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君>世界   作者: 雪ノ雪
第一章『天使の国の悪魔』
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03/暗躍

「……大体、三千七百五十ヘクテルってところかな、ずいぶんと高いところまで飛ばされたものだね。見て見なよ。大地がマグマみたいに溶けてる。この規模の仕掛けを見るのは僕も初めてかもしれないな。クリスエレスもなかなかやるものだね」

 爆風が過ぎ去り上昇が止まった体を回転させ、両足を地面のほうに向けたところで、クーレが言った。

 死ぬかもしれないこの状況でずいぶんと呑気な感想だが、肝心の落下はまだ始まらない。

 クーレも、彼の手首を掴んだヴラドも浮遊したまま、その身には殆ど重力が生じていなかった。まあ、そうでなければ、そもそも爆風に乗ったところでここまで跳躍する事も出来なかっただろうが。

「愉しそうだな」

 率直な感想を、ヴラドは口にする。

「こういうのを前にすると、ただの人間にも可能性を感じられるからね。しっかりとした準備さえ出来れば、いずれは大陸一つ、或いは星すらも焼き払える魔法を用意できるかもしれない。そして、それを別の方向に伸ばせば、より高度な魔法を誕生させる事だって出来るかもしれない。そう思うとわくわくしない?」

「しない」

「そう? 面白いと思うんだけどなぁ。まあ、君の魔法は特別だしね。既にそれくらいの事は出来るのかもしれないけれど」

 そう言って、クーレは微笑んだ。

 そこにどのような意図があるのかは、正直よくわからない。

 全ての人間の心臓には魔力の源となる『核』があり、核が生成する魔力の色には個体差がある。そしてその個体差こそが使える魔法の違いでもあるのだが、こいつの扱う『重力』の魔法もまた、魔法陣や儀式などの手間を掛ければ、国や大陸は無理でも都市の一つくらいなら簡単に消滅させる事が出来る類だったからだ。応用力にしてもそう。安定性に関しては勝負にもならない。

 そんな奴が含みを持たせて「特別」などという言葉を使う。どうにもらしくない。

 なにか、こちらの動きでも掴んだのか、それとも……

(……まあ、いいか)

 深読みしたところで答えなど出ないのだ。少なくとも当面は敵にならなそうなのだから、過度に警戒する必要もないだろうと、さっさと思考の袋小路から抜け出す。

「さて、状況も安定したことだし、そろそろ降りようか。ガジャはどこがいいと思う? 爆風の熱から僕らを守った君に、選ばせてあげるよ」

 そのガジャは今、二人の足元に居た。クーレに思い切り背中を踏まれている。

 既に脅威は去ったので密着の意味もないのだが、離れるつもりはなさそうだった。

「マグマの外に決まってんだろう? これ以上盾をするつもりはねぇよ。――てか、そんなことより、この人間をいつまで繋いでいるつもりなんだ? そもそもどうして、こいつを助けたんだ? 俺にも判るように説明してくれないか?」

 不機嫌そうな物言い。嫌われているのはリリスだけではない、というのがよく判る。

「どうしてって、こんなに愉しく殺し合いができる相手、そうそう見つかるものじゃないんだから当然でしょう? それに急がないと間に合わなかった。あの状況で、僕の腕を掴んだ彼の手を切り落とすのは無理だし、今もそうだ。この距離は彼の方が速い。――あぁ、つまり、君は僕に死んでほしいという事かな。なるほどね」

