01/依頼
このクリスエレスという国の冒険者ギルドには、大抵閑古鳥が鳴いている。
賑わうのは特定の時間だけで、そのかきいれ時だって一人で受付を切り盛りできる程度のものでしかない。もちろん内容も小さなものばかりで、なんのドラマもありはしなかった。
そんな退屈な国の退屈なギルドの受付をやるために、はるばる本部のあるザーラッハから左遷されてきた彼女だが、今日は久しぶりに欠伸を零さず受付としての一日を終えられそうという期待に活気づいていた。
二体の飛龍の目撃報告が、騎士団からあがって来ていたためだ。
どちらも、首都付近から国境沿いまで伸びているブラス山脈付近に降り立ったとの事。もしかしたら繁殖期なのかもしれない。つまりはタマゴを生む可能性がある。
この情報を他の国にもばら撒けば、きっと有名な冒険者がこの国にもやってきてくれるだろう。飛龍という存在には、それだけの価値があった。
(問題は、どうやって情報漏洩するかだよなぁ……)
特に規制がされているわけではないので許可を得れば問題はない筈だが、その許可が通るまでがやたらと遅いのがこの国だ。他の国と比べてあまりにも冒険者ギルドに影響力がない。当然、ここで活動している冒険者の質も酷いの一言だった。というか殆ど民兵のバイト先みたいな扱いなのである。
(本部に居た頃は良かったなぁ、上位の冒険者にも簡単に会えたし、新人冒険者も皆熱気があって……はぁ、どうして私こんなところに居るんだろう?)
もちろん、それは違法賭博というやらかしの所為ではあるのだが、それでもため息は零れる。
零れたタイミングで、受付正面から見て左手側にある入口のドアが開かれる音がした。
今、ギルドの中には馴染みの冒険者が三人いて、毎日来る面子は全て揃っている。なので入ってきたのは客だろうと判断し、彼女は足元の引き出しに入っている白紙の依頼書をごそごそと取り出して、応対の準備を済ませてから視線を入り口に向け、
「――え?」
自身の読みが外れたのを知ると共に、その眼を大きく見開く事となった。
身震いする程に美しい長身の男が、悠然と佇んでいたからだ。
冷たい銀色の髪に褐色の肌、そして醒めるような深い紫の瞳が特徴的な、研ぎ澄まされた妖刀の如き威容。
(…………いや、まさか、このレベルの大物が来るなんてなぁ)
暴力的なまでの美貌と、腰にぶら下げている鍔なしの長刀が、彼が誰なのかを教えてくれていた。
ヴラド・ギーシュ。
つい最近この大陸にやってきた、外では既に圧倒的な戦果を得ている傭兵だ。
冒険者としても一流で、ギルドは彼を『黒潰石』――上から二番目の位に相応しい存在であると認定していた。
(……あれ? でも、この人ってたしか連れがいた筈よね)
リリスという名の、冷ややかな金色の髪に真紅の瞳をもった、それはもう可憐な姿をしているらしい十二歳くらいの少女。
どういう関係なのか正確にはわからないが、その少女が主に彼の窓口をしているという話だった……が、見当たらない。
(もしかして、人違いとか?)
いや、それよりも資料にあった少女の情報に更新があったと考える方が自然だろう。ずっと一緒にいる相棒ではなく、一時的な付き合いでしかなかったとか。
まあ、いずれにしても、彼女がこの冒険者ギルドにやってきてから初めての大物である。それも超がつくほどの大物。
(だっていうのに……)
信じられない話だが、今居る冒険者たちは、誰も彼を気にしていなかった。この静謐極まりないある種異様な気配にすら気付かず、必死に割のいい依頼を探しているのだ。
というか、そもそも彼を知っているのかどうかも怪しいところだった。
笑えないレベルの知識量に、どうしようもないくらいの意識の低さ、冒険者という言葉が本当に相応しくない連中である。
その無残な現実にウンザリしているあいだに、ヴラド・ギーシュが受付の前にやって来た。
冒険者の資格証であり『黒潰石』の位の証でもある紋章をこちらに示しながら、ボードにピン刺しされていた依頼書を差し出してくる。
ばら撒き依頼だ。立場問わず誰でも引き受けられる類で、おそらく民兵団なんかにも配られている。
ただ、今回の難度は非常に高いものだった。
なにせ、その内容は『死人繰り』と呼ばれる高位の魔物、リディッチの討伐だったからである。
§
「物静かで良いギルドだったわね。まさに最底辺」
