05/物騒な学院
翌日、眼に隈を作って登校したシャルロットと同じように、ククルの眼にも隈があった。
早めに登校したので、他に生徒はいない。
正直、気まずかった。向こうも、多分同じような感情を抱いたんだろうなぁ、と思わせる表情を浮かべている。
「「あ、あの――」」
声が重なった。
ますます気まずい状況だが、そこで固まってしまったシャルロットと違って、ククルはそのままアクセルを踏むことを選んだ。
「さすがに本物は違ったね。悔しいけど完敗だった。……ごめん、調子乗ってたね、俺」
「そ、そんな、謝る必要なんて……」
「じゃあ、許してくれる?」
「は、はい」
「良かった」
顔を上げたククルは、安堵するように微笑んだ。
少し傲慢な印象が目立っていたけれど、彼はけして悪い人ではないのだ。
その事実に、少しだけ胸に圧し掛かっていた嫌な重たさが拭われて、こちらも自然と頬が緩んだところで、
「ところで、その、俺が気絶してた時、ラミアはなにか言ってなかった?」
と、彼は神妙な面持ちで訪ねてきた。
「え? それは……」
咄嗟に嘘をつけないあたり、自身のコミュニケーション能力の低さを痛感する。
痛感しながらも、必死で頭を回転させて、
「その、凄く心配してました。保健室に行かなかったのも、そっとしておいた方がいいんじゃないかって、凄く迷ったうえで決めていた事ですし」
「そっか。……やっぱ失望されてたか」
「あ、え、えと、」
「シャルロットさんって、嘘とか隠し事が下手なんだな」
どうやら今の反応で確信を与えてしまったらしい。
バツの悪さに思わず顔を俯かせそうになる。が、その前にククルは言った。
「ありがとう。でもいいんだ。失望されたのを知るのは悪い事じゃない。もっと強くならないとって気にもなるしね。ラミアのためにも、もっと、もっと強く」
「……ククルさんは、本当にラミアさんの事が好きなんですね」
自身に刻み込むような強い物言いに、シャルロットはぽつりと率直な感想を零す。
と同時に、先日のラミアの言葉を思い出して、より一層に複雑な気持ちを抱かされた。
ラミアもまた、今のククルと同じような事を言っていたわけだけど、その対象が自分か他人かというだけで、どうしてこうも印象が変わってしまうのか。ちょっと、ククルの事が心配になってくる。
だから、余計なお世話なのはわかっているけれど、
「……でも、どうして、そこまで?」
と、シャルロットは否定的なスタンスで訪ねてしまった。
すると、ククルはなんだか申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「あ、もしかして、それ以外にも変な事言ってた? それともよっぽどキツイ物言いだったとか? でも、それは俺に対してだけだから。それでラミアの事を誤解しないでやって欲しんだ。色々と、事情もあるっていうか……」
そこで、思案するように視線を泳がせ、数秒ほど唇を引き締めてから、
「それなりに有名な話だから、別に俺がする必要もないんだろうけど、彼女の両親さ、殺されてるんだよ。七年前、平和主義者の奴等に。彼女自身も死ぬかもしれないくらいの大怪我を負って、その時のトラウマでしばらく記憶喪失だったくらいで、記憶が戻ってからも色々あって、それで今は復讐を抱えてる。それを為し得るものに執着してるんだ。もちろん、事情があれば何でも許されるわけじゃないけど、それでも、出来れば大目に見てあげて欲しい」
「……」
背景を知ってしまうと、ラミアの行動に納得できる部分は多かった。哀しいかな、自分にも父がいたからだろう。
なにかに強く執着すること、狂気を宿すことで、彼等は自分の心を守るのだ。それは、ある意味で非常に有効な防衛手段なのかもしれない。
「――っと、話はここまでみたいだね」
