プロローグ/契約の行方
世界最高の傭兵組織であるノイン・ゼタは、ザーラッハにおいて既に強大な地位を手にしている。
それがどの程度強大かといえば、区画一つの自治権を所有している程度といえば判るだろうか。殆ど皇族と並ぶ権威といっても過言ではない。事実、国の内政や外交にもある程度口出し出来る立場にあったし、多くの拒否権も所有していた。もっとも、前者に関しては団長がまったくこの国の政治に興味がない事もあり、行使されたという話は聞かないが。
まあ、それはさておき、そんなノイン・ゼタが所有している図書館に、アンナは今足を運んでいた。傍らにはルナの姿もある。
いつも通り半分寝ているような状態だが、ここには彼女の要望でやってきた。
本日の目的は、此処でのお昼寝らしい。ちょうど調べ物をしようと思っていたアンナとしては好都合だった。
さっそく机に突っ伏して眠り始めたルナを尻目に、神に関する書物を漁っていく。
先日、ルシェドが口にした二柱。それほど詳しいわけじゃないが、その二つの名前には憶えがあった。
(…………これだ。リズ・ペディア・リリスにアンフェノ・リリス)
『叡の劫火』に『穢火の女禍』とも呼ばれている、最高位の魔神だ。どちらの名前にもリリスという意味が含まれている。
リリスとは一般的には最下級の淫魔の事を指すが、一方で『渇望』や『真理』という意味ももっていた。そしてヴラド・ギーシュの契約者の名前はリリス。もちろん、それは偽名である可能性が高いけれど、悪魔にとって名前とは特別なものだ。まったく関係のない名称を使うとも思えない。
(他にリリスってつく存在は、なかったよね……?)
見落としがあるとすれば、この世界の外の世界の上位存在――いわゆる外神と呼ばれる存在くらいだろうが、さすがにそこまで調べる事は出来ない。
(というか、ただの淫魔の線もまだ拭えてはいないんだよなぁ)
ヴラド・ギーシュの事を色々と調べたが、彼の契約者は本当にリリス以上の事をしていないので、実のところその可能性が一番高かったりもした。ヴラドという存在がイレギュラーすぎる所為で、契約相手も特別に違いないという先入観に囚われているというのは、全然あり得るのだ。
(団長、いい加減だしなぁ……)
特別の権化みたいな彼は、その実というべきかそれ故というべきか、浅はかな部分も多かった。結局力一つで全てを黙らせることが出来るからだ。なので、ただただ自身の願望を語っていただけという線も十分考えられた。
(……まあ、無駄骨でも問題はないしな)
どうせしばらくは体調不良でお休みの身なのである。団長の戯言に乗っかって、ちょっとした薀蓄を語れる程度の知識を得るのも悪くはない。
(それにしても、滅茶苦茶な事書いてあるな)
『叡の劫火』ことリズ・ペディア・リリスは文明の象徴である火から生まれた魔神であり、その能力は知覚した対象全ての知識に干渉出来る事と、文明によって発展した戦争の極致を自身の力として振舞えるという二点であり、その力を持って数千年程度、人間界を管理していた時期もあったらしい。
それが終焉を迎えた理由は、知りたい事が出来たからであり、なにを知りたかったのかは不明だが、適当に跡継ぎを拵えてぱったりと消息を絶ったようだった。
ちなみに、適当に、という記載はなかったが、適当だと思ったのはその後任者がたった数年で殺されて、天使と悪魔による戦乱の時代がまた始まった為である。
(で、こっちは地獄絵図か)
『穢火の女禍』の方は、蒼黒の太陽から零れ落ちた炎から生まれた魔神とされており、リズとは異なりその行いはたったの一言、殺戮、で表せた。
アンフェノ・リリスは、その身一つでこの世界の四割を焼き尽くし、生命を根絶やしにしかけたのである。
最終的には女神ノスティワによって封印されたとされているが、どこに封印されたのかなどは不明。
(ただただ世界への憎しみに溺れた魔神か)
