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君>世界   作者: 雪ノ雪
第三章『平和な戦争国家』
23/39

07/予期せぬ邂逅

 硬い床の感触と寒さで、シャルロットは眼を覚ました。

 頭上から、白色の光石の淡い光が降りそそがれている。

「……うぅ」

 頭が痛い。身体も相当に固くなっていた。気絶して結構な時間が経過した証だ。その所為か、まだ思考がぼやけている。

 痛みを鎮めるように額を手で抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 目の前には分厚い扉があった。まるで牢獄の扉だ。

(……狭い部屋)

 さっと周囲を見渡したところで、足元の気配に気付く。

 ちょうど真後ろに、自分と同じように倒れている人物がいたのだ。

 それがラミアだったのなら、ある意味判りやすくて良かった。けれど、そこに居たのは、初めて見る人で――息を忘れるほどに、常軌を逸した美貌の女性だった。

 夜のように深い黒髪、それとは対照的なあまりに白い雪の肌、星のような輝きを見せる爪。奇蹟のような色彩だ。長い手足に高い腰の位置も、さながら女性の理想のようだった。

 本当に全てが、あまりにも美しい。

 おかげで、身に着けている衣装に意識が向くまで、かなりの時間がかかった。

(薄着だ)

 ザーラッハの気候には合っていないワンピース。

 余所から来た人なのだろうか。或いはそういう体質なのか、それとも室内で攫われたのか……いずれにしても、乱暴されたような形跡はなかった。自分の方もそうだ。衣服に大きな乱れはない。

 つまり誘拐の目的は身代金とか人質とか、そういう類だということになる。少なくとも、今のところは。

(やっぱり、ラミアさんが……)

 いや、でも、気を失う前の最後の記憶では、彼女もまた怪訝そうな顔をしていた。あれも演技? でも、だとしたら、それをする理由はなんなのだろうか? ……考えても明確な答えは出ない。

 それよりも、ここがどこなのかをまずは把握するべきだろう。そして出来れば自力で脱出するのだ。これ以上、ヴラド達に迷惑をかけるわけにはいかないのだから。

(魔法は……うん、使える)

 ただ、目の前の扉はかなり分厚そうだから、撃ち抜けるかどうかは判らない。

 破壊できなければ、相手に異変を知らせるだけだ。自分一人ならまだしも、ここにはもう一人捕まっている人がいる。決定的な機会が訪れない限りは、安易な行動は避けるべき。

 そう結論付けたところで、扉が開かれた。

 不意打ちだった事もあり、驚きのままに身体が硬直してしまう。

 入って来たのは二人。粗野な印象を覚える筋肉質な男と、おかっぱ頭に右目の眼帯が特徴の細身の男だった。

「お、ちょうどいいな。起きてやがる。来い」

「――っ」

 粗野な男に乱暴に髪を掴まれて引っ張られ、ぶちぶちという音が鳴る。

「おい、商品なんだからあんまり乱暴に扱うなよ」

 面倒臭そうに、もう一人が言った。

「じゃあ、お前が連れてけよ。俺はもう一つの戦利品の素性調べといてやるから」

 舌打ちを一つしてからシャルロットの髪を離し、もう一人の方に突き飛ばして、粗野な男は未だ気絶している女性に眼を向ける。

 彼の言動から、相手が誰も判らずに誘拐したという事がわかった。

 何とも短絡的な話だ。そんな奴は、当然というべきか、同性ですら息を失うほどの美貌を前に、完全にフリーズしてから、ごくり、と唾を乗んだ。

「それも商品だ。誰が連れてきたのか、どの程度の価値があるのかも知らんが、ボスの許可なく勝手な事はするな」

「お前が黙ってりゃあなんの問題もねぇよ。すぐに済ませるしな」

 言って、男は倒れている女性の長い髪を掴み、

「おい、起きろ!」

 と、下卑た笑みを浮かべながら恫喝の声を放って、その髪を乱暴に引き上げた。

 嗜虐に満ちた、醜い顔。

「や、止めなさい!」

「あぁ? 商品風情が、許可なく喋ってんじゃねぇぞ!」

 思わず声をかけた直後、腹部に強い衝撃を覚える共に壁に叩きつけられた。

 蹴り飛ばされたのだ。まったく見えなかった。つまり、それだけの力量差があるという事。

 その事実に絶望感を覚えながら、それでもシャルロットは何とか立ち上がろうとして、だけどいつの間にか背後に立っていたもう一人の男に押さえつけられ、床に頭を叩きつけられた。