廊下から聞こえてきた足音を前にククルは呟き、
「そういうわけだから、頼むよ」
と、強い念を押すように告げて、彼は自身の席へと戻って行った。
§
午前は座学が中心だった。
魔力の性質についてだったり、武器や人体の構造についてだったり、依頼主との契約交渉、報酬の妥当性の判断についてだったりと、本当に戦場で必要な情報だけを教えてくれている。そのいくつかは、すでにヴラドやリリスから聞かされていたものではあったけれど、二人とは解釈や方法なんかが違ったりもして、それも非常に興味深かった。
午後は実技訓練だ。昼から夜が迫るまで、座学で得た知識を実践していく。
ゆえに、昼休みはそのエネルギーを蓄えるための貴重な時間なのだ、とゼクスは力説しながら食堂にシャルロットたちを誘導していた。
なんでも、休日前のこの日のメニューが一番美味しいらしい。どうやら日ごとに担当する料理人が違うみたいである。
「あまり変わらないと思うけれどね」
と、隣を歩くエイダがぼやいた。
外で食べるより選択肢が少ないことが不満のようだ。
「それは、お前の舌が悪いんだよ」
呆れるようにゼクスが言う。
「醤油と塩の味の違いも判らない人が、一体なにを言ってるのやら」
ため息交じりに、エイダがそう返した。
「まあ、別にいいでしょう? 食事なんて不味くなければどれも一緒なんだから」
「そうですわね。誰と食べるかの方が重要ですわ」
ククルとラミアは興味なさそうだ。
四人は、先日の件なんてなかったみたいに、いつも通りをやっている。
それは多分、悪い事ではないのだろう。
その枠の中に今は要るシャルロットも、曖昧な微笑みを飾って中立を選択する。
「お、やっぱ今日は多いなぁ」
ゼクスの価値観が多数を占めているのか、食堂は人で溢れていた。
緊張した授業から解放される一時は、生徒たちに活気と弛緩を与えている。
弛緩、つまりは油断だ。この場所だけではなく、学院内の大半がそうなのだろう。
だからこそ、襲撃をするタイミングとしては適切で――
「――ねぇ、なにか聞こえない?」
真っ先にそれに気付いたのは、ククルだった。
「君達、ちょっと静かにしてくれないかな? 耳に障るから」
上から目線でそう吐き捨てる。
当然のように反発の空気が滲んだが、それでも堂々とそこに文句を言う人はいない。昨日、こっぴどくやられたとはいえ、結局彼の強さが嘘になったわけではないのである。或いはそれを確認するために、ククルはこのような物言いをしたのかもしれない。
いずれにせよ、静まった事によって学食に居た全ての人が、外の異変――微かに聞こえてくる怒号や悲鳴、そして剣戟の音を察知した。
「全員、武器の確保に動いて! 持ち歩いている人は現場に急行! ほら、ぼけっとしないで行動しろよ! 一般市民じゃないんだから!」
若干イラつきながらククルがそう叫ぶと、生徒たちは一斉に行動を開始した。
それに少しだけ満足するように目を細めつつ、ククルは腰に携えていた自前の剣に左手を添えて、
「ゼクスとエイダは、今日は自前の武器だったよね?」
「あぁ、刻印刻む予定があったからな」
「でも、なくても戦えるわよ。私達は別に戦士系統じゃないし」
「けど、あった方が確実に強い。特にゼクスはね。だから取りに行って。こっちも訓練室で二人の武器を確保してくるから」
「……わかった」
頷き、二人は教室に向かって駆けだしていった。
ほどなくして食堂から人がいなくなる。その間にも、外の激しさは増していた。
「もしかして、平和主義者なの?」
怯えた表情で、ラミアがククルに寄り添う。
「大丈夫だよ。相手が誰だったとしても、ここはそこらの学校じゃないんだ。どういう目的かは知らないけど、奴等はすぐに後悔するだろうさ」
「……目的。やっぱり、貴族の子息の命が狙いなのかしら? ねぇ、今日って、誰がいるのか知っています?」