確かに、こんなものが復活でもしていようものなら、誰にとっても迷惑でしかないだろう。
ゆえに、望ましいのは前者だ。叡という名のままに、リズならルナの抱える問題を解消できるかもしれない。まあ、解消などできないからこそ裏目に出るだけだと、ルシェドは言ったのかもしれないが――
「――なに、読んでいるの?」
目を覚ましたルナが、ぴたりとこちらにくっついて、本を覗きこんできた。
「神話の本です。少し、興味があって」
「七柱の神様によって、世界は存続しているという話?」
ルナは記憶障害を抱えているが、その多くは自身に纏わる健忘だ。言語や基本的な用語を忘れるわけじゃない。それ故か、知識に関しては賢人の顔を見せる事も度々あった。もっとも、今回の知識には誤りがあったが。
「柱は六つですよ、ルナ様」
「そうだった?」
「はい。ルーメサイト、アルドグノーゼ、ノスティワ、カラエル、エルラカ、レディソラエールの六つです」
それが、この世界を構築している原初の神たちだ。
のちにその内側に人間界、精霊界、幻獣界、天界、魔界の五つを誕生させた、この世界そのものであるルーメサイト。
それらの世界に秩序と支配という二つの体制を齎した、ノスティワとアルドグノーゼ。
そこに変化と進化を促すべく生まれた、カラエルとエルラカ。
そしてレディソラエールは、それらが永遠にあるように、ルーメサイトの外にある異なる世界の脅威を排除する光として存在している。
余談だが、一年が五百日、一月が百日、一週間が五日、一日が三十時間、一時間が五十分、一分が五十秒なのも彼等が定めたものとされており、なんでもルーメサイトを除く五つの神が世界の進みに均等に関与しているという意味があるらしい。
「……たしかに、そう。あの子も六つだって言ってた。あの子……そっか、貴女じゃないんだ。そっか……」
どうやらアンナの事を、あの子、と勘違いしていたようだ。
少し泣きそうな表情を浮かべてから、ルナはしょんぼりと席に腰かけて、また机の上につっぷして眠りだした。
と、思ったら、ばたっと立ち上がって、ふらふらと図書館の外に向かって歩き出す。
「どうなさったんですか?」
「散歩、しようかなって」
「わかりました。少々お待ちください。本を元に戻してきますから」
言って、さっさと書棚に向かう。
ルナは既に外に向かって歩き出していた。ただ、その足取りはゆったりしているので、置いてけぼりを喰らう心配はなさそうだ。
アンナは小走りで彼女の隣に並び、二人して図書館を後にした。
§
あまり空気が好きじゃないらしい自治区を出て、ルナはふらふらと街を歩く。
その二歩ほど後ろに付き従いながら、アンナはいつも通り、彼女の神経に障らない必要最低限の警戒網を垂れ流していた。
平和主義者などというテロリストの存在と、そいつらが先日また貴族の要人を殺したこともあってか、休日の繁華街だというのに人の数はずいぶんと少なくなっている。
代わりに、建物などに張られている手配書の数は増えていた。デューリ・コンクを筆頭に、顔の割れている連中が勢ぞろいといった感じだ。
ただ、その中にヴラドの顔はない。
彼はあの裏世界に居て、アンナと殺し合いをした。その情報だけで彼を黒にする事も出来たが、ルシェドがそれを拒んだのだ。
どういう意図なのかは訊いていないが、おそらくヴラドの顔をルナが見る機会を減らしたかったとか、そんなところだろう。要は彼女の揺らぎを嫌ったのである。
「……人、少ないね」
やや残念そうに、ルナが呟いた。
正直アンナは賑やかな場所が嫌いなのだが、彼女はお祭りみたいという理由で好きらしい。それを無邪気と受け取るべきか、記憶障害の所為で嫌な経験も忘れているからと見るべきなのかは難しいところだが、いずれにしても異様に目立つ美貌の彼女はどんな場所でも注目の的だ。それはイコール、面倒事が起きやすいという事でもある。