外に出たところで、隣で漆黒の翼をゆったりと羽ばたかせてヴラドと目線を合わせていたリリスが愉しげに吐き捨てた。そして、膝丈のシックな黒のワンピースをひらひらと揺らしながら、ギルド前の広場の中央に向かって移動する。
その際、真正面から男が向かって来ていたが、彼女は避けることなく文字通りその顔面をすり抜けて、噴水の前に降り立ち、視線を噴水の中心に佇む六枚の翼をもった女性の白亜象に向け、微かに目を細めた。
「……天使の国、か。息苦しそうで嫌ね。問題が起きなければ良いけれど」
「どの口が言う」
ぼそりと呟きつつ、ヴラドは彼女から視線を切って仕事場に向かって歩き出す。
その声に引かれるように、リリスが戻ってきた。
「聞こえているわよ? 陰口をするならもっと静かにしなさい。傷付いてしまうでしょう?」
「陰口に聞こえたのか?」
言葉を返すと、近くにいた誰かが微かに驚いた反応を見せた。
それを嗤いながら、リリスは言う。
「独り言は目立つわよ? お前はただでさえ無駄に目立つのだから」
「だったら喋りかけてくるな」
刺すように告げ、ヴラドは歩調を速めた。
§
標的が居を構える盆地が見えてきた。
そこは、二十七日前に敵対国であるエンシェとの戦闘が行われた一帯だった。
そこにリディッチが現れて戦死者たちをゾンビに変えたのが十日ほど前。それにこの国が気付いたのが三日ほど前。そして今日の朝、ギルドを含めた複数の民間組織に討伐の依頼が配布されたらしい。
なんとも杜撰な対応である。或いは、それだけ些末な問題という認識なのか。
「騎士団に余計な被害が出るのを渋った感じね。それで戦力分析の為にまずは民兵を犠牲にする事にした。わたしたちが来なかったら、このあと何人死んだ事かしら?」
リリスはいつもの如く愉しげだ。
その視線の先には、こちらに向かって敗走してくる複数の民兵の姿があった。
どいつもこいつも深手を負っているようには見えないが……まあ、無駄死にをするよりは良い判断なのだろう。
両の瞳に魔力を込めて視力を強化し、彼等の奥に居る標的を見据える。
黒いフードをかぶった骸骨。両手には巨大な鍵を持っている。その鍵を大地に刺して一帯に特殊なルールを付与し、死者を自身の手駒に変えているのだ。
現在、取り巻きの数は百程度。殆どはクリスエレスの騎士の姿をしている。この戦場がどういうものだったのかは、それで大体判った。
長刀を引き抜きつつ、ヴラドはゆったりとリディッチの元に向かう。
急ぐ理由はない。その間に何人民兵が死のうが知った事でもなかった。いや、むしろ死んでもらった方が都合が良いというのが現状だろうか。
「た、助け――」
息も絶え絶えの男が、背後に迫る二つの動く死体から逃げられない事を悟ってか、こちらに向かって手を伸ばそうとして、投擲されたナイフによって頭部を穿たれ即死した。
そうして地面に倒れたそいつは、数秒後にむくりと立ち上がり、こちらよりも離れたところにいた他の民兵に襲い掛かる。
「なかなかの影響力ね。獲物に出来そうな奴を嗅ぎ取る程度の知性も残しているみたいだし、それなりに強力な個体みたい。まあ、わたしたちには関係ないけれど――と、見つけたわ」
「あれか?」
視線を左手に少し動かし、ヴラドは大きな斧によって左肩を切り落とされた少女を見据えた。
拘束服のようなものを身に纏い、傷んだ長い黒髪を太腿まで伸ばしている。ずいぶんと華奢――いや、そのような言葉では表せないくらいに痩せ細っている。とてもではないが、まともに戦いが出来る肉体には見えなかった。このままでは胴体を両断されるか、背面を取った奴の槍で心臓を貫かれて終わりだろう。
その読みのままに、後者の未来が少女には訪れた。
だが、少女はその状態で目の前の斧を持っている敵の頭部にナイフを突き立て、前に踏み込んで突き刺さっていた槍を引き抜き、槍兵に向き直る。
間違いなく死んでいなければならないのに、まだ動いているのだ。そのうえで、お仲間になっている筈の死体に刃を向けている。
「どうやら噂は本当だったようね。ほんと、無駄足にならなくて良かった」
高揚をわずかに滲ませた声で、リリスが呟いた。
既に名声を得ている傭兵兼冒険者が、わざわざどちらの地位も低いこんな国に来た理由は、まさにこの不死性を帯びた何者かにあった。その力を手に入れる為に、ヴラド達はこの天使が治める国にやって来たのだ。