「暴れるな。これ以上商品に傷が付けば、ボスの機嫌が悪くなる。――って、ちょっと待て。お前その手どうした?」

「はぁ?」

 言われている事の意味が解らず、苛立ち交じりに自分の手を見た粗野な男は、そこで初めて女性の髪を掴んでいた自分の指が親指を除いて全て無くなっていた事に気付いた。

 床に転がっている。断面からは一滴の血も流れていない。代わりにどこまでも黒いなにかに染められていて、それの影響か痛みも感じていないようだった。

「て、てめぇ! なにしやがった!」

 未だに目を覚まさない女性から咄嗟に距離を取りながら、粗野な男が恐怖の混じった怒声を放つ。

「……ん、んん」

 小さな呻き声が、女性から零れた。

 漆黒よりもなお深い蒼色の瞳をゆっくりと露わにしつつ、彼女は上体を起こし、ぼんやりとした表情でこちらを見て、

「……アンナ?」

 と、誰かの名前を呼んだ。

 それから首を傾げ、少しだけ眉間に皺を寄せ、

「……もしかして、違う? ……貴女、誰?」

「え、ええと、私は――っ!?」

 あからさまな隙を見逃す事無く、指を失った粗野な男が女性を押し倒した。

「驚いたぜ、このオレ様が、何喰らったかまったくわからなかった」

「……」

「動けねぇだろう? てめぇの影は俺が踏んだからな。へへ、飽きるまで嬲ってやるからよ、しっかり泣き叫べ、声だけは許可してやるからよ!」

 男の手が女性の胸に伸ばされ、片足が股の方に差し込まれた。

 乱暴にされたワンピースが皺を作る。

「……違う。貴方じゃない」

 ぽつりと、だがはっきりとしたトーンで、女性はそう呟いた。

 嫌悪も恐怖もない、ただ残念そうな独白。

 それに不審を覚える猶予など、男にはなかっただろう。彼女の影が、瞬きの間すらなく男を呑み込んだから。

「あの子は、やっぱり近くにいない」

 ゆらりと立ち上がって、彼女は再びこちらに視線を向けて言う。

「ここは、どこ? 貴女は誰?」

「そういうお前は誰だ? あいつを殺ったってのか?」

 シャルロットの拘束を解いて、いつでも逃げられる姿勢を保ちながら、おかっぱの男が訪ねた。

「私? 私は……………そう、私は、ルナ。ルナ・オルトロージュ。……ノイン・ゼタ? の、白紙の神子……だった気がする。たぶん」

 自信なさげなトーンで、彼女はそう答えた。

 その答えに、シャルロットも目を見開く。まさか、こんな場所で出会う事になるとは想像もしていなかったからだ。

「ノイン・ゼタの神子だと? はっ! それはずいぶんと質の悪い冗談だな!」

 おかっぱ男が大きくバックステップをした。

 その先にあるのは扉同様に分厚い壁だが、それが障害になることなく男の身体は壁の奥へと消える。透過の魔法だ。実に迅速な逃走だった。

 そうやってすぐに消えた気配に気を取られている隙に、おもむろにルナが抱きついてきた。突然の事に、またも身体が硬直してしまう。

 そんなシャルロットを真っ直ぐに見つめてくる瞳は、まるで底無しの宇宙のようだった。

「やっぱり、貴女はアンナじゃない。……でも、なんだか、懐かしい感じがする。……もしかして、貴女が、あの子なのかな?」

 くんくん、と鼻を動かして、ルナは柔らかな微笑を浮かべる。

「い、いえ、私はシャルロットです」

 訂正すると、彼女はしゅんと表情を曇らせてから、

「……そう。じゃあ、貴女は、私の知り合い?」

「いえ、お会いするのは今日が初めてです」

「つまり、ノイン・ゼタ? じゃないのね。…………ノイン・ゼタって、なに?」

 そこで、ルナは天井に視線を向け、なにかを受信するみたいに十秒ほどフリーズして、

