる大天使スロウも表向きは国の方針を民に任せている以上、いくらでも取り返しのつく選択に口は出してこない筈。

 ならば、妥当な結末は監獄行きだ。国の外れに移送される事となる。

 そのルートや日程が分かっていれば、強奪は容易い。手引きがあれば血を流す事もないだろう。

「……まさか、彼女が目的なのか?」

 微かだが怯えを孕んだ声で、オルガは言った。

 それで、彼が無価値な兵士共の死ではなく、あの不死の娘の扱いに怒りを暴発させたのだという事に気付く。

「ここよりはいい扱いになる。それは保証しよう。まあ、保証するまでもない事かもしれないが」

 最初からそれが判っていたのか、淀みない口調でリリスが言った。

 瞬間、怒りとも嘆きとも取れる感情がオルガの表情に走る。

 そんな様を見せた時点で、悪魔相手には致命傷だった。

「別に、他の者に渡してもいいが、彼等はこれをどう使うだろうな?」

「…………わかった。穏便にそちらに渡るように、手配しよう」

「それは良かった」

 きっとリリスなら微笑んだのだろうが、そこまで合わせてやるつもりはないので、特に表情を変えることなく言って、ヴラドは記録石をオルガに差し出し、

「では、具体的な話と行こうか」


                §


 そうして不死の娘を攫うという共犯関係は成立し、その証としてヴラドは彼がいた別荘を引き渡しが済むまでの間借りる事となった。もちろん、そうなるように仕向けたのはリリスである。

「なにか言いたげね? 宿のよりずっと大きくてふかふかのベッドが手に入ったっていうのに、なにが気に入らないのかしら? わからないわ」

 困ったような顔をして、そのベッドに寝転がっていたリリスが言う。

「回りくどい」

「今更の文句ね。お前だって、あの戦場に回収係が迫ってきていた事には気付いていたでしょう? もちろんお前があの程度の有象無象に手間取るとは思わないけれど、あれを仕組んだ奴等の手駒よ。始末すればそいつらが敵になる。それに最悪、この国の神子に目をつけられるリスクもあった。そうでなくとも指名手配されてリストを他国に流されるのは面倒。ほら? 色々と穏便に済ませた方がお得でしょう? ……なんて、そんな事は言わなくても判ってるわよね。ええ、わたしも判っているわ。お前はただ奴等を皆殺しにする口実が欲しくなっただけだって。まあ、それもずいぶんと回りくどい事だと思うけれど。あっはは」

 最後に嘲笑を浮かべ、彼女はまるで誰かに引っ張られるように一切身体を動かさずに立ち上がり、空間が空いていることに居心地の悪さを覚えたかのように意味なく設置されていた丸テーブルの上の果物を手に取って、そこに小さな歯形を残した。

「おい――」

「ここは誰にも監視されていない。なら、わたしが実体化しようが問題はない、でしょう? それともわたしをお前の中に入れておく? 別に構わないけれど、甘い血は身体に毒よ? ふふ」

「……ずいぶんと機嫌がいいな」

「お前もそうあるべきだわ。十年かけて探していたものがようやく見つかったんだから。これまで手にしてきた妥協品ではない本物の不死性。これで一番の問題が片付いた。まあ、すぐに取り込めるわけじゃないのが、もどかしくはあるけれどね」

 なめらかに言葉を躍らせながら、リリスはこれまたテーブルに置かれていたワインの封を切って(コルクを抜くのではなく、ワインの脇にあった切断の魔法を内包した魔石を用いて文字通り瓶の先端を切った)グラスに注ぎこんだ。

「……あぁ、そうだ。ちょうどいいから、ここで祝杯でもあげておきましょうか」

 堪能するように朱い酒をゆっくりと半分ほど嚥下したところでグラスを半回転させ、自身が口をつけて薄桃色に染まっている部分をヴラドに向けて、

「はい、乾杯」

 と、それを差し出してくる。

 幼いと分類しても過言ではない少女のものとは到底思えない蠱惑的な微笑。常人なら、それだけで理性を失いかねないほどの毒気だ。

 だが、ヴラドにはとってはくだらない茶番に過ぎない。何の感情もなく濡れたグラスに口をつけて、残りの半分を呑み乾す。

「相変わらずつまらない反応。最上の淫魔を相手に欲情の一つもしないだなんて、失礼だと思わないのかしらね、お前は」

 そう言いながらも、リリスは酷く嬉しそうだった。

 つまりはそういう事だ。揺らがない事こそを彼女はヴラドに求めている。昔から、今に至るまで一貫して。

「……さて、あの元将軍はどうやって悪魔を飼っている貴族を黙らせるのか。とりあえず、それまでの間にアルタ・イレスへの推薦状を手に入れておきましょうか。一応、それがこの国での最低限かつ確実な目的だったわけだしね」