「もちろん、まだ大当たりとは言い切れないけれど、わたしが視認しなければ感知できないあたり、瑕疵はないと見てもいいでしょう。あとはどの程度の強度をもっているのか――」
答えを得たのなら、悠長にしている理由はもうない。
リリスが言葉を終える前に地を蹴り、少女の傍らにいた二体の首を刎ね、そのままの勢いでリディッチに肉薄し、逆袈裟の太刀をもって鍵もろともに両断する。
反応の暇すら許さない瞬殺劇。
「……まあ、今ここで試す事ではないのかもしれないけれど。それでも、わたしの意見を聞くくらいの時間は設けても良かったんじゃない?」
試したかったらしいリリスがため息をつくが、そこに尾を引くような怒りはない。
鍵の破壊によって死体もただの死体に戻り、この戦場が片付いた事を示していた。
その余韻を残心の時間としつつ、ヴラドは危機が去った事に安堵したからか意識を手放した少女の元に歩み寄る。
断たれた左肩は既に完治していた。心臓も然り。けれど、こけた頬や、罅割れた唇はそのままだ。遠目から確認した輪郭以上の危うさが、そこには残っていた。
そんな少女を背負って、帰路につく。
「あら、ずいぶんと優しいのね。驚きだわ」
腕や足でも掴んで引き摺って帰るものだとでも思っていたのか、リリスは苛立ちとも嘲りとも取れる温度感でそう言った。
それを否定する理由は、特になかった。
§
夢の中に居る。
過去の夢だ。初めての実戦で、前日よく眠れなかった事が原因か体調不良で上手く身体が動かなくて、それほど驚異でもない魔物を相手にずいぶんと苦戦した日の出来事。
最終的に片足を犠牲になんとか勝利して、ちょうどその場に同席していた父に背負われて医者の元に向かっていた。
こういう明晰夢を、シャルロットは最近よく見る。
この時は、自分の惨めさとか初めて味わう激痛に震えていて、だけど泣くわけにはいかなくて、必死に歯を食いしばっていた。父をこれ以上失望させたくなかったのだ。
それが功を奏したのかどうかはわからない。ただ、いつもだったらきっと最後まで無言を貫いただろう父が、ぽつりと零した。
『……私も、いい加減前を向かなければな』
噛みしめるような声だった。
それから少しだけ歩き方が変わって、身体にかかる揺れが抑えられた。判りやすいものではなかったけれど、それは確かに父の優しさだった。
「おとう、さま」
あのとき、自分はどんな言葉を返したのだったか……思い出す前に、夢から覚めた。
濃密な血の匂いが真っ先に届けられて、次に微かな上下の揺れが身体に伝わる。どうやら、誰かに背負われているようだ。
「あ、やっと目が覚めたわ」
右手の方から声がした。甘くて高い、けれど同時に凛とした少女の声。
シャルロットはつられるように視線を向け、驚きに身体を強張らせる。
「あ、悪魔っ……!?」
小柄なその体躯より大きい蝙蝠のような漆黒の翼が、そこに居た少女には生えていたのだ。朱色に濡れた瞳とサイドテールに纏められた金色の髪が、酷く蠱惑的に映っていた。
「なに? 御同類の『契約者』に会ったのは初めて? まあ、こんな国だものね。珍しい話でもないのか。でも、警戒する必要はないんじゃない? お前のような貧相で薄汚れた死にぞこないを、わざわざ背負って街まで連れ帰ってあげるような相手なんだから。このヴラド・ギーシュという物好きは」
十一、二歳くらいの少女の姿からは想像もできないような酷薄な微笑。
その、ぞくりと背筋を粟立たせる異質な甘美さに恐怖を覚えるが、彼女の言っている事は正しい。
気を失う前の事は覚えているのだ。彼は圧倒的な速度と業をもって、シャルロットの被害を最小限に留めてくれた。
まずはその事に感謝を伝えようと慌てて背中から降り、自分の血で汚れていたコートを前に反射的に頭を下げて謝罪の言葉を吐きだしたところで、怒声が響き渡る。
それはよく知った声で、案の定視線を向けた先に居たのは、この国の傭兵たちだった。正しくは、騎士になれなかったので形式上傭兵という立場に置かれている者達だ。外部の傭兵とは少し扱いの違う、民兵組織の一つ。
シャルロットはそこの備品であり、彼等の身の安全を守ることを責務としていて、
「この役立たずが!」
近付いてくるなり、一人の男がシャルロットの顔面を思い切り殴りつけた。