 可笑しそうに、クーレがわらう。

「ばっ!? な、ち、違うに決まってんだろうがっ! なにわけわかんない事言ってやがんだテメェ!」

「煩いよガジャ。僕は煩い奴が嫌いだ。知っているだろう? そして君に求める言葉がなにかも、もう判っている筈だ。違う?」

「……理由には納得した。文句も、なくはないが、ない」

 苦々しい表情で、しかし殊勝にガジャは頷いた。

「よく躾けられてるな」

 なんとなく自身の契約者と比べて、ヴラドはそう呟く。

 するとクーレはきょとんとした顔をして、

「君のところは違うのかい?」

「……先日、財布の中身が知らない間に半分になって、全部飴になった」

「あー……それは酷いね。なのに罰の一つも与えなかったの?」

「面倒な事になるだけだからな。それに……」

「それに?」

「飴は美味しかった。とても」

 まだいくつかあるが、もうじき在庫が無くなる事を思いだして、少し悲しい気持ちになる。

 食事はまあまあだったが、果たしてクリスエレスにはあの飴を越えられるほどの甘味があるものなのか。副題ではあるが、解決しなければならない非常に重要な問題だった。

「そういえば、結構な甘党だったね君は。いいお店は見つかった?」

「まだ」

「じゃあ、僕がそっちに寄る時までに調べといてよ。僕も甘いのは好きだし」

 そこで、落下速度が少しだけ増した。

 このペースなら、着地までは大体二分程度だろうか。

「……あぁ、そうだ。今思いついたんだけどさ、君も一枚噛んでみない? 味方である筈の君すら殺そうとした、クリスエレスという国の正義に風穴をあける一手に」

「それは、面白そうな、話ね」

 真下から声がした。

 見ると、身の丈よりも大きな翼を広げて、リリスがこちらに近付いてきている。

 余裕はあまり感じられない。息切れ感がある。が、こちらも下降しているので、力尽きる前には目的を達成して実体化を解ける状況になっているだろう。

 その予想のままに、リリスは程無くして記録石をこちらに向けて放り投げた。見事なまでのノーコントロールだった。

 おかげで、長刀の鞘を使って手に届く位置まで弾くという手間が発生する。まあ、届いただけマシと見るべきなのかもしれないが。

「でも、すぐには頷けないわ。報酬をまだ貰っていないもの。色々とね。だから、わたしたちを説得できる程度に話がまとまったら、また声をかけてきなさい」

 こちらが記録石を懐に入れたところでリリスは実体化を解き、いつもの上から目線で言った。

「では、連絡手段を渡しておくよ」

 クーレが懐から『番石(つがいせき)』と呼ばれる魔石を寄越してくる。

「これで僕の居場所がわかる。いいお店が見つかったか、その気になった時に会いに来てよ。楽しみに待ってるからさ」

 地上が近付いてきた。

 生きている人間は誰もいない。こうして上空に逃れた二人と、消し炭になろうが即座に元の形に戻っていた、不死の少女を除いて。


                §


 酒場で貰った紙片に記されていた依頼主の館に到着した。

 貴族のくせに首都の外壁の傍で暮らしているらしい元将軍の邸宅は、他の家よりは幾分大きかったが、それ以外に特筆するべきものはなかった。別荘の類なのかもしれないが、それにしたって貴族優遇が目立つこの国にしては質素だ。