                §


 アルタ・イレスとは、数多の大陸で名を馳せた世界でも屈指の傭兵組織だ。

 抱えている兵の数は三百程度と規模自体は大きくないが、彼等が戦争をすれば大抵の国は為す術なく滅ぶというくらいの戦力を有している。

 そんな彼等は、この大陸の中央を陣取るザーラッハという帝国を発祥とし、五年に一度必ずそこに戻ってくるという習慣をもっていた。

 リリス達がこの大陸にやってきた理由の一つが、その傭兵団との友好的な繋がりだ。

 ギルドが所有する推薦状は、その手続きをより円滑にしてくれるツールであり……まあ、正直そこまで重要なものというわけではないが、あればそれなりに嬉しい程度の価値は有していた。

 ちなみに何故冒険者ギルドがそれを発行しているのかというと、まず運営母体が同じザーラッハであるという点。次に殆どの大陸において傭兵は常に稼働できるわけではなく、冒険者を副業にしている事が多いという点が挙げられた。

 つまり、両組織は非常に密接に繋がっているのだ。そして冒険者の方が社会性を求められる事が多い。ゆえに、採用に当たっては、単純な戦力よりもそういった能力のほうが重視されているという事なのだろう。

 ともあれ、その推薦状の為にそこそこ真剣に依頼をこなし、あとはシャルロットの身柄を確保すれば終わりという状況をさっさと構築して、そこから四日後。

「……一面どころか三ページにも渡って特集されるだなんて、他に取り上げるべきニュースがないのかしらね、この国って」

 ラウンジのテーブルに腰かけ、朝食のパンのついでに買った新聞を眺めながら、リリスはヴラドに新聞の表紙を見せてみた。


『悪魔をけして許すな! 非道に正しき罰を!』


 力強い見出しだ。この国に新聞社は一社しかないので、きっと殆どの国民が此処に載せられた憶測塗れの記事を信じるのだろう。

 それを裏付けるように、数多の憎悪が首都全体を覆っている。

 はっきり言って、異常な一体感だった。蟻の群れの中に居るような気持ちの悪さ。……もっとも、ヴラドの方は、それとはまったく異なる感情を覚えているようだが。

「……これも、狙い通りか?」

「ええ。気に入らない?」

「あぁ、気にいらないな」

 はっきりと、ヴラドはそう答えた。

 まあ、いたいけな少女を人間爆弾にしたあげく、ここまで大々的に悪者として退場させるやり方に不快を覚えない理由はない。リリスだって別にそれを愉しいとは思っていなかった。効率的だから選んだだけだ。

 あの元将軍にしてもそうだろう。出来れば内々で処理したかったのだろうが、公表しなければこの状況に持ち込めなかったから、それを選ぶしかなかった。

「では止める? 結果さえ同じになるのなら、わたしはそれでも構わないけれど」

「気に入らないだけだ。これでいい」

 素っ気なくこの話を終わらせて、ヴラドは広いスペースを利用して日々の鍛錬を開始する。

 まずは素振り。魔力の補助を使わずに肉体の力だけで身の丈と同じ長さの刀を右手左手と持ち替え、速く、遅く、真っ直ぐに、或いはなめらかに空気を裂き、肉体と得物の連動性を高めていく。

 次に魔力の操作。全体を覆うようにしてから一気に指先に集約させたり、複数に分けた魔力を周囲に展開させ、それぞれの速度を変えて回転させるなどして、瞬発力と精度を高めていく。

 最後は両方を合わせての、全ての動作の洗練化だ。いつも通りの地味な反復作業である。

 ただ、今日のそれはいつもより全体的に負荷が強い気がした。自分を追い詰めるような身体の使い方だ。オルガの選択を読み違えた事に対する、自身への怒りがそこには滲んでいる。フラストレーションの発散の仕方としては、あまり健全ではない。