衝撃でよろめいたところ髪を掴まれて引き戻され、もう一度殴られる。
ぶちぶちと髪がちぎれる音と共に、踏ん張りの効かない身体がそのまま地面に崩れ落ちた。
間髪入れず、別の誰かの爪先が鳩尾につき刺さる。
胃液を吐いている途中で、後頭部を踏みつけられた。
唾と共に、無数の罵声が浴びせられる。
……いつもの事だ。我慢できる。我慢しなければならない。何故ならここは天使の国で、自分は到底許されるわけもない罪人なのだから。
けれど、そんなこと部外者にはきっと判らないし、傍から見て彼等の行いは気分の悪いものでしかない。空気が軋むほどの圧力の発生が、それを物語っていた。
その嫌悪の感情に引っ張られるように、彼等の視線がヴラドに向けられる。
同じように、シャルロットも自分以外にそれを向ける稀有な存在に視線を奪われ――同時に、呼吸も奪われた。
奇蹟のようだと思った。或いは幸せな悪夢のようにも感じられた。
思考が溶けて身が凍りそうなくらいに、その艶やかでありながら厳然とした美しさが、恐ろしかったのだ。
きっと彼等もそうだった。ただ、彼等の方が先に我に返ったのは、本能が身の危険を覚えたからだろう。
「が、外国の方でしたか、貴方にはずいぶんと無駄な事をさせてしまったようだ。こんな薄汚い悪魔憑きを人のように扱わせるだなんて、この国の人間として申し訳ない」
冷や汗を垂らしながら、そのくせ顔を赤らめながら軽く頭を下げる。余所の人間を毛嫌いしている彼等が下手に出たのだ。
しかし、その繕いは色々な意味で手遅れだった。
「……無駄、か。お前たちも同じだろう」淡々とした口調で、ヴラドは言う。「あの程度の戦場で死ぬような生ゴミの為に怒りを抱くなど、無駄もいいところだからな」
瞬間、空気が凍りついた。
同じ民兵の仲間の死をそんな風に言われて、浮足立っていた気持ちも吹き飛んだのだろう。そうなったら彼等は一直線だ。あっという間に剣呑な雰囲気で場を覆い、暴力の気配を匂わせ出す。
彼等の数は七人。背後からさらに五人ほどがやってきていたので、じきに十二人。普通に考えれば圧倒的に優位だ。
でも、あの戦場に誰か一人でもいたのなら、そんな愚かな発想は抱けなかったに違いない。
「ねぇ、問題を起こしてもいいのなら、リリスのことも実体化させない? その方がもっと酷い事になるだろうし? あっはは」
少女が愉しげに嗤いながら、何故漆黒の翼をもったその身が誰にも触れらなかったのかを教えてくれた。
おそらくだが、同類にしか認識できない状態にあるのだ。たしか『悪魔の特権』と呼ばれている、悪魔全般が有する力の一つにそんなものがあったはず。
「――」
リリスの言葉を受けてか、ヴラドの左手が太腿のあたりの高さにぶら下げられている長刀の鞘に触れる。これ以上ないくらい自然に、敵をすぐに殺せる段階に辿りつく。
民兵たちはまったく気付いていない。その時点で、残酷なほどの実力差だった。
このままでは彼等が殺される。
だから、咄嗟に声をあげようとして、
「なにをしているのですか? 貴方たちは」
横から飛んできた男の声が、その機会を奪った。
皆の視線が一斉にそちらに向く。
そこに居たのは、この国において知らないものが居ないほどに有名な元将軍の、元部下の執事だった。
「彼はオルガ様の客人です。用がないなら、もう去りなさい」
有無を言わせない口調。
民兵たちはバツの悪い表情を浮かべ、逃げるようにこの場を離れて行った。
「貴女もだ。外での贖罪は、もう終わりでしょう?」
冷たい視線と共に告げられる。
まだヴラドに感謝の言葉を伝えられていなかったのが心残りだったけれど、逆らう事は出来ないので、シャルロットもぺこぺこと頭だけ下げ、足早に帰路につくことにした。
「強引な誘いになって申し訳ありません。ですが、十分な報酬を用意できる依頼です。ついて来てくださいますか?」
「……あぁ」
背中から二人のやりとりが聞こえる。
オルガ元将軍は、一体ヴラドになにをさせるつもりなのだろう?
興味に後ろ髪を引かれて振り返ると、ちょうどこちらに視線を流した彼と目が合った。
深い紫色の憂いを帯びた瞳。
それに射抜かれた瞬間、どうしてだろう、激しい羞恥心が全身に広がった。と同時に、強い後悔にも襲われる。
シャルロットは溢れ出した理解不能な感情の渦から逃げるように慌てて視線を外し、自宅に向かって駆けだした。




