06/ヴラド・ギーシュの怒り
学院に襲撃が入り、シャルロットとラミアという二人の生徒が消えた。
どうやら誘拐されたらしい。犯人はおそらく平和主義者。
ククルという少年を叩きのめすという仕事の報酬として、シャルロットに対するより徹底した護衛を要求していたヴラドにとって、それは到底許しがたい事実だった。
その怒りのままに、目の前で頭を下げるテスラを殺してやっても良かったが、彼を殺したところで事態が好転するわけでもない。それに、事の経緯を聞く限り、どうにも最初からそれ目当てで襲撃が行われた感じもしていた。
「つまり、ラミアとかいう女が平和主義者と繋がっていたという事でいいのかしら? ……なに? 驚くことでもないでしょう。そいつと二人きりになった状況で居なくなったのなら、疑うのは当然」
隣で話を聞いていたリリスが、ため息交じりに言った。
「確かにそうですが、この街にはもう一つ大きな問題が蔓延っています。我々はそちらが元凶ではないかと踏んでいます」
淡々とした口調で、テスラと一緒にやってきたマルテシアが言う。
「もう一つの問題?」
「人身売買組織です」
「そういえば、そんな話もあったわね。すっかり忘れていたわ。そんな有象無象の小者に出し抜かれるほど、国の最高機関が無能揃いとは思ってもいなかったしね。ほんと、度し難いほど――」
「――仕掛けるのは明日の夕夜だったな?」
リリスの侮蔑を中断させる鋭い声で、ヴラドは言った。
「当然、もう白紙だが。なにか進展があれば連絡しろ。それと、最悪の事態になった場合、お前は死ね。縁者諸共な」
「そのような事をさせるとでも?」
余りの物言いに、微かに目を細めてマルテシアが噛み付いてくる。
瞬間、彼女の両眼の窪みを、ヴラドは人差し指と中指の爪先で触った。眼鏡の下の隙間から入り込んだ形だ。もちろん、止めなければその両眼は造作もなく潰せていただろう。
「本当に二十秒ももつか、今試してみるか?」
「……」
マルテシアの表情に変化はない。恐怖の一欠けらも見せないのはやや異様だったが、かと言って切り抜けられる何かがあるようにも見えなかった。単純に、そういう性質ということなのだろう。
「それが嫌なら挽回してみせることね。ほら、もう用はないでしょう? さっさと足掻きを見せなさい」
そんなマルテシアの脛を蹴飛ばしながら、リリスは苛立ちを露わに吐き捨てた。
テスラがもう一度深々と頭を下げて、二人の教官が立ち去って行く。
そうして屋敷内がまた二人だけになったところで、
「想定が甘かったわね、持たせるだけじゃなく、体内に番石を埋めておくべきだった。これは、我々の落ち度でもある」
と、リリスは極めて静かな表情で呟いた。
反面、ヴラドの方も表面上は静かではあったが、その内心は眩暈がするほどの憎悪に溢れており、
「……分かっている。手段は問わない」
宝石の入った袋をリリスに預けて、シャルロットを探すべく屋敷をあとにした。
§
翌日も昼を過ぎて、そろそろ夕刻が差し迫ろうとしていた。
ちょうど丸一日が経過したというのに進展はなし。そして、連絡の類が寄越される事もなかった。
その事実を前に、リリスがため息をつく。
「これは、もしかしたら本当に人身売買の線もあるかもしれないわね。平和主義者のついでに色々と調べてみたけれど、どうやら本気で平和主義者よりも足跡を消すのは上手いみたい。多分、裏世界を持っているわ」
「裏世界?」
「固有の魔法よ。自分を中心とした一定の範囲をこの世界の裏側に構えるの。単純な空間の隙間というわけでもないから、そこに入られたら大半の者が感知できなくなる。極めて珍しい魔法だけど、他の方法よりは現状一番可能性が高い」
「手持ちの核でなんとなりそうか?」
「無理ね。そういう方向性のものはあまり集めてこなかったし」
「打つ手なしか?」
「莫迦ね、誰に言っているの? 敵が人身売買組織である可能性を視野に入れるなら、宛てはまだ一つ残っている」
「……買い手か?」