 リリスはそんな彼を視界の脇に置きつつ、たった今価値を無くした新聞を手放した。

「あと数日でこの国ともお別れか。残念ね。清々するわ」

 新聞には、二日後にでも監獄への移送が行われるはずだと記されていた。実際はそれより多少伸びると思うが、五日以上待たされる事はないだろう。

(……あぁ、でも、それまでが退屈)

 先日の件以降、両国とも慎重な動きを見せている所為で戦場はないし、今以上に冒険者をやろうにも、この国は余所者に重要な役を与えない。実力主義からは程遠いのだ。

 このままでは、実りの少ない時間を過ごす事になってしまう。許しがたい浪費だ。

(そろそろ、あの男が連絡してきても良さそうなのだけど……)

 それから数時間が経過して、退屈のあまりうとうとし始めたところで、番石がキィィンという音を立てた。

 リリスはぴくっと身体を震わせてから、活き活きした表情で音源に視線を向け、

「ふふん、やっぱりわたしの予想は当たるものね。さあ、もう今日の訓練は十分でしょう? 仕方がないから会いに行くわよ! 仕方がないから!」

 と、実体化を解き、意気揚々と番石の魔力が指し示す方角に向かって翼を広げ飛び立った。


                §


「これから、この国の召喚士を四人始末する」

 夜の街をゆったりと歩きながら、ヴラドの隣を歩くクーレが物騒な言葉をさらりと放った。

 当然だが、リリスもガジャも実体化はしていない。ガジャに至っては、契約者であるクーレの中に意識の方も沈めているようだった。

「召喚士? 何故?」

 名前のままに魔物やら精霊やらを召喚し使役する魔法を扱う彼等は、しかし残念な事に戦闘要員としての価値をあまりもってはいなかった。

 基本的に自身よりも弱い存在しか喚び出せないうえ、その存在を維持するためには常に魔力を消費し続ける必要もあるため、お互いの魔力を上乗せできる契約者と異なり魔力量の観点では何のプラスにもならないからだ。ゆえに、彼らは主に物資運搬の分野などで重宝されていた。

 もちろん、人間よりも多くの物を効率的に運べる生物というのは便利だが、戦争において必須というわけではない(他にも手段がある)ので、そんなものを殺したところで大きな効果は期待できない。だからこそ、ヴラドには意図が読めなかったのだが、

「……さあ?」

 話を持ち込んで来たクーレも、どうしてだろう、と首を傾げていた。

 それにはリリスも呆れたようで、

「なに、お前も分かってないの?」

「そりゃあ、この国の人間じゃないしね。まあ、一応この大陸の出ではあるから、勉強不足と言われたらその通りかもしれないけど」

「仕方がないわね。では、このリリス先生が教えてあげましょう。――ほら、拍手、拍手」

 周囲に人はいなかったが、これから人を殺しに行くのに目立つのはよろしくない。

 よろしくないのだが、ヴラドもクーレも言われた通り、一般人には見えていないリリスに向かって小さく拍手をした。完全な無表情と、わくわくとした顔で。

 それに多少は気を良くしたのか、リリスが説明を始める。

「お前たちの認識通り、多くの国において召喚師というのは確かにその程度の存在。でも、この国では神子の力によって大量召喚が可能な魔法陣が確立されているから、少し事情が違う。多くの民間人が日常生活の中で外に漏らす魔力すらも糧に変えて、一人の召喚士の核で、この国は常に大量の兵力を確保できるの。それが他の国と異なり、外部戦力にあまり頼らず戦争を続けられる一番の要因でもある。まあ、定期的な魔法陣のメンテナンスは必要みたいだから、常に戦力を揃えられるわけではなさそうだけどね」

「なるほど、それで情報を仕入れたエンシェがメンテナンスの日に仕掛けて、それに焦ったクリスエレスが代役として君や爆弾を用意したというわけか。……あぁ、けど、そもそも召喚士なんて殊更に珍しい存在ってわけでもないよね? そこそこ珍しい、千人に一人程度の希少性だ。四人殺したくらいでなにかが変わるとも思えないけど?」

「ここは天使の国。召喚されるものも天使に近しいものでなければならない。それ以外は許されないの。そして召喚士が召喚出来るものは自分で選べるわけじゃない。つまり、千人に一人ではないという事よ」