まあ、さすがに、ノイン・ゼタの傭兵衣装を身に纏っているアンナがいる時にちょっかいをかけてくる莫迦がいるとは思えないが……誰もが自殺行為だと思う事をするのが、愚者という名の人種である。
「――」
剣呑な気配がこちらに向けられた事を察知すると同時に、アンナは腰の細剣を抜いていた。
気配は背後、接近は緩慢だ。
振り返るとこちらに向かって一直線に走ってくる男の姿があった。右手にはナイフが握られている。
それだけで殺すには十分だったが、どうも様子がおかしい。
眼に魔力を込めてみると、男の四肢に細い魔力の糸のようなものが貼り付けられているのが解った。つまり、こいつは被害者だ。無理矢理動かされている。
(操ってる奴は、あれか)
屋根の上に潜んで、こちらを窺っている。
自身の気配はそこそこ綺麗に隠せているが、糸をろくに隠せていない時点で、頭隠してなんとやらである。
(魔法は、今撃ちたい気分じゃないんだけどなぁ)
ぼやきつつも魔力で道を作り、そこに雷撃を走らせる。
敵はこちらが道を作るその行程すら認識できなかったようで、なんの抵抗もなく心臓を射抜かれ、黒焦げに炭化して即死した。
(まだ居るな)
そして、これはアンナたちを狙ったものじゃない。無差別テロだ。周囲に広がりだした魔力の色がそれを教えてくれている。
最初にこちらを狙ったのは、傭兵の格好をしているアンナが障害になると思ってか、それともルナに身代金的な価値を見出しての事か……
(どっちにしても、平和主義者ではなさそうかな)
おおかた、その悪名に罪を擦り付けようとしている無知な外国人の第三者といったところだろう。でなければ、さすがにノイン・ゼタに刃など向けはしない。
(そこの魔石店が本命か。不自然な奴)
近場にあったその店にちょうど入って行こうとしていた、やけに大きなバッグをもっている緊張と殺気をない交ぜした女の心臓を停止させておく。
威力を相当に抑え、その分静穏性を高めた雷撃なので、音は殆ど出ない。だから騒ぎを起こそうとしていた奴等は気付くことなく、そのまま計画を続行、中空に巨大な水の球体を顕現させていた。
あれが超高圧の散弾として周囲にばら撒かれたら、それなりの被害が出そうだ。
まあ、別に住民を守る義務なんてないが、守ってはならない義務があるわけでもなし。そもそも、こういう便乗犯という奴等は気に入らない。
(魔力の出どころは……そこか)
多分、実行犯は以上の三名だろう。
あとは、逃げ道を用意している奴が一人か二人いるはずだから、そいつらを見つけ出せば終了だ。
(頭上の魔法を潰せば、尻尾を出すかな)
魔力を波紋のように広げて周囲の人々の位置を把握しつつ、雷撃の道を作る。
(こいつも気付いてない)
こんなに弱い奴等が、ずいぶんと大胆な事をしたものだ。
いっそ感心を覚えつつ、アンナは魔法を放った。
発動前に始末することに成功。
結果、球体が弾けて、ただの雨が降り注ぐ。
と、そこでようやく味方が三人殺された事に気付いたようだ。慌てる気配が一つ、やや離れた位置に浮かび上がる。
「少し席を外します。すぐに戻りますので、ここで待っていてください」
アンナは跳躍一つで屋根の上に飛び乗り、視線を走らせ、一人の男を捉えた。
ちょうど目が合う。
それで誰にやられたのか、愚図なその男にも分かったのだろう、慌てて逃げだした。
即座に雷撃で殺してもいいが、念のために尋問はしておきたいし、こんな雑魚どもにこれ以上魔法を使うのももったいないので、両足に魔力を込めて、屋根から屋根へと飛び移りながら距離を詰めていく。
体感三秒で間合いが埋まった。
そのままの勢いで、男の両足を細剣で切り落とす。
ギャアア! と汚らしい悲鳴。
その悲鳴と同じくらいのタイミングで、アンナが拵えた死体が発見されたのだろう、周囲がにわかに騒がしくなり始めた。
呆れるほどの遅さにうんざりしつつ、逃げた男の髪の毛を掴んで持ち上げる。
「他に仲間はいる? 嘘をついたら殺すけど」