「……帰らないと。あの子が心配しちゃう」

 と言って、ふらふらと歩き出した。

 足元がおぼついていない。今にも転びそうだ、と思った矢先に躓く。

 想定していたシャルロットは、その前に彼女の身体を支える事に成功した。

「ありがとう。……ええと、貴女も帰るの?」

「え、ええ、私もここが家ではありませんから」

「そっか。じゃあ、途中まで一緒。……えへへ」

 子供のように無邪気な笑顔を見せたルナに曖昧な微笑を返しつつ、シャルロットは彼女と共に部屋を出る。

 そして、改めて自分たちがどこに居るのかが分からなくなった。

 部屋の外に広がっていたのは、深海の世界だったのだ。

 床も天井も透明度の高い素材で出来ていて、一定の間隔で配置されている部屋の中だけが簡素な灰色の匣となっている。

 上空から差し込む微かな太陽の光を遮って、巨大な魚が天井の上を泳いで行った。

(……ここは、本当にどこなの?)

 その疑問に、答えてくれる者はいなかった。


                §


 取引の場所は、ヴラド達が訪れる前にテロの被害にあって開発が一時的に中止された大型商業施設の中だった。

 立ち入り禁止の札が立てられ、さらに人避けの結界も張られているそこは、一般人からは完全に隔離されている一方で、彼等のような犯罪者の取引場所としては重宝されているらしい。

 その分、騎士団を筆頭とした秩序機関にも目をつけられており、話が通っていない連中は必ず逮捕されているだとか。

 もっとも、今日に関しては話が通っていようがいまいが、秩序機関の介入はないだろうとデューリは語っていた。理由はもちろん、今夜平和主義者を狩るという目的があるためだ。

(……来たわね)

 じきに夕刻の茜も失せ、完全な夜が訪れるという頃合いに、相手はやってきた。約束の時間の二分前だ。

 取引現場にはデューリ一人が赴き、ヴラドはその近場で潜伏という流れになっていたので、当然リリスも実体化はしていない。

「お早い到着だな」

 現場にやってきた気配の一つが、どこか小馬鹿にするような声を放った。多分そいつがペドリツァーノなのだろう。

 その周りには三人、そこそこ鋭い空気を纏った奴がいる。

「くだらない口実は与えたくないからね。ほら、さっさと確認しなよ」

 ホテルにあったケースを放り投げたのだろう音が響いた。ちょうど、両者の間くらいの距離にそれは落ちたようだ。

「……軽い音だな。明らかに足りていないようだが?」

「もう半分は此処にある。もちろん確認はさせてやるけど、すべては商品が場に出てからだ。――あぁ、妙な動きはするなよ。こっちが一人なのは、そのほうが簡単に皆殺しにできるからなんだからね」

「物騒だなぁ。そうピリピリするなよ。契約は守る。そうじゃないと、今後のビジネスにも響くしな。少し待っていてくれ」

 そう言った途端、ペドリツァーノの気配が消えた。隠密の類じゃない。完全に無くなったのだ。

 どうやら、裏世界とやらに移動したらしい。

 それに合わせて、こちらも距離を詰めていく。

 相手が馬鹿正直に要求に応えるなどとは考えていないので、戻って来た瞬間に仕掛ける予定だった。

「ところでさ、他にもなにか面白いのは仕入れていないのかい?」

 少しでも注意の引こうと、デューリが三人の護衛に話しかける。

「こっちも色々と面倒な仕事しててさ、ストレス溜まってんだよね。発散したいんだよ。貴族の類も攫ってるでしょう? そうだな、綺麗な女がいい。柔らかい肉の方が斬り裂いた時の感触が気持ちいいんだ。それが偉そうな貴族となれば尚更にさ。……ねぇ、そういう売り物はないのかい?」