「よく判らない話だね。役割がそう変わるわけでもなし、そんな事で自分たちの首を絞めるだなんて」

「妥協が嫌いなんでしょう? だから戦争だってずっと続けている。まあ、本当に追い詰められた後でも形式にこだわるかどうかは知らないけれど、お前の依頼主はそれをしないと判断した。だから、そういう依頼を出してきた」

「まあ、そういう事なんだろうね。うん、色々と納得はできたよ。だから標的の召喚士たちは皆、良さげな地区に居を構えているというわけか」

 そう言ったクーレが見上げた先には、百階相当に匹敵する高さの防壁があった。この奥には更にもう一層防壁があり、中心に行くほど身分の高い人間が住んでいる。当然のように侵入者防止の魔法も込められているので、仮に壁の上を乗り越えようとしても弾き返されるという仕組みだ。

「――っと、ためになる話を聞いている間に、時間が来たみたいだね。内門が開くよ。絶対者たる神子が拵えた、神子以外では破るのが難しいって言われている門が」

「なに? 破りたかったの?」

「自分の力を試してみたいっていうのは、挑戦者の性だからね」

「開いたぞ。それで、誰を殺るんだ?」

 具体的な相手をヴラドが訪ねると、クーレは懐から小さな魔石を取り出して、それを地面に叩きつけた。

 割れた魔石の中から二つの魔力が滲み出る。

「覚えたかい? その気配だ」

 言葉を終えるなり、取り出したもう一個を割って、

「僕はこっち。あぁ、逆でもいいけど、どうする?」

「どうもしない」

「まあ、そうだろうね。差なんてないだろうし。――さて、じゃあ始めようか」

 誰かの手引きで内側から誤作動として開かれた門が閉まるより早く、二人は中へと駆け抜ける。

 ほどなくして門が閉まった。

「次に開くのは一分後だ。それまでに片付ける。他に言う事は……そうだな、あまり目立たないように?」

「お前がね」

「あはは! それはそうだ! 気をつけよう!」

 疑わしげなリリスの反応を快活に受け取って、クーレはそのまま風のように駆けだして行く。

 音の無い完璧な暗殺者の動き。問題は起きないだろう。

 もちろん、こちらも問題を起こすつもりはない。遅れを取らないように魔力を波のように広げて、先程感じ取ったのと同じ色の魔力を探す。

 三秒で発見、そこから更に五秒で到着した。

 周りよりも幾分広い屋敷の中。いるのは二人。

 玄関ドアのロックしている部分を音を立てないように長刀で切断し、中に入る。

 程無くして女の喘ぎ声と男の荒い呼吸が聞こえてきた。こちらにはまったく気付いていない。

 寝室に向かうと、男が背を向けてベッドの上で腰を振っていた。

「これは演技ね、よっぽど下手なんでしょう。彼女退屈そうだし、早く終わらせてあげれば?」

 悪戯っぽく、リリスが言う。

 その発言が事実かどうかは知らないが、行為が今終わる事に変わりはない。

 長刀を真っ直ぐ伸ばして心臓の中心で先端を止め、最後にひねりを加えて確実に破壊し、静かに引き抜く。

 絶命した男の身体が前のめりに崩れ出した。その初動だけを確認して、彼等から背を向ける。

 抱かれていた女が悲鳴をあげたのは、ヴラドが屋敷を出て次の目的地に向かって駆けだしたところでだった。

「あと四十秒、一緒くたに殺してしまったらもっと早く済んだでしょうに、無駄な手間をかけるものね。どうしてかしら?」

 隣を飛行する実体のないリリスが、含みを持った笑みを浮かべてくる。

 どうやら、よほど女の方が気に入らなかったようだ。まあ、その原因が演技なのか行為なのかは知らないが。

「次は十秒で済む」

 つまらなげに答え、速度を上げる。

 殊更に急ぐ必要もないから最小限の魔力で片付けたかったというのが、女の方を殺さなかった理由だった。

「……妙な場所に居るわね」

 屋敷を視界に収めたところで、リリスが呟く。

 多くの者が眠りにつく時間帯に、標的の気配は庭にあった。先程の相手よりも一回り大きい屋敷なので、召喚士としても上なのだろう。

 とはいえ、やはり警備はないに等しい。それだけ門の内側は安全だという認識が浸透しているという事だ。まさに殺りたい放題――という感想を抱いたところで、攻撃的な魔力の動きを察知した。ちょうど標的がいる庭のあたりだ。