「たしか、マルテシア教官とテスラ教官は居るはずです」
「そう、あのお二人がいらっしゃるのね。だったら安心ですわ」
シャルロットの言葉に、ラミアが安堵の息を漏らす。
それに、少し複雑な表情を浮かべつつ、
「そうだね。……行こう」
と、ククルは頷き。三人は訓練場へと移動した。
§
刃を落としていない武器を確保し、訓練場を出る。
「すぐには片付かなそうな感じだな。そもそも本当に平和主義者なのか……なんにしても、まずは状況を把握しないとね」
と、ククルが呟いた直後、左手側、三つ先の窓ガラスを割って鉈をもった男が侵入してきた。
続けて、ハサミを持った若い女性が入ってくる。
どちらも虚ろな目をしていて表情がない。なにかがおかしかった。
「――ギィ、ギァアアアアアア!」
こちらに気付いたその二人が、断末魔のような叫びをあげながら襲い掛かってくる。
まったく洗練されていない動き。ただ、速度自体はかなりのものだった。
腰を軽く落とし、ククルが鞘から剣を抜く。
敵が間合いに入った。
その刹那、
「――殺すな!」
と言う鋭い声が届けられ、ククルはギリギリのタイミングで刃ではなく柄の部分をもって二人の敵を吹き飛ばした。
致命傷ではないので二人はすぐに体勢を立て直し、再度こちらに向かって踏み込んでくるが、その身体が届くより先に、ドンッ、という鈍くも軽い音が二つ届けられ、二人は移動の途中で糸が切れた人形のように行動力を失い、床を転がり壁にぶつかって完全に停止する。
それを行ったテスラが、こちらを一瞥したところで、
『これは演習ではないが、戦争でもない。我々の目的は彼等の鎮圧だ。安全に拘束できるならそれで、出来ないのなら足を折って動きを鈍化させるように』
学院内に配備された拡声器から、全体命令の声が響きわたった。
「……テスラ教官、彼等は一体なんなんですか?」
鋭い口調でククルが訪ねる。
「近隣の住人だ。見ての通り正気を奪われて、都合のいいようにコントロールされている」
「数は?」
「千は超えているだろうな。だが、死者を出すわけにいかない。奴等の宣伝に使われるだけだからな」
「――あの、下種共がっ!」
先程まで怯えていたラミアが、憎悪剥き出しの怒声を吐きだした。
突然の豹変ぶりに面食らうが、彼女の背景を考えればそれは当然の反応なのかもしれない。
「正しい感情だが、少し冷静になれ」諭すような口調でテスラが言った。「今、他の教官が術者を探し出している。見つけ次第私が始末する。それまでは耐えとなるだろう。お前たちにはその間、グゥオンさんの護衛を任せたい」
「え? いえ、私は――」
「貴女は正式なここの生徒という訳ではない。我々にとっては重要なゲストという扱いになっている。なにかあっては困るんだ。下手をすれば、今起きている問題の比ではないほどの問題に発展しかねないからな。そういうわけだから、お前たちも細心の注意を払い取り掛かるように。避難場所は医務室あたりがいいだろう。あそこにはテイザ先生も居る事だしな」
「……了解しました」
やや不服そうな色を滲ませながら、ククルが頷いた。
逆にラミアの方は特に不満もなさそうだ。どこか安堵しているような空気。また恐怖の方が上回ったということなのだろうか。
「では、任せたぞ」
こちらに背中を向けてテスラは軽やかに地を蹴り、視界で暴れていた住民たちを迅速に無力化していく。
軽く脳を揺らすだけの最小限のダメージ。見事な手腕だった。標的が見つかるまでは、そうやって被害を抑えるつもりなのだろう。
そうして颯爽と次の場所に向かうテスラの背中を見送ったところで、ラミアが恍惚のため息を零した。
「やっぱりテスラ教官も凄いですわね。出来ればもっと見ていたいくらい――」
「ラミア」