「今度はわたしの口調まで真似ないでよ?」

 呼び鈴を鳴らしたところで、リリスが言う。

「ああ、わかったわ」

 適当なトーンで、ヴラドはそう応えた。

 盛大なため息が返ってくる。――と、そのタイミングで見知った執事が玄関のドアを開け、少し驚いたような表情をこちらに見せた。

 一瞬の反応だ。それが何を意味するかまでは断定できない。

 とりあえず平静を装った執事の案内に従って執務室へと赴くと、そこには重厚な気配を纏った武人が書類仕事を片付けていた。

 彼がこの屋敷の主であり、かつて将軍を務めるほどの立場に居た依頼主のオルガのようだ。一応、壮年に見えるが、老いは感じられない。まだまだ現役といった気配。

「無事だったようで何よりだ」

 見た目に違わぬ低い声が響く。

 声量は大人しいのに肌を叩くような威圧感があるのは、別に意図したものではなく、それが普段なのだろう。

「残念そうだな」

 耳元で囁かれたリリスの皮肉をヴラドがなぞると、彼は元々深い皺が刻まれていた眉間にさらに皺を集め、

「まさか、むしろその逆だ。他の生存者の報告はなし。爆発が起きた事くらいしかこちらは判っていない。戦場で一体なにが起きたのか」

「知りたいのか?」

「無論だ」

「隕石が降ってきて皆死んだ」

 これもリリスの戯言だ。

 ただ、ヴラドがあまりに淡々と言うからか、真に受けてしまったらしい。

「まさか、そんなことが……」

「もちろん冗談だ」

「――」

 一瞬、イラッとした空気が肌を刺した。

 この手の冗談を流せない、直情的で生真面目な性質が窺える。

「だが、可能性としては捨てきれなかったから驚いた。言葉なんてそんなもの。証拠としては弱い。語れる目撃者が一人だけなら、尚更にな」

 言いながら、ヴラドは記録石を取り出した。

「それは、記録石か……?」

 ラベルはとっくに剥しているので、そこに含まれている魔力の色でそう判断したのだろう。どの程度詳細に色分けが出来たのかは不明だが、似たような色の『魔石』が相当数ある中で正解を選べるあたり、目の方も悪くない。

 先程の戦場に居た兵の質は狂気を感じるレベルで酷かったが、少なくとも将軍クラスはまともなようだ。それが良い事なのか悪い事なのかはさておき。

「そこの奴にも見せていいのか?」

「……今日はもういい。外れてくれ」

 やや硬い声でオルガが言う。

 執事は小さく会釈をして、部屋を出て行った。

 その気配がある程度離れたところで、ヴラドは魔力を流し記録石を起動する。

 すると、なにもない空間に立体映像が浮かび上がった。

 リリスが上空からシャルロットを中心に据えて撮ったものだ。そのため結構な俯瞰視点となっているが、魔力で眼を強化すれば表情を確認する事も十分可能な距離となっていて、情報を得るという点においては理想的なポジションと言えた。

 この種類の記録石をねつ造することは基本的に不可能なので、証拠としても十二分の価値を持つことだろう。

「――おぞましき悪魔がっ!」

 シャルロットが爆弾と化して周囲を消し飛ばす光景に差し掛かったところで、オルガが目の前の分厚い机を叩き割った。

 普段、このように激昂する人物というわけでもないようで、荒ぶる魔力の気配を察知した執事が慌てて戻ってこようとする。が、途中で指示を思い出して踏みとどまったのが気配から見てとれた。

 その動きを彼も認識してだろう、はっと我に返り、

「……すまない」

 と、短い謝罪を一つ、次に重苦しくやや長いため息をついてから、こちらを真っ直ぐに見据え、

「それを、どうか譲って頂きたい。この国から許されざる悪を排除するためにも」

「金程度で譲れるものじゃない」

「では、なにが所望だ?」

 微かな警戒心を抱きながら、オルガが踏み込んでくる。

 どういう人物かはある程度わかったし、立場についてもそうだ。十二分に利用できるとリリスも判断したのだろう。

「この国は、あの不死をどうやって処分する?」

 と、ヴラドに切り出させた。

 こちらが望む強度のものであるのなら、処刑は不可能だ。かといって、忌むべき悪魔憑きが行った非道を民衆が許容する筈もなし、中枢がすべて共犯者という線も考えにくい。そして、この国の君主たる大天使スロウも表向きは国の方針を民に任せている以上、いくらでも取り返しのつく選択に口は出してこない筈。