 気配が周囲に漏れないように隠匿しながら、ヴラドは敷地内に降り立つ。

 焦げたような匂いと血の匂いが、風に乗って届けられた。拡散しているが正確な位置は判る。

 外周を回り、匂いの元を視界に入れる。

 ……どうやら、標的はこの時間帯に召喚魔法の練習をしていたようだ。そして、外に一切魔力が漏れないように庭に描かれた魔法陣の中で行っていたところを、たった今、おそらくは光の魔法によって狙撃された。

 頭を撃ち抜かれての即死。魔法陣には結界も張られていたようだが、それも破壊されている。その結果、匂いや気配がこちらにも届く事となった。

 殺す手間が省けたのは良いが――

「追って。相手の確認はしておきたい」

 戯れの空気を消したリリスが言う。

 異論はない。屋根に跳躍し視界を確保してから、追跡を開始する。

 が、なかなか追いつけない。こちらに気付いているわけではなさそうだが、相手もかなりの速度を出している。

「……あと何秒だ?」

「十五秒よ」

 身体強化にもう少し魔力を振れば、ここから門の外までは三秒あれば行けるが、それをすればこちらの魔力が記録される恐れがあった。

 正直、そのリスクを負ってまで相手を確認する必要もないと思うのだが、リリスは静かな口調で続ける。

「ギリギリまで粘って」

「……わかった」

 これが戦闘なら話は別だが、それ以外の事は基本的に彼女の判断の方が優れている。その今までの経験に従って、ヴラドは一つギアを上げた。

 魔力の残滓を周囲に残すリスクを負う代わりにルートを少し安全なものに変更し、距離を縮めて行く。この方法なら、ちょうどギリギリのタイミングで相手の顔を拝めるだろう。

「少し速度が落ちたわね。余裕は出来たか。出来れば攫って尋問したいところだけど――」

 と、そこで、相手の姿を側面から確認できるポジションに到着した。

 相手はまだこちらに気付けていないので、拉致は十分可能だ。煙幕系の魔石を付けたナイフの投擲で視界を潰したところで仕掛ければ、抵抗する間も与えずに無力化させる事が出来るだろう。

 その瞬間に備えて両足に力を込めつつ、コートの内ポケットからナイフを取り出す。

 しかし、それが空を裂くことはなかった。

 射線に入ってきたのが、不死の娘だったからである。普通に考えれば、留置所などで拘束されていなければにおかしい相手。

 ヴラドは驚きを覚えながらも周囲を改めてサーチし、彼女をフォローしていた存在(魔力の色や音をある程度隠していた)を察知して投擲の手を止める。

 リリスの方は、動揺からか、ただただ唖然としていた。

「……時間切れだ」

 そんな彼女に静かに告げて、ヴラドは屋根から屋根へと飛び移り、最短ルートを通ってなんとか誤作動した門が閉まる前に外に出る。

 出たところで、

「これも想定通りか?」

 と、皮肉を一つ並べておいた。

 舌打ちが返ってくる。続けて、短く息を吸う音と、長々と息を吐く音。

「そうだったら良かったのだけどね。残念ながら想定外よ。おかげで、この臭すぎて鼻がおかしくなりそうな薄汚い国への滞在が延びそう。……ねぇ、嬉しい?」

 当然、嬉しいわけがなかった。

「反吐が出る」

 素直な感想が零れたところで、既に外にいたクーレがやってくる。

「ずいぶんと慌ただしかったね。なにかトラブルでもあったの?」

 そう訊いてくる彼に、ヴラドは真剣な表情で独白するように言った。

「今から甘いものを食べに行く。いや、買えるだけ買って拠点で食べる。……お前も来るか?」

「もちろん。成功祝いはしたいしね」

 そうして、にこやかに了承したクーレと共に甘味屋巡りをしつつ情報交換をしたわけだが、哀しいかなこの時間にやっている甘味屋はなく、

「余所の国だったら一日中営業している店だってあるのに、本当最悪だわ、この国」

 というリリスの悪態と共に、この日は終わりを迎えたのだった。













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