「ええ。お前にはまだ言っていなかったけれど、あの小娘の叔母がこの街には来ているの。エンシェに寝返った女がね。そしてエンシェの動向についてはある程度掴めているわ」
と、そこで呼び鈴が響いた。
「戦い以外はやっぱり優秀ね、あの冒険者」
どうやらプレタにも依頼を出していたようだ。
屋敷の外に出ると、その彼女が額に汗を滲ませながら、
「辛気臭い貌してるわね。まあ、呑気な面してたらぶん殴ってたとこだけど」
と、言葉を並べてから深呼吸を一つして、
「ついて来な」
鋭い声以上に鋭い踏み込みと共に、駆けだした。
「あの女は見つけたの?」
実体化を解いて翼を広げプレタに並んだリリスが訪ねる。
「いや、シャルロットに似てるっていう奴は見てないわ。というか、この街には今居ないんだと思う。その代わりに、エンシェの連中が相当数入ってきたって感じね。で、人を買うって話をしてる奴を、うちの子の耳が拾ってくれた。取引の内容も、ある程度は判ったわ」
「上出来ね。報酬を上乗せしてあげるわ。――あぁ、でも、戦闘には参加しなくていい」
「む、それ、あたしが弱いからって言いたいわけ?」
「今回はそうじゃない。……わかるでしょう?」
ちらりとリリスの視線がこちらに流れる。
「……まあ、なんとなくね」
殺気立って仕方がないヴラドを前に、生贄の数は多い方がいいという事が解ったようだ。
「見物してもいいけど、どうする?」
「いいわ、遠慮しとく。まだ確定というわけでもないしね。他の可能性も潰しておくわ」
何時依頼されたのかは判らないが、かなりの時間、捜索に付き合ってくれていたんだろう。
だからこそ、
「助かる」
と、ヴラドは感謝の言葉を口にした。
あまりそういう機会がない事もあってか、プレタが少し驚いたような反応を見せる。
が、すぐに苦笑を浮かべて、
「礼なんて要らないわよ。あの子は、あたしの友達でもあるんだから。次がないようにしてくれたら、それでいい」
「……あぁ、わかった」
そうしてプレタは契約者であるシルフィの力をもちいて、人を買うという話をしたエンシェの人間の居場所をこちらに示し、違う進路へと舵を切る。
それを少しだけ見送ってから、ヴラドは外に出来るだけ漏れないように抑えていた殺意を更に抑えるように努め……対象が射程内に入った瞬間、一気に解き放った。
§
繁華街のホテルに居を構えていた三人のエンシェの工作員は今、非常にイラついていた。
理由は、容易に想像できたであろう人身売買組織の増長。こちらの足元を見て、当初の値段から吊り上げてきた事によるものだった。
おかげで交渉は難航し、未だ不死の娘を確保できていない事態に陥っているわけだが……
「……だから、あんな女の提案などに従うべきではなかったんだ」
と、重苦しい空気をさらに悪化させるように、彫の深い顔立ちをした浅黒い肌の青年が吐き捨てた。
「だが、誘拐自体は上手く行った。我々が行って犠牲無しにこの戦果をあげられたか?」
糸目の男が言葉を返す。
「肩を持つのか? あんな余所者の」
「ただの事実だ。いい加減、負け犬のような醜態を晒すのは止めろ」
「なんだと!」
「そういや、喧嘩を吹っ掛けて負けたんだっけ? お前。で、連中との交渉で最初にやらかしたのもお前だったよな?」
外に撥ねた癖っ毛が特徴の、この中では一番背の低い男が、小馬鹿にしたように言った。
「俺のやり方に問題があったとでもいいたいのか? 自分たちならもっと上手くやれた、こんな事態にはなっていなかったって? 大体、金を渋ったのはお前らだろうが。あの女は、いくらでも構わないって言ってたはずだ。その点は俺もそうだった。終わったあとで殺して奪い返せばいいだけだからな。けど、お前らが調子に乗らせないほうがいいって方針を変えたんだ。あの女がいないのをいいことにな」
「記憶の改竄は止めろ。お前も最終的にはこっち側だっただろうが!」
糸目の男の怒声に続いて、乱暴にドアが開く音が届く。
三人がそちらに視線を向けると、そこにはスキンヘッドの男がいた。
「煩いぞ。隣の部屋まで聞こえている」
厳かな声に、三人が微かに委縮する。