「……ですけど、そうも言っていられないことくらいは、私も分かっていますわ。早速行きましょう」
「あぁ、俺から離れないようにね」
言って、周囲への警戒を強めながら、ククルは医務室に向かって駆け出した。
§
医務室はちょうど学院の中心に位置している。訓練所から近いうえ、他のどの場所で怪我をしたとしても、遠くなり過ぎないよう配慮されての事だろう。
相変わらず怒号と悲鳴は続いているが、剣戟の音は控えめになっていた。理由は、受け流す事を生徒たちが選んでいるからだ。つまりは上手く対応出来ている。この流れなら、最低限の被害で凌ぎきれる筈。
そうなってくれる事を祈りつつ、医務室の前に辿りつく。――と、そこで、馴染み深すぎて忘れていた時期もあった匂いを、シャルロットは嗅ぎ取った。
二人はまだ気付いていない。
「警戒してください」
言いながら、シャルロットは剣を強く握りしめる。
医務室の中から漂ってきているそれは、血の匂いだ。
魔力を広げて中を探ってみるが、何かしらの結界が働いているのか、室内を補足する事は出来なかった。
やや遅れて気付いたククルが、ドアを蹴破り医務室に踏み込む。
「おいおい、ここの学校じゃ、最低限のマナーも教えてないのか? ここは医務室だぞ? まずは静かにノックして、それから静かに入ってこいよ。なあ、少年?」
複数の声を混ぜ、それらを耳障りなほどに高くしたような声が響いた。
声の主は、口が裂けるほどの笑みを飾った仮面をつけた黒衣の男。ベッドに腰を下ろして、雑誌を手に持っている。
その足元には、血を流して倒れている中年女性の姿。おそらく彼女がテイザだろう。
呼吸が細い。一刻も早く処置をしないと、命に関わりそうだ。
「っ、テイザ先生!? あ、貴方、なんてことをっ!」
仮面の異様に気圧されていたラミアが、足元の存在に気付き怒りを露わにする。
直後、ナイフが彼女の目の前に飛来して――間一髪のところで振り抜かれたククルの剣によって、髪を掠めるだけに留まった。
「へぇ、今のに間に合うのか。少しは楽しめそうだな」
ゆっくりと、仮面の男がベッドから腰を上げる。
それに警戒をしながら、ククルはちらりとラミアに視線を向けて、彼女からはらりと落ちた数本の髪を前に、目の色を変えた。
「……俺も、お前を殺すのは楽しめそうだよ」
周囲の温度が、急激に下がっていく。
気付いた時にはもう、吐いた息が白くなっていた。
これは、冷気の魔法だ。
その出力の高さに気付いた仮面の男が、奥側のドアをぶち破って保健室から廊下へと躍り出た。狭い空間で戦うのは不味いと判断しての事だろう。
「テイザ先生を!」
声をあげながら、ククルが敵を追いかける。
幸いここは医務室だ。応急処置には困らない。
とはいえ、こういう事をするのは初めてだし、そもそもまだ知識として所有していない。ラミアも突然重要な役割を任せられて、緊張に強張っているようだった。
が、さすがに動揺しっぱなしというほどヤワでもなかったようで、
「え、ええと、まずは魔力で止血して、魔力の乱れを整えて、膜液を掛けて状態を固着させてから包帯を巻く、であっているはずですわ。そちらの棚にある筈ですから、探してくださる?」
「判りました」
頷き、彼女が口にしていた魔力膜液と、包帯を探す。
見付ける事はすぐに出来たが、かなり分類が細かい。血液型、性別、魔力の色によっても、適切な薬品が変わってくるようだ。
「すみません、先生の魔力の色は何色だったんですか?」
敵とククルの魔力が強すぎて霞んでしまった被害者の色を訪ねる。
「紫ですわ。私の色とはあまり合わないし、彼女の色格の方が強いので、止血も少し難しい。出来るだけ急いでください」
傷口に手を当ててそこに魔力を流しながら、ラミアが微かに震えた声で言った。