「そういえば、一人いた気もするな」

 こういった客を相手にする事も多いのだろう。デューリが示した歪さに忌避の類を見せることもなく、むしろもう一稼ぎ出来るかもという期待にやや声を弾ませながら、人身売買組織の一人は言った。

「ただ、予約済みだ。まあ、全ては金次第、ボスの気分次第ではあるが――」

 そこで、再び裏世界が開かれた。

 会話の効果がどの程度あったかは知らないが、敵の意識は外にまで向けられていない。予定を通すには十分だ。

「――っ、てめぇ!?」

 戻ってきた直後に味方が斬り殺される現場を目の当たりにしたペドリツァーノの意識が、変身を解いたデューリに流れ、さらなる驚きに襲われる。

 その隙間を駆けて、ヴラドは間合いに入った。

 背後からの奇襲、開かれた裏世界の扉を死角にした接近だ。

 一息に首を撥ねる事も出来たが、右足を切り裂くだけに留める。この魔法には価値がある事と、殺してしまった場合、裏世界がどうなるか不透明だというのが理由である。

 片足を潰されたペドリツァーノは、それでもなんとか自身の世界へと逃げ込むことに成功するが、ヴラドとデューリの二人が侵入する前に世界を塞ぐ事までは出来なかった。

 近くに人質の姿はない。やはり、素直に渡すつもりはなかったようだ。

「そこで死んでろ糞がっ!」

 即座にまた外に繋いで、ペドリツァーノは自分だけ裏世界から抜け出していく。

 内側のほうが魔法の展開速度も増すという事なのだろう、この速さは少し想定外だった。

「逃げられたか。……しかし、醜悪な面の割には、趣のある場所だな」

 周囲を見渡しながら、デューリが呟く。

 重たい深海の蒼色に満たされた世界。部屋が息でもしているのか、白い小さな気泡の群れが、あるかどうかわからない地上に向かって浮上していっている。

 その泡を潰す鳴き声が、この海の中の箱庭を少しだけ揺らした。

(無駄な事にずいぶんリソースを割いているわね、この世界)呆れるようにリリスが吐息を零す。(色々と変更できたら快適になりそうだけど……)

(そんな事より、出られるかどうかだ)

 ペドリツァーノの発言からして、こちらを衰弱死させる狙いもありそうだし、この世界の強度には自信があるのだろう。

(そちらは問題ないわ、想定通りの世界よ。二等級に使えるのもある)

(ならいい。見つけ次第出るぞ)

(ずいぶんと性急ね。そんなにこの世界が気に入らないの? それとも中に何か不味いのでもいるのか。わたしは感じ取れないけれど)

(だろうな)

 ヴラドも何も感じ取れない。

 敵の気配も、この世界の規模も、なにもかも全てが黒く塗りつぶされているような感覚。これが裏世界の機能ならいいが、直感がそうではない事を告げていた。

 異様な状況だ。それをリリスも感じ取れていないというのが、さらに事態の不味さを物語っているようでもあった。

「それにしても、なかなかに広そうだ。ここは二手に分かれた方がいい。ラミアの顔は把握しているかね?」

「学校で攫われてまだ無事なら制服を着ているでしょう? 顔なんて知っている必要ないわ」 

「確かにそうだな。シャゼフ・ランキリトンと手を組んだと言えば、彼女の協力も得られるだろう」

 そう言って、デューリは駆けだして行く。

(どうやら、それが平和主義者のスポンサーのようね。或いは、お目付け役の上司か。いずれにしても面倒は避けられそう)

(……ならいいがな)