だが、すぐに反発の色を取り戻して、なにかを言わんと口を開こうとするが、それより先にスキンヘッドの男は言った。
「心配せずとも、次の交渉で終わらせる。あの女が帰って来る前に為し得なければ、本国での評価にも響くことになるわけだしな。足元を見られるくらいは受け入れろ」
「しかし、ターク隊長――」
「今は副隊長だ。皮肉のつもりならそれでもいいが」
「そ、そんなわけないだろう。誰も、あの女の決定に納得なんてしてないんだからよ。なぁ?」
青年の発言に、異を捉える者はいなかった。
それが、この部隊においてのレナリアという余所者の評価だ。実力があるのは認めているが、他人を見下す傲慢さに、彼女の下に配属された者たちは既にウンザリしていた。
「ところで、その女が任命した隊長様はまだ帰ってきていないのか? てめぇから買い出しに行くとか言って、さぼってんのか?」
癖っ毛の男がぼやく。
それに小さくため息をついて、タークは冷たい調子で言った。
「居ても居なくても変わらないだろう。どうせ、交渉では役に立たない」
「まあ、それはそうだけど――」
「――っ、構えろ!」
急速に迫った気配を、タークは致命傷になる手前で感知し叫んだ。
直後、ホテルの壁がぶち破られて、既に刀を振り上げていたヴラドが姿をみせる。
そんな中で、壁際に居た彫の深い顔立ちをした青年の反応は、けして悪くなかった。なにせ剣を抜いて、刀を受け止める努力が出来ていたのだから。
ただ、あまりにも出力に差があった。
ヴラドの刀は守りに差し込まれた剣をなんの抵抗もなく断ち切り、そのまま青年の身体を両断する。
それでも即死ではなかった彼は、最後の抵抗に魔法を放とうとしたが、やはり一手足りず心臓を抉り取られて絶命した。
「ヴラド・ギーシュ……!?」
驚愕を浮かべながらも、糸目の男が不可視の刃をヴラドの周りに展開し、それを一斉に放つ。
が、最初に死んだ青年の血液を凝縮させた巨大なハンマーがそれらを一網打尽にし、そのまま糸目の身体を叩き潰した。
そうして飛び散った血が、今度は鞭剣となって残った二人に襲い掛かる。
(魔力が膨れ上がった。殺した相手の魔力を手中に収めているのか……!?)
自身の得物であり、剣と違って抜く手間のない手甲でそれを防ぎながら、タークは自身の死の可能性が限りなく百に近い事実を受け入れた。
資料で得た情報以上の脅威度だ。ただでさえ差があった出力にここまで開きが出ると、もはやどうしようもない。
「化物がっ!」
癖毛の男が叫びと共に、音の魔法を叩きつける。
それは、鼓膜の一つくらいは潰せるかもしれないという期待感をもつには十分なほどの、彼の最大火力だった。
しかし、届かない。死体から溢れ出た血液によって構築された薄膜が、全てをシャットアウトする。
「煩い、黙れ」
悍ましいほどの魔力が込められた声に触発されるように、膜は巨大な杭へと変化して癖毛の男の左肩に突き刺さった。
深手だが、致命傷ではない。心臓を貫くはずだった一撃を、彼は信じられないほどの反応の良さでその程度に押し留めたのである。
けれど、それにタークが称賛を抱く暇はなかった。
杭はけしてそこで沈黙することなく、そのまま癖毛の男の体内に侵入し無数に枝分かれして、一斉に体外へと飛び出したのだ。
結果、蜂の巣のように癖毛の上半身は穴だらけとなった。もちろん即死である。
そうして戦闘が開始されて一秒の半分未満(タークの体感で五秒程度)の間に、自分以外の全員が死んだ。
この異変に気付いて隊長は来るだろうが、果たして上手く仕掛けるタイミングを見出す事が出来るのか。もし奇襲を仕掛ける事が出来れば、まだ勝機の芽はあるはずだが……。
「皆殺しはダメよ。一匹は残さないと」
「もう一人来る。問題ない」
突然現れたリリスの言葉にヴラドが淡々と返し、血液の刃を一斉にこちらに向けてくる。
伏兵となりうる存在にも既に気付かれていた事実に、タークは歯噛みをし、
「残念だけど、問題にはなるんだよな」
その隊長が、ふらりと姿をみせた。