頷き、効果の欄にも眼を向けながら目当てのものを探りあてる。変に医学用語塗れではなく、誰が見てもある程度判りやすく説明されているのは救いだった。
そうして、二人して四苦八苦しながら、なんとか応急処置を済ませる。
「……感謝しますわ。私一人だったら、きっとこんなに早くできませんでした」
安堵の吐息と共に疲れた笑顔を浮かべてから、ラミアはテイザをベッドに寝かせ、また表情を引き締めて、
「では、私たちも援護に――」
声を遮るように、一際大きな衝突音が響いた。
弾かれたように二人して廊下に出る。
「――っ、ククル!?」
片膝をつく彼の姿を前に、ラミアが裏返った声をあげた。
脇腹と右の太腿に裂傷。致命傷ではないが、かなりの深手だ。
「いい退屈凌ぎだった。さっきの教師よりは手応えがあったよ、お前。でも、相手が悪かった」
その傷をつけたと思われるギザギザのナイフをくるくると回しながら、仮面の男が勝利を確信した言葉を並べる。
実際、男の方に目立った傷は見当たらなかった。
「……大丈夫。逃げる時間くらいは稼げる。だから、応援を呼ぶんだ。まあ、君たちが戻って来た時には、逆転してるかもしれないけどね」
ゆっくりと立ち上がり、ククルは剣を構え直す。
「哀れな虚勢だな。あまりに可能性がない。もう少し上手く夢を見せてやれよ。じゃないと、そいつらの足も動かないだろう?」
仮面の男は、こちらに顔を向けて嗜虐的な笑い声を漏らし、大きく一歩前に足を踏み出して――
「節穴」
その静かな声が背後から届くと同時に、銀色の閃光が男の仮面に突き刺さった。
男の顔が仰け反り、血の飛沫が床を汚す。
閃光の正体は、細く鋭い杭のようなナイフだった。それが額に直撃したのだ。
ただ、仮面には防具としての価値もしっかりあったのか、致命傷とまではいかなかった。
からん、と音を立てて真っ二つに割れた仮面が地面に落ち、男の素顔が露わになる。
火傷で爛れ、多くの切り傷を刻み込んだ凄愴な容貌。
戦いで負った傷なのだろうか? それとも拷問によるものなのか……いずれにしても、壮絶な経験をしている事を一目で知らしめた男は、血走った目で自身に一撃を喰らわせた相手を睨みつけた。
「応援を待つ必要はもうありません。こうして到着しましたので」
かつ、かつ、とヒールの小気味好い音が近付いてくる。
振り返った先には、縁なしの眼鏡をかけた女性の姿。
「マルテシア教官!」
微かな震えを孕んだ弾み声で、ラミアがその名を呼んだ。
「マルテシア? 公平のマルテシアか! これはまた、ずいぶんな大物が釣れたものだな」
「私の方はずいぶんな小物を踏んだようですね。これでは釣り合いが取れない」
淡々と言葉を返しながら、腰の短剣を抜いたマルテシアがククルの前に立つ。
「お二人は離れてください。ククル、貴方は医務室で治療を。……テイザ先生はまだ生きていますね。でも、毒が回りだしている。遅効性、いや、完全に全身に回りきった段階で発症する時限式ですか。医務室にあるもので解毒出来ればよいのですが」
その発言で、自分にも毒が回っているという事を理解したククルが、顔をひきつらせながら、敵を見据えつつ医務室へと下がっていく。
「なにをしているのです? もうじき敵方の増援も来ると言っているのです。それとも足手纏いを所望ですか?」
感情のない辛辣さに反発を覚える間もなく、シャルロットもこちらに迫ってくる気配を捉えた。
動きにブレがない、洗脳されている住人ではなさそうだ。
「……ラミアさん、行きましょう」
「で、ですが――」
「ククルさんなら大丈夫です」
敵は一見すると何一つククルに手傷を負わされていないように見えるが、それはあくまで表面上。彼の放った魔法の影響は、その色に滲んでいる。まあ、それが具体的にどのような影響を齎すかまではシャルロットには判らないが、マルテシアには判っている。きっと、そういう事なのだろう。