 デューリとは反対の方に舵をきる。

 自分の足音と呼吸音以外、何も聞こえない。感知能力も相変わらず莫迦になったままだ。

 にも拘らず、死の気配が広がってきているのだけは判る。ユーリッヒとかいう神子を相手にした時ですら、こんな感覚はなかった。

 さっきから、脳裏に一人の男の姿がちらついている。この感じに近いものを以前にも感じた事があったからだろう。

 ヴラドに召喚の儀式を教え、ルナを生贄にすると宣言した男。

 まさか、あの神子が此処に居るのか? それとも――

「――すけて!」

 それ以上の思考を遮るように、鼓膜に音が届いた。

 防音性が極めて高いこの場所でなお届くわけだから、かなり近い。

「左かしら? 右な気もするわね」

 進行先の十字路に視線を向けながら、投げやりにリリスが言った。

 まあ、そのどちらかであるのならどちらでもいい。

 駆けだして、状況を視界に捉える。

 正解は左手。

 トルウォルタの制服を着た一人の女が床に仰向けに押し倒され、首筋にナイフを突きつけられていた。その周りには二つの死体が転がっている。死後、五分程度だろうか。

「手間かけさせやがって! クソ女が!」

 怒りに夢中で、押さえつけている男はこちらに気付いていない。だが、その隣にいたもう一人は、不備なくこちらを認識したようで、

「なんだ、てめぇは?」

 と、ナイフを構えて身構えた。

 どうでもいい。それよりも、二つの死体の方が気になる。

 今こちらに向けられているナイフに染みている血と、死体から流れている血の匂いが同じなのは、一体どういう事なのか。

「我々はシャゼフ・ランキリトンと手を組んだ。まあ、お前があの小娘に妙な真似をしていなかった場合に限るけれどね。サキュバ憑き」

 と、リリスが言った。

「……そう、彼はそちらを選んだのですね。――じゃあ、もういいですわ。離して」

 抑えつけていた男が、従順に女から離れる。

 女――ラミアはゆっくりと立ち上がり、制服についた埃を払いながら言った。

「知るべき事はもうなさそうですし、戯れも終わり。自害なさい。私の為に」

「……あ、あぁ、もちろんだ!」

 恍惚とした表情で、瞬く間に勃起した二人の男は自身の首筋にナイフを押し当てて、勢いよく腕を引いた。

 鮮血が舞う。

 死まで誘発できる魅惑となれば、たしかにサキュバ系譜で間違いなさそうだ。

 ちらりと視線を向けると、リリスは非常に不愉快そうな表情を浮かべていた。今の自分よりも明確に強制力が上の相手が気に入らないのか、或いは自分の正体に疑問を持たれる危険性を感じているのか、なんにしても邪魔だと思っているのは確かだろう。

 とはいえ、今この場で殺すという選択はない。

「シャルロットはどこにいる?」

 と、ヴラドは端的に訪ねた。

「さあ? 私も攫われた身ですので。気付いた時には近くに居ませんでした。だからこうやって派手な動きをみせて此処に居る方達を招いて情報を引き出していたわけですけど、どうやら私と同じく、自力で逃げ出す事は出来たみたいですわね。私が知っている情報は以上ですわ」

 ……今死体になった連中の状態を見るに、魅惑に毒されてから殆ど時間は経っていない。そしてこの手の魔法は使用者と離れたらたちまちに効果を失うので、シャルロットになにかしらの細工をするというのも難しいだろう。以上の点から嘘をついている可能性は低い。

「敵の数は?」

「今日は十人ほどがこの世界に滞在していると仰っていましたわ。ここに四つの死体があるので、残り六人ですわね。ついでに捕まっている方は私を含めて七人だそうです」

「そいつらも殺すのか?」

「貴族であるのなら誰でも殺すというわけではありませんわ。ルウォとの関係を望んでいる方もいらっしゃいますしね。ところで、ペドリツァーノはどうなったのかしら? 貴方とデューリの二人で仕留め損なうほどの相手とは思えませんでしたが」

