エピローグ/私はいつ死ねるのかな?
全身に走った激痛と共に、アンナは意識を取り戻した。
反射的に身体を起こそうとして、あまりの頭痛に途中で硬直する。
はずみで涙が零れた。真っ赤な涙だった。至る所で内出血が起きている証だ。
「……というか、どうして私、生きてるの?」
「起きて早々、ずいぶんと悲観的な感想だね」
眼を閉じて痛みを鎮めながら呟いたアンナの疑問に、落ち着き払った声が返ってきた。
真横だ。手が届く距離。だというのに、まったく気付けなかった。
ただ、それに驚くことはない。なにせ今左手に居るのは、世界最強とも謳われている傭兵なのだから。
「団長が助けてくれたんですか?」
「まさか」
「ですよね。団長、弱い人になんて興味ないし」
右手を目蓋の上に乗せて、自己治癒能力を高めていく。
「君を弱いと思った事はないよ。だからこそ、君を殺さずに制した相手は非常に興味深い」
「どういうことですか?」
「君が倒れていたのは、裏世界ではなく外の世界だった。それも人目に付きやすい大通りだ。そして裏世界は消滅していない。あの世界でただ放置されていただけなら、君は死んでいただろう。後詰めを選んだ十四位の子のようにね」
「ナターリャ、死んだんですか?」
頭痛が多少治まったところで、ゆっくりと目を見開く。
首を左手に曲げると、そこには穏やかな表情を湛えたルシェド・オルトロージュの姿があった。
看板ではないにしても上位の部下であり、自分に好意を抱いてもいた女が死んだっていうのに、本当にいつも通りだ。いや、むしろ、普段よりも機嫌が良さそうですらあった。
「死体は見つかっていないが、生存確認のために拵えていた彼女の魔力を刻んだ魔石は粉々に砕けていた。相当派手に殺されたようだ。君とは正反対の扱いだな。ヴラド・ギーシュとは知り合いだった?」
「……いえ、会った事はありません。忘れるような容姿でもなかったな」
「では、どうして彼は君を殺さなかったのか。なにか気になった事は?」
妙な疑いでもかけられているのだろうか? 一瞬、そんな馬鹿げた考えが過ぎるが、あまりに馬鹿げているのですぐに消えてしまった。
「ルナ様の血に、興味があるような事を言っていました」
それ以外の会話なんてしていないので、可能性としてはそれだけだ。
「なるほど、それで君はブチ切れたわけだな?」
ルシェドはすごく嬉しそうに確認をとってくる。
別にブチ切れてはいないのだけど、訂正するのも面倒なので頷き、
「ルナ様は今どこに?」
と、アンナは訪ねた。
「自室で眠っているよ。いくつか『目』も付けなおしてある。まあ、たいした意味はないだろうけれどね」
「夢遊病、酷くなっているんじゃないですか?」
「彼女に落ちた天泪は、十数回に及ぶ魔法行使によってようやく同化を完了させようとしている。今はその最終段階なわけだが、おそらくはそれが原因だろう。まあ、幸いな事に記憶障害の悪化は確認されていない。これまで通り、君が近くに居れば、多くの面倒事も数少ないリスクも処理できる筈だよ」
「それならいいんですけど――」
「あぁ、そうか! あの時の少年か! なるほど、それは凄いな!」
ぱん、と手を叩き、突然ルシェドが座っていた丸椅子から立ち上がった。
これだけテンションが高い彼を見たのは初めてだったので戸惑いが凄かったが、それに呑まれたままというのはよろしくない。
「あの、一人で納得しないで欲しいんですけど」
「君が生かされた理由に思い当ったんだよ。麗しい青年だったんだろう? 忘れがたいほどに」
「まあ、そうですね」
「彼はヴィレアーシュの混血だ。いわゆる忌子だな」
「ヴィレアーシュ……!?」
軽い驚きが過ぎる。
忌子である事も驚きだが、『咲かずの至宝』といえばサキュバ系統の中での最上位だ。
淫魔などというカテゴリーにいるが、その支配はもはや魅惑という域に収まらない。ある意味で、負けたのも納得の相手だったというわけである。……まあ、その特性を喰らった覚えはないが。
「しかし、もう十年も経つのか。気紛れで撒いた種が、まさかここまでの大物になっているとはね。継続は力なり。ふふ、素晴らしい誤算だ。時々、本当に時々、人間というものは尊い存在に見えるから困るものだよ」
「……もしかして、ヴラド・ギーシュが『あの子』なんですか? 」
ルナがよく口にしている誰か。
だとしたら、ヴラドの方も彼女の事を今も大事に想っていて――
「私はいつ死ねるのかな?」
不意に、歌うように軽やかに、ルシェドが呟いた。
それから、アンナの心中に釘を刺すように言葉を続ける。
「彼女が夢遊する前に口にしていた言葉だ。これも口癖になっているが、忘れてしまう彼女がそれでも忘れることなく抱いている願いでもある。残念だが、彼に彼女は救えない。もちろん、君にも無理だ。むしろ全てが裏目に出る事だろう」
「……」
「まあ、納得するまで色々と探ってみるのも悪くはない。私はいつだって団員の自由意思を尊重している、寛大な団長だからね」
「言われなくたって、そうさせてもらいますよ」
動ける程度には回復したので、これ以上此処に居る理由はない。
そもそも、この団長の事は苦手なのだ。
(それに、シャワー浴びたいし)
一刻も早く、この身体に纏わりついている血だとか匂いだとかを拭うために、ふらつく足を叱咤して、アンナは病院の医務室のドアに手を掛け――
「――あぁ、そうだ、一つだけ情報の共有をしておこう。彼の契約者は、アンフェノかリズのどちらかだと私は考えている。どちらも、とびきりの神格だな」
その背中に、ルシェドが不穏な言葉を投げつけてきた。
今、それを話すという事は、ルナにとって不都合な契約者である事を示唆している。いや、もしくは、そうやってこちらを翻弄して暇潰しをしているだけなのかもしれないが。
「半年後が楽しみだよ。一体、どれだけの上位存在が死に、どれだけの可能性が解き放たれるのか……本当に、楽しみだ」
再び椅子に腰を下ろし、だらりと身体を後ろに傾けて天井を見上げるルシェドの瞳は、ぞっとするほどに冷たくて……
(……まるで、この世界の全てに興味がないみたい)
この男が半年後になにをするつもりなのか、それはおそらく団員のほぼ全てが知らない事だった。
これにて第三章『平和な戦争国家』は完結となります。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
もしよろしければ、評価なども付けて頂けると嬉しいです。
次章の方も、来週の水曜日から投稿していく予定ですので、またお付き合いいただければ幸いです。