いずれにしても、自分たちが足手纏いなのは確かだ。
ラミアの手を引いて、シャルロットは増援から遠ざかるように駆けだす。
少ししてからその手を強く握り返して、ラミアもまた自身の意志で駆けだした。
§
そうして離れて行く二人の足音が聞こえなくなったところで、マルテシアは小さく息を吐いた。
「仕掛けてこないのですか?」
「慌てる必要がどこにある? あんたは怖そうだからな、味方が来てから始めるとするさ」
爛れ顔の男はニヤニヤと笑いながら言う。
数の暴力で勝てる、という認識があったためだ。
「なるほど、たしかに二対一では不公平ですね。二対二にしておきましょう」
口元に手をあてて、マルテシアが呟く。
その内容に、男は(何を言っているんだこいつは?)といった表情を浮かべたが、程なくして彼女の言葉の意味を知る事となった。
壁をぶち破って最初の一人が増援として現れた直後、その後に続くはずだった者たちが一斉に足を止めたのだ。そしてぼんやりと、窓の外と突き破られた壁の隙間から、同士の証明でもある仮面をこちらに向けている。明らかに、異常な行動だった。
(精神干渉系の魔法か? ……いや、違うな)
これは特定の領域にルールを付加する類の魔法だ。個人ではなく世界に干渉する魔法。
具体的な種類まではわからないが、結果こちらは数的優位を失った。
ただ、この手の魔法は別になんでもありじゃない。向こうにもなにかしらの条件がある筈だが……。
「妙な魔法を喰らったようだな、ドグ」
唯一この舞台に上がることが出来た仮面の仲間が、焼け爛れた男のコードネームを口にした。
その声で、彼がミンダルだという事を理解し、ドグは唇を釣り上げる。増援の中では一番の戦力だったからだ。
マルテシアの相方は重傷の小僧なわけだから、実質二対一。
二つ名持ちの『黒潰石』の傭兵がどの程度の実力なのかは知らないが、勝負にならないなどという事はないだろう。
「先に奥にいる奴等を殺る。合わせろよ」
相手は教師だ。瀕死の生徒を無視する事は出来ないだろう。そして庇いながらの戦いで本来の強さを発揮する事は、どのような猛者であっても難しい。
「奴等ではなく、奴ですよ。貴方たちはテイザ先生には干渉できない。そして、もうすぐ誰にも干渉出来なくなる」
マルテシアが地を蹴った。
音の無い、あまりにも流麗なステップ。一瞬反応に遅れるほど、それは虚を突いた踏み込みだった。
だが、ドグとて数多の修羅場を潜り抜けてきた男である。対処に遅れてそのまま殺されるなどという事はない。防御は十分間に合う。――そう思った瞬間、自身の動きが急に鈍くなった。
反面、マルテシアの速度は上昇する。そこに魔力の変化はない。出力を上げたわけでもなければ、もう一度床を蹴って加速したわけでもないのに、急に全ての速度が増したのだ。
意味不明な事態だった。
その非常識に翻弄されながらも、ドグはなんとか身体を思い切り引いて致命傷だけは避けたが、そこまで。
返しの刃は、まったく見えなかった。
そうして驚くほどあっけなく、ただの踏み込みからの二連撃でドグの首は刎ねられた。傍から見れば、不注意としか言いようのない結末である。
「……貴様、なにをした?」
「私はなにも。ただ、その男が取るに足らないと判断した我が校の生徒の魔法が、ようやく機能したというだけの事です」
ミンダルの言葉に淡々と答え、マルテシアはおもむろに眼鏡を胸のポケットに仕舞い、
「ところで、貴方の魔法はなんなのか、彼のような初見殺しだと少し怖いですね。やはり、ここはお互い魔法を使わない方が都合がいい」
「――」
ビクッ、とミンダルの身体が震えた。
遅れて寒気が走る。それと同時に、魔法が使えなくなっている事にも気付いた。