「あの逃げ足だけは速そうな男なら外に出たわ」と、リリスが答えた。「そしてわたしたちの目的は小娘の確保。人攫いの始末じゃない。あの男の方は知らないけれどね」

「そう、外に……まあ、それなら問題はなさそうですわね」

「どうしてそう言えるのかしら?」

「外には私の味方がいるはずですもの。あの男はきっと、すぐにまたこの世界に逃げ込んできますわ」

 確信を持った口調で、ラミアは言った。

「すぐであればいいけどね」

 リリスは思いのほか手間取ると考えたようだ。

 まあ、どちらにしても、今ヴラドたちが取るべき行動は決まっている。

「ついて来い」

 言って、ヴラドはシャルロットを探すために神経を尖らせながら移動を再開した。


                §


 それから三分くらい彷徨っただろうか、突然ぼやけていたこの世界の輪郭が明瞭になった。どの程度の規模なのか、どこに誰がいるのかがはっきりと解るようになったのだ。

 と同時に、外の気配も伝わってきた。

 一つの場所から、複数人がこの世界に入ってきている。誰かが世界を繋げたのだ。もちろん、それを最も簡単に行えるのが誰なのかは明白である。

「……ペドリツァーノも、小賢しい真似をしてくれるものですわね」

 そのペドリツァーノは、またもすぐに気配を消した。再び外に出たようだ。

「なかなか豪勢なもてなしね。お前のお友達はいるかしら?」

 送りこまれた戦力がどういう類なのか、リリスは即座に理解したようだった。

 そしてその皮肉で、ラミアも察したのだろう。魔力探知に一層力を注いで、舌打ちを一つ。

「どうやら秩序機関と取引をしたみたいですわね。ここにデューリ・コンクがいるという言葉だけで、ここまでの手を借りることが出来るとも思えませんけれど、他にも交渉材料があったのか、なんにしても手練れが多い。一緒に行動するよりも、私は大人しく人質に戻った方が良さそうだと思うのですが、どうかしら?」

「そうね、まだその認識が通用すると思っているのなら、それでいいんじゃない?」

 リリスは小馬鹿にするようにそう返して、さっそく別行動を始めた彼女の後姿を少しだけ見送ってから、

(嫌な不透明さね。最悪、我々が平和主義者と繋がっているという情報が漏らされている可能性も高い。その方がデューリ・コンクにとっては都合がいいでしょうし)

 その為に、わざわざ人攫いのトップに自分の正体を見せたのではないかと、リリスは勘ぐっているらしい。

 おそらくは正解だ。相手の虚をつくためだけに行うには、自分の魔法をバラすという行為はリスクが高すぎる。

 或いは、平和主義者と人攫い共がそもそも繋がっているという可能性もあるだろう。全ては仕組まれた事で、この国においてのヴラドたちの立ち位置を決定的にするために手を組んでいるという線。……まあ、さすがにこれは考え過ぎな気もするが、いずれにしても面倒な状況に変わりはない。

 シャルロットの気配が此処にはなかった事も気がかりだった。いや、残滓はあるのだ。だから此処に居たのは間違いない。ただ、今はいない。周囲が明瞭になる前後に、彼女は外に出た。

 独力で? それは考えにくい。

 だとしたら、彼女と一緒に居るのは誰なのか……

(外に出る前に、この不透明は洗う必要があるわ。どういう認識で奴等が此処に入って来たのかを探らなければならない。……そうね、網を張って人攫いのトップを先に捕まえるのが一番手っ取り早いかしら。二等級を二つ切れば、それで安全な拠点を一つ確保できるし……そうね、それで行きましょう。いいわよね?)

(あぁ、問題ない)

 提案に頷き、ヴラドはこの世界の中心に向かって歩き出す。

(それにしても、あの小娘はこの世界のどこに隠されているのかしら? 人攫い共も面白い魔法を持っているようでなによりね)

 口元に手を当てて、リリスが不愉快そうに呟いた。

 その認識のズレについて、ヴラドは指摘しなかった。


                §


 時間は少しだけ遡る。

 ゆらゆらと幽鬼のように歩いていたルナの足が、T字路の前で止まった。

 彼女は、ぼんやりと魚が泳ぐ天井を見上げて、

「ここ、かな?」

 と呟くと共に、目の前の透明な壁に手を伸ばす。

 瞬間、壁が暗闇に溶けて、そこから茜色の光が差し込んできた。

 外の世界だ。新鮮な空気と喧噪の音が入ってくる。

「……眠い」

 そこに紛れるように小さく呟き、ルナは突然脱力した。

 シャルロットは咄嗟にその身体を支えて、ゆっくりと彼女の両膝を床に降ろす。

「あ、あの、ルナさん……?」

 躊躇いがちに声をかけるが、彼女は微動だにしない。

 何度か揺らすが起きる気配はなかった。

 なかなかに困った状況だが、とりあえずは外に出ようと、彼女を慎重に抱き上げる。……軽い。自分よりも背が高いこの女性の体重は、明らかにかつての自分よりも軽かった。だけど、けしてガリガリというわけじゃない。まるで、肉体を構築しているものが根本的に違うような感じだ。