「……い、いる」
「どこ?」
「お前のお友達のすぐ傍さ」
怯えていた声が、急に強気に変わった。
直後、男の身体がぐにゃりと歪んで影の中へと消える。――いや、それ自体が影だったのだ。人間に擬態した影。
この程度の人間には、やや過大な性能だ。影という概念を拡大解釈しすぎている。つまりは契約者である可能性が高い。
(……ザーラッハにも契約者は多いって話は聞いていたけど、やっぱりそれってルウォに与えられた奴が多いってことなのかな)
なんにしても、面倒な話だ。
もう一度ため息をついてから、ルナの元に戻る。
すると、彼女の背後に影となった男とまったく同じ姿の男が佇んでいた。その手には魔法銃が握られている。
運のいい男だ。もし手にしていたのがナイフや剣で彼女に直接触れていたら、もうこの世には居なかっただろうに。
「それ以上近付くんじゃねぇ。一歩でも動いたらこの女をぶっ殺すぞ! 魔力を動かしてもだ!」
いつものようにぼんやりしていたルナが、その大声にぴくっと身体を震わせる。
それから無防備極まりない緩慢な動作で、後ろを振り向いた。
「か、勝手に動いてんじゃねぇ! てめぇ、状況が解ってんのか!?」
彼女が無抵抗なのを、銃のおかげだと思っていたらしい男が焦ったように叫ぶ。
それを完全に無視して、
「それ、なに?」
と、ルナは銃を指差した。
舌打ちが男から零れる。
「世間知らずが! これは魔法銃って言ってな、引き金を引いた瞬間人を殺せる代物なんだよ! わかったら――」
「貴方、もしかして契約者なの?」
男の言葉をまたも無視して、今度は彼の影に眼を向けながらルナは訪ねた。
その中にいたらしい契約者の方は、影を激しく揺らしてなにかしらの行動を取ろうとしていたようだが、成立しなかったのだろう。程無くして静かになった。
同時に、彼女の方もそれに関心を失ったようで、
「……あんまり、可愛くないな」
と、残念そうに呟き、こちらに向き直った。
人質の自由奔放な行動に、男はもう色々と限界そうだ。けれど、衝動的に手を出さないあたり、人質を上手く使わないとアンナからは逃げられない、という認識は出来ているようでもあった。まあ、その人質だという認識自体が、絶望的に間違っているわけだが。
「ねぇ、アンナ、私は一体、なにと契約をするのかな? なにが私を、終わらせてくれるのかな?」
「――」
不意に投げかけられた言葉に、思わず息を止める。
それは彼女から投げかけられた、初めての問いかけだったからだ。アンナも常々気にしていた疑問でもあるが、もちろんその答えを知っているのはルシェドだけである。
だから、なんて答えていいのか判らなくて、言葉に窮してしまった。
そんなアンナを見てか、彼女はお腹に手をあてて、少し照れたように微笑み、
「お腹すいちゃったな。甘いものが食べたい」
「……そうですね。ちょうど私も無駄に運動したところですし、大賛成です」
「だから、人を無視してんじゃ――」。
煩い男の声を遮って、アンナはその心臓に細剣を突き刺した。
当然、即死だ。
一歩でも動いたら殺すなどと戯言を並べていたが、そんな性能で、こちらの動きをなにか一つでも阻めると思っていたんだろうか。
(ほんと、弱い人間って鬱陶しいな)
引き抜いた細剣を振り払い血を落としてから、鞘に納める。ついでに前のめりに倒れてきた死体を蹴飛ばして壁際に掃き、無駄な労力を使わされたストレスを発散しておいた。
「では行きましょうか」
差し出されていた手を掴み、アンナは周囲の騒然を無視して眠り姫を甘味処へと連れて歩き出す。
甘いものは自分も好きなので、いくつかの店はリサーチ済みだ。きっとルナも満足してくれる事だろう。
(……でも、契約相手か)
ヴラドの契約者もそうだが、白紙の神子たる彼女が契約する存在がなんなのかも、そろそろ当たりをつけておいた方が良さそうだった。
来るべきその時に、迷わない為にも。