「……くそが」
残念ながら、ミンダルは魔法使いだ。身体強化にそれほど特化した戦士ではない。
その事実に歯噛みしつつ、しかしこの手の魔法の消耗は激しいはず、という一縷の望みを胸に、ミンダルは手にしていた剣を強く握りしめて地を蹴った。
手応えのない剣戟が続く。
続いているだけ奇蹟だと思うほどの技量差を、細身の短剣で完璧に受け流された時に痛感したが、それでも攻撃の手を止めずに剣を振り抜いて――
「――は?」
どうしてか、それを握りしめたままでいられずに、自ら得物を手放す事となった。
本当に、意味がわからない。
わからないままに、ミンダルは自身の心臓に穴が開く音を聞き、絶命した。
§
面倒そうな敵を二人始末したところで、マルテシアは人数に掛けた『天秤』の魔法を解いた。
参加権を取り戻した残りの十人程度の敵が、驚きと警戒と怒りを滲ませていく――が、それが発露する前に、彼等の命はなに一つの抵抗なく、マルテシアによって穿たれた胸の穴から零れ落ちた。
彼等も気付いていなかったようだが、既にククルの魔法はこの周囲に展開されていたのだ。
彼の魔法は『冷気』ではなく『低下』。温度はもちろんの事、対象の強度であったり、認識速度なんかにも作用する、いわゆる概念干渉系の高位魔法で、肌寒さはそれを受けたサインだった。
しかし、多くの者は冷気の方だけに気を取られる。ただの余波としてそれを受け取ってしまうわけである。
おかげで、非常に簡単に始末がついた。間違いなく、この戦いの最大の貢献者はククルと言えるだろう。
その彼の様子を見に、医務室へと足を運ぶ。
「テイザ先生の方の処置も終わったようですね。ご苦労様でした。私はこれから彼女たちの元に向かいます。貴方は休んでいるといい」
「俺も、行きますよ」
床にへたり込んでいたククルが、ゆっくりと立ち上がる。
「そうですか、好きにしてください。ただ、貴方の歩調に合わせるつもりはありませんので、あしからず」
言って、マルテシアは駆けだした。
§
保健室からある程度離れたところで、シャルロットは足を止めて一息ついた。
とりあえず追っ手の気配はない。そして、戦闘も一段落ついたようだ。マルテシアがこちらに近付いてきているのが判る。
結構離れてしまったので、合流までには少し時間がかかりそうだ。周囲には他に気配もなさそうだし、こちらからも向かった方がいいかもしれない。
そう判断し踵を返そうとしたシャルロットの手を、ラミアが引きとめた。
振り返ると彼女はまだ不安そうな表情を浮かべている。どうやら、状況にまだ気付いていないようだ。
「大丈夫ですよ。向こうの問題も片付いたみたいですし」
「そうですわね。それは判っていますわ。だから――」
「――え?」
突然、目の前の光景が変わった。
瞬き一つの間に、二人は外に居た。
空間転移だ。希少で強力な魔法。でも、これは人が行ったものじゃない。魔石によるものだ。二つの魔石を用いた、二点間の空間移動。
そして、それを行ったのは――
「――!?」
ポケットから砕けた魔石を取り出し、それを地面に捨てたラミアが、おもむろにシャルロットの身体に寄りかかり、唇と唇が重なった。
キスをされたのだと理解した時にはもう、思考能力は奪われていた。
「やっぱりマルテシアは厄介ですわね。まさか、ここまで早く片付けるなんて。おかげで切り札を割るはめになった。でも、ここまで来れば、安心して貴女を連れていくことが出来ますわ」
艶やかな微笑を浮かべ、ラミアはシャルロットの手を引いて、歩き出す。
しかし、途中でその足は止まり、
「これはこれは、何事かと思って駆けつけてみれば、どうやら大当たりを引いたようだな」
「……貴方、誰ですの?」
微かな驚きをラミアが示した直後、シャルロットの意識はぷつりと途絶えて――