「――見つけたぞ!」

 外に向かって一歩踏み出そうとしたところで、左手から声が響く。

 反射的にシャルロットはそちらに視線を向けて――直後、後頭部に衝撃が走った。

 視界に星が飛ぶ。ナイフの柄で殴られたと気付いたのは、自分の身体が床に倒れたところでだった。

「ったく、商品が勝手に逃げてんじゃねぇぞ」

 背後から襲ってきたもう一人が、シャルロットの腹を感情任せに三回ほど蹴る。

 おかげで胃液を吐く事にはなったが、内臓はやられていない。

「もう一人はどこだ?」

 と、声をかけてきた男が言った。

「そっちはもう捕えてる。すぐに戻してねぇから、遊んでんじゃねぇか。そっちは特に買い手も決まってなかったようだしな」

 どうやらこの男は、この気配が不透明な世界においても人の位置がわかるようだ。こちらが気絶している間に、マーカーのようなものをつけていたのかもしれない。

 なんにしても、最初の一撃で脳がかなり揺れてしまった。すぐに立ち上がるのは難しい。

 でも、魔法は使える。

 幸い、彼等は既に無力化したつもりでいるみたいで、こちらにはもう注意を払っていなかった。

 その好機を見逃す理由はないと、頭から流れる血に宿る魔力を静かに昂ぶらせつつ、照準を定め、

「ん? てめぇ――」

 対処の暇を与えず、流れた血液を触媒に、閃光を同時に二つ放つ。

 狙いは心臓。

 寸分の狂いなく命中し、二人の男が倒れる。

 ……人を殺した。これで何度目だろう。少しだけ心拍数が乱れるのを感じる。けれど、それだけだ。

 呼吸を整えて、眩暈が治るのを待ってから、立ち上がる。

 それからルナの元に向かい、再び彼女を抱き上げ、外に向かって足を踏み出す。

 が、二歩目を踏み出す事は出来なかった。

 目の前に、切っ先があったからである。

「……あぁ、ごめんなさい、どうやら貴女は敵ではないみたいですね」

 外の世界から入ってきて細剣をこちらに突きつけたのは、薄紫色の三つ編みおさげの小柄な少女だった。

 十四、五歳くらいだろうか。複数の刻印が刻まれた厚手の衣装を身に纏っている。相当な高級品だ。それだけでどのクラスに居る傭兵(或いは冒険者)なのかが窺えた。

「私はアンナ・リベルリオン。ノイン・ゼタの傭兵です。ここには秩序維持機構――要は騎士団の上役ですね――の依頼でやってきました。外に出ればもう安全です。お手数ですが、そのままその方を連れて保護を受けてください」

 淡々とした口調で言って、アンナは奥へと進んでいく。

 それを見送ってから、シャルロットはルナを連れて外に出た。

 沈みきる前の夕焼けが眩しい。それに目を細めていると、左手から声がした。

「彼女に触れても生きている、か。どうやら君は心を許されたらしいね」

「――」

 その音に触れた瞬間、凄まじい寒気に総毛立った。

 何故、こんな異常な気配にすぐ気付けなかったのか。

 恐怖に引っ張られるように視線を向けると、そこには一人の男性が佇んでいた。

 真っ白な礼装に、真っ白な肌、真っ白な髪と、どこまでも白を強調した人物だ。故に、たった一つだけ異なる虹色の瞳が尋常ではない異彩を放っている。

「娘が世話になったようだね。ありがとう」

 酷く心地のよい低音が、鼓膜をたたく。

 だが、身体はますます強張って冷たくなっていくのがわかった。それだけの存在感、威圧感、そして悍ましさが、目の前の男からは溢れだしていたのだ。

 それが、ルシェド・オルトロージュという名の神子との出合いだった。




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