 ならば、妥当な結末は監獄行きだ。国の外れに移送される事となる。

 そのルートや日程が分かっていれば、強奪は容易い。手引きがあれば血を流す事もないだろう。

「……まさか、彼女が目的なのか?」

 微かだが怯えを孕んだ声で、オルガは言った。

 それで、彼が無価値な兵士共の死ではなく、あの不死の娘の扱いに怒りを暴発させたのだという事に気付く。

「ここよりはいい扱いになる。それは保証しよう。まあ、保証するまでもない事かもしれないが」

 最初からそれが判っていたのか、淀みない口調でリリスが言った。

 瞬間、怒りとも嘆きとも取れる感情がオルガの表情に走る。

 そんな様を見せた時点で、悪魔相手には致命傷だった。

「別に、他の者に渡してもいいが、彼等はこれをどう使うだろうな?」

「…………わかった。穏便にそちらに渡るように、手配しよう」

「それは良かった」

 きっとリリスなら微笑んだのだろうが、そこまで合わせてやるつもりはないので、特に表情を変えることなく言って、ヴラドは記録石をオルガに差し出し、

「では、具体的な話と行こうか」


                §


 そうして不死の娘を攫うという共犯関係は成立し、その証としてヴラドは彼がいた別荘を引き渡しが済むまでの間借りる事となった。もちろん、そうなるように仕向けたのはリリスである。

「なにか言いたげね? 宿のよりずっと大きくてふかふかのベッドが手に入ったっていうのに、なにが気に入らないのかしら? わからないわ」

 困ったような顔をして、そのベッドに寝転がっていたリリスが言う。

「回りくどい」

「今更の文句ね。お前だって、あの戦場に回収係が迫ってきていた事には気付いていたでしょう? もちろんお前があの程度の有象無象に手間取るとは思わないけれど、あれを仕組んだ奴等の手駒よ。始末すればそいつらが敵になる。それに最悪、この国の神子に目をつけられるリスクもあった。そうでなくとも指名手配されてリストを他国に流されるのは面倒。ほら? 色々と穏便に済ませた方がお得でしょう? ……なんて、そんな事は言わなくても判ってるわよね。ええ、わたしも判っているわ。お前はただ奴等を皆殺しにする口実が欲しくなっただけだって。まあ、それもずいぶんと回りくどい事だと思うけれど。あっはは」

 最後に嘲笑を浮かべ、彼女はまるで誰かに引っ張られるように一切身体を動かさずに立ち上がり、空間が空いていることに居心地の悪さを覚えたかのように意味なく設置されていた丸テーブルの上の果物を手に取って、そこに小さな歯形を残した。

「おい――」

「ここは誰にも監視されていない。なら、わたしが実体化しようが問題はない、でしょう? それともわたしをお前の中に入れておく? 別に構わないけれど、甘い血は身体に毒よ? ふふ」

「……ずいぶんと機嫌がいいな」

「お前もそうあるべきだわ。十年かけて探していたものがようやく見つかったんだから。これまで手にしてきた妥協品ではない本物の不死性。これで一番の問題が片付いた。まあ、すぐに取り込めるわけじゃないのが、もどかしくはあるけれどね」

 なめらかに言葉を躍らせながら、リリスはこれまたテーブルに置かれていたワインの封を切って(コルクを抜くのではなく、ワインの脇にあった切断の魔法を内包した魔石を用いて文字通り瓶の先端を切った)グラスに注ぎこんだ。

「……あぁ、そうだ。ちょうどいいから、ここで祝杯でもあげておきましょうか」

 堪能するように朱い酒をゆっくりと半分ほど嚥下したところでグラスを半回転させ、自身が口をつけて薄桃色に染まっている部分をヴラドに向けて、

「はい、乾杯」

 と、それを差し出してくる。

 幼いと分類しても過言ではない少女のものとは到底思えない蠱惑的な微笑。常人なら、それだけで理性を失いかねないほどの毒気だ。

 だが、ヴラドにはとってはくだらない茶番に過ぎない。何の感情もなく濡れたグラスに口をつけて、残りの半分を呑み乾す。

「相変わらずつまらない反応。最上の淫魔を相手に欲情の一つもしないだなんて、失礼だと思わないのかしらね、お前は」

 そう言いながらも、リリスは酷く嬉しそうだった。

 つまりはそういう事だ。揺らがない事こそを彼女はヴラドに求めている。昔から、今に至るまで一貫して。

「……さて、あの元将軍はどうやって悪魔を飼っている貴族を黙らせるのか。とりあえず、それまでの間にアルタ・イレスへの推薦状を手に入れておきましょうか。一応、それがこの国での最低限かつ確実な目的だったわけだしね」


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