まだ二十にもなっていない若い男だ。いつもへらへらと嗤っていて、それでいてすぐにキレる。情緒不安定な男。ただ、実力だけは確かだった。
不意打ちが出来なかったのは痛いが、こちらが手傷を負う前に合流できたのなら、まだ――
「だって、もう彼しかいないからねぇ」
当たり前のようにヴラドの前に立った隊長は、当たり前のように、振り向きざまにタークの首を刎ねた。
§
スキンヘッドの男の首が、緩やかに宙を舞った。
完璧な不意打ちだったことを物語るように、その男の表情には驚きすら刻まれていなかった。
首が地面に転がり、血が噴きだす。
遅れて身体が倒れて、新たな乱入者を赤く染めた。
「……そう、変身の魔法か。骨格や魔力の色まで変えられるとなると、人間の域ではないわね。契約対象はアヴュトゼか、カンターノットか」
警戒する事を促すように、リリスが冷たい声を吐く。
「大した感知、大した知識だ」
若い男の声が、途中で切り変わった。
渋みを帯びた男性の声。姿もまた、それに相応しいものへと変わっていく。
「その顔、似顔絵で見たわ。テロリストの首謀者。名前はなんだったかしら?」
デューリ・コンクだ。ヴラドもその顔には覚えがあった。
「そこまでわかっているのなら話は早い。私も少し、人攫いのトップであるペドリツァーノとは話がしたくてね。彼等と接触する必要があるんだ。ただ、向こうの数までは判らないので、一人でやるのは心許ない」
「お仲間がいるでしょう?」
「控えのメンバーは今近くにはいない。呼び寄せる時間もない。そして交渉は慎重にするべきだ。今はまだ、彼等に主導権があるのだから」
言葉の途中でまた声質が変わり、瞬時に先程の姿に戻る。
そして、迷いない足取りで部屋にあったバッグを開いて、そこから通信石を取り出した。
「なるほど、条件次第では記憶の方もある程度再生できるというわけね」
「短い期間だがね」
「いいわ、手を組みましょう。お前も攫われたお仲間が大事みたいだしね」
「……?」
デューリは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、
「なるほど、そういう認識でいるわけか」
と呟くが、リリスはその反応も嘘だと捉えたようだ。
「ねぇ、知ってる? お前のような奴は嘘をつく時ほど、大勢が自然だと思うような反応を咄嗟に作るの。自然過ぎるって、それはそれで不自然なのよ? 少なくとも、わたしのような悪魔にとってはね」
「……ふむ、このまま灰色で通してもいいが、そうだな、認めよう。たしかにラミアは我々の仲間であり、そちらの御嬢さんを攫う予定にあった」
「そこまで自白するという事は、わたしたちを口説き落とせる材料でもあるのかしら?」
「私はルウォ・アルドグノーゼに謁見する権利をもっている。あの大国は、ノイン・ゼタやアルタ・イレスと比べても、けして見劣りしない勢力と言えるだろう」
淡々とした口調でデューリは言う。
それに対し、リリスは口元に手を当てて数秒ほど考える素振りをしてから、
「いいわ。この後の付き合いも考えましょう。推薦状集めが台無しになる可能性が高くなるけれど、見返りはそちらの方が大きそうだしね。もちろん、直近の処理が上手くいって、あの娘が無事に帰ってきたらの話だけど」
「それは責任重大だな」
そこで、彼が手に取った通信石が微かに震えた。
それを耳にあてて、デューリは軽薄な口調を並べる。
「……あぁ、こっちの話はまとまったよ。その条件で構わないってさ。場所の指定もそちらに任せる。けど、これ以上の引き延ばしはなしだ。たしかにあんたらのトップの魔法も、その娘の存在もエンシェにとって価値はあるけど、代えがきかないほどじゃないからね。……あぁ、わかった。その場所は知ってるよ。そちらの指定した時間以内に辿りつける。もちろん、そっちが遅れた場合は、ぶっ殺すからね?」
乱暴な捨て台詞を吐いて通信石を切ったところで、デューリは指名手配犯の姿へとまた数秒だけ戻り、静かな調子で言った。
「では、行こうか」




